2013/8/30
奈留島百人一首44 奈留島百人一首

44. 逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに
人をも身をも 恨みざらまし
中納言朝忠(910〜966)
藤原朝忠は25番の作者三条右大臣藤原定方の五男で、36歌仙の一人、太っちょだったそうですが笙の名人です。
「男と女が愛し合う、そんなことがこの世になければ、冷たいあの人を恨んだり、自分の意気地なさを嘆いたりしないだろうに」
43番と同じく、「あふこと」が「契りを結ぶ」と言う意味なので、
この歌、せっかく男女の契りを結んだのに、下手くそだったのか、早すぎたのか、上手くいかなかったので女性を満足させられず、落ち込んでしまった男の歌、と言うことになるのですかね?
43・44と二首、ハンサムと太っちょ、2人の男の微妙な違いを大人になってやっと理解(曲解)?出来るようになりました。

44. 遊ぶことの 絶えてしなくは なかなかに
人をも器具をも 恨みざらまし
あ・ぶことの・絶えてしなくは・なかなかに・人をも・をも・恨みざらまし 29字 同じ
奈留病院からくるくると山道を車で登って15分、山の上の駐車場から5分程歩くと、展望台やアスレチック施設があります。
昭和62年城岳林間広場として、展望台・アスレチック施設・遊歩道・駐車場が1億2千万円で整備されました。
開園当時は、子供達が並んでアスレチックを利用する賑わいでしたが、私が奈留島に来た頃にはもう、展望台に登っても人とは遭えず、このアスレチックも草深い時が多くなっていました。
そんな少し感傷的な情景を、元歌からたった2字ほど変えるだけで、奈留島の今を表現した佳作になりました。
返事
和さん:京都で鯵を食べた記憶があまりありません。
せいぜい安い弁当のまずい鯵フライぐらいでした。
花水木さん:旅行番組を見てて、海辺の宿での夕食が、羨ましくなくなっています。
さんまさん:失礼しました。
「アコウ」患者さんに尋ねて、アラの次ぐらいの高級魚とわかりましたが、食べたことないです。
喜珍さん:私は少し食事制限して、ほんの少しダイエット中です。
大雪男さん:もっと馬鹿っぽいジェーン・マンスフィールドは博士号を持っていると思います。
「胸が大きい女は馬鹿」は迷信だと思います。
福山市さん:今年は奈留もそうとう暑かったです。
今回はコメンテーターはオールスター勢揃い! うれしいです!
最近コメントを休んでいるあなた!も、お願いしますよ。

2013/8/28
奈留島百人一首43 奈留島百人一首

43. 逢ひ見ての 後の心に くらぶれば
むかしは物を 思はざりけり
権中納言敦忠(ゴンチュウナゴンアツタダ)(906〜943)
「逢い見ての」を「一目見てから」ぐらいに理解して、少年の頃の、遠くから眺めて悶々と過す淡い恋、と解釈していましたが、そうじゃなくて、「逢い見ての」は「契りを結ぶ」ことなのですね。
それを知って、突然この歌がエロ映画かエロ小説のように、
「契りを結んだその夜から、その時のあなたの顔が声が痴態が忘れられず、想い出しては興奮して、何も手につかないのです。」と、素晴らしい歌になってきましたよ!
作者の敦忠さん、めちゃハンサムな貴公子だったそうですが、こんな歌を贈られたら、女性は自信がつくでしょうね。(38番の作者右近さんに贈ったと言われています)

43. 鯵食べた 後の心に くらぶらば
むかしは味を 知らざりけり
あ・後の心に・くらぶれば・むかしは・を・ざりけり 22字 同じ
奈留島の魚は何を食べてもうまい!!
鯵・鰹・いさき・鯖・太刀魚・鰯・キビナ・あら・さばふぐ・クロ・アラカブ・平目、そしてイカ・タコ・ウニ・サザエ・鮑・伊勢海老もうまい!
それでも一番は何かと言われると、結局 鯵 が一番うまい気がします。

家内が朝に漁協でs単位で買った鯵、安い安いですが、これが刺身になって昼ごはんです。
うまいうまい! 京都の料亭の刺身より百倍うまい!!
奈留に来て知った本当の鯵の味、元歌も良くて好きですが、替え歌もいい味です。
奈留島讃歌を堂々と歌い上げた秀作です。
返事
花水木さん:「自然も人の心も永遠なんてないですね」って、どうされました?
大雪男さん:私の歌の解釈はあまり信用しないでくださいね。
この映画のヒロインは私好みではないです、ボンドガールと言えばアーシュラ・アンドレス。
「名は体を表す」はこの人のことを言うんだと、当時思いましたよ。
喜珍さん:海岸近いので、水はけ大変だと思いますよ。
さんまさん:この歌もいいですね。
夕焼けマラソンの選手表で番号調べたら、奈留島とは思えないような名前で、
前島の人に尋ねても、そんな名前は無いと言われましたが?

2013/8/26
奈留島百人一首42 奈留島百人一首

42. ちぎりきな かたみに袖を しぼりつつ
末の松山 波こさじとは
清原元輔(908〜990)
「かたみに」は「お互いに」の意味、「末の松山波こさじ」という表現は、起こりえないことのたとえです(実際今回の津波でも、この末の松山を波は越さなかったようです)。
と言うことで、「お互いに心変わりすることは絶対にないと誓ったのに、あなたは・・・。」という歌です。
元輔は36番の作者深養父の孫で、62番の作者清少納言の父親です。

42. しっかりと 片目で像を ながめつつ
奈留の松山 波の向こうに
かた・を・つつ・の松山・波 12字 同じ
奈留島にも、写真で写っている松山という地区が有りますし、松山姓も多いです。
リアス式海岸のように奥深い相ノ浦湾の対岸から、この松山地区を眺めて写真を撮ります。
最近の写真機、もちろんキミマロズームも、片目で覗くファインダーではなく液晶画面なので、片目をつぶる必要はありませんから、この歌少々矛盾はありますし、実際私は片目をつぶることが出来ないので、この写真も両目で像を眺めつつ撮りました。
注@:目をつぶるではなく、つむるでした? 私はこの辺の国語力最低です。
注A:最近白内障で左目が見にくくなっているので、やっぱり片目で見ているのかもしれません。
注B:私は顔の筋肉を上手に動かせないので、片目がつぶれず、口笛も吹けません。
大学時代私の周辺に女の影がなかったので、女子同級生は「あの人はホモ」と噂していました。
その頃読んだイアン・フレミングの「007ボンドシリーズ」に、「口笛を吹けない男はホモだ」
と書いてあったので、「なるほど俺はホモか」と思っていた青春時代も有りましたね。
返事
花水木さん:日本語は難しいですね。
「その頃は可愛かったのでしょうか」の文は、「今はひどい」とかに繫がるわけではなく、
相手の男子高校生の素晴らしさをほめる意味で、対比させたのですよ。
あれ!?又ややこしい文になってしまいましたね。
大雪男さん:イサキで当たりだと思います。
他よりも奈留島の音は大きかったのですが、今は岩が崩れ落ちて、音が出なくなったそうです。
喜珍さん:熱い中、小学校の整備、いつもご苦労様です。
クーラーの効いたセンター3階からいつも眺めていますよ。すみません。

2013/8/22
奈留島百人一首41 奈留島百人一首

41. 恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり
人知れずこそ 思ひそめしか
壬生忠見(ミブノタダミ)(10世紀半ば)
「あの人を恋しているという噂が早くも広がってしまった、誰にも知られないようにそっとあの人を恋し始めたばかりなのに。」が、この歌の訳ですが。
「まだき」を「まだまだ」と解釈し、「立ちにけり」を流れで否定形に曲解したので、「まだまだ噂はたっていない秘めた恋」と今の今まで思っていました。
しかし、「まだき」は「早くも」なので、古文の試験なら解釈誤って零点だったところです。
前回の40番との歌合せで敗れてしまった歌ですが、40番と同じく高校生の頃を思い出させるような歌ですね。
作者の忠見は30番の作者壬生忠ミネの子供で、36歌仙の一人です。
歌合せには負けましたが、40番と41番の歌はその後もその優劣を色々論じられていて、現在ではこの忠見の歌のほうが優れているのではないかと言われています。

41. 胆すてて 刺身はまだき 出来にけり
人知れずこそっと 食べました
すて・はまだき・にけり・人知れず・こそ・ 16字 同じ
奈留病院の看護婦さんの旦那さんが、自分で釣った魚を自分で料理して(奈留島では魚を料理するのは男性が主です)、きれいにして届けてくれます。
私も家内も大喜びでいただきますが、その時の気分を詠いました。
「こそ」を「こそっと」に変えたのが斬新?なぐらいで、何かわけのわからない歌になってしまいましたので、私のように思い切り曲解・違訳して上手に読んでください。
歌はもひとつですが、この刺身は美味い!
返事
花水木さん:すごいですね!花水木さんもその頃は可愛かったのでしょうが、
贈った高校男子生徒も偉いですね!
私は昔から、地方公立高校生大好き人間です。
大雪男さん:また奈留島百人一首で奈留の名の由来を説明すると思いますが、
海岸洞窟に波がドーンドーンと押し寄せて鳴っていたからです。

2013/8/19
奈留島百人一首40 奈留島百人一首

40. 忍ぶれど 色に出でにけり わが恋は
ものや思ふと 人の問ふまで
平兼盛(?〜990)
第62代村上天皇の御前で行なわれた「天徳内裏歌合」の「恋」という題で、次の41番の歌と勝負して勝った歌ですが、両者の優劣はつけられないぐらいだったようです。
高校生の頃の、皆にはやし立てられた恋愛もどきを思い出すような歌ですね。
平兼盛は36歌仙の一人、第58代光孝天皇のしゃしゃら孫(玄孫)にあたりますし、ややこしいですが59番の詠み手赤染衛門は、実の娘らしいです。

40. 忍ぶれど ついに出でにけり わがゴジラ
ものや壊すかと 人の問ふまで
忍ぶれど・に出でにけり・わが・ものや・と・人の問ふまで 24字 同じ
奈留島の大串に、遠命寺トンネルを掘った時に出た土砂で作ったと言われている、風除けの堤が有ります。
昭和30年代のゴジラなどの怪獣映画では、大体こんなダムや堤の向こう側で怪獣が暴れて、その前で人間が演技して、合成させる特撮技法が多かったようで、私はこんな大串の堤を見ると、向こう側にゴジラが潜んでいないか心配になります。

この堤の上に登ってみると、ここが私の奈留島で一番推薦する景色、野首(ノコビ)海岸です。
なんとかこの景色を奈留島百人一首に入れたかったので、「出でにけり」だけに頼って無理矢理作成した一首になりましたので、この替え歌自体はダメです。
写真に免じてお許し下さい。

奈留島の西の端野首海岸、この向こうは東シナ海、ここに上ると「こんな果てまで来たんだよ〜!」と叫んでしまいます。
返事
大雪男さん:奈良時代元明天皇の詔で、郡郷名を好字二字にせよと、日本中の名前が変わり、
鳴(ナル)島は奈留島になったようです。
まあ昔から政治はくだらんことをしたがるものですかね。
花水木さん:ドラキュラ並に日中が弱いという意味で、
夜は夜でドラキュラではなく、雀みたいに弱いです。
確かに今年の夏はばてました。

2013/8/17
奈留町夏まつり 奈留島

今週はお盆で、病院の外来や見舞い客も知らない顔の人がいて賑やかな奈留島です。
8月14日(水)は奈留町夏まつりでした。
朝の間にペーロン大会もありましたが、仕事中。
夕方からは夜店やコンサート。
今年は氷の店の手伝いもなかった家内と、フークの散歩を兼ねて旧奈留小学校校庭の会場まで。

最後は花火。
この数日は近くのお墓から聞こえてくる爆竹の音におびえて、気が狂ったようになって寝させてくれないフークも、連れて行って大きな花火の音を聞かせても、以外とおとなしくしていました。

諏訪湖の花火は雨で中止、福知山の花火は事故で中止のニュースはありましたが、奈留町の花火は無事終了。
花火が終わるとなんとなく寂しく、夏が終わったような気分になります。
今朝はもういつもの年の奈留島の夏ぐらいの暑さで、気持ちよいです。
京都の大文字も無事終わったと、娘からメール写真で妙法の送り火も届き、この土日は当直で夏の終わりを過します。
返事
大雪男さん:最近の新しい名称も、百年千年後には、ふるき良き名前となるのでしょうか・・?

2013/8/14
奈留島百人一首39 奈留島百人一首

39. 浅茅生(アサジウ)の 小野のしの原 忍ぶれど
あまりてなどか 人の恋しき
参議等(880〜951)
参議等は第52代嵯峨天皇のひ孫にあたり、祖父が臣下に下って源姓を名乗った、嵯峨源氏の源等(ミナモトノヒトシ)です。
「しの原の言葉のように忍びに忍んできたのですが、今はもうこらえきれません、あなたが恋しいです。」と詠ったこの歌は、「浅茅生の 小野のしの原 しのぶとも 人知るらめや いふ人なしに」という歌からの本家取りです。
ですから私の替え歌とそう変わりはないですかね。
むしろ本家取りより、替え歌の方が難しいかもしれませんよ。

39. 奈留名所 前島のトンボロ 眺むれば
あまりてのどか 人の恋しき
の・れ・あまりて・どか・人の恋しき 15字 同じ
奈留島の表玄関浦湾の前に、防波堤のように浮かぶ前島。
定期船津和丸で10分、200円で行くことが出来ます。

この前島とその向こうの末津島の間に、奈留島の名所トンボロ(陸繋砂洲)が有ります。
陸近くに島があると、海流の影響で徐々に島と繫がるように砂が堆積して出来る砂洲をトンボロと言い、その大きな完成型が函館の町のようです。

前島まで渡って、峠からこの奈留島のトンボロを眺めていると心が安らぎますが、なんでここにいるのか自分でも判らなくなる時があります。
潮の満ち干でだんだん繫がったり、切れ始めたりするのを眺めているのも人生です。
返事
花水木さん:若い時は太陽の下であんなに元気だったのに、今はドラキュラ並になってます。
大雪男さん:「ム・アート」に座布団1枚ありがとうございます。(気付いていただいて感謝感激!)
「むあ〜」とする感じと、ARTFESTIVALの感想をかけて「ム・アート」、
「無・ART」まで結び付けていただいたら、なお幸いです。
付け加えるなら、暑い暑い日でしたので、水色を基調とする3枚の写真でまとめたことで、
座布団2枚!はどうでしょうか?
しょうもなついでに、四万十市で40℃が続いていますが、市の命名を間違えましたね、
せっかく涼しげな四万十川から取った命名だったら、「四万十川市」にしていれば、こんなに熱くならなかったかも?
これを契機に、「四万℃市(シマンドシ-シ)に変更を提案します。
商家の嫁さん:オイオイ!相変わらずリッチな生活ですね。

2013/8/12
五島も暑い! 五島列島

今日は41度の場所も日本にはあるようで、暑いですね!
五島も今までで一番暑い夏に感じています。
土曜日は、福江島に買い物ついでに家内とレンタカーで頓泊まで、遠浅の素晴らしい海水浴場ですが、老夫婦2人なので当然海には入りません、近くで氷を食べただけ。

日曜日も暑い!
どこにも行く気がせず、隣の総合センターで冷房の中、緞帳の修復作業の家内の横でボーと過します。
3階から、旧奈留小学校のプールや体育館と漁協のビルの間に見える浦湾を眺めますが、外は暑い!

夕方少し暑さも和らいだかと、旧船廻小学校の笠松記念館内で行なわれている「ART FESTIVAL 奈留島」を見に行きました。
現代美術展か?玄人のようですがやや素人ぽい作品も多いです。
このような試みはなかなか難しいですね。
夜になってやっとフークと散歩ですが、それでもいつもの年と違って夜になっても「ム・アート」した空気です。
返事
和さん:船や奈留病院の待合室にも、いつもと違う顔が目立つお盆になりました。
花水木さん:就寝中もエアコンをつけることが多くなった今年の奈留島です。
フークも散歩は控えめにして、体力温存です。
福山市さん:ヤリイカ?剣先イカ?同じですかね?
刺身は水イカよりヤリイカの方が美味しいと思いますが、人それぞれのようですね。
商家の嫁さん:夏休みは京都行きの金曜日半日だけですが、それでもう充分です。
そちらはまた海外ですか?
大雪男さん:上五島も帰省の人多いですか?
明日からお盆、奈留島も若い人が増えています。

2013/8/9
久しぶりの京都 京都

先週は京都に一人で帰りました。
フークの介護で家内は奈留島に残留、奈留高校軟式野球部の北部九州大会予選が福江島であって、連日その応援に私の代理で参加、惜しくも決勝で福岡大大濠高校に負けて全国大会切符は取れませんでした。
金曜日午後出発月曜日朝着の68時間の内往復に24時間、44時間の京都暮らし中金土と家で眠って、実質京都を見ていたのは68時間中28時間でした。
長崎から博多に向かう特急かもめ36号、わざわざいつもの白いかもめではなく、旧つばめ車両にして博多に向い、前が全面開く先頭車両に乗ってみましたが、本日の車両は前がガラスではなく、残念!

土曜日、主目的の伯父の卒寿記念の宴に出て、久しぶりの麻雀以外の友達にも会い、勿論麻雀も半年ぶりに頑張りました。
日曜日、子供たちも集まってくれて、私や孫U−2が7月生まれにもかかわらず、それよりももっと近い日の嫁Tと息子Uの誕生会も。

いつもフークと歩く近くの公園の散歩道を熱い中皆で歩きます。
孫も大きくなってしっかりしてきてました。
そのため、大分目を離せる余裕が出てきたので、以前よりは孫と遊んでも疲れずに奈留島に帰ってきました。
返事
花水木さん:行政はどうしても五島市のほうに傾き、
奈留支所で何とかしたいという意欲を持つ人が少なそうです。
大雪男さん:年齢と今年の奈留島の暑さでフークもバテ気味、
フークのためにクーラーを入れる時間が増えています。
喜珍さん:私は40年近く釣った魚に餌をやり続けていますよ!
ほんま無償の愛です。

2013/8/6
奈留島百人一首38 奈留島百人一首

38. 忘らるる 身をば思はず 誓ひてし
人の命の 惜しくもあるかな
右近(平安時代中期)
父の藤原季縄(フジワラノスエナワ)が右近衛少将(ミギノコノエノショウショウ)であったため、右近と呼ばれています。
醍醐天皇のお后の穏子(オンシ)に仕える女官でした。
「あなたに忘れられた私のことはどうでもいいですが、愛を神に誓ってくれたあなたのお命が、神仏の罰でなくなるのが悲しいのです。」
と、男に捨てられた女の、演歌になりそうな歌ですね。
捨てた男は、5番後の第43番の歌の作者敦忠(アツタダ)です。

38. 忘らるる ことはないはず 近ひので
元の校舎の 惜しくはあるがね
忘らるる・はず・ちかひ・の・の・惜しく・あるが 18字 同じ
奈留島に有った三つの小学校(葛島分校は除く)は、今は全て廃校になりました。
平成10年に廃校になったこの江上小学校は、今は何も使われていませんが、今後は隣にある江上教会が世界遺産になったら、展示室や休憩所に使用できそうです。
「廃校になった小学校は身近に有るので、島の人々に忘れられることはないと思いますし、もっと旧校舎の利用を考えていかねばなりませんね。」
と、珍しく建設的に詠み上げられた、誓ひ→近ひ に上手に変換された一首です。

校庭に立派なクロガネモチの木が有る船廻小学校は、私が奈留島に来てから廃校になりましたが、校舎は笠松宏有記念館や美術教室として、校庭には登り窯が出来て陶芸教室に利用されています。

奈留島の一等地に有った奈留小学校も最後に廃校になり、体育館は児童バスケットクラブの練習場や、なる祭りなどのイベント会場に使われています。
校舎はDONDONなるが利用したり、私のいる相ノ浦地区の集会場や、この前は選挙違反の捜査に来た長崎県警の宿泊所になったりしています。
校庭は喜珍さんが一人で整備管理され、ゲートボール会場や児童ソフトボールチームの練習場に使われています。
返事
花水木さん:口からコマセを撒きながら酔いましたが、次の日イカを食べる食欲はありました。
大雪男さん:水イカを防波堤から何度も試みましたが、一度も釣れず諦めました。
喜珍さん:酒は酔う前に体がしんどくなるのが辛いですので、乗船前飲酒は試みません。
