奈留島ゴミ箱131ヶ所巡り・奈留島百人一首に続いて、天皇陵巡り掲載中。

2019/5/20

47-3大夫人山背  天皇陵巡り
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 当麻山背(タイマノヤマシロ)は前回の舎人親王の何人かの妃の一人で、733年(舎人親王は57歳ぐらい)に第7皇子になる大炊王(後の淳仁天皇)を産んでいますが、その時に当麻山背が何歳だったかは不明です。
 息子の第47代淳仁天皇の淡路島の陵から少し歩くと、いかにも陵らしい写真の丘が見えてきました。
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 それから25年経った758年に、急に我が息子が天皇になってしまいましたので、天皇の母として大夫人(オオミオヤ・ダイブジン)と尊称されるようになりました。
とっくの昔に死んでいた夫の舎人親王も759年には、天皇の父として崇道尽敬皇帝と追号されたので、追尊天皇崇道尽敬皇帝妃大夫人山背(ツイソンテンノウスドウジンキョウコウテイヒダイブジンヤマシロ)となったのです。
 小山の頂上まで、真っ直ぐの石段がのびていました。
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 ただし、淳仁王朝を完全に支配していた藤原仲麻呂が764年に恵美押勝の乱をおこし、あっけなく孝謙上皇方に負けてしまいましたので、息子の淳仁天皇も捕えられ、親子して淡路島に流されてしまい、当麻山背はその後消息不明です。
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 息子淳仁天皇はその後殺されたようなので、母もその時一緒に殺されてる可能性大です。
でも墓は息子の陵に近い所に淡路墓(アワジノハカ)として作られていますが、多分あと付けの様な墓だと思います。
遠い淡路まで、宮内庁の目が行き届いていないのか、制札は新しいですが、字自体は子供が書いたような感じです。

      返事
花水木さん:昔の嫌なことを夢に見ることはあります。
    辛いですが、それでも前向きに生きてるほうだとは思ってます。
    自分のことを忘れるのは良いのですが、歌の文句ではないですが、
    自分のことを忘れられるのは辛いですね。

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