2008/10/31
奈留島121ヶ所ゴミ箱霊場観光巡り 15 奈留島121ヶ所ゴミ箱霊場観光巡り

第14番霊場から第15番霊場へ歩く途中、大串湾の一番奥に日枝神社が有りました。
やはり平家の落人が住み着き、一宮を建立して信仰したのが始まりと言われています。

平清盛の弟で、若くして死んでいるはずの平家盛が、壇ノ浦の戦いの後逃れて、五島の北、宇久島に流れ着き、この子孫が五島の殿様になっていると言う話があるくらいですから、平家の落人は日本全国どこにでも行ったようですね。

第15番霊場城○一○宅付近(道路右側)のゴミ箱もブロックに蓋は網という、簡単な造りです。(コラ!そっち行くな!)
一見するとゴミ箱とは見えないような、いやいやこれがゴミ箱の原型なのかもしれません。

霊場の前からグルッと大串湾が望めます。島に来てからは、一ヶ月に50kmも走らない愛車も大分古くなって来ました。

2008/10/30
羽 奈留島



奈留島を歩いていると、烏や鳶の羽が道路に落ちているのをよく見かけます。
ついつい拾って持って帰っては、何もせずに又ほかしてしまいます。
鳥インフルエンザには真っ先に罹りそうなので、何でも拾うのは、もう止めるようにしなくては。

今回始めて、これを拾いました。
たぶんこれは、雉の雌の羽ではないでしょうか?
島内では、時々歩いている雉の夫婦を見ることがあります。
夫に比べて明らかに地味で、見劣りする妻の姿が、可哀想なぐらいですが、こうして羽だけを見てみると、なかなかスッキリと綺麗です。
ピーターパン?ロビンフッド?チロルの人?が帽子に付けているのはこの羽ですかね?
違うか?
気づかぬままに、アクセス数3万を越えていました。
ありがとうございます

2008/10/27
奈留島121ヶ所ゴミ箱霊場観光巡り 14 奈留島121ヶ所ゴミ箱霊場観光巡り

第14番霊場大串簡易郵便局付近(道路右側)のゴミ箱は、第13番からほんの少し歩いた場所に鎮座しています。
蓋は無く、網がかかるだけの簡単な造りになっていました。

ここからは、ゴジラの出る土手が間近に見え、
最近その上に作られた漂着物監視アンテナ?もはっきりと見ることが出来ます。

第14番霊場の先の道を、右にどんどん上って行き、突き当たった土手の急坂を登ると、
そこはもう別世界、文麻呂さんもお待たせしました。
私も大好きな、奈留八景?の一つ、野首です。
今回は、夕景の写真も出してみました。

土手に登って、アンテナを近くから見ると、どう考えてもゴジラ監視用アンテナにしか見えないでしょう!

ここは、いつも東シナ海からの風が吹き、ここに登ると西の端、西方浄土にも近いイメージがわいてきます。

そこで、「オーイ」とか、「バカヤロウ」とか、「南無妙法蓮華経」とか、叫びたくなりますが、そんなことをすれば、ゴジラを驚かすことになるので、いつも心の中で、
「なんでここまで来たんだろう?」と叫んでいます。

2008/10/26
奈留島121ヶ所ゴミ箱霊場観光巡り 13 奈留島121ヶ所ゴミ箱霊場観光巡り
菊花賞、久しぶりに悔しい! あんなに馬連が付いていたのなら、馬連にしとけばよかったと思いましが、5が3着で終わり、後の祭りでした。
長男からは、「ワイドが完璧に来たが、3連複も買えば良かった。」と、2人の息子から連絡あるのは、いつも競馬の自慢の時だけです。
私も息子に連絡したいのに、なかなか機会がありません。天皇賞は固そうですし。
蛇足ながら、10月26日(本日)は26で、風呂の日だそうです。
2着にきた馬 1番のフローテーション は風呂→フロ→フローテーション(浮力)で買いなさいと、井崎さんが九スポで勧めていたので、買いました。

日曜の当直は、小雨の中、静かに過ぎています。
さて、霊場巡りに戻りましょう。
第12番霊場から、大串湾に沿って歩くとすぐに、
第13番霊場城○酒店裏付近(道路右側)のゴミ箱が夕日を浴びて輝いています。
同行二人、私の影とフークに姿を変えたお大師さんの影が、霊場の周りを巡ります。

この霊場の蓋も、木と金網で出来ていました。
この先の道を右に折れ、道なのか家の縁先なのか区別しにくい道を、少し行くと薬師堂が有ります。

中には多数の仏像が置かれ、数人のおばあさんが御詠歌?を唱えていました。
引きずり込まれた私は、半分休憩のように読経を聞いていました。

薬師堂の右手の道は、木々に囲まれて、緑のトンネルを進むような道ですが、しばらく行くと、通称寺屋敷と言われる古い墓石群にぶつかります。

たぶん、鎌倉か室町の頃の墓石もあるのか、以前紹介した上五島の曲遺跡と同じような発生なのでしょうか?
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長男からは、「ワイドが完璧に来たが、3連複も買えば良かった。」と、2人の息子から連絡あるのは、いつも競馬の自慢の時だけです。
私も息子に連絡したいのに、なかなか機会がありません。天皇賞は固そうですし。
蛇足ながら、10月26日(本日)は26で、風呂の日だそうです。
2着にきた馬 1番のフローテーション は風呂→フロ→フローテーション(浮力)で買いなさいと、井崎さんが九スポで勧めていたので、買いました。

日曜の当直は、小雨の中、静かに過ぎています。
さて、霊場巡りに戻りましょう。
第12番霊場から、大串湾に沿って歩くとすぐに、
第13番霊場城○酒店裏付近(道路右側)のゴミ箱が夕日を浴びて輝いています。
同行二人、私の影とフークに姿を変えたお大師さんの影が、霊場の周りを巡ります。

この霊場の蓋も、木と金網で出来ていました。
この先の道を右に折れ、道なのか家の縁先なのか区別しにくい道を、少し行くと薬師堂が有ります。

中には多数の仏像が置かれ、数人のおばあさんが御詠歌?を唱えていました。
引きずり込まれた私は、半分休憩のように読経を聞いていました。

薬師堂の右手の道は、木々に囲まれて、緑のトンネルを進むような道ですが、しばらく行くと、通称寺屋敷と言われる古い墓石群にぶつかります。

たぶん、鎌倉か室町の頃の墓石もあるのか、以前紹介した上五島の曲遺跡と同じような発生なのでしょうか?

2008/10/25
奈留島121ヶ所ゴミ箱霊場観光巡り 12 奈留島121ヶ所ゴミ箱霊場観光巡り

土日当直の1日目は、3人入院ぐらいでボチボチ過ぎていってます。
敬老会を隣でやっていました。
60歳になったので、もしかしたら、何か貰える権利が有るかと思って行ってみましたが、75歳以上からでした。
敬老の権利まで生きられるかどうか、まだまだなかなか、心配です。

第11番霊場からは、ぶらぶらと歩き始めてすぐ、少し道が広くなったような広場に、大串バス停のログハウス様の小屋が有ります。
バスを待つのは、1匹だけでした。(写真クリックしてください、ゴジラの土手も少し近くなりました。)

丁度その前に、第12番霊場大串バス停待合所前のゴミ箱が有りました。

ここの蓋も金網状になっていましたし、左横には傍塚様のブロック囲いも付属していました。

側面には大串湾がずっと広がり、ここに沿って半円を描くように第18番霊場まで歩きます。
大串地区は、たぶん奈留島でも、人々が最初に(早ければ縄文時代)住み着いた所だと思います。
良港と付近の豊富な魚場に助けられ、そこそこに生活できるぐらいの繁栄を、ずっと続けていたようですね。
地区内での血縁も濃いが、その反面、北海道まで漁に出かけ魚と共に嫁さんも獲ってきたような人もいて、奈留島内でも 「大串もんは、アバラが1本少ない。」 と、奈留の他の地区の人とは違うと思われているようです。
確かに、大串の人はいつも喧嘩しているような喋り方で、声は大きいし、人の言うことはあまり聞きません。 ですが、馴染んでしまうと、なかなか人情味あふれて、親切で、暖かな味のある人が多いと思います。

2008/10/24
奈留島121ヶ所ゴミ箱霊場観光巡り 11 奈留島121ヶ所ゴミ箱霊場観光巡り

大串の村の入り口にある、簗○正○宅とは何故か少し離れて、
第11番霊場簗○正○宅付近(道路右側)のゴミ箱が有りました。
城○義○宅付近と言ったほうが正しいかもしれませんが、公式名には逆らえません。

ゴミ箱も各村々によって少しずつ違うのか、ここ大串では蓋だけが金網になっているゴミ箱でした。
潮風をまともに受けた老漁師のようなゴミ箱霊場です。

ここから大串のずっと先にある、「ゴジラの出る土手」が見えてきます。
{特殊撮影の都合で、ダムや土手の向こうにゴジラ、画面手前に人や自衛隊の戦車という撮り方が、昔は多かった。その土手です。}
最近はこの土手の上に、怪しげなアンテナが建てられ、国家としてのゴジラ監視体制が整ったのか、私がこの土手を見つけて以来、ゴジラはまだ出てきていません。

2008/10/23
福江島あちこち2 五島列島

珊瑚の富江から、今度は北に走って、楠原教会を通り、昔、宇久五島家の城があった城岳展望台に上りました。
嵯峨島・三井楽から奈留島まで見えると書いてありましたが、奈留島はどれか分かりません。
手前には、白石湾と魚津ヶ崎の海が、箱庭のように広がっていました。

展望台からたくさんの人が見えたので、魚津ヶ崎(ぎょうがさき)公園に行ってみると、コスモス畑が満開です。
(写真クリックお願いします)
福江在住の知人二組から挨拶されました。私も有名になったのか、フークが目に付いたのか。

この辺りは、遣唐使船の最後の寄港地だったので、
「白石のともづな」
風待ちの遣唐使船がとも綱を結わえたという石です。
写真のように、杭のような立派な石で、字が刻んでありました。 と思ったら。


危うく騙されるところでした(単なる私の早とちり)、杭のような石は単なる記念碑か?
本当の「ともづな石」は、この横のお堂の中に、屈まないと見えない高さ50pぐらいの小さな石でした。
ボートも結わえないような小さな石なので、本当にそうだったのか疑問がわきます。
「義経の腰掛石」と言われたほうが納得がいきそうです。

2008/10/21
高校同窓会 京都の思い出
昭和42年(1967)に京都市立堀川高校を卒業して40年以上、還暦の同窓会で京都に帰りました。
土曜日の早朝に奈留島を出て、車→フェリー→ジェットフォイルで長崎に→特急かもめ→新幹線→地下鉄と8時間30分で京都に。

私の出身高校は音楽コースが有名で、今をときめく指揮者の佐渡裕さんも卒業生ですが、普通科はたいしたことはありませんでした。
当時1学年13クラス、650人いた内100数十人の出席です。
三次会まで行って、喋って10時間。

京都の家に帰って、まだ起きていた娘と喋って、睡眠は5時間。
朝、家の窓から見えるイチョウは、もう黄色くなっていました。

この前鹿児島から送った「白くま」を、朝から一個食べました。
レンジで少しチンするのですね。
それ程感激はなし!

そのあと近くの店で、娘と二人でランチデート。デザートはあんみつでした。
今回は娘と5時間ぐらい過ごせました。
例によって何をおいてもやる麻雀が、5時間30分。 まだ勝てます。
帰りは、地下鉄→新幹線→車→博多港から「太古」で月曜日の朝8時奈留島到着。
13時間の往路です。
まだチョット疲れていますが、阪神がなんとなく肩すかしのような感じで終わってしまったことも影響しているのでしょうか?
怒りはこみ上げず、「まあ仕方ないか」と思ってしまうのは、関西から遠く離れて情報が少ないためか?私の野球(阪神)熱が冷めた為か?
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土曜日の早朝に奈留島を出て、車→フェリー→ジェットフォイルで長崎に→特急かもめ→新幹線→地下鉄と8時間30分で京都に。

私の出身高校は音楽コースが有名で、今をときめく指揮者の佐渡裕さんも卒業生ですが、普通科はたいしたことはありませんでした。
当時1学年13クラス、650人いた内100数十人の出席です。
三次会まで行って、喋って10時間。

京都の家に帰って、まだ起きていた娘と喋って、睡眠は5時間。
朝、家の窓から見えるイチョウは、もう黄色くなっていました。

この前鹿児島から送った「白くま」を、朝から一個食べました。
レンジで少しチンするのですね。
それ程感激はなし!

そのあと近くの店で、娘と二人でランチデート。デザートはあんみつでした。
今回は娘と5時間ぐらい過ごせました。
例によって何をおいてもやる麻雀が、5時間30分。 まだ勝てます。
帰りは、地下鉄→新幹線→車→博多港から「太古」で月曜日の朝8時奈留島到着。
13時間の往路です。
まだチョット疲れていますが、阪神がなんとなく肩すかしのような感じで終わってしまったことも影響しているのでしょうか?
怒りはこみ上げず、「まあ仕方ないか」と思ってしまうのは、関西から遠く離れて情報が少ないためか?私の野球(阪神)熱が冷めた為か?

2008/10/17
福江島あちこち1 五島列島

大瀬崎の夕暮れを観てから、宿泊は荒川温泉です。(フークは例によって車中泊まり)
一度自転車で泊ったことはありますが、温泉や付属の共同温泉はなかなかいい湯です。
せっかく車で来たので、ぶらぶらと、行けなかった福江島の名所を、あちこち廻ってみました。
空港近くの喫茶店「山」にもやっと行けて、レアチーズケーキも食べました。
福江島では有名な、富江のラーメン屋にも行って(甘いシナチク)昼食。


富江の只狩山展望所からの眺めと、
珊瑚獲りの海難事故を主題にした、富江が舞台の、新田次郎の「珊瑚」(なかなか面白い小説です)の記念碑も見て、
昔々、「お嫁においで」と言ってしまった家内に、「珊瑚でこさえた〜あかい指輪あげよう」と、五島の記念にとうとう買いました。
この旅の私の目的は無形の大瀬崎ですが、彼女の目的は有形の珊瑚の指輪です。(もっとも珊瑚は赤が極端に高いので、買ったのは赤い色の珊瑚ではありませんが)


めずらしく海から離れた場所に建つ楠原教会
昭和41年の写真では、背丈ぐらいのやしの木が、今は大きく高くなっています。
この正面の2本のやしの木がチャームポイントの、堂崎天主堂に酷似した、赤レンガ造りの教会でした。

2008/10/15
大瀬崎断崖(灯台) 五島列島

「九州本土で最後に夕日が沈むところ」(五島列島も九州本土なんですかね?)として有名な、
大瀬崎断崖(灯台)
お客さんが来る度に連れて行って、もう5回目ぐらいですが、いつもは展望所から見るだけなので、

今回はこの案内板に誘われて(徒歩40分)、灯台まで歩くことがメインの旅です。
道中の標識によると、片道1200mぐらい、
老夫婦と犬の足では、行きは下りで25分、灯台でゆっくり休んで、結局全行程80分ぐらいのハイキングでした。
(皆様もぜひお越しください、値打ちはあります)

一旦下って、最後の上り階段は急で、当日は風も波もない秋日和でしたが、少し風が吹くと恐いぐらいです。
風に負けず、花が咲いていました。

200万カンデラと、全国で最大の光度を誇る灯台で、明治12年(1879)に建っているのも凄いですね。
「カンデラ:周波数540×10の12乗Hzの単色放射を放出し、所定の方向におけるその放射強度が1/683ワット毎スララジアンである光源の、その方向における光度。」
調べましたが、ノーベル物理学賞とは無縁なので、さっぱり理解できません。

この断崖の下の岩にまで、瀬渡し船で釣りに来ている人がいます。私には無理です。

又展望所に戻って、写真を撮りに来た人などと喋りながら、夕日を見ようと、1時間ぐらいベンチに座って居ましたが、雲が多すぎました。
この写真が精一杯です。
最近は旅行しても、ゆっくり1ヶ所に居れるようになりました。
人生の進歩です。
