ヱヴァンゲリオン新劇場版:破  新作レビュー

観た日 6月某日 ★★★★

「エヴァンゲリオン」に関しては、あまり詳しくもないし、テレビシリーズ放映時に一通り見てはいたが、説明不足感を強く感じて、あまり興味は惹かれなかった。

旧劇場版も唐突感が目立ったような感じがして、あまり好きではなかったのだが、今回の、この「新劇場版:破」は、その世界観と息をもつかせぬ展開にグイグイと巻き込まれ、その凄さにちょっと参ってしまった。

僕の中の、この手のSFロボット物に対する愛情というか、アドレナリンのようなものがフツフツと身体の奥からマグマのように渦巻き、ラスト近くの展開で一気に噴き出た。

いやあ、アニメーションに対してこんな感情を持ったのは、中学1年の時に「宇宙戦艦ヤマト」に出会った時か、中学2年のとき、ファースト「ガンダム」の第1話を見たとき以来の衝撃である。

物語展開は相変わらずの説明不足なのだが、突然外宇宙から飛来してくる正体不明の敵に対して、揺れ動く世代の14歳の少年少女しか乗りこなせない、エヴァンゲリオンの存在もまた“揺れ動く”という点が面白い。今回の劇場版は、その揺れ動く“心”が、今までのどの“エヴァンゲリオン”よりも際立っていて、観る者の心もまた揺さぶってくれる。

敵の「シト」から創り出された「エヴァ」もまた、その潜在能力を人類はコントロールできないでいる。彼らを操ることができるのは、生きるうえでの“痛み”を抱えている少年少女たちだけなのだ。映画で人がエヴァをコントロールしようとして失敗するが、中途半端でありながら無限の可能性を持つ子どもたちに未来を託すしかないことを描いている点では、この映画はすこぶる現実的なのかもしれない。

「帰ってきたウルトラマン」へのオマージュや「翼をください」などの挿入歌の使い方など、庵野秀明総監督は、やはり同世代だなー、と思わずニヤリとしたが、思わず感動したのは、キャラクターの人間性が豊かになっていることだ。

とくに「誰かのために食事を作る」「食事をすることで家族の絆を取り戻す」ことが、この映画の大切なキーワードの一つになっていて、この映画を単なるSF物やサブカルチャー的なアニメに終わらせてない要因のひとつになっている。

これは、庵野総監督が実生活で家庭を持たれたことにも関係しているのかもしれない。例えアニメだろうと、映画は“人間”が描かれているかどうか、が大切だと思う。正直、僕はテレビシリーズではヴァーチャル的な感じを受けて、今ひとつ好きになれなかった“エヴァ”の世界だが、今回は、キャラクターに“人間”や人と人との絆を感じ、感動した。

ここまで進めてきて、次の展開はどうなるのか。ある意味、前回の劇場版の結末を凌駕し、全く違う展開にしてくれることにはなりそうだ。予告での「サービス、サービス」を早く劇場で実感したい。また2年ぐらい待たされるのかな?

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スラムドッグ$ミリオネア  新作レビュー

観た日 6月某日 ★★★★

「トレインスポッティング」のダニー・ボイル監督作品。イギリス人スタッフによる、インド映画、と言っていいだろうか。

突然主人公が劇中で歌ったり踊ったりはしないけれども、インド映画でおなじみの歌謡舞踏シーンはちゃんとあるし、明るく前向きで活力にあふれている、という点では正にインド映画だ。

でも、お話はファンタジー的な話でありながら、インドの貧富社会の現実をリアルに描いている点は、本来のインド映画ではできない試みだろう。映画誌などによると、あまり表に出したくない自国のスラム街の実態を描いている、という点でインド国内では不評だったという。

スラム街で育った青年が、クイズ番組「クイズ・ミリオネア」に出場し、あとわずかで億万長者を手にする、というところまで辿り着き、そこで逮捕されてしまう。

医者や弁護士でさえ答えられない難解なクイズの答えを、教育を受けてない彼が、なぜ分かるのか? イカサマではないか、と警察で拷問を受けるが、彼は、クイズの答えは、全て信じられないような貧困の中での壮絶な経験で知り得た、と告白する…。

この映画のストーリー展開は単純で、ある意味ハリウッド的でもあり、主人公が成功するかどうか、という点では映画的カタルシスもたっぷり味わえる。

でも、ストーリーは単純でも、映画自体が決して単純ではないのは、この映画で描かれる“スラム街”の実態と、そこで生き抜く子どもたちの姿があまりに壮絶、という点に尽きると思う。

孤児になった子どもたちが、子どもを使って物乞いをさせる大人たちに集められ、その中の一人が、同情を集めるため、目を潰される、という悲壮なシーンがある。

僕はインドで数週間ほど過ごした経験があるが、実際、どこに行っても、物乞いの子どもたちに囲まれた。その中には、手や足がない子どもたちもいたが、あれは生きていくために、わざと切っている、という話も現地で聞いた。

また映画ではペットボトルのフタに細工をして、水道水を入れるシーンが出てくるが、僕自身、インドの田舎町で、どう見てもフタが怪しいペットボトルを高い金を出して買い、暑くて我慢が出来ずに飲んで、お腹を一発で壊した経験がある。あのときは二日間ぐらい外出できず、ホテルのベッドでのたうち回ったが、これもあのときのことを思い出した。

主人公の少年は、どんなひどい状況になっても、人を恨まず、幼い時に恋した少女をひたすら想い続け、青年に成長してもその純愛を貫く。これに対して主人公の兄が出てくるが、兄はスラム街で生き延びるため、弟とは対照的に、次第に犯罪に手を染めていく。

実際のスラム社会では、この兄のように、ずるくならないと、生き抜くのは難しいのかもしれない。どんな困難な、絶望的な状況にあっても、警察に拷問をされても、ただひたすらにまっすぐ生き抜こうとする純粋さを、ダニー・ボイル監督は讃えている。

実際に、純粋に生きて、映画のような奇蹟や栄光は訪れないかもしれない。それでも、この映画は、力強く生きることの大切さを、高らかに歌い上げる。最後の最後に、兄が取った行動が泣かせる。

人の気持ちは、身近な人、そして社会をも変革できる。そのことを、自由社会でありながら、かつてのカースト制度が色濃く残り、格差が存在するインド社会を舞台に描いた意義は大きい。これを単なる寓話にしないぞ、という監督の意図がいろいろなところに見えて、深く胸を打った。
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