奈留島ゴミ箱131ヶ所巡り・奈留島百人一首に続いて、天皇陵巡り掲載中。

2019/3/9

45-3聖武天皇皇太子基王  天皇陵巡り
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 昨年12月に天皇陵巡り番外で紹介した藤原宮子は、基王の父親(聖武)の母であり、母親(光明子)の姉でもあります。
その宮子の墓とされている、今はほとんど何も残っていない奈良ドリームランド跡地近くの佐保山西陵を散策した後、基王の墓も探しました。
 再掲載した22年前のドリームランドに立つ、ふやけてない頃の私です。
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 道の傍に草に埋もれるように石柱が立っていましたが、ここから登れる感じではありません。
 基王(モトイオウ)(727年11月16日〜728年10月20日)は第45代聖武天皇と光明皇后との間に産まれた唯一の男子です。
生後32日目には、もう皇太子になっていましたが、1歳になる前に亡くなりました。
持統天皇が望んでいた、天武ー草壁ー文武ー聖武ー基王とかろうじて続いていた男系の相続が途絶えてしまった瞬間です。
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 山道から少し見えた石の柵を目標に、横の林に入っていきましたが、たまたま通っていた地元の人から、この辺スズメバチが出るよと言われ、おっかなびっくりでしたが、なんとか見えました。
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 この墓、何故か柵に阻まれて内に入れません。
蜂も怖いので、この柵の間から仰ぎ見るだけにしておきました。(正面からも入れないようです)
 基王の死は、皇族同士の近親婚の遺伝的宿命でもありましたが、その当時は、替わって有力皇位継承者になった長屋王一族の呪詛が、基王の死の原因であると、多分藤原一族の風評にまんまと乗ってしまった聖武天皇などのために、基王死後半年もたたない729年2月の長屋王の変に繋がりました。
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 この中には入れない直径10mぐらいの円形墳は、大黒ヶ芝古墳と言い、隼人石という色々彫刻された石も置いてあるようですが、宮内庁は那富山墓(ナホヤマノハカ)(奈良市奈良阪町)で基王の墓と言っています。
 でもズームでとらえた制札には、聖武天皇皇太子とあるだけで、名前は書いてありませんでした。
 基王が成人まで生きて次の天皇になっていたなら、日本の歴史はかなり変わっていたでしょうね。

       返事
大雪男さん:九州人は越前(松葉)蟹への思い入れはあまりないようですね。
    私は1年に1回は蟹と松茸は食べたいほうです。
     私も巨人が最下位ならハッピーです。
    年々阪神ファンというより、
    アンチ巨人の思いが強くなってる気がします。
花水木さん:タグ付き蟹も、
    地元のささやかな食堂ですし、1人前を二人で分けているので、
    駿河湾のタカアシガニ定食より安いと思います。
     確かにだんだんふやけてきてはいますが、
    夫婦喧嘩というのは少なくて、
    婦の一方的な攻勢というのが、
    今の世の姿ではないでしょうか。
タグ: 天皇陵 基王


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