2010/12/27
師走

寒くなりました。
秋にチョット走った会津若松の道路も、雪で車が立ち往生していて、大変です。
全国高校駅伝、大きなTVを買ったので、京都市内をヘリコプターで写す駅伝コースも迫力がありました。
右上の端辺りが我が家か? まあ4600型ぐらいでないと我が家は見えませんか。

福江中学出身で、中学時代は全国1と言われていた 的野君 も今年が最後、花の一区でまずまずの走りも、長崎の諫早高校は男女共にも一つ。
兵庫のこれも男女アベック出場の須磨学園も尻すぼみ。
京都の洛南も立命館宇治も、同じように途中から脱落。
その後の有馬記念も、孫の誕生日11番買い損ねて、「悔しい」思い。
冷えてきて道が心配の為、M−T見ずに車で青野ヶ原に帰りました。

そんなこんなで、もうあとわずか。
今年は、私も子供たちも1月1日や2日が当直なので、年末だけ皆でお正月します。
来年はまた気を取り直してブログも励みます。
皆様 よいお年を
そして少し早いですが
あけましておめでとうございます
返事
花水木さん:キノコ狩りも命がけですね!
せめて富士の樹海で迷わないようにしてくださいね。
中倉泉さん:私はもう年賀状も出し、今日はリハ室の掃除も終わりました。
喜珍さん:播州皿屋敷と、なんか姫路城にお菊井戸があったような気もしますが、
番町皿屋敷と、私には江戸の話だったようなイメージがありますが・・・。
2010/12/21
青野原病院探索 播州

青野原病院の前身は国立療養所青野原病院で、結核療養所としても機能していたようです。
玄関先の駐車場の傍に、その頃の石柱?が残っていました。

病院正門を入ってすぐ右手は、芝生広場?です。
フークと散歩中、その隅のほうの木陰に、なんか石碑が見えました。

戦車隊之碑
ここ青野ヶ原は昔、帝国陸軍の戦車隊の編成駐屯地だったようです。
(戦車第六連隊や戦車第19連隊や戦車第42連隊)
患者さんの一人、戦時中戦車隊に入隊していた老人は、「ノモンハン事件の生き残り兵もここにいた。私もその後久留米に変わり終戦を迎えた。」という話もしてくれました。

官舎の4階階段から北西方向を眺めると、そこは広大な青野ヶ原台地、陸上自衛隊の青野原駐屯地と演習場です。
第8高射特殊群?と思います
ヘリコプターの音はいつもしていますが、時々朝早くから、乾いたようなパンパンという銃撃音が聞こえてきます。
サラエボのアパートで、コーヒーを飲みながら朝を迎えたような気がします。
演習場から、迷彩色の軍服兵士が迷い出てくる時もあると聞きました。
返事
花水木さん:中年夫婦でもチキンと書かれると、凄いの一言!
私達老年夫婦は、せいぜい肝の生姜煮ですね。
中倉泉さん:コメントありがとうございました。
いつもお会いしてるので、なんか恥ずかしいですが。
2010/12/17
・・ナリエ

青野原病院の敷地内に立つ、今は用も無くなった高い煙突。
上のほうに丸い人影?サンタクロース?かとも思いましたが、違いました。
そろそろクリスマス

病院の長い渡り廊下にも小さなイルミネーションが輝きだしました。
今晩は当直。 一人でアオナリエを楽しむことにします。
奈留島の旧奈留小前のイルミネーションも、もう点灯しているようです。

地元小野市も「小野市役所前にイルミネーションの広場がある」と、リハビリ患者の母親に教えられ、見に行きました。
そこそこの人が訪れています。 オノナリエ

京都の家の周りは結婚式場ばかりなので、それぞれがイルミネーションで飾られていました。
マツナリエ 注:地名が松ヶ崎だけのことです
そろそろメリークリスマス
返事
hisakajimaさん:「TV世界不思議発見」の久賀島の赤穂浪士の墓は、少々食いつき不足で期待はずれ。
TV観ながら「そんなことは皆知ってるわい」と叫んでいました。
12月14日、「今日は討ち入りか」とつぶやいたら、若い実習の看護婦さんが、
「そうですね」と、えらい乗ってきました。
若いのにと思いましたが、やはり近くの赤穂出身の娘でしたよ。
花水木さん:「フロインドリーブ」懐かしいですね!
しかし、最近神戸で見ません?知らないだけか?震災か?
神戸の中華街ではやっぱり中華料理が一番有名と思います。
和さん:「トワイライトイクスプレス」私も一度乗りたいです。
須磨浦公園に行かれたのなら、阪急か阪神か山陽電鉄だと思います。
2010/12/13
神戸電鉄の旅 播州

秋の日曜日、病院から一番近い粟生(あお)駅が終点の神戸電鉄に乗って、神戸の街中に出かけました。
と言っても、粟生駅には車を停めておく場所が無いので、2駅ほど神戸よりの小野市の中心、小野駅の100円駐車場(1日最大600円が電車に乗ると500円に)に車を停めて出発。
行きも帰りも駐車しているのは、私の車だけでした。

行きは2人で先頭車両に乗って、単線に広がる景色に見とれたり、

すれ違ったり、車庫に停まっている神戸電鉄の車両を眺めました。
神戸電鉄は、こんな車両の色なんです。
神戸市内の終点新開地駅が近づくにつれ、建物も増え、乗降客も綺麗になってきて、都会に到着です。

神戸は30年ほど前に2年住んでいたので、懐かしい場所です。
三宮や中華街をぶらぶらして、中華を食べたりケーキを食べたり。
今は移転して無くなった神戸健保中央病院は、この関帝廟の裏にありました。

門扉に震災前の関帝廟を写したポスターが貼って有りましたが、そこには私たちが住んでいた官舎の建物も写っていました。
この左側の病院官舎で次男は生まれました。
写真を見ながら、元気で若かった昔を2人で懐かしみましたよ!

ふと我に返ると
そこから家内は阪急電車に乗って京都に帰ります。
私は一人で、フークの待つ青野原病院官舎に帰ります。
向かい合うプラットホームでの別れの後は、また1時間ほどの神戸電鉄の旅です。
帰りは最後尾の車両に座りました。

小野駅が近づいてくる頃には、この車両は私一人の貸切り状態、車窓を緑のトンネルが駆け抜けていきました。
返事
花水木さん:京都人はなかなかまとまりません。
小京都(先日播州の小京都「龍野」に行きました)の方が上手に保存されている気がします。
喜珍さん:縄と棒なら、四角より丸や六角が作り易いですね。
なるほど!
2010/12/5
京のへそ 京都

日曜日、当直ですので朝霜を踏みながら出勤。
一昨日の嵐もあって、病院内の紅葉もそろそろ終わりですかね。
さて
日本のへそは紹介した西脇市にありましたが、京都のへそは六角さんに有ったことを想い出しました。

烏丸三条の東南角、京都銀行前が京都の距離基点になると学校で教えられ、路上に立つこの石柱(京都市道路元標)も憶えていますが、写真に撮ったらなんか継ぎ足したような?・・・・。
京都から何qとか、京都へ何qと言うのは、ここからの距離のはずです。
例) 私の育った家は京都から500mです。

そこからひとすじ下がった烏丸六角の角に、「花市」と言う、池坊にも近いのでそこそこ有名な花屋さんがあります。
子供の時、母の日のカーネーションはここで買っていました。

ここから六角通りを東へ進むとすぐ、西国33ヶ所の一つ六角さん(六角堂)があります。
久しぶりに寄ってみると、周りはビルに変わり、周囲の塀も無くなったのか隣のビルに入れます。
そのビルの展望エレベーターで9Fまで昇りながら、六角さんを上から初めて見下ろしました。
こんな風に上から見ると、本当に六角でした!
子供の時、六角通りにあるから六角さんと思っていましたが、まったく逆で、六角のお堂なので「六角堂」、六角さんがある通りなので六角通りと名が付いたのでしょうね。

六角さんと言えば鳩、昔から鳩がいて(まあ仏光寺にも本願寺にも鳩はいますが)、映画館に行く時はいつも、ここか三条通りを通っていました。
青春の思い出通りです。

やっと本題に。
昔は通用口の、石の道の真ん中にあって、踏みつけていたような気がしますが、今は本堂の前横に、周りもきちっと囲われて在りました。
チョット昔のイメージと違う気もしますが・・・・。

これが京都の真ん中 へそ石 です。
「京のあそこ」はどこなんだろう?
返事
花水木さん:そうです。戦中にでも立った石碑以外は、
へそを囲む石と説明図を新しく作っただけのようでした。
が、少し離れた所に「日本へそ公園」と言う立派な施設も有るので、また紹介します。
花水木さんは日本を男と思い、私は日本を女と思って「あそこ」を考えているのでしょうね。
喜珍さん:京都のへそ石は「でべそ」ではなく、
「へっこみべそ」でしたね。