奈留島ゴミ箱131ヶ所巡り・奈留島百人一首に続いて、天皇陵巡り掲載中。

2019/7/3

49-4光仁天皇皇后井上内親王  天皇陵巡り
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 第45代聖武天皇には、皇后として光明子がいましたが、夫人もいて、その夫人である県犬養広刀自(アガタイヌカイノヒロトジ)との間にも3人の子供をもうけています。
今回の主人公井上内親王(イノエナイシンノウ・イガミナイシンノウ)(いのうえと読みません)(717〜775)と、妹の不破内親王(フワナイシンノウ)【夫の塩焼王は恵美押勝の乱で仲麻呂と共に殺されていますし、息子の氷上川継(ヒカミノカワツグ)が謀反を起こそうとした罪で流罪になった時に、自身も淡路に流されてます】と、45−4でも紹介した弟の安積親王(アサカシンノウ)【権勢を誇っていた頃の仲麻呂(恵美押勝)に毒殺された可能性大です】のあまり幸せでない最後の3人です。
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 井上内親王は聖武天皇の第1皇女でしたが、11歳で斎王として伊勢に下向、弟の安積親王が死んだので、30歳で斎王を解任されました。
帰ってから白壁王(後の第49代光仁天皇)の妃になりました。
38歳で酒人内親王(サカヒトナイシンノウ)を産み、なんと45歳の高齢出産で他戸親王(オサベシンノウ)を産んでいます。
当時としてはあまりにも高齢出産なので、他戸親王養子説(誰からもらったかは知りませんが)もあります。
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 そうしてなんと夫の白壁王が60歳(62歳)で第49代光仁天皇となったので(父聖武天皇の血を引く自分が妃であったことと、息子もいることが有力な理由でもありますが)、井上内親王も54歳で皇后になり、翌年には息子他戸親王も11歳で皇太子になりました。
このまま他戸親王が次期天皇になったら、天智系男系と天武系女系が合体した最強天皇になるはずだったのですが。
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 他戸親王を推していた藤原北家の永手(ナガテ)が死に、式家の百川(モモカワ)らの陰謀だと思われますが、773年に夫の光仁天皇を呪詛(ジュソ)したなどの言いがかりを付けられて、井上内親王は皇后を廃され(翌年には他戸親王も皇太子を廃され)、奈良の南五条市辺りに幽閉されてしまいました。
775年には井上内親王と他戸親王は、二人同日に亡くなっているので、多分殺されたのでしょうね。
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 五条市にあるこの宇智陵(ウチノミササギ)(奈良県五条市御山町)は、ご当地名産の柿畑の中にありました。(丁度大売出し中の柿農家の販売所の横)
最初は墓でしたが、二人の死後天地異変が続いたので、怨霊を恐れて再び皇后の身分に復帰させ陵としたようです。

      返事
花水木さん:実車講習は京都も三人一組でした。
    静岡は前進で縁石乗り上げのようですが、京都はバックで乗り上げ、お国柄?
     全くのペーパードライバーの人も上手に運転してました。
    「なんで今更更新?」と尋ねたら、「もうじき田舎岡山に帰るので必要」とのことで、
    納得しました。
     毎日のように高齢者の運転事故が報道されてるので、
    緊張して運転するようにはなりましたが、安全運転しすぎて、
    これはこれで怖い時あります。


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