2009/3/31
佐世保案内6 九州本土

JR佐世保駅は、JR線では最西端にある駅になります。
ここから更に、今はJRから分離して第3セクターになった松浦鉄道が旧JR線を利用して西北に延びています。
したがって旧国鉄時代の日本の最西端の駅は、佐世保ではなく平戸口駅。今は松浦鉄道になって駅名も変わり、たびら平戸口駅が日本の鉄道(沖縄除く)の最西端駅になっています。

JR佐世保駅と並んだホームに松浦鉄道佐世保駅があって、新旧2両の車両も止まっていました。
この松浦鉄道にはもう一つ、駅間距離が日本最短200mという区間があります。
確か京都駅の山陰線などのホームが、日本一長い駅のホームで、500m以上あったはずなので、このホームの半分も無い短い駅間距離です。
佐世保ー中佐世保の間に、佐世保中央という駅が出来た為、この佐世保中央ー中佐世保の間が日本最短駅間距離になりました。
せっかくですからこの区間を実際に乗車してみました。
ワンマン気動車なので、一番前に立つことが出来ます。
では出発です!

何人かの乗降があった佐世保中央駅を出発する時です。
線路が右にカーブしているので、200m先の中佐世保駅は見えません。
先にある小さな鉄橋は、前回紹介した商店街のアーケードの上を横断する部分です。

右にカーブするとすぐに、国道35号線を立体交差する青い鉄橋が見えました。

この鉄橋を渡ってすぐ、コンクリートの床があるだけでまだ駅が見えないなあと思っていたら、これが中佐世保の駅でした。
あっという間に到着、この簡素な無人駅で降りたのは私だけ。

誰も乗ってこずに、MR609は出発していきました。
以上佐世保案内も6回になってしまいましたが、観光した範囲は1500×200mぐらいの長方形の中だけです。
2009/3/29
佐世保案内5 九州本土
土日は島の花見や、福江の歴史講座遣明船の最終寄港地は奈留島だったを聴きに行ったりで、のんびりです。

佐世保駅近くの大ホール アルカスSASEBOの外階段に、花水木さんがめまいがすると言われた「クネット」を発見しました。
というか、この前ブログで紹介した雑誌の写真の場所はここなんですね。
めまいがするような、「そんな人おらへんは!」と眺めていると、確かに目がくらくらするような気がしてきました。どうも女の暗示にかかりやすい性格かもしれません。

佐世保市内には三川内焼きの窯元があるせいか、市内の公衆トイレもなかなか立派な耐火煉瓦?造りです。

ここはそれなりに有名なトンネル横丁。
戦時中に作られた防空壕を利用した商店街で、昔の匂いがしています。

店の奥行き5mぐらいですが、ずっと深く奥で繫がっている店もあるようです。
平成15年のNHK朝の連続ドラマ、なかにし礼作、石原さとみ・上野樹里も出演していたミュージカル仕立ての「てるてる家族」、最初の1ヶ月ぐらいは佐世保のこの横丁が舞台だった様な気がします。
このおばさんは、この質問には答えず、最近安住さんが来たと言ってくれただけでした。
2009/3/27
佐世保案内4 九州本土

佐世保駅から少し歩くと、四ヶ町(よんかちょう)商店街のアーケードが始まります。(名前の由来は上京町・下京町・本島町・鳥瀬町の4町から成るから)
このアーケード516mと続く三ヶ町(さんかちょう)商店街(松浦町・常盤町・栄町)のアーケード398mで、+αの合計960mの直線アーケード街としては日本一長いアーケードだそうです。
しかし待てよ、よく利用した神戸元町商店街のアーケードの方が(少しカーブはしていますが)長いと感じましたが、どうでしょうか?
この佐世保商店街が直線といっても、遠くを眺めてみると、左の方へわずかにカーブを描いているようにも見えますが・・・・。

まあ細かいことはいい事にして、この商店街はFM局も持っているようで、朝9時前からON AIRしていました。

商店街のデパートは佐世保玉屋、銀行は親和銀行の本店です。
この銀行本店とコンピューター棟は有名な建築家(白井晟一氏;知りません)の設計で、石をふんだんに使ったなかなか重厚な建物です。

高架下の商店街はありますが、ここでは商店街のアーケードを直角に横切って建物の2階から2階へと続く松浦鉄道の線路が通っています。
写真では判り難いですが、この競輪の看板の上を鉄道が走っています。

出口。 入口?
2009/3/26
佐世保案内3 九州本土

三浦町教会聖心天主堂は佐世保駅そばの高台にそびえていました。
高台に立っているので、ますます立派に見えます。
戦時中は空襲の目標にならないよう、黒色に塗られていたそうです。
昨年ノーベル化学賞をとった下村脩博士は、この裏にある聖心幼稚園の卒業生だそうで、お祝いの横断幕が見えました。
丁度この日は佐世保に来られていて、佐世保の名誉市民の称号も貰われたそうですが、ノーベル賞前に授けていたら、佐世保市ももっと偉いのですが。

佐世保橋を渡ってすぐに、市立総合病院の大きな建物がありますが、その前に白い綺麗な佐世保市民文化ホール(旧海軍佐世保鎮守府凱旋記念館)が目に入りました。

そっと中に入ってみると、二階席もあったり、柱が観覧の邪魔になる、昔こんな映画館に入ったことがあるような懐かしいホールです。
守衛さんが、旧海軍が使用したり、米軍の映画館にもなっていたことがあると、無断進入を怒りもせずに、詳しく説明してくれました。

更に行くと、海上自衛隊佐世保史料館(セイルタワー)。
チョット抵抗(アレルギー)ありましたが、入ってみると、旧海軍の船舶模型などが並んでいました。

この7階からは佐世保港が一望できます。
佐世保港は米軍や自衛隊の軍港でもありますが、上五島への定期便が発着する五島列島の北の玄関口でもあります。
五島列島の一番北にある 宇久島にいたっては、佐世保市内なんですよ。
返事
花水木さん・かえでさん:一人前の量が一番多いのは長崎県らしいです。
一人前の量が一番少なそうな京都から長崎に来た私は、
まだまだ長崎県の一人前の量には付いていけません。
しかし、甘いものに関しては、一人前の長崎県人に成っていると思います。
2009/3/23
佐世保案内2 九州本土
花水木さん:「昼食は何を召し上がりましたか」の全編返事です。

佐世保の昼ごはんは、「蜂の家」というレストランの有名なシュークリームです。飲み物付いて500円。

甘党の私でも甘い内部のカスタードクリームに、ひょうたん型の容器に入ったスカッチソース?(砂糖・練乳から作る甘いソース)をかけて食べます。
中からバナナと焼きりんごも出てきました。軽く食べられました。

ちょっと早めの夕食は、40年前に佐世保で生まれた レモンステーキ。
薄切り肉をレモン風味の和風のたれで食べます。白い御飯で食べる方が通だそうです。

薄い肉でペロッと食べ終わりましたので、隣の人が食べている苺パフェに食指が動きましたが、上にのっているソフトクリームが重そうな為、ここでは少しひよってコーヒゼリーパフェにしておきました。
甘さ控えめで、OK。

佐世保の食べ物といえば、最近では花水木さんもご存知の佐世保バーガーですね。
ただ入れ歯の私には、大きくかぶりつくことが出来ないので、迷いました。

夜食としてホテルで食べようと、一個だけ買いました。
ビッグマンのベーコンエッグバーカー500円。
ポロポロ落としながら、お爺さん一人、ビジネスホテルの7Fでこれまたペロッと食べてしまいました。
返事
喜珍さん:機動隊にも殴られましたが、日本○○党の人にもよく追いかけられました。
だから党首どころか・・・です。
2009/3/22
佐世保案内1 九州本土
3連休土日は、一人で(フークは留守番)一泊二日の佐世保旅行です。

朝6時半のフェリーで福江に、福江からはジェットフォイルで長崎に、長崎ー佐世保はJR快速ライナーで到着したら12時前。
長崎県内の移動なのに、京都ー佐世保と同じくらい掛かりますね。

何故佐世保に行くのか?
花見では有りません。
この 佐世保橋 を見たかったからです。

昭和43年(1968年)冬、大学一年生でまだ多感な少年だった19才の私は、基本的には右翼的で保守的で体制維持派でした。
この時、佐世保への原子力空母エンタープライズ寄港阻止闘争が有って、米海軍基地へ突入しようとするデモ隊と機動隊が、この佐世保橋での上で激突したのを、TVや新聞で見ていました。

41年前、一部学生はこの川を渡って突入を計っていましたが、今は満潮なのか結構深い川と言うか海でした。
あの時から、徐々に左翼に傾倒しだし黒ヘルを被っていた私は、結局10.21国際反戦デーで投石用の石を拾って投げることが出来ない非暴力ラクビー部員として、「自分には暴力革命は出来ない」とひよっていき、今のええかげんな私があるのです。

現在の佐世保橋は片側3車線で広い歩道付きの大きな橋でした。
これは昭和60年に立て替えられた様で、元々の橋は明治39年(1906年)日本で2番目のコンクリート橋として海軍鎮守府のある佐世保に出来たようです。
なんとなく見覚えのある欄干の遺構が近くの公園においてありました。
そうこれを見に来たのかもしれません!
返事
浮岡さん;「黄鉄鉱」だと思います。東風泊の海岸で採れたようですが、また調べておきます。
シカリさん;すみません!もう遅いかもしれませんが、前回の一部は削除しておきました。
一人でもう一度行けませんが、機会があれば返します。お許し下さい。
花水木さん;どうも気候的に奈留島にはきのこは無いようです。
まてよ!椎茸は栽培してますね。有るのか無いのかどっちなのかな?
やまももさん;と言う事情で、拾ってないことにしておいて下さい。
またコメントよろしくお願いします。
のほほんさん;佐賀〜佐世保にはクネットあると思いますよ。
せっかく佐世保に行ったのに、ジャズは理解不能なので「いーぜる」の前は通り過ぎただけです。
2009/3/20
水晶岳 奈留島

三連休は当直も無くフリーですが、家内は東京の結婚式でまだ京都です。
さて、一人で楽しむ3連休、その1日目は。

午前中は、フークを連れて自転車で、霊場巡りです。
船廻周辺をブラブラ、桃の花は何処も満開です。

気が付きませんでしたが、いつの間にか桜も咲き始めています。
まだ蕾だけも多いいですが、満開に近いのも有ります。
今年の奈留島の桜は、4月まで持ちそうにありません。

午後は、島の知人が、水晶岳に連れて行ってくれるというので、山道を登りました。
雑木林のような尾根道ですが、花水木さんのようにきのこは見つけられません。
しかしさすが五島、椿の花が枯葉の上に落ちています。

ハート型をした水晶、双子水晶、正式には「日本式双晶」というそうです。水晶岳はこの産地です。
山の中に、立て札が立っていました。知人の子供の頃には、大きいのが沢山あったそうです。

足元を見ると、牛乳瓶が割れているのかと思うようなガラス片が沢山落ちてます。
これが水晶なのか、石英なのか。
返事
浮岡さん:変わらずご愛読ありがとうございます。
「はっだみ」聞いたことがなかったので、看護婦さんに尋ねると、皆知っていました。
正式には、はちだあみ(八手網)と言うそうで、奈留では「はったみ」「はっだみ」と
今も言っているそうですよ。ご安心を。
花水木さん:そうです魚は長崎県が一番です。
奈留では毎日新鮮な魚が手に入りますが、
先生の所では、家内が奈留に居る時だけです
2009/3/19
奈留島121ヶ所ゴミ箱霊場観光巡り 47 奈留島121ヶ所ゴミ箱霊場観光巡り

相ノ浦湾右岸の埋立海岸の港は、2つのまき網船団が使用していて、港の広場は網を干したりする場所で、いつも烏や鳶が群れています。
この広場の一角に、
第47番霊場田○千○子宅前広場(海岸側)のゴミ箱が、
漁師さんの働きを見守るようにありました。

奈留島繁栄の象徴でもあったまき網船団も、今は 順洋・大黒・恵比寿・喜久丸・満漁 の五つしか島内には残っていません。
ここは、この五つのうちの二つ 順洋と大黒 の母港になっています。
お勉強の時間:今まで外来に来た乗組員の人から聞いて学びました。
まき網船団の基本構成
*本船(網船) 1隻 網を積んでる
*灯船(ひぶね) 3隻 集魚灯を持ってる
*運搬船 1隻 高速艇
魚群探知機で魚群を見つけると、3隻の灯船が明かりを海中に灯して魚を集めます。
(満月である月夜間は海面が明るすぎて、灯船が本来の役目をなさないので、月夜間の間は休漁になる理屈がこれで判りますね)
この群れを囲むように、本船から網がグルッと円を描くように降ろされ、下方を絞りながら網が縮められます。
こうして網の中の魚群は、運搬船にすくい取られ、場合によっては(大漁時など)直接長崎の港まで運ばれるようです。

本船(網船)

灯船

運搬船
2009/3/16
波型手すり「クネット」

以前、日本三大稲荷(他は伏見稲荷と豊川稲荷)の佐賀県祐徳稲荷にお参りしたことは、このブログでも報告しています。

その時この参道の石段で、めずらしい形の手すりを目にしました。
年寄りの私には、なかなか有用な手すりでした。
関西では見かけませんが、そういえばその後、長崎市内のどこかで見たような気もします。

長崎県の広報誌「ながさき夢百景」という本に、最近この会社のことが書いてありました。
この波型手すりは「クネット」といって、平成12年に長崎県佐世保市のある工務店のよって開発。
平成16年佐世保市に、(株)クネットジャパンが設立され、製造・販売されているようです。
波型幅28,28pがみそで、国内階段の98%に対応出来、階段を上る時は身体を引きつけ、下りる時は杖のように身体を支えられるという、なかなかの優れものだったのです。
一般住宅用も有るそうなので、高くなければそろそろ我が家にも導入を考えています。
2009/3/15
醤油のジュース

日曜日、当直は今のところ静かです。
今日だけゴールデンタイムに放映される「探偵ナイトスクープ」も、仕事は入らず観れたら好いのですが・・・。
病院の屋上に上がると、絵本の絵のような雲と空の色で、もう少しで春です!

正月に京都に帰った時、娘に薦められた「醤油」と思ったら、「ジュース」でした。

見た目も醤油の色なので、オレンジジュースなのですが、どうしても醤油を飲んでいるイメージを棄てきれず、味はも一つの感じがしました。
やっぱり見た目は大事ですね。
男も女も、綺麗な方が好いですね。
その点、私は幸せな人生をおくってきました?