2014/12/30

今日は久々に革靴テレツアー。
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暖気でクラストした雪は手ごわかったけど、登って滑って繰り返すたびに楽しい。
雪質ひとつでボロボロにさせられるところが、やっぱテレマークだなぁと。

遊んだ後は丁寧にメンテ。
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原点回帰な一日でした。
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2014/12/16

化身  nature
陽がどっぷりと暮れ、シカたちの撮影を終わったような気分でいた。
そのまま車を走らせていると、強烈な“気”が僕を打ち抜いた。
慌てて急ブレーキを踏み、“気”のほうへ視線をやると遥か遠くに違和感のあるシルエットが見えた。

オスジカだ。
片角がない。。。
しかし物凄いオーラを放っている。

オスジカにとって角がないことは致命的である。
なのにこの存在感はなんなのだろう?

その勢いに無我夢中でカメラの設定も気にせずシャッターを切ってしまう。
案の定まともに写らず、お願いだ三脚を立てる時間だけ与えてくれと急いでセッティングした。
完璧にピントが合っているかもわからないままシャッターを押し続けたが、
ふと我にかえって冷静に設定をし直してから顔を上げるとそれはいなかった。
わずか3分。 7枚の写真。

あんなに細い砂州でそれは無い。
しばらく呆然と眺めていたが出てこなかった。

真っ暗になってからあの出会いの意味を考えていた。
ふとその答えが頭をかすめたころに眠りに落ちた。

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【化身】

翌朝、まぶしい光で目が覚める。
とうとう起きれなくなったようだ。
僕は一杯のコーヒーを淹れ、家路に向かってアクセルを踏んだ。
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2014/12/15

ユクモシリ 【エゾシカの大地】  nature
その巨体は微動だにせずこちらを見ていた。

互いにピクリともせずしばらくの時間が経った。
ふいに巨体は振り返り、夕陽に向かって体をゆったりと揺すりながら歩んでいった。
海風で、穂先が優しい金色に輝き、ようやく細めた眼でファインダーをのぞいた。
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【in GOLD】




日中、大きな角を持つオスジカ2頭のハレムの横へ、動いてるかどうかのスピードで静かに車をつける。
2m。 逃げない。あまりにも近すぎる。
全員が僕を見たが、僕は目を閉じた。
再び彼らの草を食む音がする。
少しうねり気味の波の音が背後から届き、漁のおこぼれを捕り合う鳥たちの声が風に乗ってやってきた。
枯れた葦に同化したハレムは、そのままゆっくりと消えていった。
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【ハレム】



陽が落ちてゆく。
美しい海岸にレンズを向けていると笹原からニョキリと角が現れた。
何の迷いもなく角は揺れながらこちらに向かってくる。
「おい、近すぎるぞ」 と、僕のほうから気配を送ってあげると一瞬歩みを止めて少し方向を変えてから目の前を通り過ぎていった。
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【あゆみ】

この瞬間、僕はにやりとした。
ごく自然な動物同士のあいさつにたどり着いたからだった。

狩られる心配が消えた瞬間、どこまでも普段の姿を見せてくれるユクたち。
今の時代に【獲物】として君臨できる大地にふさわしい美しさを醸し出していた。

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【Nostalgic blue】

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2014/12/14

オブジェ  〜野付半島  nature
夕焼けが始まった時間に野付半島に着いた。
しかしにわか雪で目の前は真っ白だ。

それでも太陽がわずかに顔を見せ始め、
雪雲が遠ざかり、夕焼けの色の中で様々なシルエットが浮かびだした。
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この場所は夕焼けが最も似合う場所だと思う。
枯れ果てた老木でさえパワーを持ち、魅力的だ。
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月夜になってナラワラという場所で撮影する。
少しづつ潮が引き始め、月の光が当たるとともに表情を変え、目の前の被写体は多きく変化してゆく。
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ナラワラとはかつてのミズナラの森が地盤沈下の為に塩害を受けて枯れていくところだ。
月の灯かりで妖しげな姿に早変わりする。

僕はこの場所で寝て夜明け前に撮影を再開した。

引き潮で湿地のようになった場所を雄鹿が遠くで悠々と渡っていた。
夜が明け、ナラワラの新しい顔を垣間見る。

オレンジに染まる空と海とは対照的な、淡いブルーに身を包む。
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やがて消えゆく世界とは思えない色づかいだった。
ナラワラは死してなお最高のオブジェとなり、鳥たちの狩りのランドマークとなる。
完全に朽ちて消えた時こそが固体としての死だとしても、
そのすべてが母なる海へ融け込む様こそは、永遠の生とも言えるのだろう。


この場所に来て一番の印象的なものは【色】 だった。
それもメタリックブルーだ。
海が凍り、夕暮れ、朝焼けの中でオレンジとともにそれ以上の存在感を持つすメタリックブルーなのだった。
山の雪では見たことのない色だ。
この色を見られただけで、幸せで豊かな気持ちにさせてくれた。
色彩の地でこれからの撮影が楽しみで仕方なかった。
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2014/12/12

海原  nature
よし。そろそろ海へ出よう。

この旅を計画した時、海が見たいと強く思っていた。
数年前に友人がこの時期の道東の海岸線を見て欲しい。と言われていたのを思い出したからだ。

湿原から霧多布岬へ向けて走る。
海岸線にでると、そこにはなんとも言えないシンプルな光景が広がっていた。
低く黄色い笹が地表のほとんどを覆い、背がひときわ低いミズナラなどが点々としか存在せず、
その向こうには果てしない海があるだけ。
この湧いてくる感情をどう表現すればいいのか解らずじまいで、結果的に撮れなかった。
この感覚はいまでもくすぶっている。

日没直前に霧多布岬に着いた。
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右から左まで水平線だなんて本当に久しぶりだった。
夕焼けで変わりゆく空の色の美しさ、夕陽と満月の存在感に安らぎを感じた。
それとは対照的に日が暮れた後のうねる大海のエナメルチックな深い色合いに、恐怖と言うか吸い込まれてゆく何かを心の奥で感じていた。
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このまま隣の落石岬で撮影をしようと思っていたのだが、
海への感情を整理できないままでいたので、今回は見送って根室の春国岱へ行ってみた。
実を言うと、まだ見ぬこの場所で撮れるであろう風景が、すでに脳の中に出来上がった状態で見えてしまったからだった。
「呼ばれている」という感覚に間違いはない。

夜中に到着して車を降りると、頭に出てきたイメージそのもので驚いた。
「あとは、、、月か。。。」
数時間だけ眠り、カメラをセットした時にはまさしくその風景がそこにあった。
もう驚きもせずただ淡々とその風景に心を浸しながら、目覚めてゆく湿原の声たちを聞いていた。
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夜が明けて朝食を頬張ると木道を歩きだす。
春国岱は根室半島の付け根にある3連の砂州でできた海岸線だ。
人にとっても野生生物にとっても大事な猟場で、互いの共生が昔から成り立っている場所らしい。
少し進むと目線が合った。 エゾシカだ。
僕は枯れたアカエゾマツのように動きを止め、視線を外してあげる。
5分、10分もたったろうか、向こうは僕を危険な対象から少し除外してくれたようで草を食べ始めた。
僕も顔を合わせないように動き出し、少しずつシャッターを押す。
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海風にさらりと揺れる葦から見える彼らの自然体はとても優しかった。

それにしてもこの時期の春国岱の風景に驚いた。
なんというか、、、
わずかに残る色だけが、せめてもの救いだった。 という感じだろうか。。。
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『厳しすぎる』といえばそれまでなのだが、どうやらそれだけでない感じが滲んでいた。
友人の言っていた意味がほんの少しつかめたような気がした。
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2014/12/12

絆    nature
あのおじさんに会ってから、僕の直感が目覚め始めた。
あの高台でタンチョウの家族に出会ったあと、彼らの目の高さで湿原を感じようとウロウロした。
釧路湿原を一望する他の高台へ移ると夕焼けが始まった。
釧路の街が遠くに見え、もう一方は果てしない原野。
かつてこの場所が海だったことを想像すると、広く浅い海という猟場が見えてきて、物凄く芳醇な風景になった。

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かなり遠くからタンチョウの鳴き声が聞こえる。
その空気感がたまらない。
強い光に全てのものがコントラストを消し、輪郭を失った町も湿原も声もが融けていった。
数枚だけ写真を撮って、あとはこの空気を楽しんだ。

夜になって湿原に降りる。
大きく曲がりくねるミズナラやハンノキ。
川の流れが音を立てる。
  『チョプッ』  『チャプン・・』
それと文字では表せない、ゆったりとした川そのものが持つ流れの音。
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なんとも言えない雰囲気に、あの家族はきっとあの場所でいる。 
そう確信し、ぼくも少しの眠りについた。

翌朝、まだ真っ暗のうちにあの高台に立つ。
ゆっくりと空の色が変わり、霜に覆われた湿原が目を覚ます。
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「いた。」 
やはり一度は飛び去ったものの、ここをねぐらにしていた。

夜が明けきると彼らは食事を始めた。
良く観察をしてみると、かなり優れた猟場であることがわかった。
見えるかどうかほどの薄氷が半分ほど沼に張っていて、その境目に魚がいっぱいいた。
遠くから見ても魚が跳ねているのが良く見える。
この猟場を家族だけで占有するにはそれだけの力が備わっており、珍しく幼鳥が2羽育っているのだ。

しばらく見ていると、オジロワシの波状攻撃にさらされていた。
家族が採った魚を力ずくで奪おうとしている。
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何時間も何時間も続く執拗な攻撃に、家族は一丸となって立ち向かっていた。
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親鳥も幼鳥も大きな羽を広げて飛び上がり、果敢にオジロワシを跳ね除けた。
やがて諦めたオジロワシは消えていった。

「本能的にすべての力を合わせて生きてゆく」 

その家族の力強い絆は、こうして書いている今もあの一角で繰り返されているだろう。
誰も見ていない原野で、人の為でもなく、ただ自分たち家族の為だけに生きている風景が今なおあることになにかココロがほっとして、僕はその場を立ち去った。
僕の顔はきっと微笑んでたに違いない。

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2014/12/11

地元カメラマンが教えてくれたこと  道東編  photo
釧路に入って初日の夕方撮影を終えると夜間撮影(というかテスト撮影)に移った。
場所はタンチョウの寝床で有名な音羽橋。
真っ暗の中で撮影していると通りすがりの車が止まり、おじさんがやってきた。
「撮れるかい?」
地元でタンチョウを撮ってるらしいカメラマンだった。
「おれも夜に撮ってみたけどいまいちダメだ」
「この場所もタンチョウがいっぱい入んなくなってなぁ、ダメなんだわ」

ぼくは適当に合わせて
「ふ〜ん、そうなんですか〜」

おじさんはどこから来たのか僕に尋ね、美瑛だと答えると
「ほぉ〜遠いとこから来たのになぁ。今年はまだあんまりタンチョウがいなくてダメなんだよ」

「今日は月が明るいなぁ。でも今日はダメだな。川面が月灯かりで輝くには月が高い位置に来るからな。俺もやったことあるけどダメだった」

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そう言われても僕には数日間で何かを撮るしかない。
そして僕のカメラにはしっかりと、この場所の生態が写しだされていた。
作品のレベルには程遠いけど、そこにはタンチョウの家族、その近くを歩くシカの親子もいた。
連続写真の中にはタンチョウの真横を歩いているのが写っていた。
「お互い天敵じゃないから隣を通っても平気なんだな〜」

やがて白鳥が降立ち、タンチョウの横を泳いでいたり飛んだりしていた。
タンチョウはというと、しばらくはモゾモゾしながらあっちウロウロこっちウロウロしていたが、やがて眠りについてほとんど動かなくなり、川面は静まりかえった。

そんなカメラでしか見えない夜の風景をずっと見ていると楽しくなってきた。
そして作品作りを撮影し始めた。
でもテストで写したこの写真が一番好きかな。
中央にタンチョウ、左にシカの家族が豆粒のようにブレて写っている。
たったこれだけで、ただの川面が生命の息吹に満ち溢れている。

夜間撮影を終えてぼんやりおじさんのことを考えていた。
きっとおじさんには、想像の中で思い浮かぶことのできる最大級の映像を撮ることしかできなくなってるんだなぁ。
でも、最近のぼくにもそんなところあったなぁ。
人にはあんなことを言わないけど、目的の撮影があっても天候がベストじゃなかったら「いまいちだな。今日は止めとこう」って。
それでいて少し良くなったらミスったかぁ。ま、仕方ないなって。
天候の安定しない大雪山でこれを繰り返すとカメラを握ることができなくなってしまう。

やはりフィールドに出て、見て、感じて、多くの無駄の中に時々何かが降りてくるように現れるのだ。
それは目的の風景だったり、思いもかけない出会いだったり。
結果的にはその場で時間を過ごした僕の心象風景で、
いいのが撮れる時は必ずと言っていいほどそうだった。

旅に出る直前、偶然にもジム・ブランデンバーグというナショナルジオグラフィックのカメラマンの言葉を読んでいた。
http://www.nikon-image.com/enjoy/interview/nps/magazine/worldphotographer/jim_brandenburg/

旅の初日。
このおじさんと出会えたことは僕にとって凄くラッキーだったと思えた。

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2014/12/9

サロルンカムイ(葦原にいる神)  nature
アイヌから「サロルンカムイ(葦原にいる神)」としていわれるタンチョウヅル。
道東へ撮影に来て初めて出会ったのがタンチョウだった。

見ているといつも家族一緒。
仲良く並んで歩いているとほほえましく、こちらもいつの間にか微笑んでしまっていた。
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【あしなみそろえて】

朝陽が黄金色をしながら昇ってきた。
ねぐらから飛んできたつがいはふわりと降り立ち、朝食をついばむ。
大きな体と相まってか、とても優しく輝いていた。
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【静かな朝】

町中の畑にはこんな光景がそこここに見られる。
ごく普通に家の庭に居たりするのが普通なのだった。
その中でもセンクチュアリは手厚い保護がされているせいか、もちろんカメラマンが多い。
しばらくして僕はその雰囲気で撮るのに飽きてしまい、誰もいないところを探していた。
直感的に「ここだ」と思った場所があった。
もちろん誰もいない。
高台に上がって見下ろすと、果てしない湿原野にタンチョウの家族がいた。

何時間も見ていた。

最後に家族が飛び去ってゆくのを見ながら、「これこそが原始の風景」だと確信した。
サバンナのような枯れた湿原を真っ白なタンチョウがゆっくりと飛び去る。
「これだったんだ」

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【葦原にいる神々】
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