SUPER8 スーパー8  新作レビュー

★★★

ちまたでは「グーニーズ」+「E.T.」なんて言われているらしいこの作品。

少年たちの物語にクリーチャー(怪物)や米軍の陰謀が絡んでくる、小さい町を舞台にした大規模な話なのだが、確かにスティープン・スピルバーグ監督の影響を受けて育ったJJエイブラムス監督が、スピルパーグ当人の製作というブランドを得て、スピルバーグ作品(製作作品も含む)へのオマージュを捧げまくった、ということは言えるだろう。

ただし、細かい点、たとえばクリーチャーの造形や徹底した迫力の列車事故のシーンなどに、これまでの作品でも見せてきたエイブラムス監督のこだわりぶりを見ることができる。

1979年。8ミリ映画(これがゾンビ映画なのだ)を撮影中の中学生たちが、線路そばの廃墟でロケ中、謎の列車事故に巻き込まれる。中学生たちは逃げるが、そのまま回っているスーパーエイトの8ミリカメラには、ある何かが映っていて…。

映像に映っている「何か」の正体をめぐって、まちが大騒ぎになり、子どもたちが巻き込まれていく。

子どもたちの冒険譚にSFスペクタルの要素を入れているが、映画の芯は少年期の「初恋」にあり、そこを軸に友情や親子の絆が描かれていく。

ストーリーテリングはさすがで飽きさせないのだが、出てくる少年たちのキャラクターはどこか類型的で、様々なエピソードが絡んできてもなかなかテンポ感が出ないまま物語が進行していき、全体的にはどこか大味な印象になった気もする。

ヒロイン役のエル・ファニングが魅力的。お姉さんはダコタ・ファニング。幼い中にもドキっとする艶やかな表情を見せていて、この映画の大きな魅力のひとつになっている。

映画にあこがれ、少年時代、8ミリ映画の製作に取り組んだ人は多いはず。僕も若干思い出があり、少年時代にスピルバーグ映画に魅せられたので、「わかるわかる」という感じでスクリーンを見つめていた。

ちなみに、日本ではコダックの「スーパーエイト」ではなく、富士フィルムの「フジカシングルエイト」が一般的だったはずである。

可笑しかったのは、少年たちが全員で「マイ・シャローナ」をうたうシーン。

1979年、僕は中学3年生だったが、この歌が大好きでよく大声で歌っていたのだ。で、友達からこの歌の歌詞がかなりHであることを聞かされ、それから聴いたり歌うたびに、妙に興奮したことを思い出した。

あのシーンで、生意気で頭の中は映画と女の子のことはかなかったあのころのことを思い出したのだった。

それから…俳優の少年少女たちが実際に撮影した、という8ミリ映画が流れるが、これはなかなかのできあがり。
4


高倉健さんって・・・本当にすごい、と思う。

その佇まいは、正に自然体で、どんな役を演じても、独特な存在感と魅力を放つ。

こんな俳優さんは過去も現在もほかにいない。

「自然な佇まい」という意味では近いのは故・笠智衆さんかな、と思うが、「静」な笠さんとはまた違い、「静」だけでなく、「動」も秀逸な表現を魅せてくれる。

それで、ベスト・オブ・高倉健さん映画は何だろう?と考える。

僕的には、山田洋次監督作品「幸福の黄色いハンカチ」と「遥かなる山の呼び声」が双璧。この2本は何度観てもさまざまな発見があり、今、思い出しても心に染みる。

このほかにも、東映時代後半に犯人役として強烈な印象を残した和製パニック映画の大傑作「新幹線大爆破」や東映退社後、任侠映画のイメージを見事に脱却したアクション映画の秀作「君よ憤怒の河を渉れ」などがすぐに思い浮かぶが、降旗康男監督とコンビを組んだ作品群はとくに忘れがたい。

その中で、比較的近作の「鉄道員(ぽっぽや)」や「駅 STATION」「居酒屋兆治」「あ・うん」などの作品が思い浮かび、とくに「鉄道員(ぽっぽや)」は僕的に思い入れが深いが、僕が個人的に大好きなのが、1978年公開の「冬の華」だ。

この作品、健さんが演じているのは寡黙で誠実なヤクザなのだが、東映退社以来のヤクザ役。前年が「幸福の黄色いハンカチ」と「八甲田山」で、そのあとが「野性の証明」「動乱」「遥かなる山の呼び声」だから、すでに新たな魅力が大爆発していた健さんだが、新網走番外地シリーズで組んだ降旗監督が、倉本聰脚本で、古巣の東映でありながら、かつてのヤクザ役とはまた違う健さんの魅力を引き出そうと取り組んだ作品ではないか、と思う。

組織を裏切った男を刺殺し、服役して出所した男。男は、美しい高校生に成長した殺した男の娘を陰から支えていた。任侠を重んじる男の生き方が時代に合わなくなったとき、男は再び修羅場に向かう…。

健さんに陰ながら支えられる池上季実子が美しく、どんだけお嬢さんなのよ!とツッコミたくなるほどのお嬢様ぶりを見せるのだが、彼女に対する贖罪の気持ちを心に秘め、その不器用さから、すれ違う健さんの姿がたまらない。

彼女がよく通うというクラシック音楽専門の喫茶店を訪れる健さん。場違いな雰囲気に戸惑いながら、そこで、ひとときの安らぎを感じていく。彼女と顔を合わせ、彼女も自分が慕う「おじさま」に違いない、と思いながらも言いだせず…健さんは会釈だけして、店を出ていく…もう、思い出しただけでも、心が熱くなる。

映画の中で、出所した健さんが親分から年齢を聞かれて46歳と答えるシーンがあるのだが、僕の今の年齢である。何と、この映画の健さんに比べて自分は幼稚なのだろう、と思ってしまう。
3


今年の1月、池田敏春監督が亡くなられた、というニュースを見て驚いた。

まさに“伝説”となった代表作「人魚伝説」(1984年公開)が撮影された伊勢志摩の海で亡くなられた。

これまた快作「死霊の罠」は、まさに日本人しか描けないモダンホラーだった。猟奇的で、でも悲しいサスペンスなどを撮らせたら、池田監督はピカイチだった。

その「人魚伝説」、今観てもスゴイ。これほどの猟奇アクション映画は、もうこれからの日本映画では観られないし、製作できないのでは、と思う。

昨今の韓国映画で「いいな」と思った「チェイサー」「母なる証明」「息もできない」は、いずれも、そのすさまじいまでの暴力描写がひとつの特徴だ。でもその「暴力」には意味があり、意味を持つからこそ、観客には「痛み」が伝わる。

この「人魚伝説」は、かつての日本映画にもあった、猥雑なパワーが満ち溢れていて、スプラッター描写にもまったく遠慮がない。実は、当時の気鋭の監督たち9人が立ちあげた映画製作会社、ディレクターズ・カンパニーの第1回作品だったのだ。

10年ほどでこの会社は無くなってしまうのだが、映画監督たちが自分たちが創りたい映画を作るために設立した画期的な製作会社であり、個性的な作品を次々と産み出し、その記念すべき第一弾が、ただひたすらに殺された夫の復讐をしようと、大きな権力に立ち向かうことになる女性を描いた「人魚伝説」と言うのも、象徴的だ。

主人公は海女。夫が何者かに殺され、海女もまた殺されかける。まちにはレジャーランド建設の計画があるが、実はその計画は原発の建設計画のダミーで、利権ほしさに地元代議士、地元土建屋が絡み、漁師の夫はその陰謀に巻き込まれて殺されたのだ。海女は、夫の復讐を果たそうとする…。

海女を演じる白都真理が美しい。脱ぎっぷりもよく、肉体に無駄がない。復讐に突き進むその表情がはかなく、見事な水中撮影による海のブルーがまた切なさを生む。寓話的な要素もあるのだけれど、血のリアルさと、人の強欲さを強調した演出はインパクトがあり、その中で殺戮を繰り返すヒロインの姿に、情念を感じる。

彼女を突き動かしているもの。それは夫への純粋な想いのみなのだが、それがやがて、原発計画による利権をむさぼる権力を破壊していく。池田監督が今の原発事故を見たら、どう思うだろう。映画では誇張はあるものの、原発計画に利権が絡む、という点はリアリティがある。今を予見しているようでもある。

残念ながらDVDは廃版になっているようだが、今も置いてあるレンタルビデオ店はあるだろう。今の時代だからこそ、再び観たい映画の一本である。

池田監督の作品に大きく関わっている、白鳥あかねさんを、今春、周南映画祭実行委員会主催のイベント「春のシネフェスタ」におよびし、トークショーの司会をさせて頂き、打ち合わせの時、池田監督について色々と語って頂いた。とある映画雑誌に、追悼の記事も書かれたそうだ。

映画黄金期時代に日活のスクリプターとして活躍し、現在は脚本家としても活躍されている白鳥さんは、この「人魚伝説」をはじめ、池田監督の作品に多く参加されている。「死霊の罠」では過酷な条件に次々とスタッフが降板する中、池田監督を白鳥さんが支えながら完成させた、という。

「人魚伝説」のお話も色々と伺った。この映画も現場は大変だったようだが、池田監督をはじめ、製作者たちの熱さと心意気は、今も作品に刻まれている。海深く潜り、復讐に疾走するヒロインは、正に当時の池田監督をはじめとする、ディレクターズ・カンパニーの映画監督たちの心意気そのものだったのだろう。

毒を吐く日本映画は今もあるし、凄惨な暴力を描く日本映画も、存在する。でも、そこにどれだけの作り手の“志”や“心意気”、または社会的なメッセージも込められるのか。娯楽映画ではあるが、再び「人魚伝説」を観て、そんなことを感じた。
1

スカイライン−征服−  新作レビュー

★★★

ちょっぴり、おバカなSF侵略映画の快作。

僕は大いに楽しめたのだが、ネットのレビューなどで評判がブチ(山口弁ですごい、という意味)悪いのにビツクリ。

いやあ、どんどんテンポが快調に進んで、あれよあれよという間に宇宙船がロスアンジェルスにやってきて、地球が征服されてしまう。

民間人の目から見て話が進む、という点はスピルバーグ版「宇宙戦争」とJJエイブラムスが「ゴジラ」にインスパイアされて作った「クローバーフィールド」と同じ。

でも、風呂敷広げ過ぎでグダグダの「宇宙戦争」や、素人カメラ目線が疲れる「クローバーフィールド」より、僕はこっちが断然好き、だ。

特撮技術は低予算ながら近年では最高峰だし、人間ドラマも極力登場人物を抑えながら、緊張感と想像を観客に与えてくれるよう作り込んでいる。

ラストに唖然なのだが、ここは監督の遊び感覚爆発、なのだろう。そんな、細かいことなんて言うなよ!オレたちはこんなどこかで観たかもしれないけどこんな映画が作りたくて作りたくてたまんなかったのさ!!!パワーにあふれている、正に快作なのである。
1

ゴーカイジャー ゴセイジャー 199ヒーロー大決戦  新作レビュー

★★★

スーパー戦隊シリーズ35作記念作にして、東映60周年記念作品。

東映は1951年、東横映画と東京映画配給と大泉のスタジオを所有していた大泉映画という3つの会社が合併して誕生した。

まず時代劇で人気を呼び、任侠映画で一時代を築き、エロ路線を経て、実録ヤクザ路線のあとは角川映画との提携やアニメーションなどで実績を積む。娯楽性と個性が強い作品を産み出した要因は、先日亡くなられた元会長で名誉会長だった岡田茂氏の功績だろう。

最近は「仮面ライダー」「プリキュア」「スーパー戦隊シリーズ」こそが、実は東映の得意にして最大限に人をひきつけるコンテンツになっていることは間違いない。

中でも「スーパー戦隊シリーズ」は集団活劇であり、ヒーローたちが戦いの際に必ず見栄を切るところや、一種の様式美さえ感じる戦闘シーンなどは、明らかに東映時代劇のパターンを踏襲しており、こんなところに東映の歴史の重みを感じたりする。

そんな「スーパー戦隊シリーズ」35作記念の本作だが、映画の8割は戦いのシーンということで、もうお腹がいっぱいになってゲップが出るほど。子どもたちを飽きさせないように、という配慮なのだろうが、全編戦闘シーンでロケ地も苦労したことだろう。戦う場所は海辺から会社の中や江戸時代まで実に幅広い。

お話はテレビシリーズの「ゴーカイジャー」とリンクしていて、海賊であるゴーカイジャーは宇宙に散らばった過去の戦隊の力を持つ“レンジャーキー”を持っていて、過去戦隊の力を使って侵略者のザンギャックと戦っている。映画は34の戦隊がザンギャックを撃退し、力がレンジャーキーとなって分散してしまった、テレビ第1話で描かれた「レジェンド大戦」をゴセイジャー目線で描き、お話が始まる。

つまりは、力を失ったゴセイジャーがレンジャーキーを奪うためにゴーカイジャーと戦うところから物語が始まる。ここで前年と当年の戦隊が戦い、共闘するという、いつものVSシリーズになる訳だが、今回は記念作ということで、ここから過去の全戦隊が絡む。かつて子どもたちの心を熱くした、懐かしい顔ぶれも現われる嬉しい仕掛けもある。

ゴセイジャー、ゴーカイジャーがレンジャーキーを奪った敵によって蘇った過去33戦隊と戦うシーンや、歴代メカが勢ぞろいするシーンなどはこのシリーズを見続けてきた者にとっては感無量だろう。主題歌の使い方もツボにはまっていて、東映らしいケレン味は、時代劇で言うなら忠臣蔵の気分。

欲を言えば、過去の出演者たちにもう少し華のある場面を用意してほしかった。あと、このシリーズからはたくさんの著名俳優も輩出しているのだから、そういった方たちのゲスト出演も観たかったかな、と。

0

さや侍  新作レビュー

★★★

松本人志監督・・・。

以前、このプログで、「大日本人」を紹介したとき、ある方から言われた。

「大橋さんのコラムを読んで面白そうだったので観に行ったら、まったく※※※(自主規制します)で、どうしてくれるの!」と。

本当に申し訳ない限りで、映画の受け止め方は人によって全く違うので、ごめんなさい、としか言いようがないのだが、このプログを見て映画や作品に興味を持つ方もいらっしゃるのだ、ということを実感した瞬間でもあったので、どんな作品であれ、僕の感じ方をしっかり素直に書いて、あとは判断していただこう、と思ったのを覚えている。

まあ、「大日本人」は観る人を選ぶ映画だった。それまでの物語をあえて無視してぶち壊し、オチをつけた方法には僕も唖然としたが、それもまた監督の狙いなのだろう。その「狙い」をどう見るかは、ファンの自由なのだが、一般的に受け入れられるかどうか、と言われれば様々あると思うし、否定の方が多いだろうと思う。

あの映画は、特撮物として見るとアイデアもよく、なかなかの出来上がりになっていて、日本特撮の鬼才・雨宮慶太監督も「見るべき特撮映画」の一本に上げている。確かに、あの「オチ」が気に入るかどうか、なのだが、円谷着ぐるみ特撮が好きな僕は「アリ」だった。ちなみに、DVDはスペシャルエディションを持っています・・・。

さて、この映画第3作目「さや侍」だが、何となく気になって鑑賞。2作目の「しんぼる」は触手が動かず、いまだに観てない。

なかなか面白かった、というのが素直な感想。さやしか持たず、脱藩した武士が、母君を失った若君を笑わす「30日の業」に挑む。1日1回の芸をして、30日の間に笑わせなければ切腹になる、という仕掛けだ。

主演の侍は一般のおじさんだという。おじさんには脚本も渡さず、シチュエーションだけ伝え、自由に演じてもらってそれをカメラですくい取る。そこに生まれる自由な面白さを狙う、という意味では是枝監督の子どもへのアプローチと、よく似ている。

この「30日の行(業)」、全然面白くない。

恐らく、面白くない、と観客が感じることを松本監督は計算しているのだろう。テレビならすぐにチャンネルを替えているところだが、入場料を払っている観客はそうも行かない。

業を行う主人公と同じで、観客も「業」に耐えるのだ・・・でも、実はこれがこの映画の味噌で、最後の最後に、主人公は登場人物たちと観客を裏切る行動に出て、そのまたあとに、意外ながら感動のカタルシスが待っている。

このカタルシスは、30日の業を耐えた観客にしか味わえない。すぐにチャンネルを切り替えられるテレビとは違い、「映画」であることを活用した、松本監督ならではの「映画」へのアプローチだろう。

松本監督はにくまれキャラらしく、週刊誌などでよく叩かれる。この映画も、週刊誌で北野武監督と比べて皮肉る記事を複数見たが、作品の内容の批評というより、誹謗中傷に近いものがある。こういうことに限らず、映画は映画を見てから批判してほしいなあ、と思う。

それらの記事の中に「松本監督の作品は映画文法を無視している」というのがあったが、そもそも「映画文法」とは何だろう。確かに僕にもある程度の映画の観方、基準というのはあるが、頭からそう決めつけて批判するのもどうだろう、と思ってしまう。まあ、いろいろな観方はあっていいのだけれど。

そういう意味では、松本監督ならではの「映画文法」が味わえるこの「さや侍」、僕には楽しかったのである。ただし、冒頭のギャグは不要だと思うけれど。もしかして、ここも観客に課せられた「業」なのかも。
2

リアリティ  映画つれづれ

最近の映画を観てて、思ったこと。

「リアリティ」は大事だな、と。

観客は、様々な気持ちで「映画」を観ている。そして、様々な感情や想いを、「映画」によって思い起こさせ、魂が震えたりするのだ。

だから、そこで描かれている世界は。あるていどの「リアリティ」がないと、感動しないと思う。

当然、スポーツを扱っている作品なら、観客が過去に経験したり見たりしたスポーツが「感動」の基準になるだろうし、恋愛物や人間ドラマなら、過去の恋愛や、人と人との関係の中で感じた感情がその基準になるだろう。

だから、観客である僕たちが感じる「リアリティ」が、映画にとって、かなり重要な要素になってくる、と思うのだ。

じゃあSFやファンタジー、アニメはどうなの?ということだが、完全な架空の世界であっても、そこに「人」(あるいは動物や人じゃないキャラクターでも、擬人である場合は人と同じだ)を描いている以上は、「リアリティ」は必要であって、名作と呼ばれるファンタジーやSF物は、すべて人の匂いや想いに満ち溢れ、「リアリティ」を感じる作品ばかりだ。

時代劇や過去を扱った作品でも、実は史実から見れば間違いだらけ、ということは多々ある。たとえば江戸時代の女性は今のような化粧ではないし、馬もあんなに大きくなかったはずだ。でも、それは今の「リアリティ」に寄り添って作っており、だからこそ「感情移入」できる場合もある。

逆に、何気ない描写で、かえって「リアリティ」が失われる場合もある。「この胸のときめきを」という作品があった。素敵なタイムスリップ物の恋愛映画で、「ある日でこかで」にインスパイアされたのかな、とも思われる大好きな作品だが、この作品は北九州市門司を舞台にしていて、1970年代の話なのに、下関市の海響館がバックに写り込んでいるのである。ほほえましくはあるが、こういうことがあると、!とは思う。確信的に(演出として)時代劇に現代の風景を出したりするのとは、ちょっと違うと思う。

で、最近観た映画で気になったのが、レビューでも書いた「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」と「ブラック・スワン」。

「もしドラ」は、魅力的なアイドル映画として成功しているし、マネジメント書から得た発想で野球部が強くなる、というユニークな発想が物語展開にも効いているのに、肝心の野球シーンがペケペケなのだ。これは、惜しい。

田中誠監督は、野球場の雰囲気や応援団を含めて、一般的な高校野球部をリアルに表現しようとしていて、そこは成功している。ここのところは同じTBS製作で「野球映画」の枠を超え、驚愕のファンタジーと化し、これはもはや「映画」と呼ぶにはこれまでの「映画」に失礼だろう、という領域まで昇華した「ル●●ーズ−●●−」に比べれば一億倍いいのだが、そこまで作っているからこそ、投手役の俳優に明らかに野球経験がないのが、スクリーンから伝わるのはちょっとなあ、という感じなのだ。

かつて、佐々部清監督は「チルソクの夏」のとき、陸上部員の女子高校生たちをキャスティングするとき、演技より、まず、本当に走れるか、跳べるか、ということを重要視したという。スポーツを扱う場合、この基本がしっかりしてないと、物語が良くても、そこの「リアリティ」のなさで、観客は「映画」の世界から現実に引き戻されかねない。

でも、映画館の中だから、そこは黙って目をつぶれば楽しめないことはないのだが、やはり、観客に作品を届けるとき、フィクションだからこそ、現実感はこだわってほしいなあ、と思うのだ。

「もしドラ」の前田敦子氏は作った感じもなくて好演だったが、打席に立つシーンがあって、小学時代、実はチームの主力打者でした、という設定で、そこはこの映画でも重要なポイントなのだが、申し訳ないが、やはり経験者にはどうしても見えない。

そこは少年野球だから、と言われる方もいるかもしれないが、少年野球はスゴイ、のである。僕の小学5年の息子はピッチャー、4年の息子はキャッチャーをしているが、毎回試合を見に行くたび、その少年野球界のレベルの高さにはびっくり驚きである。

資料によると、「もしドラ」の出演者たちもかなり野球の特訓はしたみたいだが、リアリティを感じるところまで達しなかったのは、少し残念だな、と思ってしまった。

そこで、「ブラック・スワン」である。

ナタリー・ポートマンは1年間かけてバレエの特訓に励み、バレエ・ダンサーとしての身体を創り上げ、映画の中で(例え吹き替えがあったとしても)『本物』に見える、リアリティのあるバレエを見せて(魅せて)いる。これは凄い。

いろいろ書いたが、「もしドラ」は青春映画として好きな雰囲気を持っているだけに、ちょっと感じたことを書いてみました。

ところで、あっちゃんは可愛いが、「もしドラ」で親友役の川口春奈氏が可愛いのに、ちょっとドキドキ。あと、特撮オタクとしては、「獣拳戦隊ゲキレンジャー」のゲキレッドを演じた鈴木裕樹氏が、まったく違うイメージでドラッカーおたくの野球部員を演じてビックリした。

※お詫びと訂正
記事中の映画タイトル「この胸のときめきを」は、「この胸いっぱいの愛を」の間違いです。また文章で「1970年代の話なのに」とありますが、「1980年代」の間違いでした。訂正するとともにお詫びします。今後、作品タイトルや内容、俳優名、監督名等を記す時には、より一層の正確さを期して参ります。どうぞよろしくお願い申し上げます。

マニィ大橋
3

もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら  新作レビュー

★★★

安易な企画物かと思いきや、なかなかどうして、日本製アイドル映画の王道を行く、見応えのある青春映画だった。

僕はAKB48がどっちを向いているかも知らないし、周南映画祭実行委員会を代表して審査員として出席した東京スポーツ映画大賞の授賞式で高橋みなみ氏を生で見ても別に興奮することはなく、その話をしたら小学5年の息子とその友達が異常に興奮してうらやましがられたぐらいだが、この映画は好きな「タナカヒロシのすべて」「うた魂♪」の田中誠監督ということで観に行った。決して、前田敦子氏を見に行ったのではないので、そこんとこヨロシク。(表現が古い)

「ドラッカー」の理論を高校野球で実践する、という発想がユニーク。それで美人マネージャーに引っ張られてみるみるうちに野球部が強くなるのだが、田中監督らしい、ユニークな掟破りの演出に、ホロリとする展開もあって、最後まで面白く見せてくれる。

残念なのは、個人的に「野球部の定義」は「感動を与えること」ではない、と思った点と、野球シーンの弱さなのだが、出演者たちの野球経験不足は、何とか演出でカバーしている。

でも、試合中、ケンカをしたり、仲間うちの葛藤があっても審判や相手チームがじっと待ってくれていたり、あと1球でゲームセット、というところでピッチャーが感動して泣き崩れ、チームメイトがそれに共感して泣く、ということはないので安心を。

それと、少し尺が長いかな。最近の映画はやたら2時間を超えるものが多いが、もう少しスピーディーな編集はできないものだろうか。もう少し締めると、もっと良くなったのでは、と思ってしまった。言うのは簡単なのだけれど。

あと、大泉洋氏がいい味出している。

…これでやっと、観たペースにレビューが追いつきました。フー。
2

アジャストメント  新作レビュー

★★★

「ブレード・ランナー」などのフィリップ・K・ディック原作ということで、ハードなSFサスペンスアクションを期待していたが、ちょっと予想と違った。

ただし、サスペンス絡みの恋愛映画という見方をすれば面白い。

運命を操作する敵の姿の設定がもう少しハードなら、まだまだ抜群に面白くなったのでは、と思ってしまった。

マット・デイモン扮する主人公がオイタもずいぶんした最年少の国会議員、という設定が、定められた運命に挑戦する男、という物語に効いている。

ただし、選挙に落選した理由が下半身露出だったり、運命のバレエダンサーと出会う場所がなぜか男子トイレだったり、真面目な映画なのに、どこか変態チックな香りが漂うのね、これが。

まあ、主人公の過ちというのも、ストーリーの重要なぽいんとなのだけれども。あと、後半の「どこでもドア」チェイスが面白い。

0

ブラック・スワン  新作レビュー

★★★★★

痛い、痛い映画。身体の傷も痛いが、心の傷も痛い。

こういう、人の二面性を“痛く”描いた映画は過去にもあったが、この映画では、不安をあおる手持ちカメラでの映像と、VFXも駆使したホラー映画調の演出が、そんな痛みを執拗に、偏執狂的にこれでもか、これでもか、と描く。

恐らくそれがダーレン・アロノフスキー監督の狙いだろうが、これは好き嫌いが分かれるだろう。後半は完全なるホラー&サスペンスなので、ダメな人は絶対にダメだと思う。ちなみに、僕は『好き』である。これは好みの問題だと思う。

バレエの「白鳥の湖」と現実の物語をマッチさせていて、白鳥と黒鳥の対比を人間に置き換えている。バレエに限らず、「踊り」とは官能的であると僕は思う、クラシック・バレエが持つ清潔さと妖しさもまたこの映画の魅力だろう。

ナタリー・ポートマンが凄い。文字通り体当たりの熱演で、バレエのシーンのみならず、凄まじいまでの女性が持つ狂気と嫉妬を表現している。あと、ウィノナ・ライダーがおばちゃんになっているのにビックリ…でした。

同じ監督の「レスラー」も傑作だったが、肉体を鍛えた人の破滅性という点では共通点もある。

0

プリンセス トヨトミ  新作レビュー

★★★

もの凄い期待値で観たのでこの評価なのだが、面白いのは面白い。

父と子、というテーマもいい。

堤真一氏、綾瀬はるか氏、岡田将生氏のトリオは絶妙で、おかしみもあって、魅力的なキャラクターを創造している。重要な役を演じる、中井貴一氏も抜群の存在感だ。

ただし、せっかくの設定と奇抜な物語なのに、もう少し見せ方と物語展開に工夫をすれば、もっとワクワクしたのに、という感もある。

バリバリのメジャー映画なので仕方ないかもしれないが、感動的な展開に特化しすぎて、割と安易なツッコミ所を作ってしまったのは惜しい。

ただし、綾瀬はるか氏が見せるシーンは男性ならば必見。ちょっと不謹慎だが、これもまた映画の魅力だから仕方ない。ここをある週刊誌が特集していて、映画評論家の秋本鉄次氏が詳しくそこを解説していたのが、おかしくて仕方なかった。

秋本氏、キネマ旬報の連載も大好きだったが、こういう映画のエロ系話になると、必ず真面目に批評しているのがおかしい。

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八日目の蝉  新作レビュー

★★★★★

「津軽百年食堂」のレビューと矛盾しているようだし、誤解しないでほしいが、「泣ける映画がいい映画」とは限らないものの、「泣けるいい映画」はこの世にたくさんある、のである。そういう意味で言うと、この映画は「泣けるいい映画」である。僕が今年、今の時点で一番スクリーンの前で泣いた映画はこの映画である。

映画を観たあとで原作を読んだが、上手い、と思った。小説は小説で味わいが深いが、この映画版は原作とは違うアプローチで人の破滅と再生を見事に描いている。

愛人の子を誘拐してしまう女性。映画は事件から20年後、成長した、誘拐された女性の目線から終始、物語が語られる。罪は罪、という非情さも描きながら、人の生き様こそが人の気持ちを揺さぶり、生き方を決める、という人生の深さが描かれる。

永作博美氏の評判がいいが、現代パートの井上真央氏がいいから、過去のシーンにぐっと来るのだと思う。ラストの井上氏のセリフが胸を打つ。

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津軽百年食堂  新作レビュー

★★★★★

最近、泣ける映画がいい映画、という困った風潮がある。とくにアクション映画ではない、家族や恋人同士の人の絆、愛情を描いたような映画で「泣けないのはどうよ、」という風潮は、本当に困ったものだと思う。

この映画、家族の絆や恋を描いているが“泣ける”というタイプの映画では決してないが、人が踏み出す様を、丁寧に描いている。クライマックスのあとのラストカットも、あえてベタな感動を避け、心地よい余韻を追求している。これは作り手も意識している、と思う。

その、成長をしっかりと描いている点に、泣けずとも心が温かくなり、元気が湧いてくる。これこそが映画の醍醐味でもあり、心地よさであり、力でもある。

主人公は津軽の食堂の四代目。東京でバルーン・アーティストをしながら夢を見ているが、同郷の女性とルームシェアをすることになる。故郷の父親が倒れ、帰郷して店を切り盛りすることになるが…。

ただ単に主人公が実家を継ぐことを嫌っているのではなく、就職難から一度店を継ぐことを決意したものの、「店を軽く見るな」と言う父親との確執から家を出た、という点がポイント。この三代目の父親が決して店を継ぎたくて継いだ訳じゃない、という設定も効いていて、大森一樹監督の丁寧な演出が光る。

この物語に、初代の明治の話が絡んできて、このパートが映画全体に深みを出している。観光PRの目的もあるとは思うが、弘前の桜も美しい。大森監督が手がけた傑作「恋する女たち」などの青春映画の香りもあって、オリエンタルラジオの藤森慎吾氏の素直な演技に好感が持てる。

大森監督に直接お話を伺ったのだが、この映画はキャスティング、ロケ日程などが決まった時点でオファーがあったのだという。そこから監督が脚本に手を入れ、創り上げた。

監督を引き受けた理由が「過去と現代を行ったり来たり、大好きな『ゴッド・ファーザーpartU』がやれる、と引き受けた」というから、映画フリークとして有名な大森監督らしいなあ、と思った。

この映画は山口県でのキャンペーンを僕が企画させて頂いたのだが、キャンペーン中、キネマ旬報映画検定一級でもある大森監督と様々な映画の話をさせて頂いたのは、本当に光栄だった。僕は3級なので、「1級凄いですね」と言うと、「一級言うても、テキスト読んで、受験勉強すれば通るんやから。映画に愛を持っているか、これが大事だよ」との言葉に大納得。これからも、映画に愛を持ち続ける、と誓いました。

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英国王のスピーチ  新作レビュー

★★★★★

堂々として、かつ淡々としているが、じんわりと心に染みる。コリン・ファースとジェフリー・ラッシュの名演が光る。

国民にスピーチをする立場にありながら、吃音がひどく、スピーチが苦手な王。彼の治療に向き合うセラピストと王の友情が軸だが、困難に立ち向かい、克服しようとする“人の様”がユーモアの中にも感動的に描かれ、その真摯な姿に感動する。

上手に喋ることが“上手いスピーチではない”。王が「彼はスピーチは上手い」とつぶやく、ヒトラーのスピーチ映像が印象的。全く違うが、チャップリンの『独裁者』を思いだした。

意外にも僕の周囲には否定的な意見をする方が多いが、アカデミー賞も納得の秀作。

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奇跡  新作レビュー

★★★★★

ドキュメンタリーのように子どもたちの気持ちや表情を追いながら、大人たちがしっかりとした演技で脇を固める是枝裕和監督の演出が光る。

「誰も知らない」もそうだったが、あの作品と違うのは、映画全体を覆う雰囲気と子どもたちのエネルギーが向かう方向性が負に向かっていたのに対して、この作品はプラスの方向に向いていることだろう。

主演であるまえだまえだの2人は有名な小学生お笑い芸人だが、テレビで時折感じる“大人のような子ども”の感じはまったくなく、兄は繊細な表現を、弟は無邪気で子どもらしい“演技”を見せる。

是枝監督に直接お話を伺ったが、監督ご自身が父親になった、ということが「誰も知らない」のころとはまた違う、子どもたちに寄り添う映画に繋がった、ということだった。

この映画で子どもたちは冒険をする。どこか危なげなカメラワークと、繊細な子どもたちの様を捉えていることもあって、その行方と、タイトルでもある「奇跡」がどのように起こるのか、我々はハラハラしながら見つめている。

これは是非、劇場で観てほしいが、ゴールにある「奇跡」に、僕は号泣した。何気ない日常をきちんと描いた「映画」はやっぱりいい。子どもたちを温かく見守る大人たちの姿は、映画を観ている僕自身なのだ、と思わせてくれる心地よさが、この映画にはある。

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