奈留島ゴミ箱131ヶ所巡り・奈留島百人一首に続いて、天皇陵巡り掲載中。

2020/3/8

番外56-2清和天皇女御藤原高子  天皇陵巡り番外
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 私がこの天皇陵巡りを書いていて、いつも参考にさせてもらってるのは、ブログ「倭は国のまほろば・・・」と「邪馬台国大研究の天皇陵巡り」です。
 特に「倭は国の・・・」さんは、天皇・皇后陵を丹念にしかも年代順にきちっと廻られていて、写真もたくさん掲載されているので、分かり難い陵の場所を探すのに非常に役に立ってます。
以前の文徳天皇皇后明子の墓と伝えられてる姫見塚は、山梨県にあるそうで、私はパスしてますが、奈良の方なのに、ここもきっちり足を運ばれています。
今回の清和天皇女御藤原高子の後深草陵の場所は全く不明なのに、真宗院(シンシュウイン)の円空上人廟のある丘陵地だということで、そこも訪問されていました。
 治定されてないし、山梨県までは遠いので行けませんが、真宗院なら特養で朝働いた後、歩いて訪ねられるので、行ってきました。
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 藤原高子(フジワラノコウシ・タカイコ)(842〜910)は、藤原北家の長男長良(ナガラ)の娘で、後に父長良の弟でありより実力のある良房(ヨシフサ)の養子になって、藤原北家をより強力にした基経(モトツネ)の同母妹にもなります。
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 この高子さん、美人でしたので、次期天皇の妃にすべく、同母兄基経に育てられましたが、あろうことか天下のプレイボーイ在原業平と駆け落ちする、という事件を起こしてしまいました。
 そのほとぼりも冷めた頃、年増になった25歳で入内(ジュダイ)し、9歳年下の清和天皇の女御になりました。
 清和天皇との間には、年上の好リードもあってか、27歳で貞明親王(サダアキラシンノウ)(後の第57代陽成天皇)に続いて、貞保親王(サダヤス)と敦子内親王(アツコ・トンシ)を産んでいます。
 この円空上人廟のある丘が高子の後深草陵?
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 しかしながら、高子と時の権力者同母兄基経との仲は、まったく良くなかったようです。
長男貞明親王は陽成天皇になり、基経は摂政になりましたが、天皇の母として君臨する同母妹高子のことが気に入らなかったのか、基経は陽成天皇を早めに譲位させ、弟の貞保親王でもなく、あろうことかあまり姻戚関係のない年寄りの光孝天皇を指名しています。
 写真はこの丘の廟から深草の方を眺めています。
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 896年、もう未亡人になっていた55歳の頃に、高子さんは自分が建てた寺の座主善祐と密通したとして皇太后を廃されています(後に復権してますが)。
 少し病的な時の権力者同母兄基経に逆らい、熟女としてもなかなか頑張った高子さん、美人でもあるので、ちょっと逢ってみたかった女の人ですね。
 藤原北家のエースとして、跡継ぎの天皇もちゃんと産んでるのに、陵もはっきりしないとは、よほど基経さんに嫌われたのか、明治政府に嫌われたのか、まあその基経さんの墓もはっきりはしてませんがね。
 帰り道で、「しつけ教室」洋裁かなんかの教室?→いや子供の情操教育の教室?→単に犬のしつけ教室の広告でした。

      返事
大雪男さん:もう7年になるのですね!
    ありがとうございます!!
    確かインフルエンザに罹患してじっとしてる時に、
    私のブログをたまたま読んでもらってからですね。
    あの頃のブログの方が面白かった気はしますが、
    天皇陵巡りもよろしくお願いします!
花水木さん:私も子供の時に田舎で土葬をみてます。
    火葬の方がお金が(薪代)かかったのでしょうね。


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