2020/12/31
良いお年を!

休日6日目(30日)、午前中は少しだけ施設に顔出しましたが、落ち着いていて、もう予防ガウンも着なくて良く、来年はまあゆっくり出来そうです。
朝は雨でしたが、帰る頃はもう晴れていました。

夕方からは大雪で、京都市内も積もる予報でしたが、意外と夕陽も出てきて、来てくれた階段・エスカレーター・扉好きの孫V-1と散歩も出来ました。

近くの山にだけ夕陽があたり、奥の比叡山は雲の影になるのですかね。

休日7日目木曜日、予想以下の積雪の朝になりました。
実際は今日からの休日になると思うのですが、4日間だけの正月休みなら、毎週の3連休とそう変わりません。
まあなにも予定なく、なにも出来ない今年の正月休みなら、これで充分ですかね。
では皆さま 良いお年を!
返事
前回の和さん:TV観てると、
今日は豊岡も大雪ですね。
この皿ソバは、
豊岡から福知山に抜ける道のソバで、食べたソバです。
2020/12/30
山国神社

休日4日目月曜日は、新型コロナが解除されて私も綺麗な体になったので、もう一つ働く場所で仕事でした。
まあこれで給料もらえる仕事は終わりで、あとは少し施設に顔出すのが残ったぐらいです。

島から帰って5年近く、毎週1回以上は必ず行っていた滋賀県、滋賀県知事が「京都の人は来県遠慮してください」と言われたので、行きづらくなりました。
休日5日目火曜日、京都府内を出ないように、高雄を抜けて京北町を目指しました。
道の駅で少し野菜を買って、初詣です。

維新勤皇山国隊で有名な山国神社(ヤマグニジンジャ)は参拝する人もいなく、ひっそりと冬の陽の中にたたずんでいました。
今年推薦される初詣に、一番ふさわしい所です。

3日早いですが、色々祈ってきました。
でもやっぱり、初詣は博奕祈願より、コロナ退散と家内安全を一番長く祈りました。
返事
花水木さん:こう増えてくると、
人ごみはどこも危険ですかね。
2020/12/29
豊岡に 旅

年末は寒波が来るようなので、休日3日目の日曜日は、今日しかないと豊岡までドライブです。
豊岡鞄ストリートで「カバンを買うか」と、家内をだまして行きました。
日曜日なのに、開いてる店も少なく、買い物客も限りなくゼロに近かったですし、結局気にいった物もなく、なにも買わずに済みました。

途中はまだ道端に雪の残る所もあって、道の駅で正月用の餅など買いながら、着いた鞄ストリートの駐車場には、除雪した雪の山が残ってました。
さすがに70歳越えてますので、喜んで雪の山に駆け上がるのは止めておきました。

私の真の目的は、宮内庁治定陵墓で豊岡に有る雅成親王墓ですので、見つけた墓の上から周囲をパチリ。
これで達成!

帰りに出石(イヅシ)近くで出石名物皿そばを食べました。
これまでも出石で1〜2回皿そばを食べてますが、今回のが一番美味しかったぐらいです。
それでも1人前5皿の皿そばは、5皿だけで腹一杯になってしまい、追加は出来ない腹になっていました。

これまた帰りの道の駅にあった不二家で、久しぶりの不二家ショートケーキも購入。
不二家でもと言ったら失礼ですが、不二家のショートケーキも500円近くするようになったご時世なんですね。
帰って夕食のデザートは、ほぼなくなってから写真を思い出したので、不二家どころかショートケーキかどうかも分からなくなっています。
前売りで買っていた有馬記念も、やっぱり駄目!
来年は競馬休憩かもしれませんね。
返事
toitennさん:一応自分用ですが、
孫が壊しても、怒らないとは思ってます。
2020/12/28
新型コロナではなく新型ノート

せっかく私の働く施設や病院で解除終息が出たのに、京都も新型コロナ感染者増加止まらないので心配です。
これでは年末年始は引きこもらずにはおれないとは思ってますが、体はなかなか言うことを聞いてくれません。
私の現在の愛車は、年寄りに人気の日産ノートですが、そろそろ5年目です。
年末に新型ノートが発売されるので、休日二日目は自転車でそのノート見学に、販売店まで行ってみました。
写真の新型ノート模型を貰うのが目的ですが、まあおまけなのでちゃちでしたね。
新型をコウニュウしたくって

ニッサンしたのは いいけれど〜
・・・・・・・・
ここらで止めても いい新型コロナ
字余り
小林旭の「自動車ショー歌」をめちゃくちゃに歌いながら帰りました。
返事
toitennさん:WOWWOW、映画とラグビーですかね。
花水木さん:私は若い時は面倒くさがりでしたが、
今の方が面倒くさいことを、平気で出来るようになりました。
それでも、老化は進んでますよ。
2020/12/26
日展

少しは仕事に行く日もありますが、年末年始の休みはほぼ10日間。
どこにも行く予定も、誰もが来る予定も、45年続いてる麻雀協会新年会まで無くなったので、コールセンターに懇切丁寧に教えられながらWOWWOWに加入してしまいました。

新装なった京都市美術館、今は京都市京セラ美術館です。
岡崎の平安神宮の、前掲の大鳥居の横にあります。

内部は、昔の美術館の内装を残しつつ、白っぽく新装されています。

いつも日展に入選してる友人から券を貰うので、年末年始休みの初日は、二人で日展鑑賞です。

美術館改装の為2年間連続して狭い会場だったので、広く綺麗な会場で観る作品群は、全てが前年よりそれなりによくは見えましたが、素人判断で申し訳ないが、日展もなんかいきずまってる感じはします。

今年の私の年賀状展です。
いきずまってる感強く、今年は文字中心に五島牛をあしらうだけにしました。
返事
toitennさん:そう!なんとなくわっかぽいでしょう。
配流されて、本人は根に持ってると思いますよ。
この歌も、ストーカー気分ですかね。
2020/12/23
75-1崇徳天皇 天皇陵巡り

前回の木星土星大接近の写真にはコメントがなかったので、21日もっと接近したのを家の窓からカメラを三脚で固定して撮りました。
上の土星は、なんとなく土星らしく見えませんか。


横道にそれましたが、今回も本題は天皇陵巡りです。
第74代鳥羽天皇(1103〜1156)(在位1107〜1123)と皇后璋子(待賢門院)との間に産まれた、表向きは第1皇子の顕仁親王(アキヒトシンノウ)(実は曾祖父白河上皇の子?)は、白河上皇の意向に依ってわずか5歳で即位し第75代崇徳天皇(ストク)(1119〜1164)(在位1123〜1141)となりました。
写真は四国八十八カ所第81番札所白峯寺(シロミネジ)で、境内には巡礼の人々も沢山見られました


崇徳天皇は藤原忠通の長女聖子を中宮に迎えましたが、子は生れませんでした。
それで、父鳥羽上皇と得子の間の子で異母弟になる体仁親王(ナリヒト)(1139〜1155)を養子に迎えていましたが、兵衛佐局(ヒョウエノスケノツボネ)の間には重仁親王(シゲヒト)(1140〜1162)が産まれました。
気持ちの良い石段を登って行くと、崇徳天皇白峯陵(シロミネノミササギ)(香川県坂出市青海町)です


これに先立ち、1129年に白河上皇が崩御してからは、崇徳天皇はその後ろ盾を失い、父鳥羽上皇の意向により1141年に無理矢理譲位させられ、体仁親王が第75代近衛天皇として即位しました。
この近衛天皇が17歳で亡くなると、望みをつないでいた我が子重仁親王ではなく、今度は同母弟の第77代後白河天皇が即位したので、院政をひく望みは絶たれてしまいました。
香川県の山の上まで来て、又陵印を取りに大阪まで帰れと言うのも酷ですが、まあここまで参拝する人は、陵印はここではもらえないことは知ってるでしょうね

白峯寺境内にも崇徳天皇御陵遥拝所が、写真のようにありましたが、御陵もすぐそこでした

摂関家でも忠実(タダザネ)の息子忠通と頼長の兄弟同士の権力争いが激しくなり、1156年に父鳥羽上皇が死ぬとすぐに、崇徳と後白河の跡目争いも起こり、
天皇方;後白河(弟)・関白忠通(兄)・平清盛(甥)・源義朝(兄) 対
上皇方:崇徳(兄)・左大臣頼長(弟)・平忠正(叔父)・源為朝(弟)の
保元の乱が起こりました。

崇徳はこれにあっさり敗れて讃岐に流され、この地で大乗経を書写して京都の寺院に納めようとしましたが、呪いが込められてると阻止されたので、無念のあまり天皇家を呪いながら亡くなりました(殺されたという説もあり)。
瀬戸大橋が綺麗に見える展望台も近くにあります

京都祇園の場外馬券売り場の裏と言うか歌舞練場の裏に、阿波内侍(アワノナイシ)が崇徳の遺髪もらい受けて塚を築き、その霊を慰めたという崇徳天皇御廟があります。

明治天皇が京都から東京に出て行く時に、配流されて怨霊になったかもしれない崇徳天皇と淳仁天皇を祀った白峯神宮を建てて出て行ったぐらい、崇徳の霊は天皇家から恐れられていたようです。
私はこの白峯神宮を見下ろす位置の病院で働いていましたが、今の所大丈夫です。

崇徳天皇は百人一首にも一首載せていますが、落語にも「崇徳院」があって、
おちは;鏡が 「割れても末に買わんぞと思う」でした。
返事
toitennさん:中トロ・雲丹・帆立・ヒラメの刺身が乗ってた後の皿です。
花水木さん:コッペは松葉ガニの雌でセイコガニとも言います。
クモコはタラの精巣で、こちらでは家庭でも食べます。
巷では感染者がまた増えてきていますが、
もう一度クラスターにならないように、注意はしてます。
2020/12/21
私のクラスターが終息したので

京都芸術大学のイルミネーション、15年前からやってたそうですが、たまたま通りがかって初めて見ました。
私の勤務先の病院・施設の二つともがクラスター終息、厳しい防御が解除になりましたので、気分転換に二人で会食に行く途中の道でのことです。

店に着く前の夕方6時頃、空には下木星・上土星が大接近していましたが、ズームは揺れて、こんな写真しか撮れませんでした。
次の大接近は60年後、次はもうほぼ見られないでしょうね。

銀座でステーキ会食するほどの値段ではないでしょうが、私たちにとってはかなり贅沢なゆっくりした店での食事です。
刺身を食べ終わってから、写真を撮らなくてはと気づきました。

ちょっと食べてしまったコッペも、こうして出されると、楽に食べられて美味しい。
他に、フグやクモコやカラスミなど10品以上、やっぱり当たり前ですが、美味しいものは美味しいですが、写真は忘れがちです。

日曜朝、競馬新聞買いに出た時の比叡山は、少し雪雲?がかかっていました。

その比叡山上空から、高校駅伝男子折り返し点を撮るTV中継の左隅に写ってる(小さくて写ってないですが)のが、我が家です。
広島世羅高校がアベック優勝した高校駅伝。
朝日杯GTはかすりもせず。
夜のM-Tも今年はもう一つ、私の心から少しずつM-Tも遠ざかって行ってます。
返事
花水木さん:天皇陵巡りの不評にはめげずに、
頑張りますよ。
大雪男さん:巨人に勝ちさえすれば、
最下位でも良いぐらいですが。
toitennさん:toitennさんにギャグを褒められると、
嬉しいですね。
2020/12/18
花水木さんコメントの返事も兼ねて

約1ヶ月前の本ブログ「近所の秋を少し」で撮ったベンチ周囲のイチョウも、今回の写真ではほぼ葉が落ちて、昨日は初雪が5pほど積もった京都松ケ崎です。
「お出かけしなくても、家の周囲をリポート・・・」との花水木さんのコメントですが、花水木さんの家の周囲の富士山なら感動しますし、奈留島にいた頃の島の写真なら珍しいですが、毎日比叡山や宝ヶ池では苦しいですよ。

私が働いている施設や病院で1ヶ月半前にクラスターが発生した為、それなりに防御して働いてはいますが、PCR検査も何度も受けなければならない身体に成った為に、大好きな外出も控え、もっと好きな麻雀もやめて、仕事場所も1カ所に絞り、唯一の楽しみは勝てなくなったTVの競馬のみで、自粛生活を余儀なくされました。
患者さん以外にも、身近な人に新型コロナ感染者も出て、私なりに心配してましたが、無事退院。
患者さんに何人かの犠牲者が出ましたが、施設も病院も一応クラスターは終息しました。
写真のように、訪問診察も生れて初めてのスマホLINEに依るリモート診療でした。
さてこれで遊びに行けるなあと思いましたが、京都の1日感染者も100人に近づいている現在、世間が外出を手放しで許してくれるかどうかのご時世になっています。
まだまだ在庫の天皇陵巡りになるかもしれませんが、在庫が切れないように、すきをみて御陵巡りと称して外出していこうと思っていますが、どうなることやらです。
ますます不評の在庫天皇陵巡りブログ、国民一人一人が心を一つにして、本ブログ崩壊を防ぐべく、長い目で暖かく見守ってやってください。
明けない夜は無い
止まない雨は無い
閉まらない戸は壊れてる
返事
花水木さん:上記の如くです
2020/12/14
2枚づつ

1ヶ月ぐらい8回続いて天皇陵巡りばかりのブログになっています。
読者離れが始まり(始まってる)そうなので、心配してる私ですが、麻雀も休憩中で外食も私なりに控えてるので、ネタがありません。
1枚目;
二人で買いだしに出た昼頃、滋賀県の田舎道で信号につかまって停まった車の中から、左横に伊レストランらしきものを発見。
急遽ハンドルを左に切って入りました。
カボチャのスープ・5〜6種の前菜・大人の味のリゾット・美味しかったパン、それに写真の植木鉢と思うようなデザートとコーヒーが付いて1600円。
大当たりでした!

2枚目;
植木鉢を掘ってみると(食べてみると)チョコレートムース、植木鉢の底にはしっかり穴も開いていて、ナッツで底は補てんされていました。

1枚目;
日曜日、今の唯一の楽しみですが、全く当たらなくなった競馬。
阪神ジュベナイルフィリーズGT(2歳雌馬の頂点レース)です。

2枚目;
父クロフネ・母ブチコのソダシが白毛として初めてのGT制覇です!
さすがの私も応援してましたし、白いからどこ走ってるか一目瞭然です。
もう1頭買っていた九州産馬のヨカヨカ(近所の福永騎乗でもあります)、これは惜しかったので、馬連わずか690円はおまけで買ってましたが、他はだめでマイナスです。
返事
toitenさん:笑うとこではない気はしますが、
まあ何でも笑ってもらえてなんぼですから、うれしいですよ。
ギクッ!ボーッと生きてて、
まだ気づいてないことあるんでしょうね、教えてー!
2020/12/12
94-7鳥羽天皇皇女ショウシ内親王 天皇陵巡り

日に章と書くショウシ内親王は、文字化けしてしまうので、ショウシ内親王と書かなけねばならないみっともなさをお許しください。
ショウシ(1137〜1211)は第74代鳥羽天皇(上皇)(1103〜1156)(在位1107〜1123)の35歳の時の子で、母は皇后得子(1117〜1160)です。
異母弟に第76代近衛天皇がいます。

異母兄第77代後白河天皇の第1皇子第78代二条天皇(1143〜1165)(在位1158〜1165)の生母懿子(イシ)は産後すぐに亡くなっているので、ショウシはその准母となってますし、この二条天皇が23歳で亡くなった時は、女性ですが次期天皇候補にも挙がっています。

父鳥羽崩御後、1157年には落飾し八条院となったショウシは、今は京都駅になってる八条院御所で過ごし、父母から譲り受けた広大な八条院領の財力を持って75歳で亡くなりました。
京都駅構内にある案内所の壁に、八条院御所の跡のプレートが飾ってありました

私が産まれた後は空き家になっていた鳴滝の家に、大学時代5〜6年一人で住んでいましたが、京福鳴滝駅はよく利用しましたし、駅前の喫茶店にもよく通っていました。
なんとその鳴滝駅の目の前に、鳥羽天皇皇女ショウシ内親王墓(右京区鳴滝)があることを50年ぐらい経った今知りました。
若さの無知って恐ろしいですね。

車両の色は昔と違いますが、懐かしい京福鳴滝駅についた嵐電です。
反対向いたら墓になります。
遅れた返事
花水木さん:今しばらくは天皇陵巡りだけでお許しください
もう少しで明けると思います。:/span>