ヤッターマン  新作レビュー

見た日/3月某日 ★★★★

いやあ、三池崇史監督、やってくれました。正に怪作。

これぞ、タツノコプロダクションが作り続けてきた、モダンでおバカなナンセンス・ギャクアニメ「ヤッターマン」の世界を、まんま実写でやりながら、きちんと映画のカタルシスを与えた、トンデモナイ作品に仕上がっている。

正に、「ヤッター、ヤッター、ヤッターマン!」である。

アニメやコミック、とくにヒーロー物など、実際の世界を飛び越えたものを実写化する場合の、正しい方法がここにある。

原作の世界観を壊さずに表現しながらも、そこに変な理屈を付けることなく、キャラクターを等身大の人間とて転嫁すること。そうすれば、奇蹟は起こるのだ。

とくに日本だと、ファンタジー的な設定そのものに理屈をつけたがるが、そうすると上手くいかない。観客は、もう「そのものの世界」として見ているのだから、そこに理屈はいらないのだ。ただし、キャラクターが等身大でないと、感情移入できないので、そこには必ず工夫が必要だ。

正直、翌週公開の「ドラゴンボール」はどうなのだろう。予告編を見る限り、成功しているとは思えないのだが…。ここは実際に鑑賞して判断するとしよう。

そういう意味では、この「ヤッターマン」は成功している。ほぼ全部のシーンにCG加工したというが、デザインや美術、特撮チームはいい仕事をしている。

「ヤッターマン」の世界を、リアルに面白く、きちんと実写として見せるための努力が、成果として画面に表れている。

「今週のビックリドッキリメカ」も、おなじみのポーズも楽しい。オジプトや南ハルプスなど、70年代版そのまま。タツノコキャラへの細かい敬意や、エンドロールのあとのおまけも、実に楽しい。

設定といい、ギャグといい、そもそも「ヤッターマン」自体がとっても面白いのだから、その「面白さ」を映画でもそのまんまで表現することを徹すれば、面白くない訳がない。

その「面白さ」を人に見せようとする姿勢があるから「面白い」のであって、正直、自分の記憶の中にある「面白さ」を、作り手の感性と脳内のみで再現して自分だけで面白がろうとすると、これは大失敗する。

この例が、同じタツノコ印のアニメを実写化した「スピード・レーサー」であり、「CASSHERN」であると思う。僕にはこの2作品は面白かったが、脳内感性や記憶が違う人が見たら、恐らく耐えられないだろう、という作りになっていた。

その点、三池監督は、こうなったら面白いぞ、と子どものような気持ちでこの映画を作ったのではないか。子どもも見られる作りではあるが、ドロンジョの妙なお色気、下ネタのオンパレードなど、実にお下品でキョーレツで毒もある。

色っぽい敵メカに興奮し、鼻血を出すヤッターワンなど、はっきり言ってヤリスギだが、かつてのアニメには、こんな毒は満載だったのだ。

かつての子ども向けアニメや番組は、子ども向けだからこその、毒が盛り込まれていた。こんな実験性をも、実写映画にする姿勢は正しい。

そして、映画では、オリジナルにも現在放送中のリメイク版にもない、ある「愛」が2つ描かれるが、これが映画的なカタルシスになって成功している。

このエピソードは、深田恭子がドロンジョを、ケンドーコバヤシがトンズラーを演じているからこそできることで、逆にアニメでやると「ヤッターマン」で無くなるだろう。生身の人間が演じ、等身大のキャラクターとして感じられるからこそ、アニメの味を損なうことなく、実写映画としての魅力ある「ヤッターマン」になっているのだ。

とくに深田恭子のドロンジョは特筆すべきで、メチャクチャキュートである。スクリーンいっぱいに広がるこの魅力に、44歳のオヤジである僕は、完全にやられてしまった。この映画が、性のメザメになる小学生男子諸氏の多いのではないだろうか。

そういう意味では、大変に貴重で、後世に残る映画になっていると思う。ちょっと、誉めすぎかな。

ブタもおだてりゃ木に登る!!

0

闇の子供たち  DVD・ビデオレビュー

見た日/3月某日 ★★★★

DVDで、やっと見ることができた。

子どもの臓器売買、幼児買春をテーマにした作品。原作は小説で、映画もあくまでフィクションということだが、子どもの臓器売買の実態は分からないけれども、幼児売春の描写は現実的という指摘がある。

タブーに挑戦した、という意味で、この映画が製作された意義は大きい。撮影も大変だったと思われる。かつて、この映画と同じテーマで映画を作ろうとした海外のクルーが襲われた、ということもあったという。

以前、アジアでの臓器提供の現実を専門に研究している大学の教授を取材したことがある。その先生は現地調査を何度もしていて、その実態をアメリカの国会で証言したこともある。

そのとき、中国やインドでの衝撃的な臓器提供の実態を聞いて驚いた。中国では犯罪を犯した人たちの臓器が提供されていた例があったのだという。

この映画も、フィクションということではあるが、大人の欲望や利益のために、本来なら未来あるはずの子供たちの生命が簡単に扱われている、または扱われてきた、ということは事実として世界のどこかであったことだろう。恐らく過去も、そして現在も、どこかで起きているのかもしれない。

この映画で扱っている、組織的なビジネスとしての犯罪ではなくても、日本でも、子どもが犠牲になる痛ましい事件は、後を絶たない。あらゆる犯罪において、常に弱者である子どもが標的にされているという衝撃を、我々はどう受け止めればいいのだろうか、と思い悩んでしまう。

この映画の中で、子どもたちの臓器売買と幼児買春と対時していくのは、主に現地在住の新聞記者、若い女性のNGO職員、バックパッカ―的なカメラマンという3人の日本人だが、取材という形で事態が明らかになっていく過程は、ドラマとしても見応えがあり、阪本順治監督の手堅い演出が光る。

目の前の犠牲を救うよりも、事実を公表することで全体の連鎖を止めるしかないと考える新聞記者、真っ向から正義を主張する女性のNGO職員、自然体だったのが、撮影を通して現実を知りがく然とするカメラマン…とその3人の受け止め方は様々だが、それは同時に「闇の子供たち」に出会っていろいろな考えや思いに揺さぶられる、我々観客側の受け止め方でもある。

やがて、映画は衝撃的な結末を迎えるが、このラストは、貧困など国の「社会」が生んだと思われていた「闇」は、実は人の心の「闇」であることを、示唆してくれる。

人間の心に「闇」がある限り、こういう恐ろしいことは、どこの国でも、どの時代でも、起こりうるということを示している。

その「闇」は、僕の心にもある。


0

少年メリケンサック  新作レビュー

見た日/3月某日 ★★★

クドカンこと、鬼才・宮藤官九郎氏による監督作品第2弾。「少年メリケンサック」という、中年オヤジたちのパンクバンドと、これを売り出そうと努力するレコード会社の女性社員の奮闘を描いたコメディだ。

ここ20年ほどの間だろうか、俳優も作り手も、演劇界の才能ある人たちがどんどん映画界に進出し、映画界にとって、大きなカンフル剤になっていることは間違いない。

クドカン氏は、三谷幸喜氏と並び、そんな演劇界が生みだした、脚本・監督の代表的な人物と言えるだろう。

今度は崔洋一監督の「カムイ外伝」の脚本も担当するというから、驚く。クドカン氏はテレビドラマの「タイガー&ドラゴン」など、クセはあるけれどなかなか面白い脚本を書く人で、僕としては、夏目漱石の魂が現代の主婦の身体を乗っ取るという、お昼の主婦向けドラマとして画期的で大傑作だった「吾輩は主婦である」が大好きだった。

それに比べると、正直、三谷氏の近作は「THE有頂天ホテル」も「ザ・マジックアワー」も面白いと思わず、正直、僕の感性と合わなかった。

三谷氏自身のキャラクターは大好きで面白いと思う。「マジックアワー」の宣伝で出ていた数々の番組にはかなり笑わせてもらったし、とくに「探偵!ナイトスクープ」への出演回は大爆笑の秀作だった。日本アカデミー賞の中継でおなじみになった、受賞を待っている時の小芝居も面白く、好感が持てる。

でも、作品自体が好きになれないのは、これはもう感性の問題だろう。人によっては滅茶苦茶面白いのだろうし、100人いて、全員が「面白い」と思うのも、異常なことなのだ。

三谷氏の近作2本に限って言うと、すれ違い、勘違いを笑いのスイッチにしている点は理解できるのだが、どうもそこに、人への愛が感じられず、人を小馬鹿にしているような感じがして、僕個人としては、好きになれない。

すれ違い、勘違いを笑いにしている、という点ではクドカン氏のこの作品にも通じるところはあるのだが、クドカン氏の脚本は、一見ハチャメチャに見えながらも、その視点には人への「愛」が十分感じられるように思う。

今回の映画は、映画ならではのスケール感を出す意味もあってか、パンクバンドというモチーフを持ってきているが、バンドというものは人が集まって初めて成り立つものであり、実は、だからこそバンドを描いた映画は、優れた人間ドラマが多い。日本映画なら「Aサインデイズ」「ロックよ、静かに流れよ」、海外なら「ザ・コミットメンツ」などなど…。

という訳で、この映画には、紅白歌合戦出場まで果たしたバンド「グループ魂」のメンバーでもあるクドカン氏の、バンドやそれを形成する人たちへの「愛」が詰まっている。そこには、恐らくデフォルメしてはいても、自分自身の体験や過去が投影されているのだろう。

その分、前作「真夜中の弥次さん喜多さん」で見せてくれた弾けっぷりが大人しくなっているのは少々残念な気もする。

全編、パンクのように弾けた映画かと思いきや、中盤から後半にかけて、中年バンドのオヤジたちの想いや過去のグジャクジャがねちねちと語られ、それはそれでとっても面白いのだが、あえて全体的な感動的な作りにしてない分、ギャグとのバランスを問われると、ちょっと中だるみを起こした感はある。

しかし、そのアンバランスが作品の魅力になっているのも事実で、名優・佐藤浩市のオーラを自ら消し去ったどうしようもないゲロ吐き中年ロッカーぶりや、見事な宮崎あおいのコメディエンヌぶり、若手ナンバー1の怪優になった感がある勝地涼のマヌケぶり、お笑いの「間」を見事に演技にしている木村佑一の存在感のありっぷりなど、実に見るべきところが多い映画になっている。

エンドロールで松任谷由美の「守ってあげたい」のカバーがかかるところが、なかなかイキで大爆笑!この映画とほぼ同時期公開で、ライバル東宝配給で同じ佐藤浩市が主演をしている「誰も守ってくれない」に引っかけているのだろうが、このセンスは流石にクドカン氏。

歌っているユニットの名前が「ねらわれた学園」というのにも、映画館で思わず吹いてしまった。
0


見た日/3月某日 ★★★★

「いい」というのは聞いていたが、ここまでとは…。いやあ、泣かされた。

「高校野球」というのは、いわゆるベースボールとも野球とも違う、その存在がひとつのジャンルである、と僕は思う。

甲子園という絶対的な存在があり、そこには、巨大なビジネスが渦巻いている。学校は、甲子園に出場し、有名になるというメリットを得るため、様々な企業努力をする。とくに私立はその努力を惜しまない。

実はビジネスであることをみんな知りながら、それを誰も口にしない。マスコミも、親も、そして選手である当人たちも。でも、周囲はそこに「感動」を求めてくる。

選手たちも、そこにビジネスの匂いや虚しさを感じてはいても、そこは10代。ある種、ドライになりながらも、その「感動」に身を委ね、自分を投げ出し、ある意味犠牲にしていく。

言葉は悪いが、純粋さとそうでないものが共存していること、実はそのアンバランスさが高校野球の魅力だったりするのだ。

時折、そんな「ビジネス」とは全く関係ない、本当の純朴さを持った高校が甲子園に出場し、強豪校を倒したりする。だからまた、高校野球というものは、何とも言えない魅力を持つのである。

この映画は、そんな「矛盾」を抱えた、全国制覇が当たり前になっている、超強豪名門私立高校の野球部が舞台。レギュラーと補欠の間のキワキワの部員2人が主人公だ。

映画では「たばこは高校球児のサプリメント」なんて危ないセリフも出てきて、ある意味「高校野球」の真実の姿を伝えている。

試合やスタンドでの応援、普段の練習のシーンなどは、これまでの日本の野球映画の中でも最もリアルだと思う。時折、くだらないギャグを連発したりしながらも、選手にとって絶対の権力を持つ竹内力氏扮する監督もリアルだ。

ベンチに入っても、出場の機会などない。それでもベンチ入りを目指す2人。時には、お互いに「死ねばいいのに」なんて、本気で思うこともある。それでも、優しさを失わない、失えない、10代特有の、キラキラした感情。そこには、レギュラーも、補欠もない。

意外な伏線が見事に生きるラストが、実に素晴らしい。

一般的な常識が求める青春像とは関係ないところで、高校生たちは、ちょっと大人びたり、悪いことをしたり、大人を軽くみたりする。それでも、イザというときは、本気で青春に全てを賭ける。

ああ、そういえば、吹奏楽に青春を賭けた僕もそうだった。ちょっとワルびて、吹奏楽部を辞めた友達に、高校時代最後のコンクール前日に呼び出されたっけ。

ソイツの家で、お互いに酒を飲みながら、くわえ煙草で「俺はお前たちが許せない」「今日はお前をコンクールには行かせない」って話を、徹夜で聞かされた。でも、当日の朝、「行けよ」って送り出された。

フラフラになりながら、集合場所に行って、誰にもそのことを言わずにバスに揺られながら「アイツも、本当はコンクールに出たかったんだ」と気づくまで、ちょっと時間がかかった。金賞を取って、夜、ソイツに電話したら、一言「よかったな」と言ってくれたことが、妙に嬉しかったことを覚えている。

「ひゃくはち」というタイトルは野球のボールの縫い目と、人間の煩悩の数を表わしている。仏教では、悩みである煩悩は、実はすぐ喜びに通じていると説く。これを「煩悩即菩提」と言うが、様々な苦しみや悩みが、喜びとなる、これが青春の特権だろう。
0




AutoPage最新お知らせ