ブログ開設10周年!  映画つれづれ

今日気づいたのですが・・・・。

このブログを開設して、今月で何と!10周年!パチパチ。

最近、すっかり更新もしていませんが・・・ですが、このブログこそが、僕の映画レビュー修行の原点であり、今でもそうである、と思っています。

この10年の間、テレビで映画の紹介・解説もするようになり、映画祭の運営や実際の映画づくりにも多少ですが関わるようになりました。

その間、自分と「映画」との関わりだけでなく、人生そのもの・・・反省や後悔、そして希望も含めて、いろいろなことがありました。

失ったものもあれば、得たものもたくさんあります。それでも「映画」は僕の「全て」であり、生きる、頑張る「源」である、と日々感じています。

この10年、何度も何度もオオカミ少年のようにこのブログでレビューを頑張る(笑)と書いてはまたまた更新が滞る、という繰り返しですが、それでもボチボチと、レビューを無理なくしていきますので、皆さんよろしくお願いいたします。

マニィ大橋 こと大橋広宣
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思い出は映画と共に@  映画つれづれ

思い出は映画と共に…落ち込んだ時に元気になれる、あの映画のあの名セリフ1

「男たちの挽歌」
(1986年香港/製作総指揮/ツイ・ハーク、監督/ジョン・ウー、出演/ティ・ロン、チョウ・ユンファ、レスリー・チャン)

「俺は負け犬だけにはなりたくない!お前は運命と戦ったことはないだろう?一度もない!…俺は違う」/マーク(チョウ・ユンファ)が出所したホー(ティ・ロン)に言うセリフ。

「香港ノワール」という言葉を定着させた、ツイ・ハーク製作、ジョン・ウー監督による「男たちの挽歌」。1986年に登場したこの作品は、斬新でいて、どこか懐かしい感じがするアクション映画だ。

 “ノワール”はフランス語で「黒」を指す言葉。フィルム・ノワールと呼ばれるジャンルが映画にはもともとあって、「フィルム・ノワール」=「黒い映画」、すなわち犯罪を描いた映画をこう呼ぶようになった。

ノワール映画には主にハリウッドやフランスの映画が代表的だが、特にあまり女性が出てこない、男同士の友情や裏切りが描かれたフランス映画のノワール物を「フレンチ・ノワール」と呼び、ハリウッド製のギャング映画やアクション映画とはまた趣の違う陰のある作風が人気を呼んだ。

 「男たちの挽歌」が「香港ノワール」と呼ばれた理由は、これらの「フレンチ・ノワール」の作風を受け継いだ点にあると思うが、日本の映画ファンが驚いたのは、そこに明らかにサム・ペキンパー監督の影響と、60年代、70年代に作られた日本のアクション映画の臭いが存在していたからだ。

 「ワイルドバンチ」「戦争のはらわた」「ゲッタウェイ」などで有名なサム・ペキンパー監督は、容赦ない暴力描写に、スローモーションを多用することで知られる。

残酷な暴力描写なのに美しい映像美という、本来は相容れないものを融合させてしまったその手法に、映画ファンは狂喜した。特に「ワイルドバンチ」で、主人公たちがわずか数人で強大な敵組織に殴り込みをかけるシーンは、凄惨なのに何度見ても震えるほど美しい。

 ジョン・ウー監督もまた、スローモーションを効果的に使う名手だが、これは明らかにサム・ペキンパー監督の影響だろう。そして、男同士の裏切りや友情がエモーショナルに展開していく物語や、それぞれの存在感がやたら引き立つキャラクターは、「仁義なき戦い」など70年代の深作欣二監督作品や、小林旭や石原裕次郎など、男臭いキャラで物語をぐいぐい引っ張っていた60年代の日活ニューアクションの臭いがプンプンする。

まず、主人公のホー(ティ・ロン)はどう見ても若いころの石橋正次だし、マーク(チョウ・ユンファ)は往年の小林旭にしか見えない。無鉄砲なホーの弟の刑事、キット(レスリー・チャン)はデビュー当時の石原裕次郎か赤木圭一郎、渡哲也というところか。


 さて、このセリフだが、これはマーク(チョウ・ユンファ)が、出所してきたホー(ティ・ロン)に向けて放つ言葉である。

 ホーとマークはかつて、香港組織の顔役とその弟分だった。ホーには警察学校に通う弟、キットがいて、極道であることを秘密にしている。

 身体が弱い父親から、弟のために足を洗うように説得されたホーは、台湾での麻薬取引を最後に引退することを決意。しかし、取引は何者かの密告で警察に知られてしまう。ホーは部下のシンを逃がし、自分は警察に捕まり刑務所へ。しかし、これでキットは兄が極道であることを知り、父親は陰謀で殺されてしまう。マークは敵のアジトを襲撃し、皆殺しにして復讐するが、足に致命的な重傷を負う。

 それから数年…。ホーは出所し、堅気として生きることを誓うが、世間の風は冷たく、なかなか就職もままならない。マークは組織の中で雑用係にまで落ちぶれ、どん底の生活を送っていた。そして結婚もし、刑事となったキットは、極道だった兄のせいで出世もできないとホーを恨んでいた。

 香港の闇社会は、今やシンがボスとして君臨していた。シンを倒し、巻き返しをしようとマークはホーを説得する。このセリフは、その時のものだ。ホーは拒否するが、やがて、マークは1人行動し、ホーもまた、キットに組織壊滅のヒントを与え、巨大な組織に立ち向かう…。
ああ、こうしてストーリーを書いているだけで胸が熱くなる。

「バイオレンスの詩人」とも評されるジョン・ウー監督だが、本家のサム・ペキンパー監督をも凌駕する、この作品における美しいバイオレンスシーンは、マークが1人で敵組織に乗り込むシーンにあると思う。

 マークはいつくもの拳銃を植木鉢など至る所に隠す。そして、後ろ向きに進みながら、次々と敵を打ち殺し、弾が切れると銃を捨て、隠していた銃を手にしてまた敵を打ち殺していく。無表情ながら銃をぶっ放していくチョウ・ユンファの動きを、ジョン・ウー監督はたっぷりとスローモーションで情感を込めて捉えていく。迫力があって凄惨なのだけれど、チョウ・ユンファの所作はどこか優雅でいて美しさを感じる。

 のちのち、作品中に必ず「ハト」を出すことで知られるジョン・ウー監督だが、御本人は根からの平和主義者であり、暴力否定主義者であるという。暴力描写が美しいからといって、暴力を肯定しているものでは決してない。これは深作欣二監督にも通じる。僕は深作監督からお話を直接伺ったことがあるが、暴力を否定するからこそ、暴力を描いているのだ、と明確に主張されていた。

 さて、このセリフを思うとき、この映画を製作したツイ・ハーク監督とジョン・ウー監督の当時の関係性がダブる。

 ジョン・ウー監督は中国の広州で生まれ、幼い時に香港に移住。アジアのハリウッドとも評され、数々の独創的なクンフー映画や武侠映画を製作したショウ・ブラザーズでキャリアを積み、ゴールデン・ハーベスト社などでコメディ映画や武侠映画を数多く監督し、人気を博した。

80年代に入ってシネマシティ社に移籍するものの、独自の路線で映画製作を続ける姿勢が会社の反感を買ってしまったのか、台湾支社に飛ばされてしまい(いわゆる左遷と思われる)、自由に映画づくりができなくなってしまう。

 この時、失意のジョン・ウー監督を救ったのが、この映画の数年後に「香港のスピルバーグ」と評されるツイ・ハーク監督だ。ツイ・ハーク監督は「男たちの挽歌」が公開されたこの年に傑作「北京オペラブルース」を監督、90年代に入って「ワンス・アポンナ・タイム・インチャイナ」シリーズで、これまでにない娯楽性あふれるアクション映画を繰り出して話題となる。

 「男たちの挽歌」は、このツイ・ハーク監督の製作である。彼が台湾で不遇な時代を過ごしていたジョン・ウー監督に手を差し伸べ、製作したのがまさにこの作品なのだ。劇中でも、ホーが失敗する取引の舞台が台湾であるなど、製作者たちの想いを反映しているシーンが随所に見られる。

 落ちぶれながらも、熱い魂だけは捨てず、心も体も傷ついた男たちが手を携え、巨大な敵に立ち向かう姿は、正に自分たちの姿を投影したものと言えるだろう。

 「お前は運命と戦ったことはないだろう?」とは、観客に対する問いであると同時に、製作者の自分自身への問いでもあったのではないか、と思う。

 僕は20代の終わりごろ、身内の事業の失敗で一文無しとなり、住むところも追われた。給与は裁判所に差し押さえられたため、仕事を辞めるわけにもいかず、会社の倉庫にゴザを敷いて寝泊まりしながら、週に4度、泊まり込みでホテルの皿洗いとフロントのアルバイトをしながら何とか生活をしていた。

 当時、世間はバブルで、友人たちは青春を謳歌していた。そんな中、食う金もなく、みじめな気持ちを抱えながら、ギリギリの中で生活していた。そうした状況の中でも、数少ないバイト代を工面し、食べ物を我慢して映画だけは観ていた。

 ある時、40キロぐらい離れた街に住む友人が、僕が勤務するホテルを訪ねてきた。「たまたま近くに用事があったから寄った」と言い、パンと牛乳を差し入れてくれた。彼にはどうしてこんな生活になったのか、理由は言わなかったし、彼もあえて尋ねようとはしなかった。
たわいのない世間話をしたあと、彼は「負けないでね」とだけ言って立ち去った。

 正直、負けそうになっていた時だったので、この励ましは効いた。骨の髄まで沁みた。彼もお金など持っていない。現金を渡すと、僕のプライドが傷つくと思ったのだろう。レジ袋には、不必要なぐらい、たくさんのパンが入っていた。

 あとで聞いた話だが、彼は「たまたま近くに用事など」なかったらしい。雨の日の深夜、僕のことを人づてに聞いて、いてもたってもいられなくなって駆けつけてくれたのだ。

 友情ほど有難いものはない。

 僕はこのときの励ましのお陰で、腐らず、会社も辞めず、何とかこの危機を乗り越えることができた。1週間で数時間しか寝られない時もあったが、彼のあの時の友情と「こんなの俺の運命なんかじゃない。絶対に這い上がって見せる」という意地が僕をすくったのだとつくづく思う。

「お前は運命と戦ったことはないだろう?」

 マークの熱い問いかけを想うとき、僕はあの時の「負けないでね」という友人の言葉を思い出す…。

http://www.google.co.jp/url?sa=i&source=imgres&cd=&ved=0CAYQjBwwAGoVChMIkb3q-t-JyQIVxbqUCh1jzgBR&url=http%3A%2F%2Fblog-imgs-38.fc2.com%2Fc%2Fh%2Fu%2Fchuckykun%2F201012051140160d6.jpg&psig=AFQjCNGkjtk0UY6TepZaZld6xdsR-4A2sA&ust=1447378698964521
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東條先生の思い出  映画つれづれ

東京の書店で目にして買った新書本「天才 勝新太郎」に誘発され、12年ぶりに再会した甥っ子(彼が5歳ぐらいの時、僕が映画の洗脳教育、いやいや英才教育をいたのです)とカツシンの話題で大いに盛り上がったのをきっかけに、久々「座頭市」を中心に、勝新太郎氏のDVDを見まくっている。

とりあえず観たのは、1989年公開、カツシンさん最後となった「座頭市」と、岡本喜八監督のオールスター激突「座頭市と用心棒」(1970年)、個人的にシリーズ中殺陣が最もお気に入りの「座頭市血煙街道」である。

観れば観るほど「いやあ、カツシンはやっぱり凄い!」と再発見するばかりなのだが、そこで忘れられないのが、僕の恩師と言うべき、故・東條正年先生のことである。東條先生は、下松市に住んで高校の国語教師をしていたのが、たまたま見様見真似で書いた初めてのシナリオがコンクールで入賞し、思い切って上京してプロの脚本家になられた方である。

「伝七捕物帳」など、テレビドラマの時代劇を主に執筆されておられたが、勝新太郎氏に重宝された。映画脚本は「座頭市」と並ぶ勝氏の代表シリーズである「兵隊やくざ」のうち、「兵隊やくざ 殴り込み」(1967年)「兵隊やくざ 火線」(1972年)と、北原佐和子主演のアイドル映画「夏の秘密」を手がけておられる。

これは直接、東條先生に伺った話だが、東條先生は映画「座頭市」シリーズの脚本を手がけた笠原良三氏の元で、映画「座頭市」の脚本づくりに携わっている。クレジットはないが、ハリウッドでリメイクもされた(ルトガー・ハウアー主演の『ブラインド・フューリー』ね)「座頭市 血煙街道」でも、深く関わっている。

「ブラインド・フューリー」のことを東條先生に話したら、チェックのシャツに仕込み杖を持ったルトガー・ハウアーの姿に笑っておられ、「やっぱり本家の方が出来がいいなあ」なんて仰っておられた。座頭市を通して東條先生は勝氏と親交を深め、後のテレビシリーズの「座頭市物語」「新・座頭市」に深く関わっていくようになる。

テレビシリーズ、とくに「新・座頭市」は勝氏の独壇場で、現場で演出、物語構成もどんどん勝氏がひらめきで変えていくので、多くの監督、脚本家が逃げ出した、という「伝説」のテレビシリーズ。この舞台裏を支えた1人が、東條先生だった。

2008年11月28日、このブログで、僕が東條先生の死を悼んで記事を書いているので、一部訂正して、ちょっと再録したい。

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僕にとって、恩人と言える方々のお一人である、脚本家の東條正年さんが亡くなった。

80歳ということだが、まだお若く、つい先日お会いして「ゆっくり映画の話がしたいですね」と言って別れたばかり。信じられない…。

東條先生とは、僕が記者のころに知り合った。東京での脚本家暮らしにピリオドを打って、故郷の下松に帰ってこられたばかりだった。

「これから地域のために自分の経験を役立てたい」と言われ、地域の民話を題材に紙芝居を作られたり、地元の久保中学校の文化祭の演劇で脚本・演出を担当されたり、周南青年会議所が「徳山藩」の史実を題材に演劇を上演したときも、脚本・演出を担当された。

東條先生の劇場用作品で代表的なものは「兵隊やくざ・火線」「兵隊やくざ・殴り込み」だが、クレジットされているもの以外にも勝新太郎氏の座付き脚本家として、数多くのカツシン作品を手掛けている。

現場でいろいろとストーリーを変えていく勝さんのお話のつじつまを合わせていく役どころが、東條先生だったのだという。とくにテレビの「新・座頭市」シリーズは、東條先生がいなくては現場が機能しなかったらしい。

「伝七取物帳」など、テレビ時代劇の作品も多く、先日、2ちゃんねるの「時代劇脚本家を語ろう」スレで、「東條正年脚本にハズレなし」との書き込みを見つけて「早速、東條先生にお知らせしよう」と思っていたので、本当に残念だ。

あまりに身近で、今までブログで触れてこなかったことに後悔もしているが、東條先生が中学校の演劇を担当されたときは音楽を手伝ったし、周南青年会議所の演劇のときは会議所のメンバーとして、瓦版売りの役で出演もさせてもらった。

そして何より忘れられないのは、下松市音楽連盟が50周年記念で上演したオペラ「星ふるまち下松伝説」を上演したとき、東條先生が脚本・演出を、僕が舞台監督をさせてもらい、がっぷり四つでお仕事をさせて頂いたことだろう。

このオペラは、当初、オーケストラの作曲と指揮を担当された先生と、お話づくりと演劇部分の演出をされた東條先生との想いに違いがあり、その違いを埋めながら、ひとつひとつの場面を作り上げていくことが僕の仕事だった。

正直、大変だったが、「いいものを作ろう」という音楽の先生、東條先生のご協力があって、超満員の観客の前で素晴らしい舞台ができたときの感動は今も忘れられない。「上手に回ったコマのようだったね。色が違う模様が、まわるうちにひとつの違う、いい色になった」と言われた東條先生の言葉が、忘れられない。

このとき、僕はフリーになる直前だった。ずっとやってきた書く仕事はともかく、イベントやテレビ番組の演出には不安もあった。「いろんなプロの演出家とも仕事をしたが、それと比べても遜色ない。大丈夫、あんたなならできる」と言われたことが、どれだけ僕の「支え」になったことか。

思えば、東條先生から聞いた、昔の映画界の話は、本当に面白かった。カツシンさんの話はとくに強烈で、飲んでいても食べていても、カツシンさんは急に映画の構想の話を始めてしまい、即興で自分で演じて見せた。その演技は本当に魅力的で、いつもメチャクチャなことを言うので腹も立ったが、その演技を見せられると文句も言えなかったという。

それで、亡くなられる直前、東條先生が見舞いに行くと、ベッドの上でカツシンさんはお前が脚本を書いてくれ、と言うと、構想中の「最後の座頭市」の市の“ラストシーン”を演じて見せてくれたのだという。

興奮した僕が「先生、どんなラストなんですか、教えてください!!」と聞くと、東條先生は「だめだよ。勝さんはもう亡くなられたんだから、脚本家として、君でも教えられない。僕は墓まで持っていくよ」と言われた。

「いつか、聞き出してやろう」と思っていたのに、東條先生は本当にお墓まで持って行かれた。

ご冥福を、心よりお祈り致します。本当にお世話になりました。ありがとうございました。


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東條先生から聞いた、まだまだある勝氏のエピソード。

銀座のクラブで一緒に飲んでいると、勝氏が突然「新・座頭市」のある場面を思いついた、と言い出した。絵コンテを書くから、紙とペンないか、とマネージャーに要求するが、銀座のクラブにそんなものはない。

ちょうどその横に、クラブ側が勝氏に書いてもらおうとサイン色紙をたくさん用意してあった。なのに、肝心のサインペンはなぜかそこになかった。すると勝さんは「これでいい」とテーブル上にあったペンシルチョコレートでサラサラと絵コンテを描き出したという。ちなみに、勝氏は絵コンテというか、絵の才能も凄かったらしい。

後日、勝プロで打ち合わせをしていると、勝氏が「あの時の絵コンテだけど、おい、冷蔵庫から持ってこい!」とマネージャーに命じた。東條先生が「??冷蔵庫?」と思っていると、マネージャーがその時のサイン色紙の束を持ってきた。ちょうど季節は夏で、勝氏は「チョコレートだから溶けるんだよね」と言いながら、「溶けないうちに説明するぞ」と言って、キンキンに冷えた色紙を手に演出プランの打ち合わせを始めたという…。

あと、東條先生は「新・座頭市」からかなり経ったころ、仕事が一時期なかなかない時があって、あるテレビドラマの話があって急いで面接に行って、売り込みに、と思って必死にプロデューサーに「勝さんと座頭市やってました」とアピールしたら、そのプロデューサーから「東條さん、『警視K』はやってないでしょうね!もしあれをやっていたら、絶対にあなたを起用しませんよ!」と言われて必死で「あれはやっていない!」と否定して、そのドラマの脚本をやることになった、という話もしてくれた。

東條先生のその頃の口調をできるだけ再現してみる…。

「勝さんはさあ、いきなり町娘を殺しちゃうんだよ!そのあと、出てくるのにだよ!あとのこと、なーんにも考えず、その時、それが面白いからってやっちゃうからね。それでお話の辻褄が合わない、勝先生、どうしましょうか、てスタッフが聞くと、知らねえよ、そんなこと、ここは死なないとダメなんだよ、の一点張り。それで僕に電話がかかってくるのね。で、現場でお話が合うよう考える。そんなことが毎日のように続いたなあ」「警視K、あれは僕から見てもメチャクチャだったなあ。勝さんは天才だけど、筋が書ける人が付いてないと、ああなっちゃんだよなあ。珠緒さんはテレビではチャラチャラしている人を演じているけど、本当はしっかりした人でね。あの人が付いているから何とかなっている」

ちなみに、「警視K」とは、勝氏が製作、演出、脚本を手がけた刑事ドラマで、キャンピングカーで放浪し、なぜか娘(勝氏の実娘が演じている)とそこで暮らしている刑事が主人公(勝氏演じる刑事の名前が賀津勝利・ガッツカツトシ!必殺技は縄に手錠を括り付けて投げる“投げ手錠”!)で、刑事ドラマなのに事件が何も起きなかったり、延々と長回しが続いて空が写っていたりと、セリフも即興やアドリブが中心という、正に斬新で“勝ワールド”炸裂のテレビドラマだった。

その話を聞いて、リアルタイムで「警視K」を観ていた僕は大爆笑だったのだが、東條先生は「警視Kが分かるのか!君は若いのに、いろんなことを知っているなあ」と可愛がってくれた。
先生と昔の時代劇や映画の話をさせていただくことが、本当に楽しかった。

再録した記事にははっきり書いてないが、僕は音楽連盟のオペラの舞台監督をしていた頃、かなり独立するかどうか悩んでいた。佐々部監督と出会い、「映画」に再び夢を見出した僕は、踏み出す決心は固めたものの、家族もいたし、本当に会社を辞める、という踏ん切りが最後の土壇場でつかなかったのだ。

その時、「お前なら大丈夫」と背中を押してくれたのが東條先生だった。先日携わったイベントで、下松市民合唱団が、この時初演された東條先生作詞の曲を歌ったのだが、10年ぶりに聞いて僕は目頭が熱くなった。

今年、僕は独立して10周年を迎えた。先生が背中を押してくださってから、ちょうど10年になるのだ。

東條先生を偲びながら、先生が書かれた「新・座頭市」を再見したい。
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今年1年も終わります。  映画つれづれ

今年は、このブログを開設して以来、最小の更新数だったかもしれません。新作のレビューの腕を磨こうと始めたこのブログももう8年。来年で9年目に突入します。

今年、従来の「シネキング」に加えて、4月から夕方のニュース番組「Jチャンやまぐち」でも毎週金曜日の映画コーナーを担当することとなり、映画について紹介・解説する機会はより増えました。従って、劇場で映画を見る機会は例年より多くなりました。

なのにブログの更新がないのは申し訳ないのですが、しっかりと映画と向き合い、映画のレビューをしていきたい・・・この姿勢はこれからも持ち続けていきたい、と思います。

以前は観た映画全てのレビューを書こうと思い、なかなかそれもできずにかえって更新が滞っていましたが、更新数は少なくても、これからは気に入った映画、自分の糧となった映画について、このブログで初心に帰ってレビューしていきたいと思います。

今年、「百円の恋」「恋」という、2本の映画の製作に関わらせていただき、今までとは違う「映画」と向き合えた一方で、これから「映画」とどう向き合っていくのか、思い悩んだ1年でもありました。

この2本については、冷静にレビューなどできませんが、たくさんのお客様に喜んでいただけた、という点で良かった、と思っています。

今年は、外国映画で収穫が多い1年でした。「アクト・オブ・キリング」「ダラス・バイヤーズクラブ」「それでも夜は明ける」などが印象深かったです。特撮マニアとしては「ゴジラ」も印象的でした。

年末に観た「インターステラー」「フューリー」も良かった。日本映画は年々小粒になっている印象が強く、大手配給作品にもなかなか心惹かれる作品が少なかったのですが、佐々部監督の「東京難民」には心をえぐられました。

今年感じた迷いや想いは来年も引きずると思いますが、真摯に「映画」と向き合い、「映画」に夢や希望を託していくためのステップの時期だとも思い、来年も頑張っていこうと思います。

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いつもの言い訳です!  映画つれづれ

このプログ、映画レビューの力をつけようと始めて、もう8年目になります。

「シネキング」開始前、映画でのお仕事ができることを目指して、独立したときに始めたのだけれど、念願の映画番組を持たせてもらえるようになって、多忙にもなって、こちらの更新は滞るばかりです…。

訪れてくださる方も、多い時は1日70から100アクセスはあったのに、今はピーク時よりかなり少なくなってしまいました。それは、僕が更新しないからだと思います・・・それは、素直に反省しています。

それでも、このプログは、僕にとって、とっても大切な存在です。

番組では自分のこだわりを入れて喋ってはいますが、番組の性格上、ギャグも交え、楽しく紹介しようとしています。ですが、このプログは唯一、僕が「映画」と向き合い、その想いを書ける媒体なのです。

だから、今年はマメにレビューを更新しよう!と決意したのですが、またまた滞ってます。昨年観た映画もまだレビューを書いてない始末です。

まあ、じっくり行きます。

今年に入って観た主な映画は「96時間リベンジ」「渾身」「東京家族」「映画 鈴木先生」「ライフ・オブ・パイ」「つやのよる」「ストロベリーナイト」「ムーンライズ・キングダム」「ゼロ・ダークサーティ」「だいじょうぶ3組」「相棒シリーズXDAY」「遺体 明日への十日間」「フライト」「シュガーラッシュ」「映画クレヨンしんちゃん バカうま!B級グルメサバイバル」「家」「藁の楯」「探偵はBARにいる2」などです。

ちょっとメジャー寄りなのは、テアトル徳山が閉館したことに尽きます。アート系や単館系は、広島や福岡などになかなか行けないのでなかなか観られない!

昨年観たくてどうしても観られなかった待望の「かぞくのくに」は、ブルーレイを購入して鑑賞できましたが、映画は映画館で観るもので、ソフトは決して「映画」ではないので、映画館で観ると印象は違ったと思うので、やはり残念でした。ちょっと言い訳ですが。

ちょっと残念なのは、プライベートでの本数が激減し、お仕事絡みで観た映画が増えたことでしょうか。ゲストにインタビューする場合、どうしても観なければインタビューできませんから、どうしても事前に観ることになっていまいます。

公開前に試写などで観られることは喜ばしいことではありますが、基本、映画は映画館でお金を払って、いろいろな方々と一緒に楽しむ…これこそが、「映画を観る」醍醐味だなあ、と思います。

今年の前半で印象に残ったのは、「映画 鈴木先生」「ライフ・オブ・パイ」「ムーンライズ・キングダム」かな。娯楽性の中にも監督の個性やこだわりが光る作品はやっぱり面白い、です。

さて、昨年印象的だった「アルゴ」「最強のふたり」あたりから、ぼちぼちレビューを再開したいなあ、と思います。

先日、資料として集めているブルーレイ・DVDコレクションから、「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」と「ショーシャンクの空に」を鑑賞しました。落ち込んでいる時、やっぱり「映画の力」を感じました。

ソフトは映画じゃない、と言いながらこれも矛盾していますが…一度、映画館で観たものは、ソフトで観ると確認作業になるので、それはソフトで初見するのとはまた違って…ああ、また僕言い訳していますね…洋画の楽しさは「日曜洋画劇場」や「水曜ロードショー」で覚えたくせに…まあ、何にしても、いいものはいい!、のです。やっぱり。

さてさて、今週、「リンカーン」と「舟を編む」は何としても観るぞ!
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来年も頑張ります!  映画つれづれ

久しぶりに、このブログの記事を書きます。

秋以降、仕事と周南映画祭で目まぐるしく、しばらく更新も途絶えて申し訳ありません。

映画はこのあと観た「最強のふたり」や「アルゴ」など、今年は後半の方が印象の強い映画が多かったように思います。

この間、テアトル徳山の休館など、ショックなこともありました。映画のデジタル化に対して多額な投資が難しいことが休館の大きな理由ですが、今、同じ理由で全国のいわゆる映画館が姿を消しています。


時代の流れと言えばそれまでですし、僕はデジタル化やシネコンも否定するつもりはありませんが、僕たち映画ファンに何の断りもなく、フィルムで映画が観られなくなっている現状はどうなんだろう、と思ってしまいます。

先日、テアトル徳山の通常営業では最後の上映で『アルゴ』を観ました。僕は東京の映画館で観て2度目だったのですが、デジタルで観た1回目とはまるで違う印象を持ちました。やはり、フィルムの質感は独特です。僕が愛する『映画』とは、正にこれなんです。周南映画祭のときも久しぶりにスクリーンで『ブラック・レイン』を観て改めてフィルムの良さを確認しました。

テアトル徳山は、これからも貴重なフィルム上映施設として活用できるように僕も微力ですが頑張ります。

そんなことを踏まえながら、これからも『映画』と向き合っていこうと思います。来年はこのブログでしっかりと作品のレビューをしながら、映画への想いを、ゆっくりとなるとは思いますが、媚びずに綴っていきたい、と思います。

皆様、来年もよろしくお願いいたします。よいお年を!







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チルソク・・・  映画つれづれ

ちょっと前の6月末、山口大学で佐々部清監督の映画「チルソクの夏」上映&講演会があって、僕は急きょ、登壇して監督と一緒にトークをさせていただきました!

僕がしゃべるたび、会場から笑いが・・・。

「監督とのかけあいが、漫才みたいだった」と言われ、嬉しいけれど、ちょっと複雑。真剣にテーマの「地域と映画」について、語ったつもりだったのですが・・・。

それにしても、主催の山口大の学生さんたちの、純粋な一生懸命さに感動!ぎこちなさと緊張感の中に、何とも言えないさわやかさとピュアさがあって、監督も感動されていました!

学生さんたちは昨年の周南映画祭で監督と出会い、「佐々部監督を呼びたい!」という純粋な想いから自分たちで今回のイベントを企画、山口大が進める地域連携プログラム「おもしろプロジェクト」に応募して予算を獲得、苦労して今回のイベントを実現させたのでした。

佐々部監督は、一生懸命な人には、絶対に応える方で、これまでも小さな映画祭やイベントでも、そこに「映画」への愛と、一生懸命さがあれば、理屈抜きで出席されていましたから、ここでもそんな監督の配慮に感動しました。

久しぶりの「チルソク」には、やっぱり感激!僕はこの映画に出会い、佐々部監督の応援をするようになって、ついには会社をやめて、フリーになったのでした。僕は山口大がある山口市で生まれ育ったので、故郷でそのきっかけになった「映画」に再会できて、まるで初恋の人に出会ったようでした。

続く七夕の日に下関であった海峡映画祭での「チルソク」10周年の記念行事&上映は、仕事と体調不良のため、どうしても出席できず・・・。残念でしたが、来年はいよいよ公開から10周年を迎えるので、周南でも何かできないかなあ、と思っています!
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クランクアップ!  映画つれづれ

11月に開催される周南映画祭の「映画製作プロジェクト」で製作している、長澤雅彦監督作品「レンタル彼氏」が無事、クランクアップしました!

このプロジェクト、映画を上映するだけでなく、もっともっと市民参加型の映画祭にしようと、昨年の周南映画祭でワークショップを開催してくださった長澤監督の御提案で発動しました。長澤監督以下、スタッフ、キャスト共に全員が地元の人々です。監督の指導の元、2月から準備を進め、ようやく撮影になりました。

そして、出演者は、全員が地元の高校生!

とくに、華陵高校舞台芸術部、桜ケ丘高校アーティストコース、新南陽高校演劇部の皆さんには多大なる尽力を頂きました。ありがとうございました!徳山高校の生徒さんにもご出演頂きました。

ある女子高校生が、誕生日のお祝いで、1日だけ親友の彼氏とデートするという、ちょっぴり切ないお話です。

全国でフィルムコミッションが立ちあがり、映画の誘致が進んでいますが、実際は不況などで地方ロケが減っているのも現状です。

そうした中、山口県において、プロの映画監督の指導と演出で、映画づくりに興味と情熱を持つ地元の人たちが集まって「映画づくり」をすることは、新たな「映画」の可能性を広げるとともに、地方の映画文化発信や向上にとっても、とてつもない大きな意味を持つ、と信じています。

「夜のピクニック」「天国はまだ遠く」などで知られる長澤監督が、徳山大学の教授に就任されて2年。こうした機会を与えて頂いた監督に心から感謝します!映像や演劇を志す大学生や高校生たちにとって、計り知れない刺激と影響を与えたと思います。

長澤監督も妥協を一切することなく、渾身の演出をされ、それに応えて、スタッフ、キャストも頑張りました。何より、現場で演じる高校生たちが、監督の演出で生き生きと成長していく姿は、何度も鳥肌が立ちました。彼ら、彼女たちのピュアな感性は素晴らしいものがありました。少しモニターで観ましたが、ゾワゾワするような「絵」が撮れています!

夏にはもう一本、大人が出演する短編を撮影し、映画祭では2本立てで公開する予定です。乞うご期待!!

この写真は、僕が撮ったスチールです。映画のスチールって、難しい…。

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