東京家族  新作レビュー

★★★

小津安二郎監督の「東京物語」を、現代を舞台に、新たな味付けで、というのは、松竹の伝統である正調大船調を正統に受け継ぐ山田洋次監督だからこそ許されるのだろう。

家族構成の一部変更や東日本大震災など、山田洋次監督版は現代的なテイストを付け加えているが、両者を見たとき、どちらがいい、とか悪い、という単純な比較ではなく、オリジナルの「東京物語」の方が、実はきわめて「現代的」だというふうに思う。

山田監督の「東京家族」は、老夫婦を邪険にしながらも、出てくる人物はみんなどこか優しい。「温かみ」があるのである。実は、物質的に豊かな現代の方が、「家族」の繋がりを求めているのか、それとも山田監督自身が、その繋がりをあえて「東京物語」の舞台設定を借りて描いて見せようとしているのか。正直、「東京物語」の方が、今から60年以上も前の作品でありながら、家族故の底知れない非情さや冷徹さ、そして悲哀を描いている。

生きていくうえで不可欠な「家族」とは何なのだろう、ということを鮮やかに問いかけてくるのである。

この「東京家族」もそこは同じである。「家族」って何だろう、ということがひとつの家族のドラマを通して語りかけ、考えさせてくれる。

しかし、テーマは同じでもアプローチが違うので、だから、この作品は「東京物語」のリメイクとは言えないのだろう。リブートとも違う。「東京物語」という作品は最近も幾度となく話題にのぼっており、先述のように、今もなお、現代の僕たちに「家族とは?」と問いかけているように思う。そう考えると、単なるホームドラマのようでいて、この映画が実に社会の先端を行っていたことが伺える。

その問いかけに対して、デジタル化をはじめとする変わらざるを得ない今の映画界にあって、小津監督がいた時代から今に至るまで現役の映画監督としてあり続けている山田洋次監督は、考えてみれば一貫して「家族」を描いてきた監督である。

高度経済成長期にあって、多くの「日本人」が「家庭」に重心を置かなくなっていく中で、山田監督は社会からドロップアウトしようとしても家族の束縛から離れられず、実はそれが自らのアイデンティティーとなっている、寅さんを描いて見せた。日本中どこをほっつき歩いても、寅さんは必ず柴又に帰ってくる。どんなに傷ついても、寅さんを癒してくれるのはさくらであり、とらやの「家族」だった。

今また、日本の「家族」の在り方が問われ、揺らいでいる。その中で発生した東日本大震災。山田監督が今の時代に、あえて「東京物語」の世界観を引き継ぎながらも、自らが「東京物語」が問いかけた問題に、現代から答えをが出した、と言うより、出さざるを得なかったひとつの「回答」が、この映画なのかもしれない。松竹の日本映画の屋台骨を長年背負っている山田監督にとっては、自社の過去の名作と向き合うことは、何としても「通らなければならない」道だったのかもしれない。

しかし、それでいながら、山田監督は、若手の妻夫木聡、蒼井優に比較的のびのびと演じさせている(ように見える)のに対して、橋爪功の父親、息子の西村雅彦をはじめとする周囲の家族の演技アプローチは、明らかに「東京物語」のオリジナルキャストを意識して演出しているように見える。それぞれのカット割りやカメラポジションなども、あえて「東京物語」と同じアプローチを試みており、そこから見える「全く違う何か」を浮かび上がらせようとにも見える。

ただし、それが必ずしも、成功している、とは言えない部分もある。どうしても「東京物語」と比べてしまうから、別作品に仕上げているからこそ、余計に比べてしまい、そこに多少の違和感を感じるのは僕だけだろうか。そういう意味では必ずしも成功しているとは言えない企画ではある。

しかし、この健全な「家族」を経て、山田監督は次回作の「小さいおうち」では過去と現代を繋ぎながら、「家族」が抱えた「闇」を描いている。「小さいおうち」は「家族」映画としては最近にない傑作だと思ったが、「東京家族」から「小さいおうち」へと流れて行ったその“経過”に強い興味を覚える。

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