すみません・・・  映画つれづれ

なかなか忙しくて、更新ができません。申し訳ありません。

とりあえず、前回の更新から今までの間で鑑賞した映画と、★取りだけ記します。

近く、じっくりレビューを書きます!

「ダークナイト」★★★★
「ドラゴン・キングダム」★★★
「デトロイト・メタル・シティ」★★★
「ハンコック」★★★

です。劇場は何とか行けても、未見DVDが貯まるばかり…。レンタルショップで借りても見れずに返す日々です。

そんな中、「結婚しようよ」のDVDが届き、感激しました。特別版は特典映像も充実です。

来週はテアトル徳山で上映が始まった「ぐるりのこと。」と、シネコンでの「20世紀少年」を楽しみにしています。

必ずレビューを書きますので、またよろしくお願いします。
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ゲゲゲの鬼太郎 千年呪い歌  新作レビュー

見た日/7月某日 ★★★

「崖の上のポニョ」は人魚姫をモチーフにしている、とのことだが、何と、この作品も「人魚姫」がモチーフだった!

ポニョは明るく楽しいが、こちらは人魚姫というお話が持つ物悲しさがきちんとあって、後半に効いてくるこのエピソードは意外にもきっちりと泣かせてくれる。

水木しげる先生の描く妖怪漫画は、妖怪=自然という思想が根底にあるように思う。必ず人間の欲望の残酷さが描かれ、妖怪はそんな人間たちが許せないのだ。

人間の汚ない欲望を己の私欲のために使おうとする半分人間、半分妖怪のねずみ男はまだ可愛らしくもあり、実は「人間」こそが真の妖怪であることを、水木先生は教えてくれているように思う。

そうした中で、人間でも妖怪でもない幽霊族最後の生き残りである鬼太郎が、なぜ、自分の種族を滅ぼした人間を守るのか。これは原作でも大きなテーマなのだが、この映画は、バラエティ色が強かった前作を反省したのか、鬼太郎の出生の秘密を含め、原作が持つテーマ性や雰囲気を上手に実写映画化していて、ちょっと感心した。

ただ、ヒロインの扱い方が少々いい加減で、途中、だれるところもある。もう少しスピーディーな演出と物語運びにこだわってくれたら、結構な傑作になったのでは、とも思う。

人魚姫=濡れ女のエピソードは泣けるし、寺島しのぶの人魚姫は反則みたいなところもあるが、これは確心犯だろう。しかし、確かに真夜中、夜道に寺島しのぶが出てきたら、これは怖い。確かに怖い。
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崖の上のポニョ その2  新作レビュー

(その1から続きます)

しかし、これが日本人に受ける。興行収入300億円というから驚く。「どんな物語や展開をすれば人々は面白がるか」ということを本能で表現できる天才監督が、あえて物語を語らず、自らの感性を素直に表現したとき、そこにまたたくさんの人が共感した訳だ。

そして見た人たちは、それぞれの感性で、この作品を受け止めている。これだけ感想が様々で、感じる部分が違いながら「よかった」と思う映画も珍しいだろう。

「ハウルの動く城」は原作がありながらも、宮崎監督の独自の感性を投影した作品に仕上がっており、これも「物語」を語ってないため、単純なストーリーラインを楽しむ映画にはなってない。

で、この「ポニョ」である。宮崎監督は「ハウル」の反省を踏まえ、アニメーションの原点に帰り「5歳の子どもが分かる映画」を目指したそうだ。で、完成した作品を見ると、確かに、5歳の子どもには分かるが、決して「大人には決して分かりやすい映画」ではない。

じゃあ、駄作かと言うと、とんでもない。これは、宮崎監督が「物語を語る」ことを辞めてからの作品としては、僕は一番の傑作だと思うし、過去の宮崎アニメを見渡しても、最高傑作の一群に分類されると思う。

まずは、手描きアニメに徹底しているので、アニメ本来の動きの面白さ、色彩の豊かさが十二分に楽しめる。冒頭の海のシーンは秀逸だし、ポニョの妹たちの動きや、ポニョが嵐の魚たちに乗って宗介を追いかけるシーンは、「カリオストロの城」のカーチェイスシーンを思わせてくれるが、それ以上の名場面になっている。

宮崎監督がまだ「物語を語っていた」ころの「となりのトトロ」では、トトロは決して大人には見えなかった。しかし、今回のポニョは大人に見えるどころか、どんなに不思議なことが起きても、この映画の大人たちはそれを自然に受け入れる。宗介の母親は、ポニョの母親である海の精と、普通に会話をしていたりする。

そして、海の精は何なのか、ポニョの父親のフジモトはなぜ人間から魔法使いになったのか、命の水とは何なのか、びっくりするぐらい説明はない。ひまわり園のおばあちゃんたとの描写では、何となく「死」の匂いさえ感じられる。

しかし、そんな説明のなさが、観客が様々に想像し、自分なりの感性で受け止められるだけの「幅」と「設定」が、この作品にはある。正直、「ハウル」はその「幅」と「設定」が不足していたが、「千と千尋…」以上に、この作品の「幅」は広い。

そして、何より、痛快で楽しいキャラクター性が、「ポニョ」というキャラ自身にあるので、5歳の子供たちは理屈抜きにこの映画が楽しめる。大人はつい「物語」を見てしまうから「何だこりゃ」と思うのだが、最近の宮崎映画は「感性」で楽しむものなので、合わない人もいるだろうが、色々考えると楽しめない作りになっている。

そこで、僕はふと考えてしまった。この映画を5歳のときに見て感動し、面白いと思った子どもたちは、将来、大人になってこの作品を見直したとき、どう感じるのだろうか。

この映画に散りばめられた「死」や「老い」、「自然破壊」、「親子関係」などのキイワードを、改めてどう感じるのだろうか。きっと、この作品を大人になって初めて見た人たちとはまた違う発見をするのではないだろうか。そこまで宮崎監督が考えてこの作品を作っていたなら、それはそれでスゴイことだと思う。

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崖の上のポニョ その1  新作レビュー

見た日/7月某日 ★★★★★

※「崖の上のポニョ」のレビューではありますが、この際、宮崎駿監督について以前から感じていたこと、思っていたことを書いてみました。なので、かなり長くなりましたし、「ポニョ」だけのレビューになっていません。どうもすみません。

宮崎駿監督の作品は、随分前から見ているが、「ミヤザキハヤオ」という名前を最初に明確に意識して見た最初の作品は、「未来少年コナン」だろう。

1978年にNHKで放映されたこのテレビアニメは、確かに傑作で、原作小説も読んだが、原作は暗いお話で、世界観もストーリーもアニメとは全然違っていて、ビックリした覚えがある。

原作はあるものの、アニメは宮崎監督のオリジナルとも言え、そのアニメならではの動きの凄さや、ワクワクするストーリー展開など、ひとつの娯楽作品として当時の他のアニメと比べて群を抜いていた。

それで、そのころ、実は「ルパン三世」第1シリーズの後半は宮崎監督が演出していたこと、かねてからそのレベルの高さに驚いていた「アルプスの少女ハイジ」や「母をたずねて三千里」の場面設定は宮崎監督が手がけていたこと、さらにさかのぼって、小学生のころに夢中になっていた東映まんが祭りの長編アニメ「太陽の王子ホルスの大冒険」や「長靴をはいた猫」「空飛ぶゆうれい船」は、宮崎監督が主要スタッフとして関わっていたことなどを知って、僕はすっかり「宮崎駿」に入れ込んでいった。

共通するのは、“活劇”の面白さ。宮崎監督が関与した場面は、全て生き生きとしていて、本来のアニメの面白さを感じさせてくれた。

そして翌年、1979年の「ルパン三世 カリオストロの城」、通称「カリ城」である。これは今までの宮崎技術の集大成のような作品で、活劇、ストーリーテリング、どれを持っても極上の娯楽作品だった。

中学3年生だった僕はすっかりこの映画にはまってしまい、映画の上映期間中、お小遣いが続く限り毎週、映画館に通い、時間が許す限り1日に何度も見た。同時上映の「MrBOO!」が面白くなくて、1回目の「カリ城」を見たあと、かなりの苦痛に耐えて再び見る「カリ城」は幸せなひとときだった。最後には、セリフ、音楽全てを覚えてしまい、宴会芸として「ひとりカリオストロの城」ができるまでになってしまった。

そんな僕だからこそ、その後の“宮崎アニメ”の変遷、そして国民的映画への歩みは、ある種感慨と、切なさのようなものがある。「カリ城」で活劇の真骨頂を見せた宮崎監督は、そののち、雑誌「アニメージュ」に漫画を連載する。それが「風の谷のナウシカ」だった。これがまた傑作で、早速コミックスを買ったが、連載途中でアニメ映画となった。

その後は皆さんご存じの通り「天空の城ラピュタ」「となりのトトロ」「魔女の宅急便」「紅の豚」と来て「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」「ハウルの動く城」、そして今回の「崖の上のポニョ」と続く。

「千と千尋の神隠し」は興行収入300億円というから、とてつもない。この作品は、米アカデミー賞も受賞しているのだから、宮崎監督はある意味、黒澤明監督と並び称される、アニメというジャンルを超えた、日本映画界の巨匠になってしまった。

宮崎監督が監督した劇場用長編アニメは、実はわずか10本。正直、「もののけ姫」以降は、それまでの作品とは肌ざわりがかなり異なる。僕は、ほとんどの作品を恐らく初日に劇場で見ているが、ずーっと宮崎アニメを見ていて、僕も大人になったのか、ひねくれたのか、あれだけ大好きだった(はずの)過去の宮崎アニメに、ちょっとした“違和感”を感じるようになった。

それは、「風の谷のナウシカ」における、終末思想と相反する自然への畏敬の念は良しとして、人々の“共同体”への憧れ、そして何より、自分の身体を犠牲にして巨大な虫=自然の暴走を止める、少女の自己犠牲の精神には違和感を感じた。

これは、「ラピュタ」も同様で、パズーとシータがラピュタを守るため、犠牲になろうとするシーンは見直すたびに違和感を覚えてしまう。また、「カリオストロの城」で、かつて過去に命を助けてもらったとは言え、なぜルパンがあそこまで身体を張ってクラリスを助けるのか、見直すたびにその動機が見つからず、戸惑ってしまった。

つまりは、中学、高校、大学、社会人と成長していくなかで、僕自身の思想や歴史感が確立される過程において、宮崎アニメに対する“感性”が変化していったのだ。でも、それは、宮崎監督も同様だったのかもしれない。かつて「活劇」の面白さに満ち満ちていた宮崎アニメは、「千と千尋…」から大きく変わっていく。

宮崎監督は、「もののけ姫」が興行的にも成功したからなのか、ハリウッド的な起承転結を語ることを、「千と千尋…」から、あえて辞めてしまった。アニメ的な動きの面白さを追求する「活劇」も、極力抑える傾向になっていった。

そして、活劇の陰に必ず見えていた終末思想や共同体への憧れが、「千と千尋…」から明らかに変化した。自然に対する畏敬の念だけではなく、現代文明に侵されて人も自然も風土も病んでしまい、古来から日本の精神世界を支えてきた神様たちさえ病んでいる中、人間はどう希望を持てばいいのか。どう「自己」を確立するべきなのか。決して答えは明らかにせず、模索しているかのような「物語」がそこには渦巻いていた。

その2に続く・・・・

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『夕凪の街 桜の国』の素晴らしい記事  映画つれづれ

「夕凪の街 桜の国」に関して、素晴らしい記事を見つけました!↓

http://mainichi.jp/enta/travel/news/20080728dde012070015000c.html

毎日新聞の「訪ねたい:銀幕有情」という、様々な名作映画の舞台を、記者自身が訪ねてその想いを綴る記事。

この記事も、広島で生まれ育った記者さんが、素晴らしい文章で、映画「夕凪の街 桜の国」への想い、そして広島出身の方ならではの感性で、この映画の本質とも言うべき魅力を語っていらっしゃいます。

この記事を読んで、広島出身の方にとって、広島カープ、そして広島市民球場は、やはり特別な存在なんだなあ、と実感しました。

先日、雑誌の取材で、広島カープの元投手、故・津田恒美さんの特集を担当し、広島でカープ元監督の古葉竹識さんに取材しました。真摯で腰が低く、津田さんへの想いにあふれた姿勢に感動しましたが、カープの黄金時代の裏には、このお人柄があったのだな、と感動し、それを支えた広島市民の熱さにも思いを馳せました。

もうすぐ広島市民球場は移転しますが、一塁ブルペンの柱にある「津田プレート」は新球場にも設置されることが決まったそうです。

ちょっと「夕凪〜」の話からはずれましたが、あの映画に描かれていた、私たち日本人が決して忘れられてはならないもの、それは原爆や戦争の悲劇だけでなく、あの時代を生き抜いた人たちの生活に根ざしていた野球などの文化も、今に、未来に、語り継がなければならないのだな、と感じました。
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