包帯クラブ  新作レビュー

見た日/9月某日 ★★★★

拾い物、と言うと、堤幸彦監督に失礼だろう。

仕事の合間で、観るかどうか本当に悩んだのだが、正直、観てよかった。

今年観た映画の中で、結構底辺辺りになる「大帝の剣」と、同じ監督とは思えないが、僕にとっては堤監督の作品ではベスト。この2、3年に観た青春映画でもベストの粋に達する。高校生たちの物語で、映画館の中で思わず涙したのは「チルソクの夏」以来ではないだろうか?

傷つきやすく、内にこもりやすい高校生たち。登場する人物は、みんな何らかの傷を負っている。彼らは「メールで依頼を受け、依頼者が傷ついた場所に包帯を巻き、写真を撮って送る」という「包帯クラブ」を結成する・・・。

現代社会は、普通に生きていても、傷つく。とくに感受性が鋭い10代ならなおさらだ。僕はこの映画を観ていて、「いじめ」に苦しんだ小学校、中学校時代を思い出した。

「自分はどうやって傷を癒し、ここまで辿ってきたのだろう?」そんなことを考えながら映画を観ていて思った。

人は人によってしか傷つかない。テレビのニュースや情報に傷つくこともあるが、それもまた、人の行為によるものだ。しかし、皮肉なことではあるが、人が癒され、その傷が修復されるのも、また人による。「人は人によってしか癒されない」のだ。

この映画は、脚本がいい。脚本の森下佳子さんはこれが映画デビュー。プロフィールを見ると丁寧な感情表現が評判だったテレビ版「世界の中心で、愛をさけぶ」を担当していたということで納得。等身大の高校生たちが背伸びをせず、リアルに苦しみ、やがて他人の痛みを自分の痛みとして分かるようになる姿が、さわやかに描かれている。

広角レンズを多用した画面、多いカット数、カットの間に挟まれる情景描写など、堤監督独特の演出手法は健在。どちらかと言うと、フィックスの固定画面でしっかり撮っていた「明日の記憶」の方が変化球だろう。「TRICK」シリーズのような奇をてらった演出ではないが、こちらの方が堤監督の個性が鮮やかだと思う。

細やかな感情描写がされている脚本と、ちょっと乾いた冷静なカメラワークが妙にピッタリ来ていて、子どもたちが直面する問題を描いた「現代」の切り取り方や、インターネットや携帯ネットのような現代的なツールを描いた部分と、オーソドックスで普遍的な成長物語がしっくり融合している。

主演の柳楽優弥もいい。彼はついに「誰も知らない」以降、自分を表現できる役にめぐりあえたのではないか。10代特有のいらつきを上手く表現しながら、安定感を物語に与える石原さとみも魅力的だ。大人の俳優はほとんど出ないし、ほとんど物語にも絡んでこないが、実は原田美枝子、風吹ジュンという2人の名優の存在感と演技が、出番は少ないものの、この映画を奥の深いものにしている。

ロケ地に高崎市を選んだのも正解。昔の風景と現代的なビルが共存する地方の小都市の独特な雰囲気は、古くて新しい雰囲気が漂うこの物語の世界観にピッタリで、映画的な効果を上げている。

さらに秀逸なのは音楽。全編、「ハンバートハンバート」という男女デュオがギターに乗せて歌うスキャットが流れるのだが、このメロディー、リズムが素晴らしい。映画全体を通して透明感が感じられるのは、恐らくこの音楽の効果だと思う。

この映画が、どちらかと言うと時代の空気を読む、という点では苦手な東映配給というからビックリ。お客の入りはあまり良くないようだが、同時期公開で大ヒット中のライバル東宝の「HERO」なんかに負けず、頑張ってほしい。

正直言って、こちらの方がずうっといい映画なんだから、胸を張りましょう、胸を!何なら、東映本社に包帯巻きに行きましょうか?
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佐賀・古湯映画祭で佐々部監督特集!  映画つれづれ

行ったことはないが、佐賀県佐賀市に富士町というところがあって、そこの古湯という場所は温泉街で、毎年映画祭をやっているという!

温泉で映画祭!!素晴らしい!!行きたい!!

で、24回目を迎える今年の「富士町古湯映画祭」は、テーマが「佐々部清監督特集 昭和のこころ・・・ひとの想い」とか!!

日程は10/27(土)〜28日(日)で、場所は佐賀市役所富士支所3階の旧議場らしい。上映作品は「夕凪の街 桜の国」「カーテンコール」「半落ち」「陽はまた昇る」で、ゲストで佐々部監督も来場し、シンポジウムやパーティーも予定されているらしい。

詳しくは、下記のHPへ!

http://www2.saganet.ne.jp/kasuke/eigasai_top.htm

行きたいなあ・・・。佐賀かあ。行けないことはないけれど・・・。仕事が・・・。でも、何とかしようかなあ。

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キサラギ  新作レビュー

見た日/9月某日 ★★★★★

「夕凪の街 桜の国」に続く、今年、2本目の5つ星ついに登場!

映画を見続ける、といこうとは、楽しいことだがある種の「修行」のようなものだな、とつくづく思う。

「見るより感じろ!」とは「燃えよ!ドラゴン」でブルース・リー様が仰り「スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ」で源義経こと伊勢谷友介様が仰った至言だが、「映画を見続ける」ことで感性は磨かれていく、と心から思う。

そういう意味では、僕にとって、「映画」は小学生のころから、あらゆるものの「先生」だった。

ずーっと映画を観ていると、たまに「こりゃあひどい!」と思うような作品にも出会う。

どんな映画、例えば商業主義に徹しているような映画でも、どこかいいところはある、と信じたい。最近はどの映画も平均的で、逆にマーケティングに走り過ぎて大人しくなっちゃった感もある。

昔は本当にひどい映画も多かったが、その「ひどさ」が魅力になっていた映画も多かった。まあ、「ひどい」部分も含めて楽しめるのも、映画館という特殊な空間だからこそ。自宅でのビデオ鑑賞なら、そうは行かない。

映画は、あくまで「映画という媒体」として作られている。1時間半から2時間弱の間、暗闇の中、スクリーンに上映される映像を椅子に座って鑑賞する、ということを考えて、演出も、音楽も、効果音も作られている。だから、DVDやビデオになった「映画」の作品は、正確には、もう「映画」というソフトではないのだ。

という意味合いで、当然、自宅で見るのと映画館で観るのでは、その「映画」の感想は違ってくる。鑑賞する環境が違うのだから、当然そうだろう。同じソフトでも、同じ土俵で感想を語れないのだ。だからこそ、映画館で映画を観ることは大切なのだが、僕は、今年、残念ながら「映画」を30数本しか観られてない。

こんなんで映画レビューをブログで発信しているなんて恥ずかしい。残り3カ月、できるだけ頑張って観たい、と思う。

さて、冒頭で「映画を見続けることは修行」と書いたが、だからこそ、いろんな映画を見ていく中で、この作品のようなすこぶる面白い作品に出会うと嬉しくなるし、本当に「映画」を見続けていてよかった、と思う。映画を見続けているからこそ、面白い作品に出会ったときの喜びはかけがえがない。

また、映画は時代を反映している。この映画も正に現代だからこそ作られた映画であり、公開年に映画館で観る、ということも重要だ。

内容は「十二人の怒れる男」「12人の優しい日本人」に代表される、ひとつのシークエンスを巡り、同一場所で展開される、複数の出演者によるワンシチュエーション・コメディ。

1年前に自殺を遂げたアイドル歌手「如月ミキ」の一周忌パーティーに集った5人のアイドルおたくたちが繰り広げる、抱腹絶倒の物語で、5人を演じる小栗旬、香川照之、小出恵介、塚地武雅、ユースケ・サンタマリアがそれぞれ素晴らしい。アイドルおたくがファンサイトに惹かれて集まる、という設定も時代を反映している。

とにかく脚本が秀逸で、物語展開をちょっとでも紹介すると、この映画は楽しめなくなってしまうので紹介しないが、香川さんがキネマ旬報で連載中のエッセイ「日本魅録」での記述が、この映画の魅力をすべて物語っている。

引用すると、「この『キサラギ』は、短い撮影期間ながら映画の神様が毎日のように降臨して、俳優と監督とがその見えざる手に心地良く導かれ、気が付けばバットの芯で捉えたカットが次々とキャメラに収められていった『神の子』のような映画だ」(キネマ旬報07年7月下旬号)とある。

この映画は、パンフレットによると脚本家はやはり前述の二本の映画にあこがれ、意識して書いたらしいが、全くのオリジナル脚本、という点に感心した。

ワンシチュエーションでの表現となると、どうしても演劇のようになりがちだ。「十二人の怒れる男」も演劇化されているし、「12人の優しい日本人」はもともと舞台である。

だが、この映画は工夫している。実は、場面が変わらないひとつの場所での会話劇だからこそ、演劇とは違う「映画的興奮」を味わうことができる。

役者のアップ、雨の効果、時折入る別の場所でのカット・・・。演劇的ではあるが、これは舞台とは全く違う興奮だ。舞台は舞台の良さはあるが、渾身の演技や表情をカットでつなぎ、アップで汲み取れるのは、映画だからこその魅力だ。

これを演劇でやらず、映画でやりたい、と思った脚本家、そして監督とスタッフたちは偉い。このレビューの前半でグダグダと映画を見続けることの意味を書いたが、あらゆる映画的な表現が出尽くした中で、映画を見続けているからこそ、この作品に込められた挑戦性が実に新鮮に写るのだと思う。

優れた映画は優れた脚本、演出、そして役者の演技だな、と改めて感じた。それは僕のもうひとつの今年の5つ星「夕凪の街 桜の国」でも感じたことだが、「夕凪〜」はまず監督の演出、「キサラギ」はまず脚本。

いずれにしても、優れた演出と脚本があって、優れた役者の演技があるのだ。だから「役者は○だが、演出は×」なんて馬鹿なレビューがあるが、そんなことは有り得ない。役者の演技が優れている、ということは演出が優れていることであり、お話が面白い、ということは脚本が優れている、ということだ。

この映画、一見して演劇的なのに、実は、映画館ならではの楽しみが味わえる「映画」だった、という点で一本取られた。

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スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ  新作レビュー

見た日/9月某日 ★★★★

いやあ、スゴイモノを見せてもらった・・・。試写だったが、ぜひ、お金を払ってもう一度観たい。

こんな映画の前では、お偉い映画評論家がいくら屁理屈をこねて批判しても、ヤフーレビューで2点代であっても、すべて「とんねるず」ならず、「メジャーリーグ2」の石橋貴明ふんするオカマ・インディアンがぶっ放すガトリング砲でガリガリと撃たれてしまうだろう。

はっきり言って、壮絶なまでのお馬鹿映画だが、本気で「マカロニ・ウエスタン」をやっていて、後半のアクションシーンなどは、本場(もちろんイタリア。ハリウッドぢゃない)をしのぐ迫力なのだ。

これまでも西部劇にオマージュを捧げた日本映画はあったが、これは本当に「マカロニ・ウエスタン」のコンセプト、すなわち「ハリウッドの西部劇を適当にパクって面白い西部劇を作っちゃえ!セリフは英語にしちゃえばアメリカでも公開できるし、ロケ地は適当に国内の荒地ならネバダに見えるだろう。ストーリーは遠い島国の映画をパクりゃあ、誰にも分かんないさ!」というノリを、日本映画界そのものがやったらどうなるか、というもの。

つまりは「スキヤキ・ウエスタン」といういちジャンルの確立、とも言えるものだ。

三池崇史監督の構図やアクションへのこだわりは今回、半端ではない。それでいて、三池監督の悪乗りというか、悪ふざけはこれまでの作品の中でも最高級ではないか。とくにタランティーノのパートは最高で、劇中のマニアックなセリフには、悪いが大笑いしましまった。

アニメ・パートは明らかに「キル・ビル」を意識していて、これはわざわざ出演してくれたタランティーノへの御礼のようにも見える。そして、三池監督の師匠、今村昌平監督が好きだったという格言を、わざわざ字幕で出すという技!今村監督への敬意もそこに見た。

そしてマニアックなのは、黒澤明監督の「用心棒」が勝手にイタリアで「荒野の用心棒」としてパクられて、今度は三池監督が日本製ウエスタンで「荒野の用心棒」を意図的確信犯で和風にパクって、またまた「○・○○○○○○」につなげる、というワケワカンナイ図式のリレー映画になっている様。マカロニ・ウェスタンが好きな映画ファンなら大爆笑だろう。

テレビドラマの映画化ばかり作っているお馬鹿な日本の多くの映画人に真剣白刃取りをしてほしいぐらいの、スパイスがピリリと効いた作品だ。

この映画の伊勢谷友介は本気でカッコいいし、木村佳乃も魅力的。主演の伊藤英明に至っては、かの海上保安官と同じ人とは思えないほどのガンマンぶりで、あっちの半分もヒットしないかもしれないが、こちらの方がノリもよく見えるし、断然カッコいい。携帯電話で甘っちょろい愛のセリフを吐く伊藤君より、木村佳乃に馬乗りされて、○○○○○(ここ18禁!)される伊藤君の方がイッコいいのだ。

あと、桃井かおりの存在感!

僕はドキュメンタリーの鬼才・原一男監督から直接「桃井かおりさんは、映画全体を破壊しかねないエネルギーを持った壮絶な女優」と伺ったことがあるが、この映画では、その言葉通り「ウコンの力」に負けない怪演を見せてくれる。

源氏、平家両方につくうち、人格分裂を起こしてしまう保安官役(これもスゴイ役だ)の香川照之氏がキネマ旬報で連載している「日本魅録」によると、とある俳優さんはこの作品を観て「何と言うか、人間が創ったとは思えない映画」と称したという。言いえて妙、なのだ。
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見た日/9月某日 ★★★

この映画、公開2日間で75万人を動員し、興行収入10億円を突破したのだという。勢いからすれば日本映画の実写映画で興収記録を持つ「踊る大捜査線2」を抜く情勢間違いなし、らしい。注目したいのは、2日間で動員した観客の満足度で、98・9%という高い数字が出たそうだ。

メディアミックスの成果もあってか、日本映画の観客動員が上がって、年間に1、2本はこういう映画が登場するようになってきた。日本人が1年に観る映画の本数は1〜2本というから、間違いなくこの映画はその「1本」に当たるわけだ。年間観る「1本」が日本映画、というのは洋画一辺倒だった数年前に比べればいい傾向と言える。

面白いのは、映画館にシニア世代もかなり戻ってきて、そういう誰もが観る映画が二極化してきたこと。昨年なら若者層は「日本沈没」、熟年層は「武士の一分」などのように。でも、もっと興味深いのはその境界線も曖昧化していることだ。熟年層も昔の作品を知っていて「日本沈没」を観るし、他の山田洋次時代劇は観てなくても、若いキムタクファンは「武士の一分」を観る。その相乗効果がはっきり出るから、ものすごい数字が出る。

今年は恐らくフジテレビ「HERO」と11月公開の日テレ系ノスタルジー超大作に特化していくのだろうが、どっちにしてもキムタク当たり役のこの作品で、東宝は勝負に出ている。何しろ470スクリーンである。これでヒットしなかったら、東宝の重役の1人や2人は吹っ飛ぶかもしれない。フジテレビの責任問題にもなりかねないだろう。「西遊記」の不振はともかくとして・・・。

こういう一般の方が年間に観る「1本」の映画が持つ責任は重大、と思う。何せ、いつもはテレビでしか「ドラマ」を観てない人が、スクリーンで観る「物語」なのだ。いくらテレビドラマの映画化だとしても、それなりにスケール感があって、大画面ならではの迫力があって、テレビとは違う魅力がないと困る。観客はお金を払って観ているのだ。その「1本」がきっかけになって、映画の面白さを再発見し、他の映画を観てくれるようになってくれれば、日本映画がさらに元気になるきっかけなになるからだ。

さて、この作品だが、内容的には満足度の高い数字が出ているように、正直、面白かったと思うし、これほどの観客が観る作品としては十分合格点が付けられる内容に仕上がっている。

もちろん、突っ込み所はいっぱいある。そもそもジーンズをはいた検事、という設定自体荒唐無稽だが、他の検事たちの捜査や後半の法廷シーンなど、リアルさを追求すれば思わず大笑いするような無理な点は多々ある。

が、一般の方がテレビドラマを観る感覚で観れば、フィクションの世界として十分楽しめる範疇で、その辺は作り手も百も承知だろう。そんなゴタクを並べても、スクリーンいっぱいに広がるキムタクのどアップは、オーラがキラキラで、男の僕が見てもホレボレする。今の時代のスターが、今の時代のスクリーンに輝いている、と素直に認めざるを得ない。

この作品が楽しめる作品になったのは、ひとえに脚本の力だと思う。「海猿」などで群像劇の上手さを発揮してきた福田靖さんの手腕が、この映画でも十二分に発揮されている。そもそも元になったテレビシリーズは、第1話でメインライターが諸事情で降板してしまい、急遽、福田さんが第2話以降を担当し、主人公たちの骨格を作り上げて行ったのだという。

ぶっきらぼうだがストレートな正義感を持つ主人公、その主人公を疎ましく思いながらも、共感する同僚検事たち。テレビシリーズで築き上げてきた福田さんの世界が、この映画でも堪能できる。小さな障害致死事件が、大物代議士の贈収賄事件と巧みに絡み、クライマックスに向けて法廷が二転三転する展開は鮮やか。

映画雑誌で福田さんは「見事なハリウッド映画のような脚本を書きたい」と発言されていたのを読んだが、その領域に近づいていると思う。次回作は佐々部監督作で助監督を務め「樹の海」でデビューした瀧本監督の「犯人に告ぐ」というから、またまた楽しみだ。

福田さんは山口県周南市の出身だ。周南市は徳山市と新南陽市、熊毛町が合併してできた市で、福田さんは旧徳山市で生まれ育った。僕が住んでいるのは周南市の中に囲まれた形で存在している下松市(くだまつし)で、東隣りには下松市と周南市東部に挟まれた形で光市がある。この辺り一帯を「周南地区」と呼んでいる。この周南地区の東端の光市から西端の新南陽地区まで、車でも30分ていどで行ける狭さだ。

何でこんなことを書いているかと言うと、この「HERO」は、周南地区在住の人が観るとニヤリとする部分がある。主人公が以前に赴任していた場所は何と山口県で、山口という言葉が何度も劇中に出てくるし、物語に重要な役割を果たす大物政治家も、山口県選出の代議士、という設定なのだ。ちなみにこの映画の前編の物語になったテレビドラマのスペシャル版はきちんと山口が舞台になっていて、下関市角島(佐々部監督魅惑の傑作「四日間の奇蹟」の舞台!)でロケもしている。

で、キムタク扮する主人公の前任地は「山口地裁虹ケ浦支部」だ。虹ケ浦という地名は実在しないが、福田さんの故郷、周南地区にある光市には「虹ケ浜」「虹ケ丘」という土地があり、海もある。そんでもって映画に登場する政治家の名前は「花岡」で、この名前も僕が住む下松市に「花岡」という歴史のある土地が実在する。

これは推測だが、恐らく福田さんの意識の中には故郷のことが頭にあったのだと思う。2日間で70万人以上の人が観る映画で、こんなお遊びがあるのも、周南地区在住人としてはとってもうれしい。
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『火垂るの墓』実写映画化!  新作レビュー

またまた気になるニュース。

スタジオジブリの傑作で、高畑勲監督作品で有名になった「火垂るの墓」だが、この原作小説が実写映画化されることが決まり、クランク・インしたという。

マスコミ的には、空襲によって孤独となる幼い兄妹の母親役に6年ぶり映画出演の松田聖子さんが演じる、ということが話題になっているようだ。6年前の聖子ちゃんの出演映画って何だろう?もしかしたら、「アルマゲドン」なのかな・・・。

兄妹はオーディションで選ばれ、兄を吉武怜朗(1991年12月生まれ、レオ、と呼ぶらしい)君、妹を畠山彩奈ちゃん(2002年6月生まれ)が演じる。2人とも調べるとテレビドラマなどには出ているようで、吉武君はファンも多いようだ。

僕が注目したいのは監督。これが二作目となる日向寺(ひゅうがじ)太郎監督で、日向寺監督は「美しい夏キリシマ」「父と暮らせば」「紙屋悦子の青春」など、戦争をテーマにいくつもの秀作を作り出してきた故・黒木和雄監督の助監督だった監督さんである。

黒木監督に師事してきた日向寺監督が、師匠が紡ぎ出してきた「戦争」というテーマとどう向き合い、どんな作品を仕上げるのか。アニメ版があまりに有名で、実写ではアニメ版とは違う視点で描こうとして大失敗したテレビドラマ版もあっただけに、注目度は大きいだけに、期待したい。来年公開ということだ。
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気になるニュース  映画つれづれ

気になるニュースがあった。

カナダの自治体のニュースサイトで、20世紀フォックス社がカナダで撮影を予定している映画がいくつかあり、その中に「ナイトミュージアム」の続編、ローランド・エメリッヒ監督による「ミクロの決死圏」リメイク作と並び「ドラゴンボールZ」の名前があった、というニュースが報道されたのだという。

「ドラゴンボール」の映画化権を20世紀フォックスが獲得した、というニュースは確か2002年ごろに流れたはずだ。当時、「スター・ウォーズ」シリーズの次として考えていて、SWの完結以後に動き出す、ということだったが、SWの終了後も全然音沙汰がなく、「どうなっているのかな」とは思っていたが、ようやく動き出したようだ。

そのサイトによると、来年7月までに撮影を終える、という。でもこれが20世紀フォックス社からの発信ではないから、信憑性に疑いはあるが、自治体のサイトと言うから誤報ではないのだろう。

とすると、再び、悟空や亀仙人やピッコロたちを、誰が演じるのか!?一時、ジェット・リーが悟空を演じる、というウワサがあったが、もう無理だろう。どちらにしても、またまた興味は沸いてくる。そして、監督はだれがするの!?確実な情報を待ちたい。
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伝染歌  新作レビュー

見た日/9月某日 ★★★

最近のJホラーの系譜に入る作品なのだろうが、ベテランの原田眞人監督作品らしく、社会派の香りがしつつも、実験的な映像を織り込んだ展開は単純に「面白い」と思った。が、映画全体に漂う「変さ」があって、実はそこがこの映画の魅力になっている。

「その歌を歌った人は必ず死ぬ」という都市伝説がテーマだが、映画は女子高生が自殺し、その原因がどうもその「伝染歌」にあるらしいと気づいた三流雑誌記者と自殺した女子高生の同級生たちがそのナゾを追う展開になる。女子高生たちの描写は同じ原田監督の「バウンスkoGAL」を思わせるが、なかなかリアルだ。

ホラームービーではあるが、決して怖くはない。「伝染歌」の正体や、自殺の連鎖のナゾ解きの解明の過程は先の展開が読めず、なかなか楽しませてくれる。カットを逆転させる実験的な映像の試みも面白い。カット数も多くめまぐるしいが、荒い映像も効果を出している。

が、しかし、この映画でびっくりたまげるのは、豪華出演陣の怪演にある。主人公の雑誌記者、松田龍平は渋い魅力を放ちつつも「AKB48」の歌とダンスに乗って客席で踊る!し、伊勢谷友介に至っては、元フランス外人部隊の傭兵で足に傷を負っていて行動と言動に一貫性がなく、ストロベリーパフェを食べることに生きがいを感じている雑誌記者、というスゴイ設定。ある超有名人物をあからさまに思わせる、怪しいスピリチュアル有名人を演じるちょっとだけ出演の阿部寛も含め、他の大人の役者さんたちも全員「変」なのだが、ここに原田監督の遊び心が見て取れる。

何しろ、伝染歌のナゾを追う雑誌の編集会議は戦争ゲームをしながら行なうのである!雑木林の中で登場人物たちがいきなりサバイバルゲームを始めたときは「この映画、何の映画だったっけ」と思ったが、これもこの映画全体に漂う「変」の一つ。ラスト近くには、ホラー映画なのに、驚愕のミ○○○○○シーンがあるのだが、「変」の極地にも関わらず、そこはなかなか感動的で、僕はその場面で不覚にも涙してしまった。

恐らくこの映画を大多数見るであろう高校生たちに向けた「簡単に自殺などしてはいけない」というメッセージも奥底にあって、「変」な中にも、社会的なメッセージがきちんと読み取れる作品になっている。

ホラー映画の様相を見せながらも、こういう作品を作っている原田監督も、なかなか振り幅が広い。まあ、かつて、おにゃんこクラブの映画からSFの「ガンヘッド」、傑作「KAMIKAZE TAXI」まで撮った人だ。どこか作風は共通しながらも、いろいろな映画的記憶を織り交ぜながら、幅広い作品を生み出す監督の次回作が楽しみ。
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怪談  新作レビュー

見た日/8月某日 ★★★

新作レビューと言いながら、もうほとんどの地域は公開が終わっている。

まあ「怪談」と言えば、旬は夏だものなあ。公式HPを見ても、かなりの劇場は8/31が上映最終日だったようだ。まだ上映しているところはあるのだろうか?僕も鑑賞したのは最終日前日だった。半年後にはDVDが出るとは思うが、未鑑賞の方はそのときの参考にしていただければとは思う。だから、内容の紹介は避ける。

今やJホラー界の巨匠でハリウッドでもメガホンを取る中田秀夫監督だが、同監督は何かのインタビューで「ホラーだけにこだわりたくはない」と発言され、ラブストーリーも撮りたい旨の発言をされていた。手塚治虫原作の漫画の映画化作品で、少年少女の数奇で純粋な気持ちを描いた「ガラスの脳」を観ると、失礼ながら中田監督の真骨頂はやはりホラーにあるな、と思った。

中田監督の作品は、デビュー作「女優霊」が一番怖い、と僕は思う。「リング」ももちろん素晴らしいが、何気ない日常生活に潜む人の怨念、といった描写が実に上手い。「女優霊」も撮影所で進む映画の撮影に、密かに入り込んだ女優の怨念がジワジワと迫る様子が手に汗を握る。映画を撮る意欲を示す若い監督、その役を演じることを喜ぶ女優ら、人物描写も丁寧。しっかり「人」を描いているからこそ、あの映画は怖かったのだ。正直、ラストはちょっと引いたが・・・。

映画としては「女優霊」より完成度が高い「リング」では、呪いのビデオを見てしまった息子を助けようとする母親の必死さが、恐怖を増長させる。人の日常生活と得体の知れない恐怖が背中合わせに存在し、密着しているからこそ、観客にとってリアルな恐怖として伝わってくるのだ。

この「怪談」も、時代劇ではあるが、中田監督の手腕は健在。物語の中軸がラブストーリーなのは中田監督の思いもあるのだろう。普通の恋愛が、数奇な因縁によって女の怨念となり、壮絶な怪談話になっていく展開は、主役の尾上菊之助の魅力と熱演もあって、思わず引き込まれる。中盤からの「恐怖」シーンは、日常生活に潜む怨念の恐怖、という中田演出の醍醐味がこの映画でも十分味わえ、広い劇場で観客も少なかったせいか、結構、いや、かなりドキドキしてしまった。

ただ、事件に巻き込まれる菊之助のオーラに比べると黒木瞳演じる豊志賀はさわやかさが抜けず、ちょっと情念が感じられないところもあって、後半の怨念劇の展開に無理も感じられるのだが、中田監督の演出による映画全体の佇まいと、麻生久美子や井上真央、瀬戸朝香らの女優陣の熱演もあって、そんな弱点をカバーしている。あと、セットや小道具、衣装などがとっても頑張っていて、プロの仕事が映画の雰囲気をきちんと盛り上げている。

ラストの余韻もよかったが、突然かかる浜崎あゆみの主題歌にはちょっと引いてしまった。昔から言われることだが、タイアップの主題歌なんて必要なのだろうか?宣伝には不可欠なのだろうが、今回もかなりの違和感はあった。鑑賞後の雰囲気、ぶち壊しである。

公式HPを見ると、浜崎あゆみサイドは映画のために主題歌を書き下ろした、ということだった。歌詞の世界観は「怪談」を反映させているのだろう。だが、その映画の雰囲気や世界観をまるっきり無視した主題歌が多い中で、そのぐらいはして当然だ。でも、メロディーがそれまでスクリーンで2時間入り込んでいた「怪談」の世界観とは全く違う。

アーティストサイドも、映画の主題歌を担当するなら、どんなメロディーがその映画に合うのか、そこまで気を使ってほしい。この映画に関しても、一流の現場スタッフがいい仕事をしているのに、正直、残念なのだ。

誤解されては困るが、その主題歌そのものの楽曲の良し悪しを論じているのではない。今回は、「主題歌は浜崎あゆみに決まったぞ!」「これでヒット間違いなし!」と手放しで喜ぶ配給側や宣伝担当の姿がどうにも透けて見えるのだ。「どんなアーティストがこの映画に合うのか」「どんな主題歌ならこの映画が生きるか」という発想よりも「旬なアーティストがこの映画の主題歌を歌ってくれないだろうか」「このアーティストが主題歌を歌ってくれたらヒットするだろう」という発想の方が勝っているようにしか見えないのだ。

だからこそ、せめて主題歌の担当者は劇伴(劇中に使う音楽のメロディー)を確認してから作曲にとりかかってほしい。せっかくこの映画の作曲家、川井憲次さんがいい仕事をしているのに残念だ。そういう意味では同じメジャーの松竹配給作品ながら「出口のない海」の竹内まりやさんは見事だった。主題歌「返信」は竹内さん自身が脚本を読み込み、映画で描かれなかったヒロインの心情を補充する形で歌詞を書いているし、何より感心したのはそのメロディー。何と、劇伴と同じ調、コードアレンジの手法で作曲しているのだ!!

ここまで本編の音楽に気を使い、上手く融合している主題歌は珍しい。本編と主題歌の作曲家が同じ場合はマッチングしている例はあるが、日本のメジャー映画の場合、ほとんどは有名歌手とのタイアップで本編と主題歌は分離しているのがほとんどだから、こういう好例はまずない。

まあ、タイアップ主題歌のひどさはこの映画に限ったことではない。もっとひどい例もあるし、HPによると、浜崎さんは楽曲制作に当たってこの映画に入れ込んでいた、というからまだいい方だろう。
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キャプテン  新作レビュー

見た日/8月某日 ★★★

この映画は、広島のサロンシネマ1で鑑賞した。サロンシネマと言えば、中国地方を代表する名画座で、僕たちが高校時代から憧れた映画館だった。

ちなみに「夕凪の街 桜の国」では昭和33年のパートで何気なく「国定忠治 公開中 サロンシネマ」のポスターが張られていたりする。当時、サロンシネマがあったかどうかは知らないけれど。これはいつも作品を上映、応援してくれる同館に対する、佐々部監督からのお礼の意味が込められたお遊びのようだ。

姉妹館のツインシネマは行ったことはあるが、サロンシネマは初めてだった。憧れの地での映画鑑賞だったわけで、久しぶりに映画を見るだけなのにドキドキした。

外観、ロビーまでの内装は決して美しいとは言えないが、歴史を感じさせてくれる。かつての映画館が持っていた雰囲気で、決してシネコンでは味わえない。館内は清潔感があって、スクリーンの大きさもほどほど。感心したのはシートの大きさ、広さ。どうも日本一大きな映画館のシートらしい。1メートルはあるだろうか、本当にゆったりと映画が楽しめる。

もっと感心したのは、音響の設定である。館内がひずまないていどに、しかし迫力が感じられるよう、低音が響くようしっかり設定されてある。これはプロの技だ。とにかく全体的に映画への「愛」が感じられるのだ。

上映前に、ファンファーレと「イッツ、ショウタイム!」の掛け声に続いて製作年度、作品名、監督名、出演者名、上映中の注意事項、上映時間がアナウンスされるのもうれしい。劇場の作品への敬愛の情が感じられるし「いよいよ始まるぞ!」という期待感でワクワクする。

さて、僕はこの映画に注目していた。ひとつは原作のマンガの大ファンだったこと。中学から高校、大学にかけて、コミックの「キャプテン」と続編「プレイボール」は全巻揃えていた。ちばあきお先生の野球コミックは、等身大の少年たちがさわやかに野球に打ち込む姿が感動的、とよく評される。

もちろんそれも大切な要素ではあるが、その魅力はそれだけではない。とくに「キャプテン」のイガラシ編を読むと分かるが、物語の大半は試合シーンで、実は、試合中に起こる野球というゲームそのものの面白さが、この作品の面白さだったりする。打つ、守る、走る、そこにこそキャラクターたちの個性や魅力が詰まっているのだ。

そういう意味では、実際の野球をテレビ中継などで楽しむ感覚とも似ている。だからこそこの原作コミックはリアルであり、キャラクターたちが等身大なのだ。実際の試合で起きることをじっくり描いているから、荒唐無稽な魔球などとは無縁であり、これまでの野球漫画とは一線を画している。リアルと言われた水島新司先生のマンガでさえちばあきお先生の作品の前では荒唐無稽の極地である。

でも、よーく作品を読み込んでみると、試合シーンはリアルなのに、設定の時点で「ありえない」ものだったりする。それは中学の軟式野球なのに9回まであること(実際は7回)、中学校の野球部に顧問も監督も存在せず、全て生徒たちだけで運営していること、などで(最初の主人公谷口の高校時代を描いた「プレイボール」では、さすがに形だけ顧問、という先生がちょっとだけ出てくる)、これはおそらく野球そのものの魅力を伝えるため、あえてちば先生はそう描いたのだと思う。

ということで、この映画は果たして原作の持ち味だった「野球そのものの面白さ」を映画でどこまで表現できるか、ということで注目していたのである。そして、もうひとつ注目していた理由は、室賀厚監督の存在である。室賀監督は、デビュー作「SCORE」でぶっ飛ぶほどの衝撃を受けた。

いわゆるハードバイオレンス物なのだが、ストップモーションなどのスタイリッシュな映像はサム・ペキンパーを思わせるし、全盛期の深作欣二監督の香りも漂う。物語は荒唐無稽の極地で、あれだけ撃たれて撃ってどうして生きているの?と不思議な映画ではあったが、荒さの中にも何とも言い難い迫力と熱のこもった作品だった。その後も低予算ではあるが、質にこだわったハードアクションを得意としてきた室賀監督が、さわやかな少年たちの物語をどう撮ったのか、興味があった。

これらの理由でいてもたっておられなくなって、公式HPで上映館を調べた。山口県ではやっておらず、広島と小倉でやっていることを知って、無理矢理仕事の段取りをつけて急遽、思い立ってすぐに見に行った訳だが、映画の入場料金1800円プラス、新幹線の往復代と駅からの劇場までの電車代(行き)、タクシー代(帰り)でおよそ1万円近くかかった。つまりは1本の映画に1万円かけた訳だ。

少々の駄作であろうとも、映画にお金をかけることは、全く惜しいと思わない。映画館で映画を観る行為そのものが感性を育てる、と確信しているからだ。ちょっぴり昔、諸事情で全く食えない時期があったが、そのときもメシは食わなくても映画だけは見ていた。「映画で感性を研けば、将来腹が太る」と本当に思っていたし、今、その通りになっている、と思う。

さて、「キャプテン」だが、いい映画だ。胸が熱くなり、何度も目頭が熱くなった。少年たちの演技はド下手だが、それがまたリアルでいい味を出していて、野球シーンもリアリティがある。課題と思っていた「野球そのものの面白さ」はしっかり映画で表現できていた。「野球」の魅力を伝える、という意味では春の秀作「バッテリー」よりこちらを買う。

原作では顧問も監督もいなかったが、映画では無理がないよう、顧問の先生に野球オンチの女性教師を配し、生徒がチームを引っ張ることにリアリティを持たせるなど、設定の変更は見られるものの原作の持ち味は壊してない。

実は補欠の玉拾いだったのに、野球名門校から転校してきただけで、誤解からキャプテンになった主人公谷口が、信頼されようと大工の父親と必死の特訓をする展開も原作通り。だが、谷口がチームリーダーとして成長する決意のきっかけを、父親が大きな仕事をする場面に重ねるところなどは映画ならではの表現と展開で、チームが強くなる描写に説得力を増している。

ヒロインの登場も好ましい。

ただ、試合での義田貴士の実況、宮本和知の解説は正直、不要。公開後の宣伝展開を考えてのキャスティングだろうが、こういうのはもう、いいと思う。「ミスタールーキー」もバースが選手として出てきた時点ですべてが壊れてしまったが、こんなので観客が喜ぶと思ってもらうと困る。今回はまだ大人しいから許せる範囲だが、巨人の元選手が中学野球の地区決勝のラジオ中継で解説しているのも不自然な話だ。

あと、バッティングシーンが急にストップモーションになったり、職員室が常にスモークで煙っているシーンなどは、ハードボイルドの香りが漂っていて、アクションで名を馳せた室賀監督のこだわりがそこに見えたような気がする。
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