奈留島ゴミ箱131ヶ所巡り・奈留島百人一首に続いて、天皇陵巡り掲載中。

2021/1/18

78-1二条天皇  天皇陵巡り
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 第77代後白河天皇(1127〜1192)(在位1155〜1158)の第1皇子で、大納言藤原経実(ツネザネ)の娘11歳年上の懿子(イシ)(1116〜1143)を母として産まれたのが守仁親王(モリヒトシンノウ)です。
母懿子は産直後に疱瘡で亡くなった為に、美福門院得子に養育されました。
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 そもそも後白河が天皇に成れたのは、実の子近衛天皇(1139〜1155)が眼病の為夭折したので、守仁親王を次の天皇にしたかった養母の美福門院得子などの働きによるものでした。
したがって父後白河天皇の即位と共に、守仁親王は立太子し、3年で譲位した(させられた)後白河天皇に替わって、16歳で即位し第78代二条天皇(ニジョウ)(1143〜1165)(在位1158〜1165)となりました。
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 二条天皇は祖父鳥羽天皇と美福門院得子との間に出来た、2歳年上の姝子内親王(シュシ・ヨシコ)(1141〜1173)を中宮に迎えましたが、関係は良くなく子にも恵まれていません。
 また、多分藤原忠通の娘藤原育子(ムネコ・イクシ)も中宮となりましたが、二条天皇には早くに先立たれ子は無く、身分の低い伊岐氏の娘に二条が産ませた後の六条天皇の養母となっています。
 又、先々代の叔父にあたる第76代近衛天皇の皇后だった「天下一の美女」と言われていた多子(マサルコ)が、史上初ですが皇后ともなっています。
  参道は住宅街の中に立派な松並木を持ってありました
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 幼帝ではなかった二条天皇は父後白河上皇の院政を嫌い、親政を目指し平清盛とも結んで頑張りましたが、なかなか父には勝てず、病により2歳の息子頼仁親王(ヨリヒト)に譲位して直ぐ、23歳で亡くなり香隆寺陵(コウリュウジノミササギ)(北区平野八丁柳町)に葬られています。
 もう少し元気で長生きしてたら、また違う武家世界になっていたかもしれませんね。
  平野神社に近い住宅地の中にある陵は、だだっ広く開けた感じのする、左大文字も見えそうな明るい陵でした


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