ブラブラバンバン  DVD・ビデオレビュー

見た日/7月某日 ★★★

「吹奏楽」とは、クラシックやジャズ、ポピュラーなどと同じ、ひとつの音楽のジャンルである。

オーケストラのように弦楽器を使わず(コントラバスなど一部は使用する)、吹奏楽器と打楽器で奏でる音楽ジャンルを示す。

「ブラスバンド」とは、本来は金管楽器のみのバンドを指すが、日本の場合、吹奏楽全般を「ブラスバンド」と言うことが多い。学校では吹奏楽部のことを「ブラバン」「ブラスバンド部」と通称するし、吹奏楽をしている人の間でも「きょうブラスの練習があって…」などと会話で使うこともある。

この映画は、そんな吹奏楽部の“青春”を描いている。「スウィングガールズ」などの作品はあったが、ズバリ“吹奏楽”をメインに描いた映画はこれが初めてだろう。

全体的には「ウォーターボーイズ」「スウィングガールズ」「フラガール」のように、役者たちが“吹奏楽”に挑戦している熱さと、その練習からにじみ出る迫力をひとつの柱として、物語を紡いではいるが、正直、役者たちの努力は買うもののそれまでの一連の作品ほどの“熱さ”は残念ながら感じられない。

わずか9人の部員たちが、大編成の名門校に挑戦する、という物語はアリなんだけれども、肝心のクライマックスの演奏が、純粋な「9人の演奏ではない」というのは、如何なものだろう。

以前の「歓喜の歌」もそうだったが、明らかにステージ上の編成、もしくは人々以外の「音」が加わっていて、それが観客にも分かるのだ。途中までは9人の音なのだが、演奏が盛り上がってくると、音に厚みが出てくる。それは演出上の効果として分からない訳ではないが、物語としては、あくまで少人数で観客や審査員を感動させている訳だから、リアルな“9人の音”で表現してほしかった。

「映画」としての次元が違うので、比べてはまずいとは思うが、「スウィングガールズ」が良かったのは、吹き替えやエキストラの演奏に頼らず、舞台上の役者たちの生音にこだわったからで、ラストステージの演奏を、冷静に聞くと実はかなりひどいものなのだが、ステージ上の高揚感とこれまでの血が滲むような練習の成果が物語と重なるからこそ、感動を呼んだのだ。

正直、「スウィング…」は物語上はコメディに重点を置いていて、どうして彼女たちが上達したのか、その辺りをすっ飛ばしていて、ラストの演奏のカタルシスが唐突な感じがする、という欠点もあったのだが、それを吹き飛ばすほどの演奏のパワーがあった。

大編成の他校に圧倒されながら、個性的な学生指揮者を中心に、段々部員たちがまとまり、コンクールに挑むところは丁寧に描かれているだけに、そこの“リアルさ”にはこだわってほしかった。

実際に、10人ていどの小編成でも、吹奏楽の場合、素晴らしい演奏で観客を驚かせた実例はたくさんある。吹奏楽は、各楽器の個性が調和するオーケストラとはまた違い、吹奏楽器同士ならではの、音が溶け合うのが最大の特徴で、上手下手を超えて、アマチュア団体の真剣で熱心な演奏は、時折、プロを凌駕するほどの感動を呼ぶ。

全国の隅々まで吹奏楽が浸透し、毎年コンクールも盛んなのは、その吹奏楽の魅力に追うところが多いだろう。僕もその一人で、高校一年生から39歳になるまで、ずーっと吹奏楽と関わってきた。

「吹奏楽」に想いが強い分、いろいろ書いたが、ヒロインの安良城紅は魅力的だし、クライマックスの指揮のシーンは、彼女の音楽へのセンスのよさ、役上での楽しさも十分に伝わってきた。真面目な青春物の中に、エロティックな要素を入れ込んだのも、ほどほどのバランスが取れていて映画を面白くしていて、なかなかよかった。

部員たちのキャスティングもリアルで、吹奏楽の“楽しさ”もしっかり伝わってくる。
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アフタースクール  新作レビュー

見た日/7月某日 ★★★★★

一昨年の「ゆれる」、昨年の「キサラギ」と、最近の日本映画界は驚くような技巧の作品を生み出すが、今年はズバリ、この「アフタースクール」だろう。

全国は5月公開で、山口県内では公開がなく、先日、静岡に出張した折に見ようとしたもののスケジュールが合わず、ずーっと「見たい!」と思っていたが、テアトル徳山が公開してくれたので、ようやく見ることができた。

海外での評価が高いという内田けんじ監督だが、評判の前作「運命じゃない人」は未見。これがまだ三作目で、商業映画としては二作目というから驚く。

1972年生まれというから、今年36歳。「ゆれる」の西川美和監督も1974年生まれ、「キサラギ」の世界観を生み出した脚本化の古沢良太氏も1973年生まれだ。30代の「若手」クリエーターたちがいい仕事をしている。恐るべし、である。

とにかく脚本がよく練られているのだが、この面白い脚本をどう映像にするのか。そこに焦点を当てた演出、役者たちの演技が大いに見物になっている。

映画やドラマや演劇は、小説の活字と違って、映像で「物語」を説明していくものなのだが、この映画では、誰もが思い描くシチュエーションを映像で提示しながら、そのひとつひとつを丁寧に役者の演技とセリフで裏切り続け、思いも寄らない方向に「物語」を導く。

その裏切り方が心地よく、これだけトリッキーな物語にも関わらず、友情の危うさや人と人との信頼関係など、タイトルに象徴される「大人たちの放課後」という形で情緒的なテーマを入れ込んでいるのは見事だ。

成功しているのはキャスティングの妙もある。いかにも「いい人」の大泉洋は彼が持つユーモア性もにじみ出て好演だし、佐々木蔵之助も「間宮兄弟」「椿三十郎」より、こちらの方がいい。何よりも、観客を裏切るため、最も演技の「振り幅」が必要な堺雅人が秀逸。彼は「クライマーズ・ハイ」もよかったが、最近注目の俳優さんだ。

あと、感心したのは、山本圭、伊武雅刀、北見敏之らのベテラン勢。伊武雅刀はいささかステレオタイプ的な使い方だと思ったが、出番は少なくても山本圭は強烈な印象が残るし、とくに名バイプレーヤーとして知られる北見氏が素晴らしく、リアルで生々しい存在感を見せて映画を重層にしている。

こういう作劇手法は過去の映画や演劇にもあったが、内田けんじ監督は独特のリズムを持っているようで、無駄なシーンもなく、難解で手が込んでいる脚本を、すっきりとした演出で分かりやすく表現している。まあ自分の脚本だから、ということはあろうが、映画全体に優れた作家性を想わせる。

もうほとんどの地域で公開が終わっているので、未見の方は是非DVD発売時などに見られることをオススメするが、この作品に限り、物語などを書くのは野暮だろう。是非、ご自分の目で確かめていただきたい。
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スピードレーサー  新作レビュー

見た日/7月某日 ★★★★

映画を云々する前に、僕のタツノコプロダクションへの想いを綴りたい。幼いころ、タツノコプロのアニメは、明らかに東映動画などが作る他のアニメとは異質だった。

アメリカのポップカルチャーを思わせるモダンで無国籍な絵柄、スピード感ある演出、物語の雄大さなど、幼い僕の頭に、それは大きく響き、魂を震わせた。

ほとんどがオリジナル物だったが、原作物の「いなかっぺ大将」も絵柄は川崎のぼるの原画をなぞってはいるものの、どこかモダンで、タツノコらしさがにじみ出ていたように思う。「みなしごハッチ」もお話は浪花節なのに、これも色使いなどにモダンな感じがした。

最初にはまったのは、この映画の原作になっている「マッハGoGoGo」で、続いて「ハクション大魔王」のアナーキーさにぶっ飛んだ記憶がある。

で、「科学忍者隊ガッチャマン」「新造人間キャシャーン」「宇宙の騎士テッカマン」「破裏拳ポリマー」と続くのだが、「キャシャーン」や「テッカマン」は僕がSF大好きになるきっかけを作ってくれた作品であり、そのハードな設定と物語展開にはしびれた。「ポリマー」のポップさとギャグは今までの日本のアニメにはない乗りだった。

80年代に入ると、タツノコ独特の画風は収まっても、「未来警察ウラシマン」は本当に傑作で、ギャグ、アクション、SF設定いずれも1級品だった。「超時空要塞マクロス」もタツノコプロの製作だった。

そんな、独特な感性を持つ、日本の宝とも言えるタツノコアニメの代表作のひとつ「マッハGoGoGo」が、ハリウッドで映画化されるというニュースは、かなり前から聞いていたが、監督がウォシャウスキー兄弟で正式にGoが出た、と聞いたときはちょっと驚き、ニヤリとした。

普通の監督なら、自分の今の趣味を作り上げた作品を新たに作るとき、オリジナルの味を尊重しながらも、自分の「作品」に染め上げるものだ。これはいい、悪いとは別だと思うが、例えば紀里谷和明監督の「CASSHERN」は原作の「新造人間キャシャーン」のコンセプトを生かしながら、監督さん自身の感性を生かして別物に作り上げたものだったが、僕はこの“感性”は嫌いじゃなかった。

が、しかし、日本のアニメを「偏愛」しているウォシャウスキー兄弟なら、恐らくタツノコ魂爆発の、ちょっと変わった作品を作り上げるだろうと思っていたが、正に出来上がったものはそんな感じの作品に仕上がっていた。

物語自体は、「マッハGoGoGo」そのもので、一般の映画ファンに分かりやすいような物語展開ではあるが、フィルムの隅々、キャラクター造形の隋所にまで、「マッハGoGoGo」への偏愛で満ち満ちている。

この作品をリアルタイムで愛した人なら感動必至で、それも日本のオリジナルにかなりの敬意を表している。ラストでかかる主題歌に、40年前の日本版の主題歌、ボーカルショップが歌う、あの主題歌をサンプリングしていて、これで僕の涙腺は大爆発である。

この作品がアメリカに輸出された時、主題歌も同じメロディーで(実は英語の歌詞が乗りやすいようちょっとマイナーチェンジしてある)、僕と同世代くらいのアメリカ人なら、誰でも歌えるほど有名らしい。作曲は優れたアニメソングや童謡を多数作っている越部信義氏。「おもちゃのチャチャチャ」や「みなしごハッチ」もこの方の作曲だ。

今から15年ほど前、アメリカからやってきたAED(英語指導助手)と飲んだとき、日本のアニメの話になり、彼がいきなり「GoSpeedRacer! GoSpeedRacer!」と歌い出した時は、メロディーが日本版と一緒で驚いたことがある。喜んだ僕は彼と大合唱したのだが、そのとき一緒に飲んだ女の子は、音声多重放送状態の「マッハGoGoGo」にあきれていた。

それほど日本アニメがアメリカ文化に浸透しているのが驚きだが、これも国際的で質が高いアニメを作り続けてきたタツノコプロの先見性が評価されたものだろう。日本のアニメソングのレベルの高さも証明したと思うが、越部氏作曲の主題歌は今聞いてもポップで、とくに間奏のブラスセクションは心地よく、本当に名曲だと思う。↓

http://jp.youtube.com/watch?v=uyMaZ-CWrI4

で、オリジナルへの偏愛がすごいのは、主人公の食いしん坊の小さな弟、そのペットのチンパンジーまで一緒で、原作で展開される荒唐無稽なレースシーンや細かい設定、例えばガールフレンドが主人公たちと変わらないぐらいの運転の腕前だったり、ヘリコプターを平気で操縦したり、そんなところも「まんま」である。

あと、最もビックリしたのは、主人公のスピードレーサーがオリジナルの「三船剛」のファッションを踏襲し、オリジナル版のオープニングでする「決め」ポーズを劇中できちんとすることで、僕は映画館で1人飛び上がってしまった。

全体のポップカルチャー風の色彩も、物凄くサイケデリックで、これは原作アニメの色使いとは違うが、これは「そのまんま」と言うより、恐らくウォシャウスキー兄弟が幼い時に見たオリジナル版の残像記憶を、忠実に再現したものではないかと思う。

それでいて、レースシーンは流石に「マトリックス」のウォシャウスキー兄弟。実写とCGを上手く組み合わせ、日本のアニメならではの大胆なカット割を生かしながら、斬新でめくるめくようなシーンを展開してくれる。このレースシーンを見るだけでも劇場に行く価値がある。

正に作り込みの世界で、ここまで徹底してくれれば文句はない。ここで「ふざけている」「CGのオンパレードで魅力がない」と思っちゃうと、もうこの世界にはいられないだろう。そういう意味では、観客を選ぶ映画かもしれない。アニメやポップカルチャーが苦手な人には、ちょっと二時間は耐えられないだろう。

まあ、そんなヲタクが大喜びする映画ではあるが、一般ファンも楽しめるよう作られてあるのは流石にハリウッド映画で、今年、最も楽しませてくれた映画の一本になった。

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奇跡のシンフォニー  新作レビュー

見た日/7月某日 ★★★

ハリウッド映画にしては、英国風の香りがするな、と思っていたら、監督はアイルランド出身のカーステン・シェリダン監督で、何と、お父さんは「マイ・レフトフット」「父の祈りを」のジム・シェリダン監督だった。

カーステン監督は1976年7月生まれというから、間もなく32歳になる若手女性監督だ。お父さんの作品は骨太で繊細で見事な作品ばかりだが、この監督さんも、なかなか繊細でシャープな演出を見せる。

いわゆる、寓話だ。お話自体は、かなり陳腐で、正直、あり得ない。まあ、映画はみんな寓話である訳で、そんな現実ではあり得ない物語を、どうリアルに見せ、観客を上手に騙し、その世界に魅了させるのか。そこが作り手の技なのだが、この映画はそういう意味で成功している。

本来ならリアリティのない話を、きちっと「現実の物語」として見せながら、最後は涙、涙で感動させてくれるのは、ファンタジーだからこそ、しっかり役づくりをしたのだろうと思わせる俳優たちのしっかりした演技と、この映画の大きなテーマでもある「音楽」が優れているからだと思う。

恐らく、カーステン監督はファンタジー色が強く、かつシンプルな脚本だからこそ、役者の想いにこだわった演出を心がけたのではないだろうか。ひとつひとつの場面を丁寧に作り込んでいることがしっかり伝わるし、それぞれの俳優がいい仕事をしている。

クライマックスのコンサートシーンは最も盛り上がる場面だが、ここを寸止めにしているのも好感が持てる。このあとどうなるのか、恐らく観客が想像するシーンは100%実現するだろうが、そこを余韻が残るように料理しているのは、ハリウッドにまで毒されてない、若い女性監督ならではの感性だろう。

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チェック、ダブルチェック  映画つれづれ

「チェック、ダブルチェック」とは、映画「クライマーズ・ハイ」で主人公の悠木が口癖のように言う言葉。彼がつかんだスクープを記事にするかどうか。その極限の状態で、この言葉が大きなキイワードとなります。

映画では、主人公がこの「チェック、ダブルチェック」を信条にした理由として、幼いときに親子でカーク・ダグラス主演の映画「地獄の英雄」(1951年)を見たことをあげ、この映画で登場人物が使っていた言葉であるとして、ここから学んだ、というエピソードが出てきます。

この部分は原作にはなく、映画評論家出身の原田眞人監督らしい味付けですが、ダブルチェック、つまり日本語で言えば「ウラを取る」ということです。

「ウラを取る」ということは、新聞記者の基本であり、最も大切にして難しいことなのですが、僕も、記者時代、ちょっと苦い思い出があります。

ある団体の取材をしたときのこと。創始者の名前を聞いたら、現代表の方は「もう、亡くなられましたが…」と言われました。

僕は旧名簿等でその方が確かに代表をしていたことを確認し、聞いた名前と間違ってないかどうか確かめたうえで、「故●●●●さんが創設した」と書きました。

すると、その記事が出た日、一本の電話がかかってきました。「すみません、私、死んでません」。何と、その●●●●さん御本人からの電話でした。

驚いた僕は、現代表に電話をしました。するとその方は「ええ?あの方、亡くなられてないのですか?最近連絡を取ってなかったので、亡くなられたと思っていました」。

もう、ビックリです。痛恨でしたが、やはり、きちんと裏を取らなかった僕の大失敗でした。

もちろん謝罪し、訂正とお詫び記事を出しました。取材をした方に悪意はなく、本当にそう思いこんでいた訳ですから、完全に僕のミスです。それから、小さな記事でも、裏付け取材をするよう心がけました。

あと、事件や事故の取材になると、よく新聞記者は厚顔無恥で土足で踏み込む、と思われがちですが、記者だって人の子です。

被害者や遺族への取材は、本当に辛くて、自分の気持ちを奮い立たせながら、自分がやっていることには「価値がある」と言い聞かせながらやっているのが現状だと思います。

それでも、この映画にもありましたが、大きな事件事故の取材で他社に先駆けると、抑えられない昂揚感が出てくるのも事実だと思います。僕も、今振り返れば、「何てことをしたんだろう」と思うことがあります。

ある事故で卒業を控えた小学生が犠牲になりました。各社、その子供の写真を取ることに躍起になりました。

僕も友達の親などに当たりましたが、なかなかいい写真が取れません。そこで思いついたのが、「卒業前だから、卒業写真があるのではないか」ということでした。

そこでその学校のアルバムを作っている業者を割り出し、できたばかりのアルバムを入手して写真を掲載しました。どの社よりも鮮明な写真が載っているのを見て、僕は「やった!!」と思ったことを今でもはっきり覚えています。

でも、今考えると、読者もそこまでしてその子の顔を知りたかったのか? そんなことまでして、わざわざ写真を載せる必要なんか、あったのか?と思います。

「伝える」という仕事は、難しい。でも、やりがいはあるし、意義も意味もある。昔も今もそう思っていますが、実際は矛盾との戦いでもある。そんなことを、この映画を見ながら、思い出しました。



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最近、つくづく思うこと  映画つれづれ

※この文章は、僕の個人事務所「和田山企画」の公式プログで書いたものです。映画の話なので、こちらにも掲載しました。仕事のことをいろいろ書いているので、よかったら、こちらにも遊びに来てください。リンク集から飛べます。

僕は、映画とDVD、ビデオは別の媒体だと思っています。

映画は、映画館の大きなスクリーンで上映されることを計算して作られているため、基本的に長回しが多く、役者さんたちの演技や音楽、演出をじっくり味わうものだと思います。

そこには監督さんの意図する様々な工夫や想いがあり、観客はその「行間」から様々なことを感じる訳です。

その「感じる」作業は、不特定多数の人たちが一緒に暗闇の中で集中し、味わう映画館だからこそなし得るものである、と思うのです。

まあ、最近は、とくに日本映画はテレビドラマのような、分かりやすくて説明過多で、やたらカット割が細かくてアップの多い、映画館で見る必要がないような映画が多いのも現実なのですが。

だからこそ、完全なプライベート空間で、余分な風景が周りにあって、自分で自由に早送りしたりできるような環境で見るビデオやDVDは基本的には「これは映画ではない」と思うのです。

ただし、DVDにはDVDの良さがあって、映画館で鑑賞したときとは違う印象や感動を受けることもあります。でも、映画はできるだけ映画館で見たい、と思います。

僕はなるべく映画館で見て、よかったり、もうちょっと研究したいな、と思う作品はDVDを購入するようにしています。

価格は高いけど、必ずスペシャル版を購入するようにしています。スペシャル版なら、必ずメイキングなどの特典映像があるので、それを見るのも、ファンとしてはすごく楽しみなのです。

作品を見る前にいろいろな情報をインプットするのは絶対に嫌ですが、作品を見たあとは、その映画がどんな風に作られているのか。どんな感じで監督さんが演出しているのか。そんな舞台裏は、やはり興味があります。

だから、DVDでの鑑賞はあくまで映画館で映画を見て、しばらく経ったあとの補完作業なのです。だけど、実際は見逃した作品をレンタルで見ることも多く、いつも「ああ劇場で見たかった」と後悔しているのが現実なのです…。

そうそう、先日、ある知人と話していて、最近の液晶テレビやプラズマテレビの性能の良さについての話になりました。「地デジの映像はクオリティが高い」と…。確かにそうです。僕も先日、思い切って液晶テレビを買いましたが、確かに地デジの映像はきれいです。

その方が、続いてこう言われました。「先日、映画館に映画を見に行ったら、画面が汚いんだよ。テレビの地デジに比べると、映画はダメだね。もう映画館に行く気がなくなったよ」…。

僕は愕然としてしまいました。その方が言われる「画面の汚さ」はフィルムの質感であって、本当に画面が汚い訳ではないのです。

最近は、確かにデジタル編集が増えてはいますが、映画は、最終的にはフィルムに焼き付けて上映しています。そのフィルムの質感こそが、「映画館」での「映画の味わい」だとぼくは思うのです。

映画館で見る映画の映像が、地デジのような鮮明でも無機質な映像になってしまうと、これはこれで何の意味もない、と思います。これも、映画がテレビのようになってしまった弊害の一つなのかもしれません。

シネコンが増え、映画館人口が増えたのはいいことですが、映画にテレビと同じ質を観客が求めるのはちょっと違う、と思うのです。

先日も、ある良質な日本映画を指して「訳がわからん。つまらない」と指摘した若い人がいました。僕はその映画は、行間に込めた作り手の想いがジワジワと伝わるいい映画だと思ったのですが、その「行間」や「想い」が理解できない観客が増えているのも確かなのだ、と思いました。

日本映画の興業収入が増え、映画館がにぎわうのはとってもいいことです。デジタル機器が飛躍的な進歩を遂げ、古今東西の名作映画が、気軽にお茶の間で高画質で楽しめる、これもとってもいいことです。話題の映画が、半年ぐらいでDVDになり、映画館では得られなかった情報が得られる、これもいいことです。

その一方で、本当の映画の楽しみ方、映画の良さが失われつつある、とも感じるのです。そういう僕も、最近の利便性の恩恵に預かり、せっせとDVDを購入しているので、とっても矛盾してはいるのですが…いかがでしょうか。


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