奈留島ゴミ箱131ヶ所巡り・奈留島百人一首に続いて、天皇陵巡り掲載中。

2019/11/29

紅葉狩り4  京都
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 水曜日朝は、京都の北、岩倉にある精神病棟の外科処置で働いていますが、隣の老健からお呼びがかかって出張もしました。
その老健の横には、紅葉も綺麗な冷泉天皇皇后陵もあるので、合わせて天皇陵巡りも出来ました。
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 出張の帰りに少し寄り道して、白衣のまま岩倉実相院の門前まで紅葉見物。
実相院は最近「床もみじ」が有名になって、観光客も多いです。
さすがに拝観はせずに、門前だけでまた病院に戻ります。
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 午後からはまた近くの病院に自転車で行きますが、これは仕事ではなく入院してる友達の見舞いです。
 その病院は深泥池(ミドロガイケ)の端にあるので、丁度自宅の裏山の裏側にあたります。
病院入り口辺りの紅葉と、背景の山の向こう側が私の家、荒涼感あるのが深泥池の浮島部分か池周囲の湿地帯です。
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 今週金曜日は休みなので、朝早くから水尾の山奥に有る第56代清和天皇(セイワ)陵に天皇陵巡り。
JR保津峡駅まで行って、そこから水尾自治会バス(250円)に乗って水尾を目指しました。
昔はよく乗った山陰線ですが、JR保津峡駅は新しい路線、保津川をはさんで旧山陰線の保津峡駅(赤紅葉の辺り)が見えますが、それは今は、旧山陰線を走るトロッコ列車の保津峡駅になっています。
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 自治会バスを水尾で降りてからも、20分ぐらい山道の参道を歩いてやっと御陵に到着。
ほぼ植林された杉林ですが、ところどころこんな紅葉も見られます。
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 水尾は柚の村、民家近くは柚ばかり、丁度収穫時か、実る黄色の柚と山の紅葉です。
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 写真の黄色いのは柚なんですが、うまくピントがあってなく、上手な写真になりません。
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 帰りの自治会バスは夕方までないので、約4qの自動車道を歩いて駅まで戻りますが、全部下り道なので意外と楽も、最後は少し膝が笑いました。
 携帯の音楽配信(無料版)で、中島みゆきや吉田拓郎を聞きながら下りたのも、楽だった原因かもしれません。
若者が携帯のイヤホンで聞きながら街を歩いてるのも、これなんですね。
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 山奥の紅葉も、綺麗ですし、天気が良いとやっぱり紅葉は綺麗ですね。
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 JR保津川駅は高い鉄橋の上に作られました。
駅の影が映る保津川に、丁度保津川下りの舟が下ってきました。
中学生の頃、旧保津川駅で降りて、友達とこの保津川を泳いでいましたが、ここがたぶん落合と言う所、毎年水難事故が起こってた所ですが、水泳は上手とは決して言えない私が、無事に死なずに、約60年後にここを見下ろしているのも不思議なものです。

     返事
花水木さん:同窓会も、
    胸のときめきが無くなってきましたね。
    寂しいですね。
       紅葉狩り4です。

2019/11/25

紅葉狩り3  京都
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 京都の紅葉ももうそろそろ終わりか、道路にも枯葉が舞うようになりました。
週末は娘の運転で南へ向かい、鴨川に沿って走る車中から紅葉見物。
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 京都国立博物館で開催中の「佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」に行きました。
1巻丸々ではあまりにも高価過ぎて、絵巻を切って売りに出されたので有名な三十六歌仙絵ですが、もっと小さい絵巻の絵かと思ってましたが、意外と大きかったです。
したがって人物絵は判りますが、歌の字はまったく読めません、横に書かれた解説で小倉百人一首の歌は判りました。
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 この展覧会でなによりも良かったのは、十月三十日の本ブログ「藤原俊成の墓」で、気にいった墓石(右)と紹介した兆殿司の吉山明兆(キチザンミンチョウ)の描いた「柿本人麻呂像」が陳列されていたことです。
思わず「僕この人知ってる」と、声を出しそうになりました。
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 秋も深まって博物館中庭の噴水も寂しそう、ロダンの「考える人」の背中も寂しそうでしたが、「考える人」に出会うといつも、旧奈留小学校の校庭に「二宮金次郎」ではなく何故か有った「考える人」を思い出します。
今年もナルナリエはしてるのでしょうか?
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 私の龍池小学校の同窓会も金曜日に有りました。
い・ろ・は組計150人の同級生の内30名、約2割の出席です。
約1割が亡くなっていました。
 そんな70過ぎの同級生の集合写真より、裏庭に見える「妙」の紅葉の方を掲載します。
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 本日月曜日、雨の予報なのでいつもの自転車通勤ではなく、地下鉄で外来診療に。
相国寺を抜けていきますが、境内の紅葉はまだ綺麗でしたので、「紅葉狩り4」もいけるかも。

      返事
和さん:今回の写真では、
    あまり「行った気分」にさせられませんね。
      ごめんなさい
花水木さん:京都は住む所ではないですね。
    寒くて暑くて、それに海が無い、 
    ぼーっとしてる場所がないです。

2019/11/23

紅葉狩り2  京都
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 本日土曜日も良い天気ですが、先週の日曜日も秋晴れの良い天気で、比較的近場の秋を楽しみました。
平安京の鬼門を守る、比叡山麓の赤山禅院です。
 
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 その日も朝早くに家を出たので、思いのほか観光客も少なく、外国人らしき人はまったく見なかった赤山禅院で、紅葉は見頃でした。
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 紅葉をいかに撮るかもなかなか難しいですが、朝早いので逆光も良い感じでしたが、撮った写真は少し暗かったです。
 帰りの山門で1枚、そろそろ観光客が増えてきました。
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 赤山禅院から少し歩いて、40年ぶりぐらいに曼殊院門跡に入りました(600円)。
境内の庭にはあまり紅葉はなく、室内は撮影禁止です。
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 曼殊院の紅葉は、外の土塀周りの方が綺麗で、紅葉だけなら600円払って入るより、外側の紅葉だけ観て帰っても充分です。
 ゆっくり帰ってもまだ11時前、コロッケとトンカツのランチを食べて、バスに乗って帰りました。

     返事
花水木さん:年とって奥さんに頼る旦那は多いですが、
    旦那に頼る奥さんは少ないということでしょうね。
    頼ってほしいですが。
     金は貯めるものではなく、人の為そしてちょっとは自分の為に使うものと、
    思いますがなかなか難しい!
和さん:鞍馬山も長く行っていません。
    貴船への道は再開されてましたか。

2019/11/20

紅葉狩り1  
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 あっという間に寒くなって、紅葉もそろそろ見頃になった先週金曜日。
まずは近くの宝ヶ池周囲を孫V-1と三人で散歩。
遠くの比叡山もそろそろ秋色になってきました。
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 天気はあまり良くなく、北は雨が降るかもの予想があった土曜日。
蟹を食べるために、朝早くから北陸に向かいました。
 途中通過する湖北のマキノ近くにある「もみじ池」が、紅葉の穴場で綺麗と聞いたので、寄ってみました。
到着したのは8時前、さすがに穴場、人っ子一人いない穴場でした。
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 池に映る紅葉と、用途不明の朽ちた木橋が、なかなか良い雰囲気を作り上げています。
朝早いせいか、曇ってるせいか、やや寂しい感じで、やはり紅葉は太陽が当たってなんぼですよね。
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 越前海岸に着いたのが、昼ご飯には早すぎたので、ゆっくりと「北前船主の館・右近家」を見学しました。(500円)
 右近家は江戸時代の北前船主として繁栄しましたが、北前船の衰退と共に蒸気船を購入し、新たな海運業者としても繁栄し続け、その後は海上保険業に進出し、日本海上保険株式会社を設立しています。
このためずっと金持ちで居続けられ、明治34年に建て替えられたこの大きな屋敷を、今も維持し続けられてるようです。
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 屋敷の背後に昭和初期に作られた山小屋風の西洋館、この建設にあたって、近在の村の男女1万人ほどが動員されたそうです。
でも館の案内人に尋ねると、これは村の貧しい人たちを助けるために、寄付とか施しではなく、賃金という形で村に還元する目的で、この西洋館を建てたそうで、損保ジャパン日本興和の創業者はなかなか偉い人ですね。 
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 西洋館のテラスから、大金持ちのように日本海を眺めます。
海が見える景色は、庶民でも良い気持ちになります!
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 西洋館のさらに上には、展望台や展示館もあって、庭園の紅葉越しにも日本海が見えます。
 展示館に、戦後生まれですが、小学校のころまでは軍神好きの私が憶えていた、「杉野はいずこ」で有名な広瀬中佐の資料が飾ってありました。
右近家と広瀬中佐はどこで繋がってるのかと思いましたが、日露戦争の旅順港閉塞作戦で広瀬中佐が港の入り口にわざと沈めた船が、右近家旧所有の福井丸だったからでした。
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 その後前回報告の越前ガニをたらふく食べて、越前大野城に向かいました。
到着の頃には雨がけっこう降ってきていて、お城に登る気にはなれませんでした。
大野までは3回以上は来てるのに、まだ越前大野城には登城してません。
名物の越前そばも醤油カツ丼も入る余裕はなく、別腹のジェラードを食べて、麓の駐車場の紅葉越しに雨に煙る天守を眺めただけで帰途につきました。

      返事
じょんのびかあさんさん:旦那さんのブログはチェックしてますよ。
     若狭のトラフグも食べたくなりました。
花水木さん:私も1分でも行列は並ぶの嫌いでしたが、
    島に行って、船をゆっくり待つ習慣が付いてからは、
    少しは並べる人間になっています。
     私の趣味はずっと家内ですが、
    家内の趣味が最近は私でないのが、少々気がかりです。

2019/11/17

今年の蟹  
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 先週は遠回りで高雄から名田庄を抜けて、例によって小浜に行きました。
途中寄った名田庄の道の駅の紅葉などもまだもう少し。
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 セコ蟹を小浜漁港で買って帰り、夕食に食べました。
山陰や福井で育った知り合いや友達は、「子供の時はおやつ替わりに食べていた」「本当はセコ蟹の方が美味い」と言ってました。
セコ蟹、松葉蟹のメスですね、コッペとも言います。
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 自分の金で買う頃には、もう1匹500円ぐらいはしてましたが、最近は1匹800〜1000円ぐらいもしますので、子供のおやつではなくなっています。
 今回ははりこんで、なんとタグ付きの大きなのを、セコ蟹としてはびっくりするような値段で買いました。
 一人で1匹、セコ蟹は味噌が美味いです。
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 今週は、やっぱり越前ガニ(松葉ガニ)が食べたいと、越前海岸までドライブ、いつもの越前の道の駅は「カニ祭り」の様で、駐車場にも入れないぐらいでした。
諦めてもう少し走り、まったくの飛び込みで蟹の店に入り、少々値は張りましたが、これが大正解。
まず出てきた頼みもしない刺身盛り合わせ、これがすべてかなり美味い!
五島から帰ってから食べた刺身の中で、一番美味しかった刺身のようです。
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 いけすの中のタグ付き越前かにを選んで、その場で茹でてもらい、1匹を二人で食べました。
  美味しい!! 生きててよかった!!
三杯酢なんかつけずに、そのまま食べます!
会話なんかはずまなくても、十分です、黙々と食べ続けました!
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 この店は最後に、ほぐした身と味噌を混ぜて、これに大根おろしと少しの醤油を垂らして、ご飯に載せて食べるように勧められました。
もう食べられないのに、これを完食して動けません。
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 店の壁にメイショウの馬たちの写真も貼ってあったので尋ねると、メイショウの馬主さんが贔屓にしてる店だそうです。
あやかりたいと思いましたが、本日のマイルチャンピオンもせっかく池添が来たのに獲れませんでした。

2019/11/13

52-2嵯峨天皇皇后橘嘉智子  天皇陵巡り
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 愛宕神社一之鳥居前にある平野屋を以前紹介しましたが、ここで昼食を食べた時の目的地は、この左手の道しるべの道を行った嵯峨陵(サガノミササギ)(京都市右京区嵯峨鳥居本)です。
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 嵯峨陵にはこの道しるべから500m程、車の通る道を歩いてすぐでしたが、この道は水尾にまで続いているので、歩いてはしんどいですが、清和天皇陵の参道にもなっています。
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 道路から参道に入る入り口が見えてきましたが、やっぱりまだ通行止めでした。
 4月24日のこのブログでも紹介した橘諸兄、その息子で藤原仲麻呂(恵美押勝)に対抗して反乱をおこし(757年)獄死した橘奈良麻呂、この乱の直後に産まれた奈良麻呂の息子橘清友(タチバナノキヨトモ)、その清友の娘が今回の第52代嵯峨天皇皇后の橘嘉智子(タチバナノカチコ)(786〜850)です。
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 ここで通行止め、しっかり閉ざされていました。
破門する気になれば行けなくもなかったですが、年とってからは法を犯す気がなくなっています。
 嵯峨天皇が即位した時、桓武天皇皇女で異母妹の高津内親王(コウズ・タカツナイシンノウ)(?〜841)が妃となり、二人の間に産まれたのが業良親王(ナリヨシシンノウ)(?〜868)です。
血統から言えば次期天皇の候補であるべき業良親王は、精神的に不安定だったようで、それが原因かどうか高津内親王は妃をすぐに廃されしまいました。
裏では陰謀があった可能性大の状況ですね。
 その頃に、少し遅いですが23歳で嵯峨天皇に入内したのが嘉智子です。
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 塀の上からのぞくと、奥に続く参道には倒木もあって、まあ宮内庁がせっかく通行止めにしているので、山奥でちょっと怖いと思うこともあって、ここから参拝です。
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 参拝したらこんな感じと、案内板の写真でお許しください。
嘉智子は正良親王(マサラシンノウ)(後の第54代仁明天皇)と、たぶん双子の正子内親王(マサコナイシンノウ)(後の第53代淳和天皇皇后)の他に、2男5女をもうけていますので、すごい美人だったこともあって嵯峨天皇に愛されたのだと思います。
それでも嵯峨天皇は、他に30人の妃に50人の子供ももうけていますがね。
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 その後815年に皇后になった橘嘉智子、祖父の橘奈良麻呂が逆賊として獄死していることを考えると、不思議な運命ですね。
 仏教に深く帰依し、嵯峨野に今はもうありませんが、日本最初の禅院である檀林寺(ダンリンジ)を創建したことから、檀林皇后とも呼ばれています。
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 遺体は埋葬せず、帷子ノ辻(カタビラノツジ)に放置して、腐乱・白骨化していく様を描かせたという伝説もあります。
九相図(クソウズ);打ち捨てられた死体が、朽ちて行く過程を9段階に分けて描いた仏教画。
 檀林寺跡に建った大覚寺近くの嵯峨釈迦堂清凉寺、その境内には嵯峨天皇・檀林皇后の宝塔が並んでいて、手前が檀林皇后の宝塔です。
明治以前はこれが御陵とされていたそうです。
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 梅宮大社(ウメノミヤタイシャ)は橘氏の氏神として京都の南の井手町にあったのを、嘉智子がここ嵐山の南、松尾大社と桂川をはさんで反対側に移しています。
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 皇后は皇子に恵まれなかったので、梅宮大社の奥の神殿横にあるこの「またげ石」を跨いで、子を授かったどころか7人もの母親になってますので、この周囲の白砂は安産のお守りとされています。

      返事
花水木さん:逆でしょうと言われましても、
    奥さんの写真の裏に小百合さんの写真を入れて、
    隠れキリシタンのように眺めているのがばれたら、
    それこそ、逆さ水責め・いびり火あぶりの刑が処せられるので、
    やっぱり小百合さんの写真の裏に家内の写真ですよ!
    まあ、今は入っていませんが。

2019/11/9

52−1嵯峨天皇  天皇陵巡り
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 大覚寺の前身・離宮嵯峨院を建立した第52代嵯峨天皇の嵯峨山上陵(サガノヤマノエノミササギ)(京都市右京区北嵯峨)は、その大覚寺の北西にありました。
大覚寺から北西に少し歩いた(一度迷いましたが)、ここが陵への登り口です。
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 つづら折れの500段以上の石段を登らなければならないと、かなりしんどそうに紹介されていましたが、石段は綺麗に整備された直後で、まあ一気には登れませんでしたが、途中所々で振り返って嵯峨野を眺めながら休憩したので、それ程辛くはなく登れました。
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 以前紹介した大覚寺や大沢池も眼下に広がっていますが、こうしてみると、大沢池も意外と小さく見えました。
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 父第50代桓武天皇と母藤原乙牟漏(オトムロ)との間には、安殿親王(アテ)(後の第51代平城天皇)がいましたが、その同母兄に遅れること12年、786年に産まれたのが神野親王(カミノシンノウ)。
生れた時には父はもう天皇、同母兄の安殿親王はもう皇太子でした。
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 母の乙牟漏は、神野親王の4歳の時にはもう亡くなっています。
同母兄第51代平城天皇の病気による譲位を受けて、神野親王は809年平安京で即位し第52代嵯峨天皇(サガ)(786〜842)(在位809〜823)になりました。
皇太子には、同母兄平城天皇の皇子高丘親王(タカオカシンノウ)をたてました。
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 平城天皇の項で記したように、810年の薬子の変に対しては、迅速に行動してこれを平定、高丘親王も廃太子とし、今度は異母弟の大伴親王(オオトモシンノウ)(後の第53代淳和天皇)を皇太子にたてました。
 以後は比較的安定した治世が続き、818年弘仁格(コウニンキャク)を発布し死刑を廃したり、文化面でも嵯峨天皇は空海・橘逸勢(タチバナノハヤナリ)と共に三筆と言われています。
 この辺りから平安京を舞台にした平安時代が始まりました。(私的には高校時代の日本史を学んでいた頃は、平安時代は退屈でしたが)
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 父桓武天皇もたくさんの子供に恵まれ、その子供たちが桓武平氏と言われる平氏一族になりましたが、嵯峨天皇も29人以上の皇妃達に50人の子供をもうけ、子の養育費が皇室財政を圧迫することを苦慮し、源姓を与えて臣籍に降ろす、賜姓源氏(シセイゲンジ)の初例を開きました。
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 多数の皇妃の内、皇后は橘嘉智子(タチバナノカチコ)で、その間には正良親王(マサラシンノウ)(後の第54代仁明天皇)をもうけました。
 823年には異母弟の淳和天皇に譲位して上皇になり、淳和は嵯峨上皇の皇子正良親王を自分の皇太子にしました。
嵯峨上皇は淳和・仁明両朝においても家父長的存在として重きをなし続けたようです。
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 この嵯峨山上陵は陵の周囲をぐるっと回れましたが、丁度裏側には見た人は呪われると言われてる血の池が有ります。
有ったので見てしまいましたが、写真の様にやや赤っぽい感じの、大きめの水たまり程度の池でした。
こんな山の上には誰もいませんでしたし、怖いので足早に後ろも見ずに、急いで陵を一周しました。
 まだ呪いは、私には及んでいないようです。
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 嵯峨天皇陵の麓近くにある、嵯峨天皇のゆかりもある嵯峨釈迦堂清凉寺(セイリョウジ)、その境内の一画に嵯峨天皇の宝塔がありましたが、明治まではこれが御陵だったと清凉寺のパンフレットには書いてありました。

      返事
花水木さん
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   実は私の机の隅にはもう50年以上、
   吉永小百合さんのこのブロマイドが飾ってあります。
   若い時の一時期は、この写真の裏側に、今の家内の写真も入れていて、
   友達などにばれないよう、隠れキリシタンのように、祈っていた時も有りました。
和さん:ランチは1300円で、
    わずかにパフェが高かったですが、
    「最高・・・ 」の映画の中で、
    京都のからふね屋で吉永・天海さんが食べていたパフェは5万円なので、
    まあこのチョコレートパフェぐらいが、私の最高の人生です。
    「最高の・・・」映画は、特別に福江会館でも上映されたそうですよ。

2019/11/6

楽園期間も映画に  趣味
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 10月はW杯ラグビー一色で、あまり時間の余裕が無いままに過ぎてしまった、楽園のような1ヶ月でしたが、なんとなく日本映画を3本続けて観に行ってしまいました。
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 1本目は「楽園」
ラストが福江島の大瀬崎灯台であった「悪人」と同じく、吉田修一さん原作の作品だったので、なんとなく観てしまいましたが、やっぱりやや重い作品でした。
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 2本目は「記憶にございません」
やっぱり映画は楽しくないとと、三谷幸喜監督作品です。
意外と真面目な感じでまとめていて、期待したハチャメチャ感は少なかったように思います。
 「楽園」にも出演していた佐藤浩市さんが、ここでも出ています、最近映画によく出てきますね。
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 3本目は「最高の人生の見つけ方」
NHKで最近吉永小百合さんの密着映像が流れていたのと、元になった同名の洋画(ジャック・ニコルソン、モーガン・フリーマン主演)を長崎の映画館で観てるので、観に行きました。
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吉永小百合さんは70過ぎてもウェディングドレスが似あいますし、普通のおばあさんにもなれますね。
洋画版より、やっぱり邦画版の方が真面目に仕上がっていました。
主人公の郷里が福江島の設定なので(NHKTVでも、吉永小百合さんが懐かしい福江港の常灯鼻(ジョウトウバナ)に行ってました)、魚津ヶ崎(ギョウガサキ)の水ノ浦教会がロケ地になっていました。
パンフレット写真の二人の奥に写る灯台の島の前で、コスモスやヒマワリやあじさいと一緒に写真を撮って、このブログにもよくあげていたことを思い出しています。
 映画は1本観ると、続けて観たくなりますね、予告編で観た「ターミネーター」や「スター・ウオーズ」の最新作も観たくなっています。
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 「最高の人生の見つけ方」を観た帰り、小さな最高の人生ですが、チョコレート専門店で、映画代よりもその日のランチ代よりも高いパフェを食べました。
いつも食べる安いパフェの下の方は、ほぼコ―ンフレークが多いですが、これは多層すべてが美味しい!!

       返事
大雪男さん:先生の目は確かでしたと言われても・・・・。
    南アフリカの勝利を予想したのではなく、
    南アフリカに勝ってほしいと思ってただけです。
    今までは、私がスポーツで予想したチームや人や馬は、
    ほぼ負けますし、
    選挙で投票した人は、ほぼ落選します。
花水木さん:花水木さんのコメントがないと、
    お義母さんが・・・、と思ってしまいます。

2019/11/2

速報 決勝戦  趣味
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 W杯ラグビー、とうとう決勝まで来てしまいました。
決勝戦に残った南アフリカは神戸で、イングランドは大分で、幸いなことに両チーム共に生で観戦することが出来ましたが、イングランドよりは南アフリカの方が好きなので、南アフリカのユニホームを着こんでTV観戦です。
 孫V−1もW杯のユニホームを着て、一緒に応援してくれましたが、そんな孫を気にかける余裕は、今日の私には有りませんでした。
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 後半途中までは南アフリカのFWが完全にスクラムで勝っていたのが、一番の勝因ですが、相変わらずデクラークは細かく動いていましたし、両ウイングのトライもすごかったですね!
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 これで世界ランクは、1勝1敗同士の南アフリカ・イングランド・ニュージーランドのどこになるんですかね。
日本は4位か5位ぐらいまで行けるかもですね。
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 息子がW杯ラグビーの切手シートを届けてくれました。
私の家も家族中がW杯ラグビーを楽しんだ2か月でした。
日本中でも皆が盛り上がって、今後もラグビーの楽しみとその精神が続いてくれることを祈ってます。
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 本日土曜日決勝戦前の16時発走の福島12レースに、デクラークと間違えたデクレアラーと言う馬が出走していたので、これから流して3連複を買いました。
結果は4着か5着だったので、南アフリカちょっと心配しましたが、負けたのは私の競馬だけでした。
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 そして明日のアルゼンチン共和国杯(GU)には、
なんと南アフリカの優勝を暗示してたような:
 1枠1番:アフリカンゴールド 南アフリカの金メダル
 2枠3番:ハッピーグリン   幸せの南アフリカのチームカラー緑
まさにこれを買うしかないという馬が出てるので前売りで買っています。
しかも1枠は白・3枠は赤と、裏にはイングランドのカラーがあるし、3番の騎手は池添です。
 6枠(緑)の9番ノーブルマースの3連単1−3−9と3連複1・3・9、もちろん馬単・馬連1−3も買いましたが、皆が気づいてオッズが下がらないことを祈ってます。
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     南アフリカ おめでとう!!
   日本もほんまによくやった!!!
 明日の競馬で、おすそ分けをお願いいたします!

       返事
大雪男さん:ちょっと前までは、
    最後あんなふうに重量FWが突っ込んでくる戦法で、
    日本はズタズタにされていました。
    最近はこの戦法は普通になってますが、
    実力差が有りすぎると、この戦法は楽しくありませんね。


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