奈留島ゴミ箱131ヶ所巡り・奈留島百人一首に続いて、天皇陵巡り掲載中。

2017/3/10

2−1綏靖天皇陵  天皇陵巡り
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 初代神武天皇は、まだ日向の国にいる時に、アヒラヒメとの間に二人の子をもうけていました。
東征には后(キサキ)のアヒラヒメは置いていきましたが、兄の五瀬命と共に、我が子の内長兄のタギシミミノミコトも引き連れていっています。
 大和で政権樹立後は、正式の大后(オオキサキ)として、三輪の大物主神の娘ヒメタタライスズヒメをめとり、ヒコヤヰノミコト・カムヤヰミミノミコト・カムヌナカハミミノミコトの3人の息子が産まれています。
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 神武天皇が亡くなった後、先妻の子タギシミミノミコトは後妻で未亡人になった義母でもあるヒメタタライスズヒメをめとり、天皇の位も得ようと、3人の異母弟を暗殺する謀を計画しました。
これを知ったヒメタタライスズヒメは、実子を殺されると、
 「狭井川よ 雲立ち渡り 畝傍山
           木の葉さやぎぬ 風吹かむとす」
と詠んで、実の息子たちに警告を発したそうですが、なんでこれで分かったのか、私にはもひとつ理解できませんが、簡単にわかるようでは相手にも分かってしまいますものね。
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 殺される前に義理の父になったタギシミミノミコトを殺そうと、兄弟は押し入りましたが、寸前になって兄のカムヤヰミミノミコトは怖気づいて、殺すことが出来ませんでしたが、末弟のカムヌナカハミミノミコトは躊躇なく義父を殺したので、兄はこの失態を恥じて皇位を辞退し、末弟のカムヌナカハミミノミコトが即位して、第2代綏靖天皇(スイゼイテンノウ)となりました。
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 綏靖天皇は師木県主(シキノアガタヌシ)の祖であるカハマタビメを妻として、シキツヒコタマデミノミコトをもうけ、葛城の高岡に宮殿を作り、天下を治めたと古事記に記されています。
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 綏靖天皇は在位33年で、古事記では45歳、日本書紀では84歳で亡くなり、ここ桃花鳥田丘上陵(ツキダノオカノエノミササギ)に葬られたそうです。
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 この綏靖天皇陵は、神武天皇の畝傍山東北陵のすぐ北の平地にありますが、江戸時代はこちらが神武天皇陵であると言われていてて、綏靖天皇陵と直されたのは明治になってからですので、ここに誰が葬られているのか、そもそも葬られた人がいるのかも分からないでしょうね。
 
      返事
花水木さん:伊吹山、いつも南側から見ていますが、
    全く違う山容です。
タグ: 天皇陵

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