2017/10/28
近つ飛鳥博物館 趣味

今週も土・日は雨、秋華賞・菊花賞・天皇賞と三週続けて重馬場のようですね。
でも、昨日金曜日は晴。

大阪府の河内にある太子町へ、車に自転車とナビゲーターの家内を積んで、天皇陵巡りです。
太子町と言う名前だけあって、聖徳太子の墓や父親の用明天皇陵などが密集しているので、五つほどまわれました。

ついでに、近くの大阪府立近つ飛鳥博物館にも行きました。
安藤忠雄さんの設計ですので、そういう感じです。
建物も陳列物も良いと、以前から同級生からも薦められていました。

30年程前に発掘され、1500年ぶりに日の目を見たと、当時も話題になった大きな修羅も、保存処理して飾られていました。
写真撮影も完全禁止ではありません。

どこからも見えるように中央には仁徳陵の大きな模型、ゆったりと自然に歩いて見学できるような設計になってるのは、さすがに安藤忠雄さんです。
これで特別展も含めて、65歳以上は約半額の300円、駐車場は無料、しかも無料で音声ガイドも貸し出してくれると、大阪府もやりますね。

喫茶コーナーで、昼ご飯のかわりに(家内のハヤシライスも少し貰いましたが)古墳パフェを食べました。
もちろんかび臭くはありませんが、味は普通です。

喫茶コーナーからも、秋の空が見えます。

吹き抜けの天井越しの秋の空は、実際よりも写真に撮った方が綺麗でした。

次の日が雨とは思えない秋晴れ、空にいつも現れるシミもないでしょう?、やけにしつこく秋の空の写真が続くでしょう?。

キャノンの40倍デジカメに、液晶画面が裏返るので自撮りも出来ると、キミマロズームを裏切って買い替えました。
これが最後のお務めとなった?キミマロズームを写し込んで、キミマロズームで撮ったCanon、ちょっと重いですが今回からはこれが私のシミなし相棒です。
返事
花水木さん:底にひろがった薄いプリンですが、
薄くても思いのほかプリン量もあって、美味しかったです。
坂井さんにすぐ訂正しました、いつもありがとうございます。
大雪男さん:広島は今度こその日本一を目指すので、
来年も広島優勝の気はします。
今年のドラフトはどこが得しますかね?

2017/10/25
富山旅行4.富山市 旅

今回の旅行の目的地は、富岩運河環水公園(フガンウンガカンスイコウエン)に今年の夏に新築移転された富山県美術館アート&デザイン(TAD)です。

開館記念展Part1 LIFE−楽園をもとめて
富山県美術館所蔵のピカソ・ミロ・ロートレック・カンディンスキー・ムンク・マグリット・棟方志功・横尾忠則・藤田嗣治・鴨居玲など、結構持ってますね。
その他開館を記念して、日本中の美術館がお祝いなのかたくさん貸し出してくれていて、豪華な私でも知ってる作家のオンパレードです。
日本の公立美術館もたくさんの上等な絵を持ってることがよく分かりましたし、クリムトの「黄金の騎士」まで愛知県美術館は貸し出していましたね。
屋上は子供の遊び場のようになっていて、立山連峰や写真の運河に架かる天門橋など眺めも抜群です。

屋上から見えた美術館玄関前のレストラン1F、長い長いカタカナの店名なので、全く頭に入りませんでした。
でも、料理の鉄人坂井さんの監修で、スープ・サラダ・メインのステーキ・デザート・コーヒーで1800円とお値打ちでした。

デザートに選んだのはプリンとは見た目見えないプリンでしたが、これが美味しかった!
美術館駐車場は2時間以内無料でしたが、それをオーバーしていて機械では捕まってるのに、守衛のおじさんは当然のように、超過分を機械を操作してまけてくれました。
京都の美術館は、近くの市営駐車場も高くてなんの割引もないのに比べたらえらい違いで、これだけでも富山県が好きになります。

隅研吾さん設計のTOYAMAキラリにある富山市ガラス美術館にも行くことにしました。
富山はガラスの町らしく、北陸新幹線運転席のガラス窓は富山県産らしいです。

建物内部も羽板というものをたくさん使用して、吹き抜けになっていました。
まあこのデザインを良しとするか無駄だとするかは、意見が分かれそうな建物です。

建物に入ったら先ずはトイレの近頃ですが、近くの受付嬢に「ここトイレですね?」と聞いてしまいました。
もちろん左の絵文字の所に入って、正解でしたが。

現代ガラス美術の巨匠ディル・チフーク氏の作品、これが良いのか悪いのか判りませんし、ガラス美術の知識はゼロに等しい私です。

町の真ん中にある富山城に車を停めましたが、以前春スキーの帰りに寄った時に、ここでチンドン屋さんの大会をしていてた気がします。

今の富山の中心街は、神通川の改修工事で生れたようで、元々の神通川の流れは、細い松川として残りました。
この通路のようになった松川を遊覧船で巡る松川七橋めぐり、これにも乗って、ゆっくり休憩するように川から見物です。

船着き場にあって、舟が出るまでの時間に見学した、小さな一部屋だけの滝廉太郎記念館。
なんで富山にあるのかと思ったら、父の赴任に伴って、7歳の頃富山に来た廉太郎は、2年間ほど小学生としていたようです。
富山の人に言わせると、「荒城の月」のモデルのお城は、竹田の岡城址ではなく、富山城らしいです。
以上一泊二日の富山旅行でした。
返事
大雪男さん:阪神・カープ何が悪かったのか負けましたね。
単に横浜の継投が奇跡的にうまくいっただけですかね。
日本シリーズはソフトバンクが4連勝して、セの弱さを証明してくれたらいいのにと思います。
花水木さん:医療や介護の現場でも、
いつもややこしくするのは、突然現れた親族です。
「あやかる」は「肖る」と書くのですね、勉強になります!

2017/10/23
台風一過 京都から

昨夜は風も強く、雨もずっと降り続いたようですが、今朝は風は止み、雨も小雨程度の京都です。
半円形の虹も見られましたが、写真機を構える頃には、少し薄くなっていました。

今朝の出勤はさすがに自転車ではなく地下鉄です。
診療所までの道にある御霊さんの木が倒れたようで、朝から道を封鎖して伐採中。

相国寺の寺の木も道に倒れ掛かって、電線で引っ掛かっていました。
寺の人と警察官が、道を封鎖して木を切り倒すかどうか相談中。
本業の外来は、いつも以上に来る人少なく、手帳の整理と私自身のリハビリで終わりました。
台風の合間に、ソフトバンクは日本シリーズの権利を得、自民党も圧勝してしまいました。
そして菊花賞もかすらず、これで今年のクラッシックは全敗だと思います。
あとはせめてカープと立憲民主党に頑張ってもらうぐらいですが、ソフトバンクも自民党も強そうですね。
私としては、なんとか自民党内で反安倍勢力が台頭し、山口県以外の首相が出ることを祈るぐらいしかないのですが。
返事
花水木さん:瑞泉寺は拝観料300円払えば、
敷居は私でも跨げました。
私の運転も大分危なかしくなってきていますが、まだまだ行きたい所があります。
大雪男さん:よくご存知ですね、池波正太郎ふれあい館は、
夕方で寄る時間ありませんでした。
日本シリーズ、柳田も出てきたので、ソフトバンクに勝つのは容易ではなさそうですよね。

2017/10/19
富山旅行3.井波 旅

高岡から少し北へ走って、欄間彫刻で有名な井波に寄った頃には、雨の日の夕方と言うことで、少し暗くなってきていました。
真宗大谷派の瑞泉寺(ズイセンジ)は、その井波の町の奥にありました。

立派なお寺で、宗教の力の偉大さを感じますが、広い境内に人影はなし、京都の東本願寺のように鳩もいません。

さすがに井波、柱や壁にも彫刻が施されています。

井波を焼き払った大火の時に水を噴いて、この山門を守ったという龍の彫刻の瞳は青です。

庄川沿いの温泉に泊まりました。
昔は一度泊まりたいと思っていた、船でしか行けない庄川の温泉宿は、有名になって高くなったので、私たちが泊まったのはそこではありません。

旅館の温泉は2種類のお湯が出ます。
一つは貧血・更年期障害・子宮発育不全に効果があるようですが、これは無視しました。
もう一つの写真の湯は、胆石・糖尿病・痛風に効果あるので、誰も来ないのを幸いに、ゆっくり浸かりました。

2日目の朝、富山市に向かって出発しました。
カイニョと呼ばれてる屋敷林に包まれた家々で有名な散居の砺波平野を走ってると、熱気球が浮かんでいました。
次回最後でやっと富山市です。
返事
大雪男さん:書き方が悪かったです。
プレミアカーの料金は、距離によって400円か500円と、JRより良心的です。
私の予想通り、阪神は2連勝でないと勝ち上がれませんでしたね。
今年の競馬・麻雀はダメですが、ペナント予想は微妙に当たってます。
でも、最後日本一はソフトバンクの予想は、今日も負けて怪しくなってきてます。
花水木さん:煮卵は美味しかったですが、食べてる感じは、
ラーメンではなくうどんの感じのラーメンでした。
行かれたのは浜名湖の競艇場ですかね。
福江島にはポートピアと言う場外売り場があったので、何度か行きました。
競艇は6艇だけなのでよく当たりますが、もうかりませんね。

2017/10/16
競馬場でデート 趣味

京阪電車のプレミアムカーを初めて見ました。
4・500円の追加料金で、豪華な座席指定のこの特急車両に乗れます。
私は普通の特急車両に乗って(それでも京阪特急の乗り心地は良いですよ)、自宅から45分ほどの京阪淀駅へ行きました。

今日は長男(41歳)と競馬場でデートです。
島に行っていたから、久しぶりの(15年ぐらいぶり)淀競馬場は、京阪淀駅も移転改装で綺麗になって、小雨の中も濡れずに競馬場に直接入れるようになっていました。
息子が学生の時も一緒に連れて行ってますが、社会人となった息子と競馬場で会うってのは、少しは胸がはずみますし、競馬場へ向かう道を歩いている時の、なんとなくアウトローになった気分も好きです。
でも競馬場は汚らしいおっさんばかりではなく、ますます若い男や女、幼児を連れたカップルが増えていますね。

競馬ブックを買ったのも久しぶりです。
島では競馬新聞はなく、昼過ぎに届く九スポに慣れているので、京都に帰ってからもスポーツ新聞を買っています。(その方が安い)
競馬場でも、もうお姉さんが馬券を売っていません、すべて機械になって、マークシートも久しぶり。
まごまごしながらなんとか第1レースに間に合って、試し買いの本命1点百円買い、こんなんに限って的中で、230円になりました。

競馬場内では関西ラーメンダービーと言う催し物が開催されていて、早い昼は10店中一番並んでない店のラーメンを食べました。
全店共通1杯850円、器もディスポなんでびっくりしましたが、さすがに一番並んでない店、それほど美味しくはなかったです。



二人ともあまり入らず、わずかに二人のラーメン代ぐらいが帰ってきただけの、高いラーメン代になって、昼過ぎにはメインレースは見ずに混まないうちに帰りました。

遊びに来ていた孫たちは(二人以外の家族は高尚なお茶会帰りです)、キャッカキャッカとテレビゲームに興じていますので、2画面にして観た秋華賞も入りませんでした。
雨の甲子園も、競馬が終わってからは負け戦でした。
敬具
大雪男さん:1勝1敗になってしまいましたね。
今日は雨も明日は出来そうです。
私の予想が当たらないことを祈っています。

2017/10/14
富山旅行2.高岡市 旅

高岡市の瑞龍寺(ズイリュウジ)は曹洞宗の寺で、加賀二代藩主前田利長公の菩提をとむらうため、異母弟の三代藩主利常公によって建立されました。
あいにく国宝の山門は修理中で、カバーが掛かっていました。

これも国宝の仏殿の周りは何故か芝生の庭で、雨に煙って緑があざやかです。

これも国宝の法堂ですが、壁の下方は空けていて、猫も冷気も入りそうです。
冬は寒そうですが、いかにも武家の禅寺という感じで、すっきりしています。

国宝法堂の中で、一服いただきました。

どこに行ってもトイレを探していますが、こんなトイレも少なくなってきましたね。

以前から一度は見物したかった銅造阿弥陀如来坐像、すなわち高岡大仏です。
奈良と鎌倉の大仏さんとこの高岡大仏で日本三大大仏らしいですが、この大仏のネームバリューはかなり落ちます。
高岡大仏は何度も大火で焼かれたので、銅器・鋳物の町高岡にふさわしく、昭和8年開眼の銅製大仏になりました。
あいにくとここも修理中ですが、その為足場に上がってる人と比べられるので、大きさが分かる利点もありました。(座高7ⅿ43cm・御顔2ⅿ27cm)
やっと見られたのですが、5分で引きあげました。

高岡市は藤子不二雄Ⓕの方の出身地で、綺麗になった高岡駅前には、ドラえもんの仲間の像(銅器の町にふさわしい、12体のブロンズ像)があって、その向こうには越中に赴任していた大伴家持の像もありました。

駅前のビルで一休み、名物でも何でもない単なる甘いものです。

少し車で走って、高岡おとぎの森公園を散策しました。
広い公園は駐車場も入場料も無料です、展望台に上がったり、子供と来たら楽しいのですが、平日の小雨で人はあまりいませんでした。
小雨の中、それでも昭和の子供達ドラえもんやのび太君たちは外で遊んでいます。

女の孫がいないので、優しく静香ちゃんと相合傘でポーズをとりました。
静香ちゃんも嫌がっていません。
「ノビター〜」
先ずは阪神勝ちました!これで雨降ったら自動的に阪神行けそうですね!!
返事
花水木さん:そう簡単に諦めるほど、私の敷居は高くなく、
あらゆる人(女)に門戸を開いているのですよ。

2017/10/11
富山旅行1.氷見市 旅

私にとって先週は4連休。
富山県美術館が今年の夏に新築移転されたとのことで、面白そうな展覧会がありそうなので、富山に行くことにしました。
車で片道300km強の旅です。
昔は富山博に日帰りしたことがありますが、年とった今は一泊旅行です。
途中の尼御前SAでは、外に出て海岸を散策も出来ましたが、轟音に見上げると、小松空港に着陸する自衛隊のF−15戦闘機が2機で編隊飛行中。
F−15の上の黒いシミはミサイルではなく、キミマロズームのシミ、やっぱりそろそろ買い替え時かなあ。

富山湾沿いの氷見市では、晴れてたら立山連峰のこんな景色が見えるはずですが、晴れ女の末娘が結婚して家を出てからは、夫婦の旅行も雨が多くなってます。
氷見番屋街で、早めの昼食は富山湾のネタの寿司。

氷見市は藤子不二雄Ⓐの生まれ故郷、近くの光禅寺の住職の息子さんだったようで、お坊さんにならなかったようですね。
昔は栄えていたと思える、長い長い氷見商店街のアーケードは、ほとんどシャター街となっていましたが、マンガロードとなって藤子不二雄Ⓐの主人公が並んでいました。

旗つつみの必殺技を持つプロゴルファー猿ぐらい、体が回ればいいのですが、何年やってもゴルフの腕は上がらず、100を切ったら喜んでいます。

商店街の川に沿って綺麗に曲線を描いてる建物の、本川藤由(ホンガワトウユウ)商店で、醤油とあっという間に海鮮丼が出来あがる「海鮮漬丼早わざのたれ」をお土産に買いました。

その近くの川の上にあらわれる、忍者ハットリくんからくり時計が始まるのを、10分間ほど待って見る忍耐力は、島生活と年齢で付いてきています。

最後、氷見市潮風ギャラリーは200円、藤子不二雄Ⓐの記念館です。
「ニンニン」
返事
花水木さん:今はずっと少なくなってますが、
五島列島(旧福江市)は、いとこ婚の割合が日本で一番高かったようです。
日本中でも、戦前は5%はあったようで、
私の親族で一番偉い伯父伯母夫婦はいとこ婚、子供の目には偉く見えませんでしたが、
今では本当に偉人夫婦だと思っています。
美人は好みですね、
私にとって美人は、タヌキ顔でしかも私を好きになってくれる人です。
大雪男さん:記紀は実家の歴史を書かせているのに、
あんな悪人を作らなくてもいいのにと思いますね。
阪神2−0でないと横浜には勝てないような気がします。
広島なら4−3になっても勝てそうですが。

2017/10/8
19−1允恭天皇 天皇陵巡り

男浅津間若子宿禰命(ヲアサツマノワクゴノスクネノミコト)は、第16代仁徳天皇と磐之媛命との間に産まれた4人の皇子の末っ子です。
上の3人の兄は次男を謀殺して、長男は第17代履中天皇に、三男は第18代反正天皇になりました。

三男反正天皇の崩御の後、四男のヲアサツマノワクゴノスクネノミコトは次の天皇になることを病弱を理由に固辞し続けましたが、妻の忍坂之大中津比売命(オサカノオホナカツヒメノミコト)の身を挺しての請願にあって、遠飛鳥宮(トオツアスカノミヤ)に即位して第19代允恭天皇(インギョウ)となりました。

妻のオオナカツヒメノミコトは第15代応神天皇の孫で、継体天皇に繋がるオホホドノミコトの妹なので、允恭天皇とはいとこ同士の結婚になりますが、その間に産まれたのが下記の9人です。
木梨之軽王(キナシノカルノミコ)・長田大郎女(ナガタノオホイラツメ)・境之黒日子王(サカヒノクロヒコノミコ)・穴穂命(アナホノミコト)・軽大郎女(カルノオホイラツメ)別名衣通郎女(ソトホシノイラツメ)・八瓜之白日子王(ヤツリノシロヒコノミコ)・大長谷命(オホハツセノミコト)・橘大郎女(タチバナノオホイラツメ)・酒見郎女(サカミノイラツメ)。

允恭天皇は熱湯に手を漬けて真偽を試す、盟神探湯(クガタチ)を最初に行ったそうですが、78歳で亡くなり恵我長野北陵(エガノナガノノキタノミササギ)に葬られました、陵の正式名は市野山古墳(イチノヤマコフン)です。

陵は結構大きく、日本で19番目の大きさの前方後円墳ですが、参道からして民家の裏を抜けなければならず、拝所の目の前まで写真のように民家が建ち並んでいます。
約15年前に訪れた時は、洗濯物ばかりが目立つちょっとボロの民家群の印象でしたが、転居させられたのか皆新築になっていました。

9人の子供のうち2人が天皇になっていますが、元々は長男のキナシカルノミコが次の天皇になる予定でした。
しかしながら、あろうことかキナシカルノミコは同母妹のカルノオホイラツメと出来てしまいました。
「いとこ同士は鴨の味」と、いとこ同士のような血族結婚はなかなか良いようですが、いとこ婚はもちろん、叔母や姪とも結婚可、母が違ったら実の姉や妹でもよかった当時の結婚感ですが、さすがに同母兄妹はタブーだったようで、古事記では愛媛に流されて後に二人とも死んだそうです。

写真の下の方にあるのが允恭天皇陵、上はそれより大きな応神天皇皇后の仲姫皇后陵です。
この南(地図では右上)には日本で2番目に大きい前方後円墳の応神天皇陵があります。
9人も子供を産ませたオオナカツヒメの妹とも、姉である皇后の目を盗んで浮気をしていて、怒られていたようです。
日本書紀では、この絶世の美女と言われてる妹の弟姫(オトヒメ)を衣通郎女(ソトオシノイラツメ)と呼んでおり、古事記で同母兄妹で許されぬ仲になった娘を衣通王(ソトオシノミコ)と呼んでおり、混乱しています。
日本三大美人と言われる、小野小町・藤原道綱母・衣通郎姫のソトオシノイラツメはどちらのソトオシノイラツメなんでしょうね。
返事
花水木さん:自分の関係ある墓や家屋敷が、
変わっていくのは寂しいものですが、だいたいが仕方がないことのようですね。

タグ: 天皇陵
2017/10/4
18−1反正天皇 天皇陵巡り

古事記の反正天皇の欄は、わずかに一頁ぐらいです。
でも、履中天皇欄で紹介したように、仁徳天皇と磐之媛命との間に産まれた4人の息子の三男として、長男のイザホワケノミコトを助けて次男のスミノエノナカツミコを謀殺し、長男を第17代履中天皇にさせた立役者なので、長男履中の信頼を得て皇太子となり、やがては第18代反正天皇(ハンゼイ)となりました。

幼名蝮之水歯別命(タジヒノミズハワケノミコト)である反正天皇は、兄弟で天皇になった(しかも同母兄弟です)最初の天皇です。
身長は9尺2寸半(約2.8ⅿ)(3.04ⅿと書いてあるのも有り)もある大男で、容姿美麗で今で言うイケメンだったようです。
日本書紀では、何故か淡路島で産まれたと書いてあります。(母の磐之媛命も淡路島に行っていたことになりますね)

多治比(タジヒ)の柴垣宮(シバガキノミヤ)(大阪府羽曳野市)で即位し、ツノヒメ・オトヒメの姉妹を妻とし、3人の皇女と1人の皇子をもうけましたが、60歳で崩御し、子供が継ぐことはなくて弟の4男允恭が第19代天皇になりました。

陵は父仁徳天皇の大きな陵の北にあって、比較的小さめの百舌鳥耳原北陵(モズノミミハラノキタノミササギ)で、正式には田出井山古墳(タデイヤマコフン)で、墳丘は148ⅿ、かっては二重の濠があったようです。

久しぶりに南海電車に乗って、南海高野線の堺東駅で降り、住宅地の中を歩いて行くとすぐに見つかりましたが、写真の如く、完全に周囲を比較的高級そうな住宅で囲まれていました。
返事
大雪男さん:ペナントレース終盤で、しかも消化試合でない時に、
阪神が巨人を潰したなんて、珍しいのでうれしい限りですし、ホットもしてます。
花水木さん:この辺からますます婚姻関係がややこしくなって、
系図表にしたいのですが、ブログで系図の作り方を知りません。
余計分かりにくい文になりますが、自分で系図表を作ると分かりやすいですよ。

タグ: 天皇陵
2017/10/1
17−3履中天皇皇女飯豊王 天皇陵巡り

古事記では、第22代清寧天皇には太后も御子もいなかったので、清寧天皇が崩じた後に天下を治める御子がいないために、市辺之忍歯王(イチノベノオシハノミコ)の妹(すなわち履中天皇の娘になります)飯豊王(イヒトヨノミコ)が葛城の忍海(オシヌミ)の高木の角刺宮(ツヌサシノミヤ)にいたと書いてあるので、天下を治めたようです。

日本書紀では、履中天皇の娘ではなく孫、すなわちイチノベノオシハノミコの娘飯豊王女(イイトヨノヒメミコ)と書いてあり、弟たちの顕宗・仁賢が天皇になる前に摂政をひいたと書いてあります。

飯豊王女の墓である葛城埴口丘陵(カツラギノハニクチノオカノミササギ)の宮内庁の看板には、飯豊天皇と表記され、墓ではなく陵になってるにもかかわらず、最初の女帝として第23代飯豊天皇にはなっていず、歴代天皇の中にも含まれていませんので、当然陵墓監区事務所にも陵印はありませんでした。

また日本書紀には突然のように、「角刺宮で男と交わり初体験をしたが、特にどうってことなかったので、もう二度としたくない」と、不感症女の独り言のような飯豊王女の文があって、なんかエロ本よりも日本書紀の方が為になりますね。

奈良県葛城市の近鉄忍海駅(オシミエキ)近くの葛城市歴史博物館にちょっと寄ってから、その北1Kmほどの飯豊天皇陵には自転車で訪問しましたが、正式には北花内大塚古墳(キタハナウチオオツカコフン)と言い、幕末の尊王攘夷運動の中おこなわれた文久の修陵で、形が大きく変わったことが分かっています。
コメント数、数時間前に20万を超えました!
皆様ありがとうございます。
そしてCS2位阪神と3位横浜の進出が決まったことも、ありがとうございます。
返事
和さん:コメント時々ありがとうございます!
20歳前からひげが付いたので、
ひげがない顔を知ってる人も少なくなりました。
花水木さん:コメントいつもありがとうございます!
花水木さんのコメント前に、次回を書くのは断腸の思いです。
どうかよろしくお願いいたします。
写真は一応戦後ですので、日本男児の顔もややふやけていますね。

タグ: 天皇陵