闇の子供たち  DVD・ビデオレビュー

見た日/3月某日 ★★★★

DVDで、やっと見ることができた。

子どもの臓器売買、幼児買春をテーマにした作品。原作は小説で、映画もあくまでフィクションということだが、子どもの臓器売買の実態は分からないけれども、幼児売春の描写は現実的という指摘がある。

タブーに挑戦した、という意味で、この映画が製作された意義は大きい。撮影も大変だったと思われる。かつて、この映画と同じテーマで映画を作ろうとした海外のクルーが襲われた、ということもあったという。

以前、アジアでの臓器提供の現実を専門に研究している大学の教授を取材したことがある。その先生は現地調査を何度もしていて、その実態をアメリカの国会で証言したこともある。

そのとき、中国やインドでの衝撃的な臓器提供の実態を聞いて驚いた。中国では犯罪を犯した人たちの臓器が提供されていた例があったのだという。

この映画も、フィクションということではあるが、大人の欲望や利益のために、本来なら未来あるはずの子供たちの生命が簡単に扱われている、または扱われてきた、ということは事実として世界のどこかであったことだろう。恐らく過去も、そして現在も、どこかで起きているのかもしれない。

この映画で扱っている、組織的なビジネスとしての犯罪ではなくても、日本でも、子どもが犠牲になる痛ましい事件は、後を絶たない。あらゆる犯罪において、常に弱者である子どもが標的にされているという衝撃を、我々はどう受け止めればいいのだろうか、と思い悩んでしまう。

この映画の中で、子どもたちの臓器売買と幼児買春と対時していくのは、主に現地在住の新聞記者、若い女性のNGO職員、バックパッカ―的なカメラマンという3人の日本人だが、取材という形で事態が明らかになっていく過程は、ドラマとしても見応えがあり、阪本順治監督の手堅い演出が光る。

目の前の犠牲を救うよりも、事実を公表することで全体の連鎖を止めるしかないと考える新聞記者、真っ向から正義を主張する女性のNGO職員、自然体だったのが、撮影を通して現実を知りがく然とするカメラマン…とその3人の受け止め方は様々だが、それは同時に「闇の子供たち」に出会っていろいろな考えや思いに揺さぶられる、我々観客側の受け止め方でもある。

やがて、映画は衝撃的な結末を迎えるが、このラストは、貧困など国の「社会」が生んだと思われていた「闇」は、実は人の心の「闇」であることを、示唆してくれる。

人間の心に「闇」がある限り、こういう恐ろしいことは、どこの国でも、どの時代でも、起こりうるということを示している。

その「闇」は、僕の心にもある。


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見た日/3月某日 ★★★★

「いい」というのは聞いていたが、ここまでとは…。いやあ、泣かされた。

「高校野球」というのは、いわゆるベースボールとも野球とも違う、その存在がひとつのジャンルである、と僕は思う。

甲子園という絶対的な存在があり、そこには、巨大なビジネスが渦巻いている。学校は、甲子園に出場し、有名になるというメリットを得るため、様々な企業努力をする。とくに私立はその努力を惜しまない。

実はビジネスであることをみんな知りながら、それを誰も口にしない。マスコミも、親も、そして選手である当人たちも。でも、周囲はそこに「感動」を求めてくる。

選手たちも、そこにビジネスの匂いや虚しさを感じてはいても、そこは10代。ある種、ドライになりながらも、その「感動」に身を委ね、自分を投げ出し、ある意味犠牲にしていく。

言葉は悪いが、純粋さとそうでないものが共存していること、実はそのアンバランスさが高校野球の魅力だったりするのだ。

時折、そんな「ビジネス」とは全く関係ない、本当の純朴さを持った高校が甲子園に出場し、強豪校を倒したりする。だからまた、高校野球というものは、何とも言えない魅力を持つのである。

この映画は、そんな「矛盾」を抱えた、全国制覇が当たり前になっている、超強豪名門私立高校の野球部が舞台。レギュラーと補欠の間のキワキワの部員2人が主人公だ。

映画では「たばこは高校球児のサプリメント」なんて危ないセリフも出てきて、ある意味「高校野球」の真実の姿を伝えている。

試合やスタンドでの応援、普段の練習のシーンなどは、これまでの日本の野球映画の中でも最もリアルだと思う。時折、くだらないギャグを連発したりしながらも、選手にとって絶対の権力を持つ竹内力氏扮する監督もリアルだ。

ベンチに入っても、出場の機会などない。それでもベンチ入りを目指す2人。時には、お互いに「死ねばいいのに」なんて、本気で思うこともある。それでも、優しさを失わない、失えない、10代特有の、キラキラした感情。そこには、レギュラーも、補欠もない。

意外な伏線が見事に生きるラストが、実に素晴らしい。

一般的な常識が求める青春像とは関係ないところで、高校生たちは、ちょっと大人びたり、悪いことをしたり、大人を軽くみたりする。それでも、イザというときは、本気で青春に全てを賭ける。

ああ、そういえば、吹奏楽に青春を賭けた僕もそうだった。ちょっとワルびて、吹奏楽部を辞めた友達に、高校時代最後のコンクール前日に呼び出されたっけ。

ソイツの家で、お互いに酒を飲みながら、くわえ煙草で「俺はお前たちが許せない」「今日はお前をコンクールには行かせない」って話を、徹夜で聞かされた。でも、当日の朝、「行けよ」って送り出された。

フラフラになりながら、集合場所に行って、誰にもそのことを言わずにバスに揺られながら「アイツも、本当はコンクールに出たかったんだ」と気づくまで、ちょっと時間がかかった。金賞を取って、夜、ソイツに電話したら、一言「よかったな」と言ってくれたことが、妙に嬉しかったことを覚えている。

「ひゃくはち」というタイトルは野球のボールの縫い目と、人間の煩悩の数を表わしている。仏教では、悩みである煩悩は、実はすぐ喜びに通じていると説く。これを「煩悩即菩提」と言うが、様々な苦しみや悩みが、喜びとなる、これが青春の特権だろう。
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見た日/3月某日 ★★★★★

僕には大切な映画仲間さんたちがいるのだが、その若手の方々から「どうして70年代や80年代初めの映画はあんなにギラギラしているの?時代もギラギラしていたの?」と聞かれた。

「青春の殺人者」や「野獣死すべし」などの作品を鑑賞した彼女たちからの質問なのだが、それに対しては「イエス」ということになるのだろうな、と思う。まあ時代もギラギラしていたとは思うが、作り手もギラギラしていた、ということだろう。

80年代は、60年代から70年代に比べれば、若者を中心に軟弱化していった時代だとは思うけれども、映画の作り手、送り手はまだまだギラギラしていたようには思う。

映画は時代を写す鏡のようなもので、その内容は、時代を反映する。90年代以降、日本映画の雰囲気も随分変わり、シネコンの出現によって、徹底したマーケティングによるヒット作が生まれるようになってからは、かつてのギラギラ感を帯びた映画は、ほとんど無くなってきたように思う。

現代社会は何となく無機質で、ネットに代表されるように、コミュニケーションも希薄になっている。そんな中で、最近の多くの「日本映画」もまた、無機質になっている、と感じるのは僕だけだろうか。

もちろん、そんな中でも、作り手の「志」にあふれた、心に届く作品はあるのだが、その一方で、無機質でバリアーに覆われたような作品が多いのもまた事実、と思うのだ。それは、やはり、時代性なのだろう、と思う。

だから、そんな「無機質」な作品は、いくらスクリーンの中で大恋愛や大アクションが起ころうとも、スクリーンと観客の間に明確なバリアーがあるので、なかなか感情移入ができない。

言いかえれば、スクリーンの中でどんなドンパチや愛があろうとも、そのバリアーのせいで観客にそのとばっちりが来ることはないのだ。でも、そんなのが「いい映画」と言えるだろうか。いつも書いているが、ピリリと痛いのがいい映画だと僕は思う。

スクリーンの中で起きていることが、まるで自分のことのように感じられないと、暗闇の中、不特定多数の人たちと時間と感情を共有する意味なんて、何もないではないか。それこそが、「映画」という媒体の、最大の魅力ではないか。

しかし、多くの観客がそんな「安全圏」の中で、絵空事の「映画」を、「絵空事」のように感じながら「面白い」と思っている。これはもう、僕は「映画ではない」と思うし、それはテレビの役割だと思うのだが、どうだろうか。

ちょっと横道にそれたが、要は、逆に言えば、こんな無機質でコミュニケーションが希薄な時代だからこそ、そんな時代を反映した、今の「無機質な時代だからこそ」のピリリと痛い映画が作れる、と僕は思うのだが、この「接吻」はそんな数少ない映画のひとつだ。

この映画に描かれている事件や設定は、明らかに現実の事件を思わせる。犯人役の豊川悦司氏の役づくりも、ある現実の重大事件の元死刑囚を思わせる。その死刑囚を支援し、獄中結婚した女性がいた、という記事も読んだ記憶があるが、恐らくこの映画は、その事実にインスパイアされたものだろう。

しかし、事実はどうあれ、この映画の物語展開は、作り手の深い意識とメッセージ性に彩られたオリジナルなもので、そこにはやはり「現代社会」が抱える色々な問題点が見える。

ヒロインは20代の会社員だが「誰からも理解されない」と思っている。そのヒロインが、テレビで見た重大事件の容疑者の表情に魅せられ、自分と同じ境遇にあると思い、弁護士に連絡を取り、差し入れなどの支援をし、交流を深めていく。

孤独を抱えるヒロインが、社会性の中で拒絶されている容疑者とともに、ひとつの理想郷を作ろうとする様は、実に悲しく、切ない。すべてがマニュアル化している今の社会は、強くないと生きていけない。逆に、人と深く関わらなくても生きていける。

でも、全ての人が強いわけではないし、どこか人と関わっていないと、結局、人はどこかで破綻する。この映画のヒロインの気持ちは、誰にでも理解できるものではないと思うが、小池栄子の熱演、名演もあって、社会で行き場がないまま凶悪犯に惹かれ、そこにしか生きる価値を見出せないヒロインの気持ちが痛く、感情移入できるから不思議だ。

やがて、凶悪だったはずの犯人に「感情」が芽生え、ヒロインの「理想郷」が崩れ始めたとき、この映画は驚愕の展開を見せる。

異常な愛情関係の2人の間に入る、三角関係の一角である仲村トオル扮する弁護士がまた重要な役割を担っている。彼の役割は、言わば「社会の理性」の象徴だが、理性的だったはずの彼の気持ちの変化がまた衝撃的で、僕には現代社会の異常性に翻弄される多くの現代人でもある、と思った。

正に、今の時代だからこそ、の「ギラギラ」した映画である。劇場で見たかった。

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運命じゃない人  DVD・ビデオレビュー

見た日/11月某日 ★★★

最新作「アフタースクール」が好調な、内田けんじ監督の前作。やっと、DVDで見ることができた。

時勢をバラバラにして、一人一人の登場人物をそれぞれ追いながら、物語の真相を明らかにしていく独特な手法は、もうこの長編第一作から完成されていて驚いた。

映画を見ながらインプットされた情報が、物語の展開とともに崩れていく心地よさ。この作品でも、物語は意外な方向へと転がり、観客の想像の上をいく。

出演者は正直、あまり有名ではないキャストを揃えているが、それが効果をあげている。ヤクザの組長役の山下規介氏を久々に見た。主役のサラリーマンは、「アフタースクール」で大泉洋が演じた先生の原型のキャラクターとも思える。

とっても面白かったが、「アフタースクール」があまりに素晴らしく、この前作はどうしても比べてしまい、多少アイデア先行型な気がしたのと、ラストの処理に不満があったので、星は3つ。

でも、内田監督は2作もこのパターンでの傑作を発表した以上、3作目はどんな作品をぶつけて来るのだろう。同じ着想では「またか」になるし、凡庸な作品では期待外れになってしまう。

でも、これだけ面白い作品を続けて発表した内田監督のこと、きっと我々の想像の上を遥かにしのぐ作品を作ってくれるだろうし、是非、それを期待したい。

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ラスト、コーション  DVD・ビデオレビュー

見た日/10月某日 ★★★★

前作「ブロークバックマウンテン」が素晴らしかった、アン・リー監督。またまたやってくれました、という感じだ。結局劇場では見逃してしまい、DVDでの鑑賞となった。

ハリウッドでも成功しているアジアの監督が、久々に中国圏に帰っての製作、というと、ジョン・ウー監督の「レッドクリフ」を思い出すが、そんなに気負うでもなく、ただ淡々と、自分が作りたいテーマの良作を作り続けているアン・リー監督は好ましい。

戦時下、日本占領下の上海。特務機関のリーダーを、女性ならではの武器で狙う、美貌の抗日運動家を描く。

まず、戦時中の上海のセット、雰囲気がいい。ヒロインのタン・ウェイはオーディションで選ばれたらしいが、美しいだけでなく、目に力がある。命を狙われるイーを演じるトニー・レオンも相変わらずの存在感だ。

生死ギリギリの状況の中で、2人は激しく身体を求め合うのだが、このセックスシーンが物凄い。

時折、ネットなどでこの映画のレビューを見ていると、ヒロインは愛情をイーに感じてしまい、殺すことをためらう、なんてことが書いてあるが、決してヒロインがイーに持つ感情は、「愛」ではないと思う。いや、愛情もあるかもしれないが、そんな単純なものではない。

最初、イーとヒロインがベッドを共にするシーンは、レイプまがいである。しかし、当初はイーが支配していたベッド上の攻防は、やがてヒロインが主導していくものに変化していく。この映画での性愛シーンは、正直、戦いである。

処女だったヒロインは訓練で同志と身体を寄せ合うが、決してそこには生まれなかった欲情が、敵であるはずのイーとの性交で生まれ、ヒロインは敵である存在の男と性愛を繰り返すことで自我に目覚めていく。

お互いに相手を知り得ず、騙し合いながら身体と身体をぶつけ合っていく2人。こんなに複雑な物語を、性交のシーンを中心に表現できる、アン・リー監督の表現力の巧さに驚く。

かつて、優れた性愛映画はあったが、この作品は“性愛シーンそのもの”が雄弁に物語をリードしている、稀有な映画に仕上がっていると思う。

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ブラブラバンバン  DVD・ビデオレビュー

見た日/7月某日 ★★★

「吹奏楽」とは、クラシックやジャズ、ポピュラーなどと同じ、ひとつの音楽のジャンルである。

オーケストラのように弦楽器を使わず(コントラバスなど一部は使用する)、吹奏楽器と打楽器で奏でる音楽ジャンルを示す。

「ブラスバンド」とは、本来は金管楽器のみのバンドを指すが、日本の場合、吹奏楽全般を「ブラスバンド」と言うことが多い。学校では吹奏楽部のことを「ブラバン」「ブラスバンド部」と通称するし、吹奏楽をしている人の間でも「きょうブラスの練習があって…」などと会話で使うこともある。

この映画は、そんな吹奏楽部の“青春”を描いている。「スウィングガールズ」などの作品はあったが、ズバリ“吹奏楽”をメインに描いた映画はこれが初めてだろう。

全体的には「ウォーターボーイズ」「スウィングガールズ」「フラガール」のように、役者たちが“吹奏楽”に挑戦している熱さと、その練習からにじみ出る迫力をひとつの柱として、物語を紡いではいるが、正直、役者たちの努力は買うもののそれまでの一連の作品ほどの“熱さ”は残念ながら感じられない。

わずか9人の部員たちが、大編成の名門校に挑戦する、という物語はアリなんだけれども、肝心のクライマックスの演奏が、純粋な「9人の演奏ではない」というのは、如何なものだろう。

以前の「歓喜の歌」もそうだったが、明らかにステージ上の編成、もしくは人々以外の「音」が加わっていて、それが観客にも分かるのだ。途中までは9人の音なのだが、演奏が盛り上がってくると、音に厚みが出てくる。それは演出上の効果として分からない訳ではないが、物語としては、あくまで少人数で観客や審査員を感動させている訳だから、リアルな“9人の音”で表現してほしかった。

「映画」としての次元が違うので、比べてはまずいとは思うが、「スウィングガールズ」が良かったのは、吹き替えやエキストラの演奏に頼らず、舞台上の役者たちの生音にこだわったからで、ラストステージの演奏を、冷静に聞くと実はかなりひどいものなのだが、ステージ上の高揚感とこれまでの血が滲むような練習の成果が物語と重なるからこそ、感動を呼んだのだ。

正直、「スウィング…」は物語上はコメディに重点を置いていて、どうして彼女たちが上達したのか、その辺りをすっ飛ばしていて、ラストの演奏のカタルシスが唐突な感じがする、という欠点もあったのだが、それを吹き飛ばすほどの演奏のパワーがあった。

大編成の他校に圧倒されながら、個性的な学生指揮者を中心に、段々部員たちがまとまり、コンクールに挑むところは丁寧に描かれているだけに、そこの“リアルさ”にはこだわってほしかった。

実際に、10人ていどの小編成でも、吹奏楽の場合、素晴らしい演奏で観客を驚かせた実例はたくさんある。吹奏楽は、各楽器の個性が調和するオーケストラとはまた違い、吹奏楽器同士ならではの、音が溶け合うのが最大の特徴で、上手下手を超えて、アマチュア団体の真剣で熱心な演奏は、時折、プロを凌駕するほどの感動を呼ぶ。

全国の隅々まで吹奏楽が浸透し、毎年コンクールも盛んなのは、その吹奏楽の魅力に追うところが多いだろう。僕もその一人で、高校一年生から39歳になるまで、ずーっと吹奏楽と関わってきた。

「吹奏楽」に想いが強い分、いろいろ書いたが、ヒロインの安良城紅は魅力的だし、クライマックスの指揮のシーンは、彼女の音楽へのセンスのよさ、役上での楽しさも十分に伝わってきた。真面目な青春物の中に、エロティックな要素を入れ込んだのも、ほどほどのバランスが取れていて映画を面白くしていて、なかなかよかった。

部員たちのキャスティングもリアルで、吹奏楽の“楽しさ”もしっかり伝わってくる。
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カンナさん大成功です!  DVD・ビデオレビュー

見た日/5月某日 ★★★★

こういう作品を見ると、本当に韓国映画も多種多様で奥が深く、あなどれないと思う。

ブスでデブだが、歌は抜群で、有名歌手のゴーストシンガーをしている女の子・カンナが、自分を見出してくれた敏腕プロデューサーに恋をしてしまう。

そのプロデューサーも好意を寄せてくれていると思いきや「ブスでデブなカンナを利用しているだけ」という発言を聞いてしまったカンナは、思い切って全身整形し、別人に生まれ変わる…。

テイストや演出はアメリカ映画なんかに見られるタッチで目新しくもないが、美人に変身してしまったカンナが、オタクの追っかけファンやモテナイ人の気持ちに同化していく心理描写はなかなか巧み。

「例え見た目はきれいになっても、人は心が美しくないと、どうしようもない」という永遠のテーマを、上手に、最後は感動的に歌い上げる。

「韓国は整形美人が多い」とはよく聞くし、それが本当かどうかは分からないが、韓国の芸能界を舞台にしているこの映画が、それを自虐的にギャグにしているところは結構笑える。

この映画がいいのは、芸能物としてよくできているところで、とくにコンサートのシーンは出色で、主演の女優が歌う楽曲が素晴らしく、印象に残る。

特殊メイクで整形前のカンナも演じきったというヒロインはとっても魅力的だ。

「オールドボーイ」「殺人の追憶」など、日本のマンガや映画を源流としながらも、韓国映画独自のセンスでとてつもない傑作になった作品もあるが、この作品や「ブラザーフッド」のように、ハリウッド作品のいいところを上手に取り入れながら、独自の主張やテイストを折り込むのも、韓国映画の得意のするところだ。

日本映画だと、妙にその独自テイストが重くなって失敗したりするのだが、この映画は最初から最後まで、ひとつの爽快感が突き抜けていて、その点が潔い。

それで、この映画も日本のマンガが原作というから驚きだが、ストーリーなど、映画は原作とは全く違うらしい。日本では今度、山田優主演でリメイクされるらしいが、果たして日本版はどうなるのだろうか?

韓国版を見習って、思いっ切り弾けてほしいが…。
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アポカリプト  DVD・ビデオレビュー

見た日/2月某日 ★★★★

メル・ギブソン、やるな、お主、という感じである。

公開時、マヤ文明の徹底した再現ということで話題になったし、その表現が史実と違う、いや違わない、という論争もあったので、真面目な映画と思ったらトンデモナイ!

この映画、とてつもなく凄まじい、グロもアリの、超弩級の肉体酷使アクションの大傑作だった。こんなにも画面に引き込まれ、胃がキリキリしながら見たアクション映画は久し振りである。

「痛み」というのは、実はアクション映画の大切な要素だったりする。

実生活もそうだが、飛んだり跳ねたりすれば、肉体に必ず何らかの負荷はかかる。

その「負荷」を、如何に「映画」として見せるか、そこがアクション映画の妙である。そしてその「負荷」が極まったときの「痛み」、これこそがアクション映画の醍醐味でもある。

華麗な蹴りを食らったときの悪役の「痛み」、そして「リアクション」、凄まじいまでのアクションを繰り出したときの男の「悲しみ」…古くはバート・レイノルズ、スティーブ・マックイーン、そしてブルース・リーからジャッキー・チェンに至るまで、そんな興奮を、何度スクリーンから味わったことか。

ジャッキーのように、ケガも当然、という姿勢で肉体の限界に挑む映画群は究極だが、そこまでは行かないにしても、そんな生身の「負荷」の妙を見せてくれるのがアクションの楽しみなのだが、最近はCGばかりで味気ないのも事実だ。

それが、この映画は、恐らくCGも使ってはいるだろうが、全員裸でジャングルをただただ駆け巡るリアルさ、凄まじさに唖然で、マヤ語をしゃべるこだわりも含め、見応えがあった。

メル・ギブソンの監督作「ブレイブハート」「パッション」はいずれも好きな作品だが、前作で描いた「痛み」のリアルさを、今作ではもっと突き詰めた感がある。

劇場公開時は賛否両論ありで、近くの劇場で上映してなかったこともあって見逃したのだが、これまた劇場で鑑賞できなかったことを後悔させる作品だった。


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ラッシュアワー3  DVD・ビデオレビュー

見た日/2月某日 ★★★

僕は、もし、履歴書(んなものは書くことも今後、終世ないだろうが)に尊敬する人物の欄があれば、迷わず「ジャッキー・チェン」と書くほど、成龍様をお慕い申し上げている。

その、映画に対する情熱、愛情、アクションにかける気持ち、そして技術は世界一だ。

CGなどに頼らず、肉体の動きを駆使し、信じられないようなアクションの妙をスクリーンに叩きつける姿は、正に映画黎明期に「肉体の動き」で勝負したハロルド・キートンやチャーリー・チャップリンとも通じるものがある、と思う。

香港まで行って、「酔拳2」を満員の劇場で鑑賞した思い出は、僕の映画人生の中でも感慨深いものがある。英語と広東語両方の字幕、ゲラゲラ笑い、大声を上げながら映画を楽しむ香港の人たち…あれはエキサイティングな体験だった。

そんな大好きなジャッキーだが、年齢を重ねたせいかアクションを抑え、物語性に新たな地平を見出そうとした「奇蹟(ミラクル)」が観客に不評を買って以来、再びアクション一辺倒になって、ファンとしては少々心配した。

「奇蹟」はフランク・カプラの「ポケット一杯の幸福」のリメイクで、ジャッキーが映画に対してどれだけ愛情が深いか、またクラシックの名作もよく勉強し、深く理解していることも伺える作品で、「プロジェクトA」「ポリス・ストーリー」と並ぶ、ジャッキーの傑作だと思う。

さて、そんな「年齢も重ねてちょっと無理している感」が強かったジャッキーが、「レッド・ブロンクス」のアメリカでのヒットを受け、ハリウッドの映画人に請われて進出したのが、この「ラッシュアワー」の第1作だった。

ただ、これでハリウッド第1作、と聞くと、僕らファンにとってはジャッキーのハリウッド進出作として話題になった「バトル・クリーク・ブロー」や「キャノンボール」シリーズは何だったの?と思うのだが、これらは日本やアジアのファン向けで当時、ハリウッド本流はほとんど相手にしてなかったのね、ということがこのときようやく分かる訳だ。

でも、正直、この「ラッシュアワー」シリーズは、長年のジャッキーファンから見ると、少々物足りない。

これは、ハリウッドの目から見れば、だが、往年のジャッキー映画はアクションは凄まじいものの、物語性は少々弱いと思える作品(あくまでハリウッドの目から見れば。でも前述の「奇蹟」「プロジェクトA」などは物語もスバラシイ!)が多いので、ブレット・ラトナー監督は、恐らく「ジャッキーのアクションとハリウッドのコメディセンス、物語性がプラスすれば面白い映画ができる」と考えたのだ。

この着目点はいい、と思う。僕たちもハリウッドの大作の中で暴れまわるジャッキーの映画が見たい。でも、ユニオンが強く、現場での制約が強いハリウッドでは、ジャッキーの個性を生かすことは、正直、難しかったのだ。

そういう意味ではこのシリーズは、1、2ともコメディ・アクションとしてはそこそこの出来ではあるものの、ジャッキーの魅力を十分に引き出したとは言えないものになってしまった。ジャッキーのアクションも腹8分目、というていどだ。

作品は大ヒットし、ジャッキーはこのあともハリウッド作品に続々と主演するが、どれもジャッキー・アクションの魅力を生かしたとは言えない作品ばかりで、中にはCGを使った作品もあったりして、「おいおい」という感じのものもある。

その不満はジャッキー自身も感じていたのだろう。ハリウッド作品に出演しながら、この間、地元香港に戻り、自身の過激アクションの原点とも言える「ポリス・ストーリー」のセルフ・リメイクとも言え、演技的にも深いものに挑戦した、ある意味ではジャッキー映画の集大成でもある「香港国際警察」を製作した。

これはハリウッドでは絶対できない過激アクションのオンパレードで、ストーリー的にはいい意味でハリウッドでの経験も生きているように思えた。僕たちもこの稀有な大傑作を見ることができたのだから、ジャッキーのハリウッド挑戦も無駄ではなかった、という気がする。

さて、前置きが長くなった。この「3」だが、物語的にはギャグも滑りまくり、物語展開も全くひねりも何にもなく、シリーズで一番出来が悪い。が、しかし、アクション的には相変わらずジャッキーとしては腹8分目だが、敵役の真田広之の好演もあって、シリーズで最もいい出来になっている。

真田広之と言えば、かつて千葉真一の一番弟子であり、日本では最高の若手アクション俳優だったのだ。「柳生一族の陰謀」での「お城屋根裏和風ハードル競走」や香港映画「龍の忍者」でのアクションなど、そりゃあ、ジャッキーもビックリ、というほどのスゴイアクションを見せていた。

それが「麻雀放浪記」「道頓堀川」辺りから実にいい演技派となり、アクションはしばらく封印していたのが、「たそがれ清兵衛」でこりゃまた素晴らしい殺陣を見せ、「ラストサムライ」でハリウッドに進出して、いろいろな作品でも顔を見るようになって「すごいなあ」と思っていたら、この作品で往年の切れのいいアクションを見せてくれたので大満足。

「龍の忍者」のとき、ジャッキーと共演してほしいなあ、と思っていた僕の夢が、思わぬ形で実現して驚いた。

で、映画としては星2つなのだが、ジャッキーと真田さんに敬意を表して星1つおまけ。

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見た日/1月某日 ★★

これも劇場公開時に見逃し、DVDで見る。

映画のリアリティって何だろう?と思ってしまう。

映画自体は虚構の世界である。

宇宙で爆発して火や煙が出るわけがないし、上下左右もないのにロボットが立っていたりする。ラブストーリーだって、絶対に会える状況ではないのに、男女が出会ったりする。

でも、その「虚構の世界」だからこそ、作り手のこだわりと言うか、妙なリアリティが必要になってくるのだ。例え宇宙で爆発して火や煙が出ても、宇宙船のCGやセットが精巧であれば、我々はそこに「リアル」を感じる。

ありえない出会いを描いたラブストーリーでも、登場人物たちの性格や人物像を深く描いていれば、現実には絶対にない出会いのシュチュエーションも、リアルに感じられる。

実は、映画って、そこが大切だと思う。
佐々部監督は、映画学校時代、名匠・浦山桐郎監督から「大きなウソをついても小さなウソをつくな」と教えられ、それが今の映画づくりの基本になっている、という。

確かにそうだ。映画で大きなウソをつかれると心地よいが、気になる小さなウソがあると、観るに堪えない作品になってしまったり、映画全体が破綻してしまうことはよくある。

例えばこの作品。テレビ版の映画化作品だが、テレビとは違うスケール感を出そうと海外ロケをしていて、広大な砂漠の中を三蔵法師一行が歩くシーンから始まる。

だが、僕はここですっかり萎えてしまった。砂漠の中を長時間歩きながら、水がないと騒いでいる割に、一行は汗をかいている様子もなければ、服装もきれいなまま。ここで「ああ、これは作りごとだ」と思ってしまった。

CG満載のファンタジーだからこそ、小さなリアリティを追求してほしい、と思う。

映画はCGにも力が入っているし、クライマックスで悟空が説教チックになるものの、スピード感もある。ヒロイン役の氷川あさみが存在感があっていい。彼女は最近の要チェックだと思う。

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蒼き狼 地果て海尽きるまで  DVD・ビデオレビュー

見た日/1月某日 ★★★

劇場公開時に見逃し、DVDで鑑賞。

この作品を見ていて、「果たして面白い映画ってどういうことなんだろう?」と思ってしまった。

完成度が高い、よく出来ている、ということが決して=面白い、ということではない。

例えばこの作品、よく出来ているとは思う。

日本人がモンゴル人を演じてセリフは日本語、という点に少々違和感はあるものの、俳優も熱演しているし、草原での戦いのシーンや部族間の争いなど見どころも多く、物語も飽きさせない。父と子、というテーマ性も明確だ。

でも、なかなか面白くならないのは何故なんだろう?澤井信一郎監督は名手だし、「Wの悲劇」をはじめ、傑作がたくさんあるが、この映画に関しては結構、苦闘している。

とくにクライマックスの戴冠式の場面など、現地から数万人のエキストラを用意しているのに、そのスケール感が今一つ伝わらない。

比べちゃ悪いし、比べる次元のものでもないが、僕はこの映画を見ながら、東映の「茶々」を思い出していた。

正直、「映画」としての出来に関しては、「茶々」はあまり良くない。何しろ主役のヒロインに魅力がない、というのは致命的。男装をすると魅力を放つが、それも中盤の一瞬だけ。

よほど準備不足だったのか、各俳優陣の演じ方というか、各俳優への演出がバラバラで統一性がなく、それぞれの俳優が自分なりのスキルで演じている、と言うより勝手に演じているような感じを受ける。

だけど、「茶々」は面白かったのだ。演出のバラバラ感やヒロインの大芝居、時間がない中で「ええい!」と作ったと思われる合戦シーン、特撮シーンなど、完成度は低くても、それなりの猥雑なパワーがあり、僕は非常に面白く見られた。

俳優やスタッフをきちんと制御できていても、折角のスケール感を生かし切れなかった「蒼き〜」を見ていて、そんなことを思ってしまった。

でも、この作品の冒頭で見せる、若村麻由美の姿は実に美しい。「Wの悲劇」で薬師丸ひろ子、「恋人たちの時刻」で河合美智子、「野菊の墓」で松田聖子を美しく撮った澤井監督の真骨頂だな、と思った。

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天然コケッコー  DVD・ビデオレビュー

見た日/12月某日 ★★★★

非常に評価が高い作品だったので期待して見た。

「サイドカーに犬」のあとにすぐ見たので、余計そう思ったのかもしれないが、両作品とも同じように普通の人々の日常を淡々と描きながら、非常に対照的だな、と思った。

「サイドカーに犬」は、ドラマとして安心して見られた、という感じだったのだが、この「天然コケッコー」は、上手く表現するのは難しいが・・・何と言うか、作り手が出演者の中学生たちと、同じ皮膚感覚で撮影しているような感じがして、ある意味ドキュメンタリーのようなドキドキ感が最初から最後まで貫かれた感じの作品だった。

でもカメラは冷静で、いつも引き絵が多く、アップが少ない。山下敦弘監督の作品は他もそうだが、どこか冷めていて、映画そのものを客観視している感がある。

それなのに物語で展開されるひとつひとつのエピソードは登場人物たちの感情もきちんと伝わってくるから、これはこの監督さんの大きな特徴であり、真骨頂だろう。

この映画も、ヒロインの夏帆が演技力、存在感とも抜群で、まさに「天然」の世界をグイグイと引っ張っていく。

独特のテンポ感は嫌いではないが、正直、多少自分の生理と合わないな、と思う部分もあった。しかしそれをカバーするだけのヒロイン以外の少年少女たち、その家族たちの自然な存在感と雰囲気は特筆すべきものがある。

あと、この監督さん、季節や自然の描写が上手い。環境が登場人物たちに与える影響もまたこの映画のひとつのポイントだが、その点でも成功していると思う。残念ながら劇場では見れなかったが、是非、映画館で見たい一本だった。

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サイドカーに犬  DVD・ビデオレビュー

見た日/12月某日 ★★★★

根岸吉太郎監督と聞いて、僕の最初の出会いは、高校生のとき、18歳以上と偽って成人向け映画館に入って見た日活ロマンポルノの「キャバレー日記」だ。

ポルノなのだが、軍隊式キャバレーで働く青年の情けない日常が淡々と綴られる、物悲しくも笑える傑作だった。僕はすっかり興奮するのも忘れ、その映画世界に魅入られ、主演の竹井みどりの大ファンになってしまった。

以来、竹井さんのグラビアが出ている週刊誌は買いまくり、出演映画も細かくチェックしていた。だから「チルソクの夏」で竹井さんが出ていた時は嬉しかった。

さて、この「サイドカーに犬」も、昨年の「雪に願うこと」とはまた違い、根岸監督初期の「キャバレー日記」や「遠雷」の匂いが漂う。全編をユーモアで彩り、普通の人々の日常を淡々と描きながら、その感情を鮮やかに、かつ巧みに表現していく。同じ根岸監督のこれまた傑作「ウホッホ体験隊」とも通じるものがある。

母親が家出し、残された小学生の娘からの視点でドラマは進むが、その娘とひと夏を過ごす父親の愛人を演じる竹内結子が素晴らしい。今までの清純キャラを捨てて、奔放で快活な中にも憂いを秘めた役を自然体で表現していて、いい。

面白かったのは古田新太扮する父親。このお父さんは、子どもと同じくらい、ゲームやおもちゃが好きで、自分の「好き」を子どもに強要する。そのくせ商売が下手で、いい加減なのだが、妙に優しいところもある。

そんなお父さんを、奥さんは許せないが、愛人のヨーコは愛おしいと思っている。無邪気なお父さんと、小四にもなって自転車が乗れない娘。実はこの2人、似てないようでよく似ている。いずれも生きることに不器用なのだ。

そんな2人をヨーコさんが変えていく。とくに娘の方は鮮やかに成長していくのだが、実はその2人によってヨーコさんの気持ちもまた動いてく後半がまたいい。静かで大きな揺り幅はないが、しみじみとした印象を見たあとに与えてくれる。

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人が人を愛するどうしようもなさ  DVD・ビデオレビュー

見た日/12月某日 ★★★★

石井隆監督という映画作家は、実に鮮烈な映像を追求する人だな、と思う。

そこに描かれるものは通常の日常生活に潜む狂気とエロス、そしてそこから起こりうる様々な事件によって堕落していく「人間」の業や本性のようなものだろう。

「天使のはらわた」シリーズはもちろん、最近では犯罪者たちが次第に破綻し、壊れていく「GONIN」や、良家の婦人がSMの世界に堕ちながら悦びを見出していく「花と蛇」など、石井監督の作品は一貫して色彩と光を使った独特な「映像美」が物語を彩っており、どれも人が本来持つであろう「狂気」をあぶり出していく。

石井監督が愛してやまない「名美」が主人公の作品としては久々となったこの映画も、冒頭から強烈なエロスシーンが登場するが、主演の喜多嶋舞が素晴らしく、夫への疑心から次第に精神のバランスを崩し、街娼として堕ちていく様が悲しくも美しい。そのヒロインが女優、という設定も絶妙で、現実と空想ともつかない、という物語の展開の妙を助けている。

役者で言うと、「カーテンコール」「樹の海」で抜群の存在感を見せ、「ガメラ〜小さき勇者たち」でいいお父さん、「仮面ライダーTHEFIRST」ではショッカーの怪人と、実に変幻自在な津田寛治氏が、この映画でもいい味を出している。

とにもかくにも、かつての日活ロマンポルノのように、エロスを追求し、「性」を映像として見せながらも、きちんと人の内面も描くような映画は、希少価値と言っていいだろう。

その手の作品を量産し、傑作もあったVシネマも最近はヤクザ物や金融物ばかりで、こういうエロス物でいいものは少ないだけに、この作品は貴重だ。

そもそも「性」とは人間は絶対に避けられない欲望であり、実は生きる根源でもある。

だからそんな「性」を扱う優れた文学や文化はあって当然だし、事実、そういった名作の小説や映画はたくさんあるが、ここ最近の日本映画はお子様向けの「泣ける」ものばかりで嫌になっちゃっているだけに、こういう堂々とした「ポルノ映画」が作られているのは、ある意味健全なことだと思う。
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TANKA−短歌−  DVD・ビデオレビュー

見た日/11月某日 ★★

昔、異業種監督というのが流行って、結構、トンデモナイ映画が作られたが、それを思い出しちゃった。

ちょっと映画そのものが破綻しているのだが、違う意味では結構「面白かった」かもしれない。

黒谷友香って、かなり魅力的な女優さんだ。この映画ではベッドシーンも精力的にこなし、脱ぎまくっている。

残念なのは、女性監督による、女性の感性に訴えかける物語のはずなのに、ベッドシーンは変に男性向け映画のソレだし、2人の男の間に揺れ動く女性の気持ちの「揺れ」が全く感じられない。

おまけに途中でたびたび挿入される短歌と「官能の象徴」というベリーダンスが、この作品のトンデモナサとギャグ化を助長している。「ダンス」の必然性が感じられず、なんだか「真面目なインド映画」のようになっている。

それに物語は、ちょっと昔の女性映画という感じで、現代の話のはずなのに、何だか古さも感じる。

阿木曜子さん、嫌いじゃないんだけどな・・・。トンデモ映画の金字塔「デビルマン」でご主人の宇崎竜童氏と共演してたが、東映つながりでまたまたやってくれた、という感じ。

「ヤリタイ!」しか言わない若い恋人が黄田川将也で、仮面ライダーFIRST&NEXTの本郷猛。で、おじさんの彼氏がスカイライダーこと復活版「仮面ライダー」の村上弘明。新旧東映ライダー役者が、東映の本編(映画)で夢の競演でい!!

短歌そのものは、原作者の俵万智によるものなのだろう。男性の我々から見ると、なかなか怖いものがある。彼氏のおじさんに対する歌は、

「水密桃の 汁吸うごとく愛されて 前世も我は女と思う」

これに対して、若い彼氏に対しては、

「うしろから 抱きしめられて目をつぶる 君は荷物か翼か知らぬ」

である。同じようにHしていながら、扱いは桃と荷物ぐらい違うのだ。怖いのう。
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