奈留島ゴミ箱131ヶ所巡り・奈留島百人一首に続いて、天皇陵巡り掲載中。

2020/1/29

54-3仁明天皇女御贈皇太后沢子  天皇陵巡り
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 藤原沢子(フジワラノタクシ・サワコ)(〜839)は藤原北家の端の方に位置していた父藤原総継(フサツグ)と母藤原数子(カズコ)との間に産まれて、正良親王(マサラシンノウ)の妃になりました。
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 833年正良親王が第54代仁明天皇として即位した時には、もう三人の息子の母親になっていた沢子は、即位と共に女御になりましたが、その6年後に4番目の子の内親王を産んだ後に、亡くなっています。
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 その後、2番目の息子時康親王(トキヤスシンノウ)が884年に54歳で、成れるはずもなかったのに第58代光孝天皇と成ったので(時の最高権力者藤原基経の母と沢子は同母姉妹であった)、沢子は皇太后を追贈され、墓も中尾陵(ナカオノミササギ)(東山区今熊野)と御陵に格上げされました。
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 この中尾陵、京都東山南の山麓の住宅街の中にあり、陵の後方は2枚目の写真の様に植木の垣根なのですが、何故か回れない正面はこんな土塀で、一般人は右側方からしか参拝出来ないようになっていました。
(今までも何陵かはこんなでしたが)

      返事
商家の嫁さんさん:横のホースはウオッシュレットかビデ。
    と言うことは、前も後ろもこれでするということですか?
    そもそも便器と体の間にこのホースを入れる余地がないのでは?
    又、水が顔や服にかかる恐れはないのですか?

2020/1/26

54-2仁明天皇女御尊称太皇太后順子  天皇陵巡り
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 藤原冬嗣(〜826)と藤原美都子(ミツコ)との間には、長良(ナガラ)・良房(ヨシフサ)(804〜872)・順子・良相(ヨシミ)と、そうそうたる子供が産まれています。
 この藤原順子(フジワラノノブコ)(809〜871)が、後々に仁明天皇となる正良親王との間に道康親王(ミチヤス)(827〜858)(後の文徳天皇)を産んだのは、父冬嗣が亡くなって1年後でした。
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 夫が第54代仁明天皇となり、子が兄たちの強力な後押しで第55代文徳天皇と、孫が第56代清和天皇となったので、女御→皇太夫人→皇太后→太皇太后となりました。
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 順子は情け深く容姿端麗だったと言われ、夫や息子にも先立たれていますので、孫の清和天皇や姪でもあり嫁でもある藤原明子を助け、五条后と呼ばれていましたが、最後は出家して、この後山階陵(ノチノヤマシナノミササギ)(山科区御陵沢ノ川町)に葬られています。
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 この御陵、山科駅から北へ少し行かねばならない山の奥にありました。
近くに天智天皇陵は有りますが、藤原家ゆかりの皇后が何故こんな所に御陵を持つのか不思議ですが、近くにある安祥寺(アンショウジ)が順子の厚い庇護を受けていたためかもしれません。
またこの近くに古代製鉄のたたら遺跡もあることを知りましたが、これとは関係ないでしょうね。

     返事
花水木さん:すみません!
    地味な面白みのない天皇陵巡りですが、ここまで来て止めるわけにはいかないので、
    (また島に赴任でもしたら別ですが)(まずありませんが)続けます。
     今回の順子さんは、それ程悪い人ではないですが、
    短くはまとめておきました。
    

2020/1/22

54-1仁明天皇  天皇陵巡り
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 伏見区の山の上にある老人ホームの午前中だけの仕事を終えて、最寄りのJR駅まで歩いて降りてくるのですが、この日はそのままもう少し北へ歩いて、仁明天皇陵の石柱まで行きつきました。
石柱の横面には、ここから東にある宇多天皇皇后の御陵の文字も刻まれていました。
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 かなり民家に依って浸食されたような、仁明天皇陵に行きつきました。
第52代嵯峨天皇と橘嘉智子との間に産まれた第1皇子正良親王(マサラシンノウ)(後に第53代淳和天皇の皇后になった正子内親王とは双子だったらしい)は、14歳で淳和天皇の皇太子になり、淳和天皇の譲位により即位して第54代仁明天皇(ニンミョウ)(810〜850)(在位833〜850)となりました。
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 奥は手水鉢もあって、予想より広々としていました。
藤原冬嗣の長女で良房の妹でもある藤原順子(ジュンシ・ノブコ)を皇后として、道康親王(ミチヤス)(後の第55代文徳天皇)をもうけ、藤原総継(フサツグ)の娘藤原沢子(タクシ・サワコ)を妃として、時康親王(トキヤス)(後の第58代光孝天皇)をもうけています。
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 奥の左に銀色に光ってるのは名神高速道路の防音壁です。
ここは55年ほど前に高速道路としては日本で最初に開通した所なのですが、この陵は避けて開通させたのでしょうね。
 仁明天皇の皇太子は、最初は前回ブログの淳和天皇の息子(母は正子内親王)の恒貞親王で、平穏に過ぎていたのですが、淳和・嵯峨上皇が次々と亡くなると、とうとう承和の変(842年)が起こりました。
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 光仁・桓武・平城・嵯峨・淳和・仁明の時代、政権の中枢にずっとい続けてた藤原氏ですが、意外とその間の歴代天皇の母親は、藤原氏の娘ではありませんでした。
藤原冬嗣の長女で良房の妹順子が、この道康親王を産んだので、なんとしても道康親王を次期天皇にしたかった藤原良房と橘嘉智子が、これも皇太子恒貞親王を次期天皇にしたかった伴健岑(トモノコワミネ)・橘逸勢(タチバナノハヤナリ)や、同じ藤原氏ではあるが競争相手であった藤原愛発(チカナリ)・藤原吉野(ヨシノ)をも含めて、謀反を企てたとして処罰したのが承和の変です。
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 これによって、以後は良房の一人勝ち、藤原北家だけと嵯峨源氏が急速に台頭することに成りました。
 仁明天皇は子供の時から病弱であったようで、850年病により息子道康親王に譲位し、その2日後には40歳で亡くなり、この深草陵(フカクサノミササギ)(伏見区深草)に葬られました。


       返事
大雪男さん:日本でも紙が流せないトイレがあることを
    初めて知りました、そうか山ですか。
花水木さん:帰って来るのが決まってる旅行よりも、
    帰るかどうかわからない放浪が夢です。
Toi tenlabeeさん:結局のところ、
    日本のトイレットペーパーは上等だということですね。
     だけど、大便器横のホースが何かは誰も教えてくれませんよ。

2020/1/19

ベトナム・カンボジアの旅6感想  
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 奈留島へ行く前に外国旅行してから、15年ぶりくらいの外国旅行。
青春時代がベトナム戦争の真っ只中だった私にとって、ベトナムやカンボジアに行けるのは夢の様でもあり、少々罪悪感も覚えるような感じでもあります。
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 ベトナムとカンボジアはやっぱりお隣同士の国、仲が良いとは言えないようです。
まあ隣人と付き合うのはどこもそうなんでしょうが、数年前まで戦争をしていたんですもの、仕方がないですよね。
 ほんのちょっとの地域と人しか、両国をみてはいませんが、ベトナム人の方がいらちですが努力はする感じ、さすがにアメリカと戦って負けなかったはずです。
カンボジア人の方はボーッと生きてる感じですが、よく言えばのんびりと人生を楽しんでるとも言えます。
 食事はカンボジアの方が、私の口には合いました。
両国ともにマンゴージュースは美味しく安かったです。
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 日本からベトナムには直行便で行けますが、カンボジアにはベトナムかタイからしか入れないそうです。
この辺にも両国の今の力関係があるのかもしれません。
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 トイレはどちらも同じような感じ、小便器が高い位置に取り付けられてる感じがしました。
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 私がかまえた時の微妙な印象ですが、どこで小便をしても、私がもう少し背が低いか、もう少し一物が大きかったら、便器に大事な部分が当たってると思います。
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 ちょっと奇妙な配置の小便器もあって、どちらでしようか迷いました。
ベトナム人もカンボジア人もそれほど背の高い人はいませんし、私よりも低いぐらいですのに、小便器が高い位置なのはなぜでしょう、設置業者のマニュアルがそうなってたのか?
まあ、周囲に飛び散る割合は少なくなるのか、床が綺麗ではありました。
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 ウオッシュレット付きの大便器は少なかったです。
私はホテルでしか使用しなかったですが、家内が言うには「使用済みの紙は流さずに横の容器に入れる」そうです。
写真の大便器は水洗ですが、横のホース状のがウオッシュレットなのでしょうか?
手に取ってはみましたが、なんか顔にかかりそうなので使用しませんでした。
使用方法を教えていただければ、次の旅行?で助かりますが。
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 今回の自宅から関空までの移動は、元旦の高速の混雑を心配して「はるか」にしました。
早割で二人で往復1万円弱なので、安くはつき、しかも快適でした。
 バトミントンの桃田選手がマレーシアで交通事故に遭ってますが、ベトナム・カンボジア共に交通事故が起こらないのが不思議ぐらいなので、旅行に行く時は皆さんも気をつけて下さい。

      返事
花水木さん:日本美人はおちょぼ口だったはずなのに、
    最近の女優さんの口は広くなってますね。
toitenlabeeさん:料理の撮影は忘れてばかりでしたので。
タグ: 感想 小便器

2020/1/16

ベトナム・カンボジアの旅5  
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 5日目朝はゆっくりと言っても8時30分出発で、アンコール・トム(大きな町の意味)の観光です。
アンコール・ワットの横を通って、この南大門をくぐってアンコール・トムに入りました。
 アンコール・トムの周りは12Kmに及ぶ環濠と城壁に囲まれています。
高さ25mの南大門に渡る橋の両側には、写ってるアスラ像と左側の欄干にはデーヴァ像が並んでいます。
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 アンコール・トムの中央にある仏教寺院バイヨン。
大きな顔だけの観世音菩薩が4面にある、たくさんの塔で出来ています。
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 たくさんの塔と、その4倍のたくさんの観世音菩薩、その中で中年以上の日本人にとって一番有名なのは、右手の京唄子さんのそっくりさん。
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 ガイドさんからそう説明されたら、どこからどう見ても京唄子さんにしか見えてきませんでした。
もう亡くなられていますよね。
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 迷路のようなバイヨンの中を歩き、塔の4面の沢山の観世音菩薩と言うかアンジェリーナ・ジョリーのような肉厚口唇の石像ばかり観てきたので、横にあるこの王宮見学はパスしてしまいました。
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 それでも長く続く象のテラスやライ王のテラス見物は、木陰が無く、このままでは熱中症の心配もするぐらいで、この日が大晦日とは思えませんでした。
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 車に戻って一息つけましたが、すぐに次は遺跡発見当時の景観のままで保存されているタ・ブロームです。
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 回廊が崩壊して内部が見えていたり、屋根に木の種が落ちて成長し、どんどん根を下ろしている大木。
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 神殿を木の根がおおっています。
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 アップした写真では、その木の根の間から丁度女神さんが顔を出しているので、撮影スポットになっていました。
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 ここはアンジェリーナ・ジョリー主演の「トウムレイダー」撮影のロケ地になって、ますます有名になりました。
アンジェリーナ・ジョリーは、カンボジア人の好む顔なんですかね。
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 かなり疲れ果てて、遅めの昼食はクメール料理、これは少々辛いこともあってか、疲れた体にはぴったりで美味しかったです。
ここでも蓮の花びらを折り曲げて細工して置いてありました。
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 土産物屋さん街を案内されて、あまり痛くないフットマッサージを受けましたが、疲れと心地良ささで眠ってしまいました。
最後はホテルへ戻って、アフターヌーンティーで休憩。
 ベトナム航空でハノイ経由で関空へ戻りましたが、良き旅でした!

       返事
とんでんらびいさん:そうです、海外旅行は2回目で、
    とんさんのように得意ではありません。
花水木さん:夕焼けは良いですね!
    歳を取ってからか島に行ってからか、
    空を見上げるようになっています。
     私としては、アルコールは本当に美味しい料理の時は、
    飲みたくないぐらいです。

2020/1/13

ベトナム・カンボジアの旅4  
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 再び明るく暑いアンコール・ワットに戻りました。
朝の暗い時にははっきり見えなかった建物が、どうなってるのか分かってきました。
こんな大きな濠に囲まれていて、西参道の入り口の石橋は修理中なので、朝はわけも分からずに渡ったグラグラ揺れる浮橋を渡ります。
 中央奥に小さく見えてるのが中央祠堂です。
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 蓮の咲いている池に映る、写真によくあるアンコール・ワットも、写真に撮れました。
中央の塔は見る角度によって、3〜5塔あるように見えます。
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 冬とはいえ、昼間は暑いぐらいで、下手すると熱中症になりそうです。
参道などの欄干には、よくこの七つの頭を持つナーガという蛇神が使われていますし、この七つの頭の部分は、日本の仏像の光背のようにも使われていました。
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 十字回廊周囲の石には、少し彩色が残ってる部分もありました。
ここに1630年頃に訪れた、森本右近太夫一房の落書きが残っていましたが、読めませんでした。
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 森本一房(モリモトカズフサ)の父は加藤清正の重臣だったようで、その後一房は松前藩に仕えたので朱印船に乗れたのか、カンボジアに渡ったそうです。
最後は京都に帰って死んだので、お墓は寺町高辻の電気屋さん街の寺町に有ります。
葬られた乗願寺、旅行に行く前に行ってきましたが、中には入ることは出来ず、この門の写真だけになりました。
(乗願寺さん、案内板でもおいて宣伝したら、観光客きそうですよ)
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 朝5時からでかなり疲れてきていましたが、プレ・ループと言う寺院で夕陽を見ます。
もうたくさんの観光客が登って待っていました。
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 アンコール・ワットに沈む夕陽と思ってましたが、ジャングルに沈む夕陽です。
ちょっと高くて怖かったですが、石の上に座ってゆっくりと沈む夕陽を見続けました。
さすがにもう暑くはなく、時々吹く風が気持ち良いです。
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 じっと夕陽を見てるのは、奈留島や富江に居た時以来かもしれませんが、心の中に何も無くなる時間です。
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 夜は、それほど美味しいというほどではありませんが、クメール料理を楽しみました。
地元のアンコールビールはあっさりした味で、喉を軽やかに通り抜けますが、私にはやっぱりマンゴージュースの方があいました。
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 最後はカンボジア宮廷舞踊アプサラダンスショーを楽しみました。
疲れてるので途中で出てもいいですよと、ガイドさんは言ってくれましたが、意外と面白かったので最後まで観てしまいました。
  長〜い4日目も終わりました。

      返事
和さん:15年前でも、
    第3回廊を登る石段を登れたのは偉いものですよ!
    私たちは出来た手すり付きの木の階段を登りましたが。
     今でもホテルの洗面台には、
    うがい用のペットボトルが置いてありましたので、
    それで薬を飲みました。
toitenlaびいさん:アインテンラもうじきばばあ?さん。

2020/1/10

ベトナム・カンボジアの旅3  
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 ベトナム航空でハノイから2時間でカンボジアのシェムリアップに到着。
空港に迎えに来てくれた現地ガイドは、日本人のような顔のカンボジア女性ガイドで、ここでも専属運転手さんと2人が、私たち二人に付きっきりと言う旅になりましたので、このパック旅行はあまり人気が無かったのですかね。
 もう道は真っ暗でしたが、リゾートホテルのような綺麗なホテルに到着。
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 2時間のフライト中に軽食が出て、それを完食してたのに、またホテルで遅めの夕食です。
でもこのデザートまでの洋食は、この旅の中でも美味しい方の食事だったので、また完食です。
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 4日目朝は、まだ暗い5時15分にホテルを出発。
アンコール・ワットの夜明けを鑑賞です。
真っ暗な中、旅行中に唯一使用したスマホの懐中電灯モードで歩き、位置に付きました。
まったく寒くありませんでした。
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 朝日が見えるほどの良い天気ではありませんでしたが、じっと日の出を異国の地で待つのも良い感じでした。
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 明るくなると共に、たくさんの観光客がいることを知りましたが、そのまま第3回廊に向かいます。
日本の欄間彫刻もすごいのが有りますが、ここは石なので、彫るのはより大変か。
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 20年ぐらい前にアンコール・ワットに行っていた息子は、ピラミッドより急で狭い石段を登るので「お父さん達には無理」と言っていた第3回廊、手すり付きの木の階段が出来ていたので、高所恐怖症気味の私でも登れました。
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 アンコール・ワットは今やジャングルの中にあるというイメージでは無くなってるので、こんな写真の方がアンコール・ワットに来たぞ!という感じです。
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 アンコール・ワットのワットは寺院と言う意味、そのままヒンズー教の大寺院なのですが、夜明けにその西から入って直線距離で1.5kmある裏側の東に抜けたので、裏から観た中央祠堂は朝日を受けて輝いています。
 一旦ホテルに戻って朝食です。
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 続いて高床式の家が散在する田舎道を少し走って、バンデアイ・スレイ(女の砦の意)の観光。
ここは王様の母親の菩提寺として建てられたヒンズー教寺院です。
赤っぽいのと、精緻な彫刻がたくさん残ってることで有名です。
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 残ってる彫刻は、確かにかなり細かいですので、彫ってる最中に欠けることもあったのでしょうね。
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 東洋のモナリザと言われてる女神像があるのですが、女神像はたくさんあって、どれがモナリザなのか区別付きませんでした。
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 こういう細かい彫刻のある建物の後ろに少し緑が映りこんだ写真、私が気にいった写真です。
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 街へ戻って昼は和食、京都で食べたら2000円でもちょっと高いかなあと思う天婦羅定食、でもご飯が意外と美味しかった。
 外のプールでは、ここの宿泊客が泳いでいました。
 続いてアンコール国立博物館で、石の像ばかり見ましたが、室内では感激は少なかったですが、涼しいのは良かったです。

    返事
Toi tenlaびいさん:私の名前はつね・・・、
    危ない危ない、おもわず名前を言いそうになりましたよ。
花水木さん:ガラス張りだったので、
    周りが写ってしまいました。
     小さいチョコレートアイス3個ぐらいなので、一人で完食です。

2020/1/7

ベトナム・カンボジアの旅2  
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 ハノイから30分ほどのバッチャン村は、ベトナムを代表する陶器造りの里です。
「バッチャン焼きは2回焼いてるから丈夫です」と、私の目の前の陶器茶碗を2個強くぶっつけて、高い金属音だけで割れないので、少々驚いた私は、いかにもベトナム陶器らしい柄のマグカップを買ってしまいました。
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 3日目はハノイ市内の観光です。
文廟(ブンビョウ)は孔子を祀る目的で1070年に建立された廟で、これが入り口の第1の門文廟門です。
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 たくさん門が有りますが、一番有名な奎文閣(ケイブンカク)を裏側から見た絵は、ベトナム紙幣100000ドンにも書かれてると説明されました。
ベトナムの高額?紙幣は紙ではなく、ペラペラのツルツルの合成樹脂を使用したポリマー紙幣というものです。
 *私がかざしてる100000ドン、0を二つとって2で割るとだいたい日本円になるそうなので、日本円にして500円です。
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 ここはベトナム最古の大学があって、3年に一度の科挙合格者の名前が刻まれた石碑があり、受験生が合格祈願にこの石碑をなぜてお願いするという、日本の天神さんで石の牛をなぜるのと同じ風習があるそうです。
ガイドさんの説明には孔子の話はあまり出てこず、大学卒業生にしては若すぎるような学生が、卒業式のような正装で記念写真を撮っていました。
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 11〜19世紀に栄えたベトナム王朝の城、タンロン城遺跡も市街にありました。
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 敬天殿の龍の階段も残っています。
ここはベトナム戦争時にベトナム人民軍の司令部が置かれていたそうですが、北爆では潰されなかったのですかね。
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 私にとってはある時期ホーチミンさんは英雄でした。
その遺体が眠るホーチミン廟にも行けました。
すごい行列に並びましたが、ちょっと写真を撮った人がベトナム兵士に横に連れ出されたり、帽子を取るようにや2列にきれいに並べなどと、きちっとした行列はどんどん進んで、ホーチミン廟の中に入ります。
暗く冷房された中央に、4人の儀仗兵に囲まれて、ホーチミンさんの遺体は安置されていました。
合掌などで停まれる余裕もなく、列はどんどん進み、あっという間に廟の外でした。
ガイドさんは「昨年見た時より少し頬が落ちている」と言ってましたが、遺体処置はどんなふうにしてるのですかね、ガラスで密閉ではなかったです。
 まあベトナムに行った第1目的は達成しました。
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 隣にあるホーチミンさんが過ごしていた室内には、マルクス・レーニンと思われる写真ンと共に、何故か日本人形が飾ってありました。
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 一柱寺(イッチュウジ)は1本のセメント柱の上に楼閣がある仏教寺院です。
蓮の花を模して作られたそうで、その柱の周りの池には、本物の紫色の蓮の花が咲いていました。
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 旧市街にはこんな教会もありましたが、キリスト教徒は少ないそうです。
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 旧市街をブラブラガイドさんと共に散策して、ホアンキエム湖周囲の公園も歩き、休憩は湖畔の喫茶店。
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 最後はガイドさんのおごりで(チップをお腹の子の分もと言って、はずんだせいか)、チョコアイスばかりのベトナムパフェをいただきました。
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 タイル壁画が並ぶ道を通って空港に到り、ハノイを後にしましたが、中央線を露骨にはみ出して追い抜きをかける車(右側通行なので余計怖く感じる)、車の両脇に連なって走る2人・3人乗りのバイク、勇気がないとベトナムは運転できません。
でもバイクの交通事故はしょっちゅうあるようです。

      返事
花水木さん:私には白い靴の流行した記憶はありません。
     ベトナム戦争後約45年、太平洋戦争後約75年、
    残念ながら人は忘れるものなんですね。
大雪男さん:元旦朝5時頃五島上空を飛んでいました。
     あの頃の気持ちを今は忘れてしまっていますが、
    ハノイに北爆の爪痕らしきものは見れませんでした。
     にわかラグビーファンの皆さまも、
    野球中継はだるいなあと言ってるので、
    プロ野球中継ももう少し考えて、大きな視野で写した方が良いと思います。

トイテンラびいさん:片岡知恵蔵主演の探偵映画、
    ある時はセムシ男、またある時は・・・。
    七つの顔を持つ男、多羅尾伴内です。

2020/1/4

ベトナム・カンボジアの旅1  
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 私の大学時代はベトナム戦争の真っ最中、そしてサイゴンが陥落してベトナム戦争が終わったのは、私が結婚した1975年です。
その後丁稚奉公のような仕事や結婚生活で、政治や世間から離れていた頃も、ベトナムとカンボジアの間ではややこしい戦争が起こっていましたよね。
 その頃は夢にも思ってなかったベトナムとカンボジアへの旅、それもベトナム航空に乗って行ってきました。
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 関空からハノイまでは3時間半ほどの旅、時差も2時間だけですが、今どきのスマホの時計、自動的に現地時間に訂正されていました。
 JTBのパック旅行なのに、ハノイに着いたのは我々二人だけで、出口で迎えてくれた現地ガイドさんと運転手さんの4人だけの旅になりました。
 早速車でハロン湾に向かいます、一部有料の高速道路も走りますが、結構遠くて着いたら夕方、その日はホテルで夕食食べて終わりです。
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 2日目の初めてのベトナム朝食バイキング、基本は日本の朝食バイキングと変わりませんが、左のねっとりと甘いヨーグルトは私の好みでした。
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 世界遺産のハロン湾クルーズです。
天気は快晴とは言えませんが、冬にしては良い天気と、妊婦さんのガイドさんは言います。
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 小さな船に乗り換えて、上陸後歩いて廻ったスンソット洞窟は、かなり大きな鍾乳洞でした。
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 日本の鍾乳洞と違ってなんか乾いた感じ、今も水滴を滴らして増殖してる感じは有りませんが、天井は高くて観光客も多いので、私でもそれほど閉所の恐怖感は感じませんでした。
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 天井だけが違う材質で出来てると思われるぐらい、すべすべした鉢状の波型模様が入っています。
風が作った仕業だそうですが、風紋と言うのかなぜこうなったのか理解は出来てません。
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 このティートップ島のてっぺんには展望台があって、そこからハロン湾のパノラマが見えるのですが、急な階段に怖気ずいて登るのはやめときました。
 ホーチミンの参謀だった外国人の名前がこの島の名前になっています。
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 昼は船内でベトナム海鮮料理ですが、めちゃくちゃ美味しいというほどではなかったです。
ここも中国人観光客が多いです。
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 魚の形をしてるので有名な島ですが、ハロン湾はまったく波が無いぐらいです。
 これで1日はほぼ終わり、ハロン湾クルーズはまずまずでしたが、ハノイから少し遠いのが難点です。
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 ハノイは結構な都会です。
3人も4人も乗ってるバイクや車が縫うように走っていますが、信号は少なくロータリーの交差点ででうまく走ってますが、大阪や京都の運転手でも運転は難しいと思います。
 60階以上ある近代的なホテルに泊まりました。

      返事
トイランラびいさん:また名前を変えましたね。
    七つの顔の多羅尾伴内と呼びますよ。
花水木さん:W杯神戸会場の
    顔出しパネルで撮った写真を使いました。
    弱そうな選手です。
タグ: ハロン湾

2020/1/1

新年おめでとうございます  
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  「ございます」が抜けてますが、入りませんでしたので。
今年も気が抜けたようなブログを、どうかよろしくお願いいたします。
予定としては、天皇陵巡りをあと3年以内に終わらして、次の連載にかかりたいと思っています。
あんまり遅らすと、私の命や元気が先に無くなりそうで、心配は少しはしています。
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 今年の元旦朝の食事は、ベトナム航空の機内食になりました。
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 食事を終わった頃に、丁度五島上空1万ⅿを飛んでいたので、奈留島や富江の皆様には上から目線でおめでとうでした。
 奈留島や富江で、夕方フークの散歩をしていると、いつも飛行機雲が何本か見えていましたが、今その飛行機雲の原因に乗っているのも不思議と言うか懐かしいです。
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 関空への着陸態勢に入る前、わずかに東の空が明けてきましたが、雲の中に突入して初日の出は見られませんでした。
 しばらくは旅行記で、また不評の天皇陵巡りに戻りますが、どうかよろしくお願いいたします。

      返事
じょんのびかあさんさん:8月には高校同窓会ありますよ。
和さん:愛読者と書かれると嬉しいです!
    今年ものんびりと頑張ります!
花水木さん:お気軽な人生を送っているので、
    お気軽な内容ばかりとは思いますが、
    天皇陵巡りは途中でやめるわけにはいかないので、すみません。
タグ: 年賀状


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