2015/7/31
フーク 犬のフーク

7月26日(日)、五島列島を直撃しそうだった台風12号は、勢力も弱まり東にもずれたので、五島にはそれほど被害も与えずに通り過ぎていきましたが、その日の朝9時、家内に看取られフークが息を引き取りました。
フークは2000年11月に盲導犬の優秀な家系に産まれ、パピーウオーカーをしてる家内の友人宅で1年間育てられた後、盲導犬の訓練を開始しましたが、やや臆病で物音に驚きやすい性格が直せないために盲導犬試験に不合格となりました。
(その頃はこのような犬はリジェクト犬と呼ばれていましたが、今はキャリアチェンジ犬と言っています)
それまではどちらかと言うと猫派である我が家に、キャリアチェンジ犬飼育ボランティアの命が友人から下り、2002年1月27日(日)に関西盲導犬センターからもらい受けたのがフークです。

フークと暮らし始めて、私の人生感は変わりましたし、車に乗せて信州や中国四国にも行きました。
そして10年前に五島列島に行こうと決心したのも、フークを飼ったおかげだと思います。
私自身も予想以上に五島(奈留島)の風土になじみましたが、フークは奈留島では「島一番の賢い犬」と子供からお年寄りにまで、又犬恐怖症や犬嫌いの島の人にも「フークだけは特別だ」と可愛がられ、私の鼻も高かったし、私以上に島では有名で皆さんに愛されました。
福江島の富江に来てからは、好きな車にも乗らなくなり(乗れなくなり)、この春頃からは散歩の距離も少しずつ短くなっていました。
1週間前に数回嘔吐し、その後はあれほど好きだった食べ物も受けつけず、2晩ほど夢の中で走り回ってるのか痙攣してるのか、足を動かして部屋中をはい回った後安らかに永眠いたしました。
14歳8ヶ月でした。

家内は泣いていますが、私は本当に薄情ものか、あれほど涙もろくなったと思っていたのに、肝心な時に涙は出ませんでした。
次の日火葬にして骨を拾ってきましたが、いつも寝床にしていた部屋の隅に布団がなく空虚なのを見ると、それでもやっぱり悲しいです。
このブログでも皆様に可愛がられていたフークです、
ありがとうございました。
ネタに困ったら時々思いだして、フークに登場してもらうつもりです。
返事
花水木さん:67歳、昔なら十分すぎるぐらい長生きですが、
あと10年のんびり目に働いて、その後5年元気に遊びたいのですが、予定は未定ですね。
和さん:25日は飛行機も飛んでいましたね。
大雪男さん:五島で10年過ごしましたが、
すごいなあと言う台風にはまだ遭っていません。
アケトンさん:ジョンも写真ではやや太ってきたようですが、
まだまだ大丈夫のようですね、大切にしてやってください。
福山市さん:実物の色はもっときれいなんですが、
なかなか写真にうまく出ません。
2015/7/24
台風 富江

6月末から7月は、五島はあまり天気が良くなかったですね、台風も何個か少しだけ近づき、土・日は天気の良くない日が続きました。
今週末も台風12号が、五島にはやや心配な経路で近づいています。
先々週には、長男家族が来島してくれる予定でしたが、台風で運悪くその日だけ飛行機が飛ばなくなって、キャンセルになりました。
(花水木さんご指摘の右上の黒点、やっぱり付いていますね。キミマロピンチ!)

先週時々晴れた時の夕陽も、ちょっと不気味な感じでした。

先に来ていた末娘も、台風で天気が悪く、可愛いがってる甥も来ないし、父親の手術の付き添い以外は手持ちぶたさ。
3人で黒瀬まで荒れた海を見に行く日もありました。

夫婦して仲良く?共同作業?何にするのか、荒ぶる海の撮影です。
こういうノー天気な老夫婦が、台風を見に行って波にのまれるのでしょうか、と言いつつ、今週末も台風見物かもしれません。
(末娘写す)
返事
花水木さん:70歳までは癌・心筋梗塞・脳卒中にならないと、
信じて暮らしていますが、これも少し危うくなってきています。
和さん:若い時から局麻の時はけっこう患者さんと、
「難しいなあ」などと言いながら、手術をするタイプです。
大雪男さん:年寄りで片目だったら、患者さんは心配でビビりますかね。
綾部のとしちゃん:白内障手術中見えてはいましたが、恐怖心を感じるほど
はっきりとは見えていませんでした。
局麻の患者さんは90歳以上なので、このブログは読んでないと思います。
福山市さん:視界は明るくなりました。もう少し外科続けられそうです。
2015/7/19
老人性白内障

月2回奈留病院に来られてる長崎大学眼科教授から、1年以上前に「手術をしても良い白内障です」とのお墨付きを貰っていました。
最近特に左目がかすみ、夜の運転がまぶしかったり、注射針を気持ち良く刺せなくなったので、手術を福江島のD眼科ですることを決心。
しかし白内障だと思ってたのに、手術同意書の病名にわざわざ「老人性白内障」と書かれていたのには、同じことですがちょっとショックを受けました。

朝9時集合で、手術の説明や、消毒薬が目にしみることや絶対に動かないことなどの注意点を、夫婦二人で聞いて、署名捺印して、病室に入ります。
私は日帰りの手術です。
やっぱり長崎、少し甘めの丼の昼食が出て、本日手術の6人の老人達と仲良く食べて、手術の順番を待ちました。

トイレターゲットシール(小便飛散防止シール)のようなテープを、手術する側の左目上の額に貼られて、麻酔薬を何度も点眼されながら待ちます。
痔核・尿管結石・前立腺肥大・痛風・高血圧・脂質異常症・逆流性食道炎・胆石・外反母趾・総入れ歯に加え、今回の老人性白内障とどんどん病名が増えてきている自分自身にびっくりしていますが、手術はこれが初めてです。

心配して京都からかけつけて来たわけではなく、単に遊びに来た末娘は、父親の不幸が嬉しいのか何故か機嫌よく、つられて私も笑っているバカ親です。

手術は本当に10分ほどで終了。
消毒薬もそれほどしみず、痛みもほとんどなく、なんとなく目の前で器具が動くのは見えますが、顕微鏡のライト?が三つ、「ディズニーのプルートのように見えてるなあ」と、凝視してる間に終了しました。
1時間ほど安静で寝ていたのち、家内の運転で帰りました。
次の日から眼帯はしてますが仕事も開始、糸が時々目の中でコロコロする違和感があるだけです。
奈留島の外来では局麻の小手術もしましたが、片目なので看護婦さんに「そこそこ」と言ってもらって針や糸を保持してました。
眼帯もはずれて、本日は日当直も出来ていますし、あとは来週抜糸するだけ、世の中は私だけは明るくなりました。
D先生・D眼科医院の皆さん、もし読んでおられたら、ありがとうございました!!
満足していますよ!
返事
どきん@馬…さん:医者には2種類、金持ちの医者と、
そうでない医者がいますので、私は馬主にはなれません。
花水木さん:老人性白内障と言う病名には、少々落ち込みましたが、
まあまだ深刻な病名でないだけ笑ってます。
和さん:私も乗りたかったですが、
子供が多かったのと、着替えが面倒なのでやめました。
右目はまだ若いのでOKです。
大雪男さん:自作です。
台風は奈留島にも(木)行けたので、こちらの被害はないようです。
2015/7/10
葦船学校㏌奈留島 奈留島

7月5日(日)雨の予報でしたが、これは良い方にはずれて曇り。
奈留島地域おこし隊の東(ヒガシ)さんが担当してるし、童里夢もカレー作りを担当しているので、「参加しなさい」との家内の命令もありましたし、なんにでも参加したい私ですので、頭数を増やして参加料も増やすためにもと、朝早くから奈留島に向かいます。

今回は葦ではなくガマを使って作ります。
奈留島にはこの写真の場所1ヶ所に少しだけしか生えていないので、福江島の奥浦から刈り取ってきたガマを使うそうです。
作業の講師は石川仁(イシカワジン)さん、冒険家で、これに似たヨシ船で太平洋・大西洋・チチカカ湖を航海された人のようですが、親切丁寧に子供たち相手でもキレずに教えてくれていますし、盛り上げ方も上手で熱心です。
孤高の冒険家と言うより、気の良いおじさんという感じでした。

以前に刈り取って乾かしておいたガマを、昨日の作業で束にしておいてくれています。
この束を左右に6束ずつ集めて縛り、中央に1束を置いてぐるぐるらせんに縄を巻いてひっつけます。

この縄をバットで叩きながら左右から引っ張って、しっかりと締め上げて固定。

これでほぼ形は出来上がりました。
ちょっとは手伝っていた私ですが、このあたりで疲れが出たのか、本来の怠け癖が出たのか、一人で昼寝の体制に。
昼のカレーの合図で起きました。

もう二つ作ったガマの束を、それぞれ側壁に固定し、葦船らしくなってきました。
子供の時読んだ「コンチキ号探検記?」など、漂流もんが好きでしたし、探検家かスナイパーになりたかったのですが、今はこれを自分で作る体力さえありません。

宮の浜海水浴場まで皆で運び、手書きの帆を揚げて、「奈留っ子ガマ号」の進水式です。

帆の左の方には、太陽を浴びて進む私とフークの乗ったガマ号の絵も付いています(付けています)。

子供5人を乗せて、ガマ号は楽々浮いて進みます。
来年の鬼火焚きまで、奈留島のどこかに飾っておく予定だそうです。
役場の人に港まで送ってもらい、私は帰りのフェリーオーシャンでも爆睡してしまいました。
久しぶりに競馬をしない日曜日、皆さんご苦労様でした、空もなんとかもって降ってこなかったですし、なかなか良い行事でした。
昨日から急に五島は夏になりました、次回は白内障手術報告の予定ですので、しばらくお休みします。
返事
和さん:新発見の小さな名もない名所も案内したいのですが、
やはり同じ有名所ばかりを廻ってしまいますね。
花水木さん:天変地異でも起こりそうな夕焼けでした。
大雪男さん:観光客が少ない大瀬崎や高浜に行くたびに、
ここが東京や大阪に近かったら、人があふれるのにと思います。
いつも、昔々カメラのCMであった、「うちの仏さんは小さいけど魂がこもってはる、
ほんまやったら国宝なんやけどなあ」とつぶやいてます。
福山市さん:若い研修医にとって私は、反面教師としてぐらいは
役に立っていると思います。
2015/7/6
3人の研修医 富江

7月に入っても雨が続き、明け方に官舎の庭にフークを出してやる時もまだ冷たいと感じて、夏がまだ来ない五島です。
4日(土)、予報より早く雨が降ってきましたが、富江病院に7月に来てくれている3人の研修医と、ぐるっと福江島観光に。
医療のことは他の先生に教えてもらって、奈留の時も富江の時も、私の役目は遊びと観光案内です。
いつものように大瀬崎灯台からですが、灯台もかすみがち。

富江小学校のアコウの木にも素直に感動してくれていたので、玉之浦のアコウにも案内。
この木はどの方向から撮っても、女神さまでなく男3人でも、後光がさしてきていますね。

いつも撮る高浜海岸も雨、もっともっときれいな海の色の時の五島を見てもらいたかったのに、残念です。
それなりに感激してくれていた3人に、天気のいい日に、もう1回見に来てもらうことを頼みました。
今の若い人は、個々に会うと皆しっかりしています、私の若いころはもっともっとだめで、年上の人とまともに話せなかった気がしています。

鬼岳も景色はあまり見えませんが、雨のため緑が余計にきれいだなあと、強がりを言ってみました。
長崎大学からの福岡人、杏林大・埼玉医大の東京人、三人三様ですが、自分の子供より若い人と一緒にいることが不思議です。
医者になりたての頃、70近い老人医と話することなんか思いもしなかった私ですが・・・。

最後に鐙瀬(アブンゼ)でまた写真、結局どこの観光スポットも、僕たち男4人だけで誰もいません。
雨だったのですが、7月の土曜日にこれでは、五島観光もやや心配。
結局小雨がずっと降り続いて止みませんでしたが、寿司食べて、男4人でお茶もして、なんとかメインレースを買える時間には富江病院まで帰ってきました。

皮肉にも、夕方7時過ぎにはこんな夕焼けが。
先週の宝塚記念では、痛恨の判断で3連複15万円馬券を逃して、「もう競馬しばらく止め」と、嫌になっていましたが、帰ってあまり考えずささっと買った、土曜の3連複4頭ボックスで2万円馬券が当たり、JRAのちょっと勝たして続けさすの企み通り、又続けます。
返事
綾部のとしちゃん:キミマロのファインダー付きがほしいので、
今のが壊れたら買う予定ですが、どうでしょうか?
花水木さん:この雑誌の「大人の」は、純粋の「大人の」です。
私は不純な「大人の」をより好んではいますが、このような普通の「大人の」にも
接している人間ですよ。
2015/7/3
35o写真機 趣味

「大人の科学」、立派な付録が付いているというか、この付録の為にある雑誌です。

Vol.25は35o2眼レフカメラが作れます。
お正月の博多駅で、プラネタリウムが作れる巻かどちらにしようか迷いましたが、このカメラにしました。

簡単に完成ですが、どこで間違ったか、フィルムカウンターが正確でなくなって、どれくらいフィルムを巻いているかが目分量になりました。

父親がいつもこんな2眼レフで写してくれていましたが、ファインダーを上からのぞくと、夕陽は左右逆に映ってきます。

出来た写真がこれ、ピントもはっきりは合いません。
24枚撮りのフィルムを入れましたが、曲がりなりにも写っていたのは10枚ほどだけ。

椿と夕陽の2重露出写真も撮れましたが、芸術には程遠い。

顔を字で隠さなくてもブログに載せられて便利ですが、女神さまも「千と千尋の神隠し」のカオナシになってしまいました。
次のフィルムをまた買って、2眼レフカメラに入れてますが、しばらく撮ってはいません。
得意の、「もう2眼レフカメラは極めました」、ということになってます。
返事
大雪男さん:若い時から、今で言う熟女好みでしたし、
今も熟女好みは続いているので、80歳でもOKです。
花水木さん:シミ、この時撮った5枚にだけありました。
以後の写真にはないようなので安心しています。
いつもいつも熟読影ありがとうございます、文章のミスは流してくださいね。
和さん:末娘が阪神優勝の年に生まれ、翌年寅年の年賀状は、
阪神コスプレの子供3人の写真を使いました。(まだフークは居ません)
若い時には、医局の巨人ファンの先輩と取っ組み合いのけんかをして怒られましたが、
今はもう、野球自体を冷静に観れるようになっていますが、阪神の負けそうな試合はよう観ません。