闇の子供たち  DVD・ビデオレビュー

見た日/3月某日 ★★★★

DVDで、やっと見ることができた。

子どもの臓器売買、幼児買春をテーマにした作品。原作は小説で、映画もあくまでフィクションということだが、子どもの臓器売買の実態は分からないけれども、幼児売春の描写は現実的という指摘がある。

タブーに挑戦した、という意味で、この映画が製作された意義は大きい。撮影も大変だったと思われる。かつて、この映画と同じテーマで映画を作ろうとした海外のクルーが襲われた、ということもあったという。

以前、アジアでの臓器提供の現実を専門に研究している大学の教授を取材したことがある。その先生は現地調査を何度もしていて、その実態をアメリカの国会で証言したこともある。

そのとき、中国やインドでの衝撃的な臓器提供の実態を聞いて驚いた。中国では犯罪を犯した人たちの臓器が提供されていた例があったのだという。

この映画も、フィクションということではあるが、大人の欲望や利益のために、本来なら未来あるはずの子供たちの生命が簡単に扱われている、または扱われてきた、ということは事実として世界のどこかであったことだろう。恐らく過去も、そして現在も、どこかで起きているのかもしれない。

この映画で扱っている、組織的なビジネスとしての犯罪ではなくても、日本でも、子どもが犠牲になる痛ましい事件は、後を絶たない。あらゆる犯罪において、常に弱者である子どもが標的にされているという衝撃を、我々はどう受け止めればいいのだろうか、と思い悩んでしまう。

この映画の中で、子どもたちの臓器売買と幼児買春と対時していくのは、主に現地在住の新聞記者、若い女性のNGO職員、バックパッカ―的なカメラマンという3人の日本人だが、取材という形で事態が明らかになっていく過程は、ドラマとしても見応えがあり、阪本順治監督の手堅い演出が光る。

目の前の犠牲を救うよりも、事実を公表することで全体の連鎖を止めるしかないと考える新聞記者、真っ向から正義を主張する女性のNGO職員、自然体だったのが、撮影を通して現実を知りがく然とするカメラマン…とその3人の受け止め方は様々だが、それは同時に「闇の子供たち」に出会っていろいろな考えや思いに揺さぶられる、我々観客側の受け止め方でもある。

やがて、映画は衝撃的な結末を迎えるが、このラストは、貧困など国の「社会」が生んだと思われていた「闇」は、実は人の心の「闇」であることを、示唆してくれる。

人間の心に「闇」がある限り、こういう恐ろしいことは、どこの国でも、どの時代でも、起こりうるということを示している。

その「闇」は、僕の心にもある。


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見た日/3月某日 ★★★★

「いい」というのは聞いていたが、ここまでとは…。いやあ、泣かされた。

「高校野球」というのは、いわゆるベースボールとも野球とも違う、その存在がひとつのジャンルである、と僕は思う。

甲子園という絶対的な存在があり、そこには、巨大なビジネスが渦巻いている。学校は、甲子園に出場し、有名になるというメリットを得るため、様々な企業努力をする。とくに私立はその努力を惜しまない。

実はビジネスであることをみんな知りながら、それを誰も口にしない。マスコミも、親も、そして選手である当人たちも。でも、周囲はそこに「感動」を求めてくる。

選手たちも、そこにビジネスの匂いや虚しさを感じてはいても、そこは10代。ある種、ドライになりながらも、その「感動」に身を委ね、自分を投げ出し、ある意味犠牲にしていく。

言葉は悪いが、純粋さとそうでないものが共存していること、実はそのアンバランスさが高校野球の魅力だったりするのだ。

時折、そんな「ビジネス」とは全く関係ない、本当の純朴さを持った高校が甲子園に出場し、強豪校を倒したりする。だからまた、高校野球というものは、何とも言えない魅力を持つのである。

この映画は、そんな「矛盾」を抱えた、全国制覇が当たり前になっている、超強豪名門私立高校の野球部が舞台。レギュラーと補欠の間のキワキワの部員2人が主人公だ。

映画では「たばこは高校球児のサプリメント」なんて危ないセリフも出てきて、ある意味「高校野球」の真実の姿を伝えている。

試合やスタンドでの応援、普段の練習のシーンなどは、これまでの日本の野球映画の中でも最もリアルだと思う。時折、くだらないギャグを連発したりしながらも、選手にとって絶対の権力を持つ竹内力氏扮する監督もリアルだ。

ベンチに入っても、出場の機会などない。それでもベンチ入りを目指す2人。時には、お互いに「死ねばいいのに」なんて、本気で思うこともある。それでも、優しさを失わない、失えない、10代特有の、キラキラした感情。そこには、レギュラーも、補欠もない。

意外な伏線が見事に生きるラストが、実に素晴らしい。

一般的な常識が求める青春像とは関係ないところで、高校生たちは、ちょっと大人びたり、悪いことをしたり、大人を軽くみたりする。それでも、イザというときは、本気で青春に全てを賭ける。

ああ、そういえば、吹奏楽に青春を賭けた僕もそうだった。ちょっとワルびて、吹奏楽部を辞めた友達に、高校時代最後のコンクール前日に呼び出されたっけ。

ソイツの家で、お互いに酒を飲みながら、くわえ煙草で「俺はお前たちが許せない」「今日はお前をコンクールには行かせない」って話を、徹夜で聞かされた。でも、当日の朝、「行けよ」って送り出された。

フラフラになりながら、集合場所に行って、誰にもそのことを言わずにバスに揺られながら「アイツも、本当はコンクールに出たかったんだ」と気づくまで、ちょっと時間がかかった。金賞を取って、夜、ソイツに電話したら、一言「よかったな」と言ってくれたことが、妙に嬉しかったことを覚えている。

「ひゃくはち」というタイトルは野球のボールの縫い目と、人間の煩悩の数を表わしている。仏教では、悩みである煩悩は、実はすぐ喜びに通じていると説く。これを「煩悩即菩提」と言うが、様々な苦しみや悩みが、喜びとなる、これが青春の特権だろう。
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見た日/3月某日 ★★★★★

僕には大切な映画仲間さんたちがいるのだが、その若手の方々から「どうして70年代や80年代初めの映画はあんなにギラギラしているの?時代もギラギラしていたの?」と聞かれた。

「青春の殺人者」や「野獣死すべし」などの作品を鑑賞した彼女たちからの質問なのだが、それに対しては「イエス」ということになるのだろうな、と思う。まあ時代もギラギラしていたとは思うが、作り手もギラギラしていた、ということだろう。

80年代は、60年代から70年代に比べれば、若者を中心に軟弱化していった時代だとは思うけれども、映画の作り手、送り手はまだまだギラギラしていたようには思う。

映画は時代を写す鏡のようなもので、その内容は、時代を反映する。90年代以降、日本映画の雰囲気も随分変わり、シネコンの出現によって、徹底したマーケティングによるヒット作が生まれるようになってからは、かつてのギラギラ感を帯びた映画は、ほとんど無くなってきたように思う。

現代社会は何となく無機質で、ネットに代表されるように、コミュニケーションも希薄になっている。そんな中で、最近の多くの「日本映画」もまた、無機質になっている、と感じるのは僕だけだろうか。

もちろん、そんな中でも、作り手の「志」にあふれた、心に届く作品はあるのだが、その一方で、無機質でバリアーに覆われたような作品が多いのもまた事実、と思うのだ。それは、やはり、時代性なのだろう、と思う。

だから、そんな「無機質」な作品は、いくらスクリーンの中で大恋愛や大アクションが起ころうとも、スクリーンと観客の間に明確なバリアーがあるので、なかなか感情移入ができない。

言いかえれば、スクリーンの中でどんなドンパチや愛があろうとも、そのバリアーのせいで観客にそのとばっちりが来ることはないのだ。でも、そんなのが「いい映画」と言えるだろうか。いつも書いているが、ピリリと痛いのがいい映画だと僕は思う。

スクリーンの中で起きていることが、まるで自分のことのように感じられないと、暗闇の中、不特定多数の人たちと時間と感情を共有する意味なんて、何もないではないか。それこそが、「映画」という媒体の、最大の魅力ではないか。

しかし、多くの観客がそんな「安全圏」の中で、絵空事の「映画」を、「絵空事」のように感じながら「面白い」と思っている。これはもう、僕は「映画ではない」と思うし、それはテレビの役割だと思うのだが、どうだろうか。

ちょっと横道にそれたが、要は、逆に言えば、こんな無機質でコミュニケーションが希薄な時代だからこそ、そんな時代を反映した、今の「無機質な時代だからこそ」のピリリと痛い映画が作れる、と僕は思うのだが、この「接吻」はそんな数少ない映画のひとつだ。

この映画に描かれている事件や設定は、明らかに現実の事件を思わせる。犯人役の豊川悦司氏の役づくりも、ある現実の重大事件の元死刑囚を思わせる。その死刑囚を支援し、獄中結婚した女性がいた、という記事も読んだ記憶があるが、恐らくこの映画は、その事実にインスパイアされたものだろう。

しかし、事実はどうあれ、この映画の物語展開は、作り手の深い意識とメッセージ性に彩られたオリジナルなもので、そこにはやはり「現代社会」が抱える色々な問題点が見える。

ヒロインは20代の会社員だが「誰からも理解されない」と思っている。そのヒロインが、テレビで見た重大事件の容疑者の表情に魅せられ、自分と同じ境遇にあると思い、弁護士に連絡を取り、差し入れなどの支援をし、交流を深めていく。

孤独を抱えるヒロインが、社会性の中で拒絶されている容疑者とともに、ひとつの理想郷を作ろうとする様は、実に悲しく、切ない。すべてがマニュアル化している今の社会は、強くないと生きていけない。逆に、人と深く関わらなくても生きていける。

でも、全ての人が強いわけではないし、どこか人と関わっていないと、結局、人はどこかで破綻する。この映画のヒロインの気持ちは、誰にでも理解できるものではないと思うが、小池栄子の熱演、名演もあって、社会で行き場がないまま凶悪犯に惹かれ、そこにしか生きる価値を見出せないヒロインの気持ちが痛く、感情移入できるから不思議だ。

やがて、凶悪だったはずの犯人に「感情」が芽生え、ヒロインの「理想郷」が崩れ始めたとき、この映画は驚愕の展開を見せる。

異常な愛情関係の2人の間に入る、三角関係の一角である仲村トオル扮する弁護士がまた重要な役割を担っている。彼の役割は、言わば「社会の理性」の象徴だが、理性的だったはずの彼の気持ちの変化がまた衝撃的で、僕には現代社会の異常性に翻弄される多くの現代人でもある、と思った。

正に、今の時代だからこそ、の「ギラギラ」した映画である。劇場で見たかった。

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運命じゃない人  DVD・ビデオレビュー

見た日/11月某日 ★★★

最新作「アフタースクール」が好調な、内田けんじ監督の前作。やっと、DVDで見ることができた。

時勢をバラバラにして、一人一人の登場人物をそれぞれ追いながら、物語の真相を明らかにしていく独特な手法は、もうこの長編第一作から完成されていて驚いた。

映画を見ながらインプットされた情報が、物語の展開とともに崩れていく心地よさ。この作品でも、物語は意外な方向へと転がり、観客の想像の上をいく。

出演者は正直、あまり有名ではないキャストを揃えているが、それが効果をあげている。ヤクザの組長役の山下規介氏を久々に見た。主役のサラリーマンは、「アフタースクール」で大泉洋が演じた先生の原型のキャラクターとも思える。

とっても面白かったが、「アフタースクール」があまりに素晴らしく、この前作はどうしても比べてしまい、多少アイデア先行型な気がしたのと、ラストの処理に不満があったので、星は3つ。

でも、内田監督は2作もこのパターンでの傑作を発表した以上、3作目はどんな作品をぶつけて来るのだろう。同じ着想では「またか」になるし、凡庸な作品では期待外れになってしまう。

でも、これだけ面白い作品を続けて発表した内田監督のこと、きっと我々の想像の上を遥かにしのぐ作品を作ってくれるだろうし、是非、それを期待したい。

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ラスト、コーション  DVD・ビデオレビュー

見た日/10月某日 ★★★★

前作「ブロークバックマウンテン」が素晴らしかった、アン・リー監督。またまたやってくれました、という感じだ。結局劇場では見逃してしまい、DVDでの鑑賞となった。

ハリウッドでも成功しているアジアの監督が、久々に中国圏に帰っての製作、というと、ジョン・ウー監督の「レッドクリフ」を思い出すが、そんなに気負うでもなく、ただ淡々と、自分が作りたいテーマの良作を作り続けているアン・リー監督は好ましい。

戦時下、日本占領下の上海。特務機関のリーダーを、女性ならではの武器で狙う、美貌の抗日運動家を描く。

まず、戦時中の上海のセット、雰囲気がいい。ヒロインのタン・ウェイはオーディションで選ばれたらしいが、美しいだけでなく、目に力がある。命を狙われるイーを演じるトニー・レオンも相変わらずの存在感だ。

生死ギリギリの状況の中で、2人は激しく身体を求め合うのだが、このセックスシーンが物凄い。

時折、ネットなどでこの映画のレビューを見ていると、ヒロインは愛情をイーに感じてしまい、殺すことをためらう、なんてことが書いてあるが、決してヒロインがイーに持つ感情は、「愛」ではないと思う。いや、愛情もあるかもしれないが、そんな単純なものではない。

最初、イーとヒロインがベッドを共にするシーンは、レイプまがいである。しかし、当初はイーが支配していたベッド上の攻防は、やがてヒロインが主導していくものに変化していく。この映画での性愛シーンは、正直、戦いである。

処女だったヒロインは訓練で同志と身体を寄せ合うが、決してそこには生まれなかった欲情が、敵であるはずのイーとの性交で生まれ、ヒロインは敵である存在の男と性愛を繰り返すことで自我に目覚めていく。

お互いに相手を知り得ず、騙し合いながら身体と身体をぶつけ合っていく2人。こんなに複雑な物語を、性交のシーンを中心に表現できる、アン・リー監督の表現力の巧さに驚く。

かつて、優れた性愛映画はあったが、この作品は“性愛シーンそのもの”が雄弁に物語をリードしている、稀有な映画に仕上がっていると思う。

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ブラブラバンバン  DVD・ビデオレビュー

見た日/7月某日 ★★★

「吹奏楽」とは、クラシックやジャズ、ポピュラーなどと同じ、ひとつの音楽のジャンルである。

オーケストラのように弦楽器を使わず(コントラバスなど一部は使用する)、吹奏楽器と打楽器で奏でる音楽ジャンルを示す。

「ブラスバンド」とは、本来は金管楽器のみのバンドを指すが、日本の場合、吹奏楽全般を「ブラスバンド」と言うことが多い。学校では吹奏楽部のことを「ブラバン」「ブラスバンド部」と通称するし、吹奏楽をしている人の間でも「きょうブラスの練習があって…」などと会話で使うこともある。

この映画は、そんな吹奏楽部の“青春”を描いている。「スウィングガールズ」などの作品はあったが、ズバリ“吹奏楽”をメインに描いた映画はこれが初めてだろう。

全体的には「ウォーターボーイズ」「スウィングガールズ」「フラガール」のように、役者たちが“吹奏楽”に挑戦している熱さと、その練習からにじみ出る迫力をひとつの柱として、物語を紡いではいるが、正直、役者たちの努力は買うもののそれまでの一連の作品ほどの“熱さ”は残念ながら感じられない。

わずか9人の部員たちが、大編成の名門校に挑戦する、という物語はアリなんだけれども、肝心のクライマックスの演奏が、純粋な「9人の演奏ではない」というのは、如何なものだろう。

以前の「歓喜の歌」もそうだったが、明らかにステージ上の編成、もしくは人々以外の「音」が加わっていて、それが観客にも分かるのだ。途中までは9人の音なのだが、演奏が盛り上がってくると、音に厚みが出てくる。それは演出上の効果として分からない訳ではないが、物語としては、あくまで少人数で観客や審査員を感動させている訳だから、リアルな“9人の音”で表現してほしかった。

「映画」としての次元が違うので、比べてはまずいとは思うが、「スウィングガールズ」が良かったのは、吹き替えやエキストラの演奏に頼らず、舞台上の役者たちの生音にこだわったからで、ラストステージの演奏を、冷静に聞くと実はかなりひどいものなのだが、ステージ上の高揚感とこれまでの血が滲むような練習の成果が物語と重なるからこそ、感動を呼んだのだ。

正直、「スウィング…」は物語上はコメディに重点を置いていて、どうして彼女たちが上達したのか、その辺りをすっ飛ばしていて、ラストの演奏のカタルシスが唐突な感じがする、という欠点もあったのだが、それを吹き飛ばすほどの演奏のパワーがあった。

大編成の他校に圧倒されながら、個性的な学生指揮者を中心に、段々部員たちがまとまり、コンクールに挑むところは丁寧に描かれているだけに、そこの“リアルさ”にはこだわってほしかった。

実際に、10人ていどの小編成でも、吹奏楽の場合、素晴らしい演奏で観客を驚かせた実例はたくさんある。吹奏楽は、各楽器の個性が調和するオーケストラとはまた違い、吹奏楽器同士ならではの、音が溶け合うのが最大の特徴で、上手下手を超えて、アマチュア団体の真剣で熱心な演奏は、時折、プロを凌駕するほどの感動を呼ぶ。

全国の隅々まで吹奏楽が浸透し、毎年コンクールも盛んなのは、その吹奏楽の魅力に追うところが多いだろう。僕もその一人で、高校一年生から39歳になるまで、ずーっと吹奏楽と関わってきた。

「吹奏楽」に想いが強い分、いろいろ書いたが、ヒロインの安良城紅は魅力的だし、クライマックスの指揮のシーンは、彼女の音楽へのセンスのよさ、役上での楽しさも十分に伝わってきた。真面目な青春物の中に、エロティックな要素を入れ込んだのも、ほどほどのバランスが取れていて映画を面白くしていて、なかなかよかった。

部員たちのキャスティングもリアルで、吹奏楽の“楽しさ”もしっかり伝わってくる。
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カンナさん大成功です!  DVD・ビデオレビュー

見た日/5月某日 ★★★★

こういう作品を見ると、本当に韓国映画も多種多様で奥が深く、あなどれないと思う。

ブスでデブだが、歌は抜群で、有名歌手のゴーストシンガーをしている女の子・カンナが、自分を見出してくれた敏腕プロデューサーに恋をしてしまう。

そのプロデューサーも好意を寄せてくれていると思いきや「ブスでデブなカンナを利用しているだけ」という発言を聞いてしまったカンナは、思い切って全身整形し、別人に生まれ変わる…。

テイストや演出はアメリカ映画なんかに見られるタッチで目新しくもないが、美人に変身してしまったカンナが、オタクの追っかけファンやモテナイ人の気持ちに同化していく心理描写はなかなか巧み。

「例え見た目はきれいになっても、人は心が美しくないと、どうしようもない」という永遠のテーマを、上手に、最後は感動的に歌い上げる。

「韓国は整形美人が多い」とはよく聞くし、それが本当かどうかは分からないが、韓国の芸能界を舞台にしているこの映画が、それを自虐的にギャグにしているところは結構笑える。

この映画がいいのは、芸能物としてよくできているところで、とくにコンサートのシーンは出色で、主演の女優が歌う楽曲が素晴らしく、印象に残る。

特殊メイクで整形前のカンナも演じきったというヒロインはとっても魅力的だ。

「オールドボーイ」「殺人の追憶」など、日本のマンガや映画を源流としながらも、韓国映画独自のセンスでとてつもない傑作になった作品もあるが、この作品や「ブラザーフッド」のように、ハリウッド作品のいいところを上手に取り入れながら、独自の主張やテイストを折り込むのも、韓国映画の得意のするところだ。

日本映画だと、妙にその独自テイストが重くなって失敗したりするのだが、この映画は最初から最後まで、ひとつの爽快感が突き抜けていて、その点が潔い。

それで、この映画も日本のマンガが原作というから驚きだが、ストーリーなど、映画は原作とは全く違うらしい。日本では今度、山田優主演でリメイクされるらしいが、果たして日本版はどうなるのだろうか?

韓国版を見習って、思いっ切り弾けてほしいが…。
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アポカリプト  DVD・ビデオレビュー

見た日/2月某日 ★★★★

メル・ギブソン、やるな、お主、という感じである。

公開時、マヤ文明の徹底した再現ということで話題になったし、その表現が史実と違う、いや違わない、という論争もあったので、真面目な映画と思ったらトンデモナイ!

この映画、とてつもなく凄まじい、グロもアリの、超弩級の肉体酷使アクションの大傑作だった。こんなにも画面に引き込まれ、胃がキリキリしながら見たアクション映画は久し振りである。

「痛み」というのは、実はアクション映画の大切な要素だったりする。

実生活もそうだが、飛んだり跳ねたりすれば、肉体に必ず何らかの負荷はかかる。

その「負荷」を、如何に「映画」として見せるか、そこがアクション映画の妙である。そしてその「負荷」が極まったときの「痛み」、これこそがアクション映画の醍醐味でもある。

華麗な蹴りを食らったときの悪役の「痛み」、そして「リアクション」、凄まじいまでのアクションを繰り出したときの男の「悲しみ」…古くはバート・レイノルズ、スティーブ・マックイーン、そしてブルース・リーからジャッキー・チェンに至るまで、そんな興奮を、何度スクリーンから味わったことか。

ジャッキーのように、ケガも当然、という姿勢で肉体の限界に挑む映画群は究極だが、そこまでは行かないにしても、そんな生身の「負荷」の妙を見せてくれるのがアクションの楽しみなのだが、最近はCGばかりで味気ないのも事実だ。

それが、この映画は、恐らくCGも使ってはいるだろうが、全員裸でジャングルをただただ駆け巡るリアルさ、凄まじさに唖然で、マヤ語をしゃべるこだわりも含め、見応えがあった。

メル・ギブソンの監督作「ブレイブハート」「パッション」はいずれも好きな作品だが、前作で描いた「痛み」のリアルさを、今作ではもっと突き詰めた感がある。

劇場公開時は賛否両論ありで、近くの劇場で上映してなかったこともあって見逃したのだが、これまた劇場で鑑賞できなかったことを後悔させる作品だった。


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