あしたのジョー  新作レビュー

★★★★

誰もが知っているコミックの映画化は、少々粗雑でも許された70年代のプログラム・ピクチャー的なコミック映画化作品ならいざ知らず、マーケティングがしっかりしないとなかなか企画が動かない現代においては、とくにメジャー配給の場合、ハードルが高かろう。

そんな中で「宇宙戦艦ヤマト」や「あしたのジョー」が実写映画化されるのは、幅広い層を狙う、ということもあるだろうし、こうした作品に影響を受けて育った世代がプロデューサーとなり、「映画化したい!」という情熱と、「懐かしのアニメの映画化はヒットする」というマーケティング結果を受けての配給会社、今やメジャー大作では欠かせないテレビ局の考えが一致したがゆえの理由だろう。

日本のメジャー作品は、一部を除いて、まだまだテレビ局主導の製作委員会方式に寄るところが大きい。大宣伝をして、幅広い世代を集めるという意味では「誰もが知っている」コミックやアニメは開拓しやすいジャンルであることは間違いないだろう。

僕は、こういう流れを批判するつもりはないし、もともとアニメ・コミックファンの僕としては、自分が大好きな世界がもっと大好きな「映画」としてどう蘇るか、はとっても興味がある。

テレビ局主導の映画製作も、幅広い層の観客動員という意味では意義がある。ただし、あまりに最初にコミックの原作ありき、テレビ局の主導ありきでは、企画が安易になったり、作品の質の低下を招きかねない面もあり、そうした映画ばかりでは、やがて観客離れが起きるのではないか、と危惧する。

実際、そういう動きが出ており、だからこそ、昨年テレビ局が製作委員会に入らなかった東宝の「悪人」や「告白」は意義もあった。

こういう動きとは別のところで、日本映画の興業収入全体が上がる中、スクリーン数の増加もあってか、この数年、さまざまな製作会社が個性的な作品を産み出す傾向もあった。しかし、ここ数年は、日本経済の全体的な不況で小さな製作会社や配給会社が倒産する傾向もあり、3月の震災以降、多くの映画製作に影響が出ないか心配だ。

それでもごく最近も、日本映画は個性的な作品が次々と発表されている。一昨年から昨年にかけて、上映時間が長いながら強烈な作家的な個性が爆発した「ヘヴンズストーリー」「愛のむきだし」などの作品が注目されたことは記憶に新しい。

瀬々敬久監督も、園子温監督も、メジャーでの監督経験がある監督さんであり、こうした監督が自分の撮りたい作品を撮り、そうした作品に出資をして配給する会社があることは、大変に素晴らしい。

このほかにも気鋭の作品は日本映画、外国に関わらず、たくさんある。ただし、そういう作品はシネコンでかからないし、なかなか一般のファンは観る機会が少ないのも事実である。

都会の単館ならまだしも、地方ではなかなかお目にかからない。DVDになるまで鑑賞できないのが現実だ。ただし、僕の持論では映画は映画館でかけるために作ってるソフトであるので、これをモニター画面で鑑賞するのは、これは「映画」ではない。だから、できるだけ劇場で観るべきだし、観たいし、観る機会を作ってほしい、と心から思うのだ。

要は、まちのシネコンや映画館でも、もっと幅広い作品を上映してほしいし、需要がないから供給もないのだから、映画を好き、という方は、是非幅広い映画を観てほしい、と願う。

そういう意味では、僕が住んでいるまちは、7スクリーンのシネコン「MOVIX周南」があって、すぐ隣りのまちには単館系の作品を中心に、国内外の新作名作を上映する「テアトル徳山」があるので地方としては異例の理想的な映画環境と言える。

おっと、これは「あしたのジョー」のレビューだった。

話をコミックやアニメの映画化に戻そう。(まだ、あしたのジョーの話になりません)日本のコミックやアニメのコンテンツの質の高さには、ハリウッドも注目している。

でも、ハリウッドが映画化しちゃうと、思い入れがない分、ハリウッド的予定調和映画にズタズタにされてしまう例が多い(今のところ)。

「ドラゴンボール」などはその最たるものでし、テンマ博士が好人物になったお陰でお茶の水博士の出番がなくなった「ATOM」や逆に監督のオリジナルへの偏愛が凄すぎて一般映画ファンがドン引きしてしまった「スピードレーサー」などは、ちょっと違うかな―、という感じだ。

そんなハードルの高いコミック・アニメの実写映画化だが、実は、冒頭に書いた「少々粗雑でも許された70年代のプログラム・ピクチャー的なコミック映画化作品」には、今観るとビックリするものの、なかなかの猥雑なパワーに満ちあふれた快作が多く、今時、こんなエネルギッシュな映画群はお目にかかれない。

コミックの映画化ではないが、「ゼブラーマン」シリーズやそれこそ往年のギャグアニメの映画化「ヤッターマン」などの三池崇史監督作品にそんなエネルギは感じるが、かつての作品群の凄さを思うと、まだまだ甘いぜ!と思ってしまう。

代表的なのは、東映で数々のプログラム・ピクチャーの傑作を撮った、鈴木則文監督と、山口和彦監督の作品群だろう。

鈴木監督は、「ドカベン」から「コータローまかり通る」「伊賀野カバ丸」など、実に幅広いコミックの映画化に挑戦している。どの作品も原作のテイストを活かしながら、大胆な表現とコミカルな活劇で異彩を放っており、娯楽映画としての質の高さはもっと評価されていい。山口監督も「サーキットの狼」や「こちら葛飾区亀有公園前派出所」や「ビグマグナム黒岩先生」などの快作を監督している。

…ということで、実は、「あしたのジョー」も原作発表時の70年代に実写映画化されている。それも、構成は今回の映画版とほぼ同じ、力石戦まで。

実は旧作版は、「野良猫ロック」シリーズや僕が大好きな「化石の荒野」、映画版第1作「あぶない刑事」などの監督で、テレビドラマ「大都会PARTU」「西部警察」など、キレのいいアクションでは定評があった、故・長谷部安春監督の作品なのだ。

この旧作実写映画版「あしたのジョー」も、雰囲気は70年代テイスト爆発だが、ボクシングシーンの迫力や小気味のいいアクションは、長谷部監督の特徴が現れていて、よく出来ている。

それで今回の作品だが、拳闘映画だけに、健闘していると思う(スミマセン)。CGが得意な曽利文彦監督だが、今回は肉体のぶつかりあい、リアルな表現に徹していて、そこは成功している。

現在から見ると、ボクシングのリアルさでは正直?な部分もある「あしたのジョー」の世界を、その魅力を失うことなくリアルな「ボクシング」を見せることに、この映画は徹底している。そのうえでの出演者の身体の鍛えだろうし、とくに力石を演じた伊勢谷友介氏の身体の作り方はスゴイ。これだけでも一見の価値があり、ロバート・デ・ニーロの「レイジング・ブル」を思わせる。

ドヤ街のセットが実によくできていて、ここは美術スタッフの勝利だろう。この舞台と時代背景があってこそ、の「ジョー」だろう。物語はほぼ原作通りなのだが、驚いたのはヒロインの白木葉子の設定を、原作やアニメと根本的な部分で変更していることだ。この変更が効いていて、なぜ、お嬢様がボクシングやジョー、力石にこだわるのか。そこに新たな視点を加えたことで、ドラマチックにすることに成功している。

「あしたのジョー」は、アニメ版も傑作だった。とくに「あしたのジョー2」はテレビ版も劇場版も大傑作で、つい先日急逝された出崎統監督の演出は斬新で抜群だった。出崎監督の追悼レビューはいずれ書きたい。

個人的には、ホセ・メンドーサ戦前の控室から世界戦にいたるシーンが大好きなので、是非、同じキャストでパート2を作ってほしいものである。

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