チェンジ!!  映画つれづれ

「映画に関わる新しい仕事が始まる」と以前書きましたが、そろそろ公表してもいい、ということになりました。

4月スタート予定の、yab山口朝日放送で毎週金曜日深夜に放送される、映画情報の新番組「シネKING」で、キャラクター“マニィ大橋”として、ナビゲーターを務めることになりました!!

毎週、山口県内のシネコン(シネマスクエア7、ワーナーマイカルシネマズ防府、MOVIX周南)を、“映画の王様”こと“マニィ大橋”が訪問して、毎週、新作映画の紹介や、マニィならではの“映画ウンチク話”を披露していく番組です。

「マニィ大橋」のかぶり物も完成し、昨日、第1回分の収録がありました。

“マニィ”とは「マニア」のこと。映画に詳しく、暑苦しく語りながらも、映画への愛も感じる、というキャラクター設定の元で、ディレクターさんやスタッフと討議を重ねながら準備をし、何とか初収録をこなしました。

面白おかしいキャラクターに、戸惑いもあったのですが「多少でもこの番組を見て、映画館に行く人が増えれば」「映画への“愛”を発信したい」「映画の素晴らしさをたくさんの人に伝えたい」との想いで、毎週毎週、取り組んでいく決意です。

第1回目のオンエアは4月10日深夜の予定です。山口県内在住の皆さん、是非、ご覧下さい!!

・・・ということで、このブログも、『マニィ大橋の映画日記』にタイトルを変更します。とは言っても、アドレスはそのままですし、和田山企画の公式ブログとしても、どんどん情報を発信していきますので、これまでと変わらないおつきあいを、よろしくお願い致します。

           おたっきー改めマニィ大橋こと、大橋広宣

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ヤッターマン  新作レビュー

見た日/3月某日 ★★★★

いやあ、三池崇史監督、やってくれました。正に怪作。

これぞ、タツノコプロダクションが作り続けてきた、モダンでおバカなナンセンス・ギャクアニメ「ヤッターマン」の世界を、まんま実写でやりながら、きちんと映画のカタルシスを与えた、トンデモナイ作品に仕上がっている。

正に、「ヤッター、ヤッター、ヤッターマン!」である。

アニメやコミック、とくにヒーロー物など、実際の世界を飛び越えたものを実写化する場合の、正しい方法がここにある。

原作の世界観を壊さずに表現しながらも、そこに変な理屈を付けることなく、キャラクターを等身大の人間とて転嫁すること。そうすれば、奇蹟は起こるのだ。

とくに日本だと、ファンタジー的な設定そのものに理屈をつけたがるが、そうすると上手くいかない。観客は、もう「そのものの世界」として見ているのだから、そこに理屈はいらないのだ。ただし、キャラクターが等身大でないと、感情移入できないので、そこには必ず工夫が必要だ。

正直、翌週公開の「ドラゴンボール」はどうなのだろう。予告編を見る限り、成功しているとは思えないのだが…。ここは実際に鑑賞して判断するとしよう。

そういう意味では、この「ヤッターマン」は成功している。ほぼ全部のシーンにCG加工したというが、デザインや美術、特撮チームはいい仕事をしている。

「ヤッターマン」の世界を、リアルに面白く、きちんと実写として見せるための努力が、成果として画面に表れている。

「今週のビックリドッキリメカ」も、おなじみのポーズも楽しい。オジプトや南ハルプスなど、70年代版そのまま。タツノコキャラへの細かい敬意や、エンドロールのあとのおまけも、実に楽しい。

設定といい、ギャグといい、そもそも「ヤッターマン」自体がとっても面白いのだから、その「面白さ」を映画でもそのまんまで表現することを徹すれば、面白くない訳がない。

その「面白さ」を人に見せようとする姿勢があるから「面白い」のであって、正直、自分の記憶の中にある「面白さ」を、作り手の感性と脳内のみで再現して自分だけで面白がろうとすると、これは大失敗する。

この例が、同じタツノコ印のアニメを実写化した「スピード・レーサー」であり、「CASSHERN」であると思う。僕にはこの2作品は面白かったが、脳内感性や記憶が違う人が見たら、恐らく耐えられないだろう、という作りになっていた。

その点、三池監督は、こうなったら面白いぞ、と子どものような気持ちでこの映画を作ったのではないか。子どもも見られる作りではあるが、ドロンジョの妙なお色気、下ネタのオンパレードなど、実にお下品でキョーレツで毒もある。

色っぽい敵メカに興奮し、鼻血を出すヤッターワンなど、はっきり言ってヤリスギだが、かつてのアニメには、こんな毒は満載だったのだ。

かつての子ども向けアニメや番組は、子ども向けだからこその、毒が盛り込まれていた。こんな実験性をも、実写映画にする姿勢は正しい。

そして、映画では、オリジナルにも現在放送中のリメイク版にもない、ある「愛」が2つ描かれるが、これが映画的なカタルシスになって成功している。

このエピソードは、深田恭子がドロンジョを、ケンドーコバヤシがトンズラーを演じているからこそできることで、逆にアニメでやると「ヤッターマン」で無くなるだろう。生身の人間が演じ、等身大のキャラクターとして感じられるからこそ、アニメの味を損なうことなく、実写映画としての魅力ある「ヤッターマン」になっているのだ。

とくに深田恭子のドロンジョは特筆すべきで、メチャクチャキュートである。スクリーンいっぱいに広がるこの魅力に、44歳のオヤジである僕は、完全にやられてしまった。この映画が、性のメザメになる小学生男子諸氏の多いのではないだろうか。

そういう意味では、大変に貴重で、後世に残る映画になっていると思う。ちょっと、誉めすぎかな。

ブタもおだてりゃ木に登る!!

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闇の子供たち  DVD・ビデオレビュー

見た日/3月某日 ★★★★

DVDで、やっと見ることができた。

子どもの臓器売買、幼児買春をテーマにした作品。原作は小説で、映画もあくまでフィクションということだが、子どもの臓器売買の実態は分からないけれども、幼児売春の描写は現実的という指摘がある。

タブーに挑戦した、という意味で、この映画が製作された意義は大きい。撮影も大変だったと思われる。かつて、この映画と同じテーマで映画を作ろうとした海外のクルーが襲われた、ということもあったという。

以前、アジアでの臓器提供の現実を専門に研究している大学の教授を取材したことがある。その先生は現地調査を何度もしていて、その実態をアメリカの国会で証言したこともある。

そのとき、中国やインドでの衝撃的な臓器提供の実態を聞いて驚いた。中国では犯罪を犯した人たちの臓器が提供されていた例があったのだという。

この映画も、フィクションということではあるが、大人の欲望や利益のために、本来なら未来あるはずの子供たちの生命が簡単に扱われている、または扱われてきた、ということは事実として世界のどこかであったことだろう。恐らく過去も、そして現在も、どこかで起きているのかもしれない。

この映画で扱っている、組織的なビジネスとしての犯罪ではなくても、日本でも、子どもが犠牲になる痛ましい事件は、後を絶たない。あらゆる犯罪において、常に弱者である子どもが標的にされているという衝撃を、我々はどう受け止めればいいのだろうか、と思い悩んでしまう。

この映画の中で、子どもたちの臓器売買と幼児買春と対時していくのは、主に現地在住の新聞記者、若い女性のNGO職員、バックパッカ―的なカメラマンという3人の日本人だが、取材という形で事態が明らかになっていく過程は、ドラマとしても見応えがあり、阪本順治監督の手堅い演出が光る。

目の前の犠牲を救うよりも、事実を公表することで全体の連鎖を止めるしかないと考える新聞記者、真っ向から正義を主張する女性のNGO職員、自然体だったのが、撮影を通して現実を知りがく然とするカメラマン…とその3人の受け止め方は様々だが、それは同時に「闇の子供たち」に出会っていろいろな考えや思いに揺さぶられる、我々観客側の受け止め方でもある。

やがて、映画は衝撃的な結末を迎えるが、このラストは、貧困など国の「社会」が生んだと思われていた「闇」は、実は人の心の「闇」であることを、示唆してくれる。

人間の心に「闇」がある限り、こういう恐ろしいことは、どこの国でも、どの時代でも、起こりうるということを示している。

その「闇」は、僕の心にもある。


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少年メリケンサック  新作レビュー

見た日/3月某日 ★★★

クドカンこと、鬼才・宮藤官九郎氏による監督作品第2弾。「少年メリケンサック」という、中年オヤジたちのパンクバンドと、これを売り出そうと努力するレコード会社の女性社員の奮闘を描いたコメディだ。

ここ20年ほどの間だろうか、俳優も作り手も、演劇界の才能ある人たちがどんどん映画界に進出し、映画界にとって、大きなカンフル剤になっていることは間違いない。

クドカン氏は、三谷幸喜氏と並び、そんな演劇界が生みだした、脚本・監督の代表的な人物と言えるだろう。

今度は崔洋一監督の「カムイ外伝」の脚本も担当するというから、驚く。クドカン氏はテレビドラマの「タイガー&ドラゴン」など、クセはあるけれどなかなか面白い脚本を書く人で、僕としては、夏目漱石の魂が現代の主婦の身体を乗っ取るという、お昼の主婦向けドラマとして画期的で大傑作だった「吾輩は主婦である」が大好きだった。

それに比べると、正直、三谷氏の近作は「THE有頂天ホテル」も「ザ・マジックアワー」も面白いと思わず、正直、僕の感性と合わなかった。

三谷氏自身のキャラクターは大好きで面白いと思う。「マジックアワー」の宣伝で出ていた数々の番組にはかなり笑わせてもらったし、とくに「探偵!ナイトスクープ」への出演回は大爆笑の秀作だった。日本アカデミー賞の中継でおなじみになった、受賞を待っている時の小芝居も面白く、好感が持てる。

でも、作品自体が好きになれないのは、これはもう感性の問題だろう。人によっては滅茶苦茶面白いのだろうし、100人いて、全員が「面白い」と思うのも、異常なことなのだ。

三谷氏の近作2本に限って言うと、すれ違い、勘違いを笑いのスイッチにしている点は理解できるのだが、どうもそこに、人への愛が感じられず、人を小馬鹿にしているような感じがして、僕個人としては、好きになれない。

すれ違い、勘違いを笑いにしている、という点ではクドカン氏のこの作品にも通じるところはあるのだが、クドカン氏の脚本は、一見ハチャメチャに見えながらも、その視点には人への「愛」が十分感じられるように思う。

今回の映画は、映画ならではのスケール感を出す意味もあってか、パンクバンドというモチーフを持ってきているが、バンドというものは人が集まって初めて成り立つものであり、実は、だからこそバンドを描いた映画は、優れた人間ドラマが多い。日本映画なら「Aサインデイズ」「ロックよ、静かに流れよ」、海外なら「ザ・コミットメンツ」などなど…。

という訳で、この映画には、紅白歌合戦出場まで果たしたバンド「グループ魂」のメンバーでもあるクドカン氏の、バンドやそれを形成する人たちへの「愛」が詰まっている。そこには、恐らくデフォルメしてはいても、自分自身の体験や過去が投影されているのだろう。

その分、前作「真夜中の弥次さん喜多さん」で見せてくれた弾けっぷりが大人しくなっているのは少々残念な気もする。

全編、パンクのように弾けた映画かと思いきや、中盤から後半にかけて、中年バンドのオヤジたちの想いや過去のグジャクジャがねちねちと語られ、それはそれでとっても面白いのだが、あえて全体的な感動的な作りにしてない分、ギャグとのバランスを問われると、ちょっと中だるみを起こした感はある。

しかし、そのアンバランスが作品の魅力になっているのも事実で、名優・佐藤浩市のオーラを自ら消し去ったどうしようもないゲロ吐き中年ロッカーぶりや、見事な宮崎あおいのコメディエンヌぶり、若手ナンバー1の怪優になった感がある勝地涼のマヌケぶり、お笑いの「間」を見事に演技にしている木村佑一の存在感のありっぷりなど、実に見るべきところが多い映画になっている。

エンドロールで松任谷由美の「守ってあげたい」のカバーがかかるところが、なかなかイキで大爆笑!この映画とほぼ同時期公開で、ライバル東宝配給で同じ佐藤浩市が主演をしている「誰も守ってくれない」に引っかけているのだろうが、このセンスは流石にクドカン氏。

歌っているユニットの名前が「ねらわれた学園」というのにも、映画館で思わず吹いてしまった。
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見た日/3月某日 ★★★★

「いい」というのは聞いていたが、ここまでとは…。いやあ、泣かされた。

「高校野球」というのは、いわゆるベースボールとも野球とも違う、その存在がひとつのジャンルである、と僕は思う。

甲子園という絶対的な存在があり、そこには、巨大なビジネスが渦巻いている。学校は、甲子園に出場し、有名になるというメリットを得るため、様々な企業努力をする。とくに私立はその努力を惜しまない。

実はビジネスであることをみんな知りながら、それを誰も口にしない。マスコミも、親も、そして選手である当人たちも。でも、周囲はそこに「感動」を求めてくる。

選手たちも、そこにビジネスの匂いや虚しさを感じてはいても、そこは10代。ある種、ドライになりながらも、その「感動」に身を委ね、自分を投げ出し、ある意味犠牲にしていく。

言葉は悪いが、純粋さとそうでないものが共存していること、実はそのアンバランスさが高校野球の魅力だったりするのだ。

時折、そんな「ビジネス」とは全く関係ない、本当の純朴さを持った高校が甲子園に出場し、強豪校を倒したりする。だからまた、高校野球というものは、何とも言えない魅力を持つのである。

この映画は、そんな「矛盾」を抱えた、全国制覇が当たり前になっている、超強豪名門私立高校の野球部が舞台。レギュラーと補欠の間のキワキワの部員2人が主人公だ。

映画では「たばこは高校球児のサプリメント」なんて危ないセリフも出てきて、ある意味「高校野球」の真実の姿を伝えている。

試合やスタンドでの応援、普段の練習のシーンなどは、これまでの日本の野球映画の中でも最もリアルだと思う。時折、くだらないギャグを連発したりしながらも、選手にとって絶対の権力を持つ竹内力氏扮する監督もリアルだ。

ベンチに入っても、出場の機会などない。それでもベンチ入りを目指す2人。時には、お互いに「死ねばいいのに」なんて、本気で思うこともある。それでも、優しさを失わない、失えない、10代特有の、キラキラした感情。そこには、レギュラーも、補欠もない。

意外な伏線が見事に生きるラストが、実に素晴らしい。

一般的な常識が求める青春像とは関係ないところで、高校生たちは、ちょっと大人びたり、悪いことをしたり、大人を軽くみたりする。それでも、イザというときは、本気で青春に全てを賭ける。

ああ、そういえば、吹奏楽に青春を賭けた僕もそうだった。ちょっとワルびて、吹奏楽部を辞めた友達に、高校時代最後のコンクール前日に呼び出されたっけ。

ソイツの家で、お互いに酒を飲みながら、くわえ煙草で「俺はお前たちが許せない」「今日はお前をコンクールには行かせない」って話を、徹夜で聞かされた。でも、当日の朝、「行けよ」って送り出された。

フラフラになりながら、集合場所に行って、誰にもそのことを言わずにバスに揺られながら「アイツも、本当はコンクールに出たかったんだ」と気づくまで、ちょっと時間がかかった。金賞を取って、夜、ソイツに電話したら、一言「よかったな」と言ってくれたことが、妙に嬉しかったことを覚えている。

「ひゃくはち」というタイトルは野球のボールの縫い目と、人間の煩悩の数を表わしている。仏教では、悩みである煩悩は、実はすぐ喜びに通じていると説く。これを「煩悩即菩提」と言うが、様々な苦しみや悩みが、喜びとなる、これが青春の特権だろう。
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見た日/3月某日 ★★★★★

僕には大切な映画仲間さんたちがいるのだが、その若手の方々から「どうして70年代や80年代初めの映画はあんなにギラギラしているの?時代もギラギラしていたの?」と聞かれた。

「青春の殺人者」や「野獣死すべし」などの作品を鑑賞した彼女たちからの質問なのだが、それに対しては「イエス」ということになるのだろうな、と思う。まあ時代もギラギラしていたとは思うが、作り手もギラギラしていた、ということだろう。

80年代は、60年代から70年代に比べれば、若者を中心に軟弱化していった時代だとは思うけれども、映画の作り手、送り手はまだまだギラギラしていたようには思う。

映画は時代を写す鏡のようなもので、その内容は、時代を反映する。90年代以降、日本映画の雰囲気も随分変わり、シネコンの出現によって、徹底したマーケティングによるヒット作が生まれるようになってからは、かつてのギラギラ感を帯びた映画は、ほとんど無くなってきたように思う。

現代社会は何となく無機質で、ネットに代表されるように、コミュニケーションも希薄になっている。そんな中で、最近の多くの「日本映画」もまた、無機質になっている、と感じるのは僕だけだろうか。

もちろん、そんな中でも、作り手の「志」にあふれた、心に届く作品はあるのだが、その一方で、無機質でバリアーに覆われたような作品が多いのもまた事実、と思うのだ。それは、やはり、時代性なのだろう、と思う。

だから、そんな「無機質」な作品は、いくらスクリーンの中で大恋愛や大アクションが起ころうとも、スクリーンと観客の間に明確なバリアーがあるので、なかなか感情移入ができない。

言いかえれば、スクリーンの中でどんなドンパチや愛があろうとも、そのバリアーのせいで観客にそのとばっちりが来ることはないのだ。でも、そんなのが「いい映画」と言えるだろうか。いつも書いているが、ピリリと痛いのがいい映画だと僕は思う。

スクリーンの中で起きていることが、まるで自分のことのように感じられないと、暗闇の中、不特定多数の人たちと時間と感情を共有する意味なんて、何もないではないか。それこそが、「映画」という媒体の、最大の魅力ではないか。

しかし、多くの観客がそんな「安全圏」の中で、絵空事の「映画」を、「絵空事」のように感じながら「面白い」と思っている。これはもう、僕は「映画ではない」と思うし、それはテレビの役割だと思うのだが、どうだろうか。

ちょっと横道にそれたが、要は、逆に言えば、こんな無機質でコミュニケーションが希薄な時代だからこそ、そんな時代を反映した、今の「無機質な時代だからこそ」のピリリと痛い映画が作れる、と僕は思うのだが、この「接吻」はそんな数少ない映画のひとつだ。

この映画に描かれている事件や設定は、明らかに現実の事件を思わせる。犯人役の豊川悦司氏の役づくりも、ある現実の重大事件の元死刑囚を思わせる。その死刑囚を支援し、獄中結婚した女性がいた、という記事も読んだ記憶があるが、恐らくこの映画は、その事実にインスパイアされたものだろう。

しかし、事実はどうあれ、この映画の物語展開は、作り手の深い意識とメッセージ性に彩られたオリジナルなもので、そこにはやはり「現代社会」が抱える色々な問題点が見える。

ヒロインは20代の会社員だが「誰からも理解されない」と思っている。そのヒロインが、テレビで見た重大事件の容疑者の表情に魅せられ、自分と同じ境遇にあると思い、弁護士に連絡を取り、差し入れなどの支援をし、交流を深めていく。

孤独を抱えるヒロインが、社会性の中で拒絶されている容疑者とともに、ひとつの理想郷を作ろうとする様は、実に悲しく、切ない。すべてがマニュアル化している今の社会は、強くないと生きていけない。逆に、人と深く関わらなくても生きていける。

でも、全ての人が強いわけではないし、どこか人と関わっていないと、結局、人はどこかで破綻する。この映画のヒロインの気持ちは、誰にでも理解できるものではないと思うが、小池栄子の熱演、名演もあって、社会で行き場がないまま凶悪犯に惹かれ、そこにしか生きる価値を見出せないヒロインの気持ちが痛く、感情移入できるから不思議だ。

やがて、凶悪だったはずの犯人に「感情」が芽生え、ヒロインの「理想郷」が崩れ始めたとき、この映画は驚愕の展開を見せる。

異常な愛情関係の2人の間に入る、三角関係の一角である仲村トオル扮する弁護士がまた重要な役割を担っている。彼の役割は、言わば「社会の理性」の象徴だが、理性的だったはずの彼の気持ちの変化がまた衝撃的で、僕には現代社会の異常性に翻弄される多くの現代人でもある、と思った。

正に、今の時代だからこそ、の「ギラギラ」した映画である。劇場で見たかった。

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コメントに感謝、です!  映画つれづれ

なぜか、私のパソコンから、コメントが入力できません!!!

ブログ管理社のティーカップさん、どうなっているのでしょう!!記事はきちんと入力できるのに・・・。

すぐに原因を究明して、またコメントしたいのですが、まずは、「007慰めの報酬」にコメントを頂いたマーズアタックさまと、「心から感謝、です」の記事にコメントを頂いた伊達邦彦さまに、御礼を言いたくて、こちらの方でコメントの返信をさせて頂きます!!

マーズアタックさま、コメントありがとうございます!今度は「ボルテスV」を合唱しましょうね!!僕も、ティム・バートンは「シザーハンズ」より「マーズアタック」だと思います!今回の007は確かにアクションに内容が振り回されていましたが、ダニエル・クレイグは頑張っていたと僕も思います!

伊達邦彦さま、コメントありがとうございます!いやあ、あなたの友情に感謝、感謝です。また映画の話をいっぱいしましょう!!近く、お会いできるかな?

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チェンジリング  新作レビュー

見た日/2月某日 ★★★★★

クリント・イーストウッド監督は、タカ派映画を作っていたのは今や昔、すっかりハリウッドの良心の塊のようになってしまったが、この映画でも語り口の上手さは流石。

誰かがこの映画のことを「上質な物語が書かれた小説を一枚一枚めくるような興奮を覚える」と評していたが、正にその通り。

実話を元にしているので、大部分の人は結果はあるていど分かるのだろうけれど、それでも観客をいい意味で裏切ってくれる、素晴らしいストーリーテリングが待っている。

ヒロインの息子が行方不明となり、数日後に無事息子は保護されるが、警察の手によって帰ってきた息子は別人だった。警察に訴えるものの、責任者の警部はヒロインを異常者と決めつけると、あっさりと精神病院に送りこむ。

ここまでの展開が早く、実に鮮やか。息子が入れ替わる(チェンジリング)サスペンスから始まり、問答無用のまま、権力によって拉致監禁されてしまうヒロインの姿は痛ましく、ピリリと痛い。そして、そこから別の事件がインサートされていく、この展開の見事さ。

2つのストーリーラインがやがて一つに収束するが、イーストウッド監督はここで手を緩めることなく、更なる驚きを観客に与えてくれる。決して明るい物語ではないが、ラストシーンは余韻もたっぷりで、一人の女性の成長物語としても非常によくできている。

ひとつひとつのカット、セリフに全く無駄がない。決して短い上映時間ではないが、息を飲んでスクリーンを見つめている瞬間が連続するため、実に短く感じた。アンジェリーナ・ジョリーはオスカーを逃したものの、感情豊かな演技で心を揺さぶる。

1920年代後半から30年代初めにかけてのロスアンジェルスの描写も素晴らしく、美術スタッフの努力が伺える。ジャズマニアとして知られるイーストウッド監督自ら手がけた音楽もよく、フリューゲル・ホルンが奏でるメインテーマは印象的なメロデイで物語を悲しく彩っている。

イーストウッド監督の近作だと「ミスティック・リバー」に雰囲気が近い感じだか、あの作品よりはこちらの方が優れていると思うし、個人的にはオスカーを獲得した「ミリオンダラー・ベイビー」より、こちらの方がはるかに好きだ。
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きつねと京都と黒澤映画  映画つれづれ

このブログは、本来は新作映画のレビューのつもりで始めたものです。

ブログを始めた当時、仕事が忙しくて、なかなか映画館に行く機会がなかったので、ブログを始めればいい意味でのプレッシャーになるのではないか、と始めました。

でも、実際にブログを書き始めて、新作の感想だけでなく、過去の作品の感想や映画そのものへの気持ちなんかを書いていると、映画は僕の仕事、人生と切り離せない、生活の一部なんだなあ、とつくづく思いました。

それで、今、仕事の報告のつもりで設置している「和田山企画 公式ブログ」は閉鎖を視野に入れながら、ちょっとお休みして、こちらのブログに、日常のことや仕事のことなんかも綴り、まとめてみようと思います。

結局は、映画の話題になると思うので…。

だから、ちょっと遠慮していた過去の映画の話題も、もっともっと、どんどん書いて行きたいな、と思います。

さて、それで、きょうの3月2日、僕が編集と文章を担当させて頂いた写真集「くだまつ・花岡 きつねの嫁入り」が発売になりました!

山口県下松市の花岡地区に伝わる伝統行事、稲穂祭の中で行われている奇祭「きつねの嫁入り」を豊富な写真と記事で紹介しているものです。

写真は江口雄司さん、金井道子さんという、地元を代表する写真家の方が担当され、見事な写真集になっています。

企画から出版まで2カ月というハードなスケジュールでしたが、やりがいのある仕事でした。下松市観光協会が発行元で、税込2000円です。通信販売も受け付けており、500円の送料が必要です。

興味のある方は、企画・編集のプロジェクトF0833−45−1100までお問い合わせください。

さて、3月2日、この写真集の出版記念パーティーが下松市のきらぼし館というところであったのですが、僕はこの日、京都で講演でした。

ダブルブッキングしていることを1週間前に気づきました。何ともバカです。プロジェクトFの事務局も担当していたので、慌てて調整しましたが、たくさんの方にご迷惑をかけました。本当に、申し訳ございませんでした。

京都から急いで帰り、打ち上げに駆け付けましたが、本当に楽しい打ち上げでした。伝統行事を大切にしている人の心って素晴らしいなあ、と実感しました。

京都と言えば、数々の日本映画の名作の舞台となった場所です。

僕は京都駅の構内で、思わず怪獣映画史上、初めて怪獣同士が建物内で戦った「ガメラ3」(ガメラとイリスが京都駅構内で戦うのだ)のワンシーンを思い出し、駅にあるホテルを見ながら「『愛の流刑地』でトヨエツと寺島しのぶさんがHしたところね」なんて思いながら、講演地であるまちへの電車に乗り込みました。

「きつねの嫁入り」と言えば、黒澤明監督の「夢」の1エピソードが忘れられません。あの幻想的な「きつねの嫁入り」のシーンは美しかった…。そう言えば、あの映画で幼少期の黒澤少年を演じたのは、佐々部映画の常連、伊嵜充則さんでした。

お酒に酔いながら、きつねの嫁入りと、京都、黒澤映画がグルグルと回り、気がつけば子どもたちと布団に入っている、おたっきーでした。
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心から感謝!です  映画つれづれ

先日、僕の「ライター生活20周年を祝い、激励する会」なる催しが開かれました。

たくさんの方にお越し頂き、激励を頂きました。

また、かけがえのない仲間たちが、その模様をブログでリポートして下さっています。

MOTOさま↓

http://m19791217.soreccha.jp/

pokoさま↓

http://yaplog.jp/chirusoku77/

劇団厳流・副長さま↓

http://gekidan-ganryu.at.webry.info/200902/article_5.html

sigewoさま↓

http://ameblo.jp/sigewo3/

佐々部清監督も、松山での「夕凪の街 桜の国」上映会&講演会を終えて、フェリーで駆け付けてくださいました!!

監督のほろ酔い日記にも、その模様を書いて頂き、感激しました!↓

http://www.sasabe.net/hidiary/hidiary.cgi

本当に、感謝、感謝です…。

おたっきーは、幸せ者です。

これからも、地域のために、映画の素晴らしさを発信していくために、また仲間たちと、素敵な「映画」の夢を見られるように、頑張っていきたい、と思います。

4月からは「映画」に関連した、新しい仕事が始まりそうです。具体的な打ち合わせも始まりました。またはっきりしたことが決まったら、このブログでもご報告します!!
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