奈留島ゴミ箱131ヶ所巡り・奈留島百人一首に続いて、天皇陵巡り掲載中。

2021/11/30

秋も終わり  京都
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 70回以上経験してきた秋ですが、秋を味合えるようになったのはまだ20回ぐらいですかね。
その秋もあと10回ぐらいしか味合えないと思いますが、貴重な今年の秋は短く、始まったと思ったらもう寒く冬になってきましたね。
 1週間以上前の京都こどもの国は、まだ秋でした。
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 宝ヶ池周囲の葉はだいぶ落ちましたが、まだ秋でした。
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 小雨の相国寺境内を抜けて通勤した1週間前、冷たい雨が降ってから、急に冬が近づいてきています。
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 急に冷たい風が吹いて雨が降ってきたと思ったら、すぐに晴れてきた先週末、宇治の料理屋さんで叔父の三回忌に列席。
宇治平等院周辺には、それなりに観光客も出てきていて、秋の京都にはなっていました。
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 やっと京都も4人以上の宴会が可能になったばかり、7人と列席者を絞り、テーブルも分けた法事ですが、1年8か月ぶりくらいの宴会と、日本料理の会席でした。
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 家の前の道端に何故か咲いてるススキ、まだ枯れすすきにならず、銀色のまま輝いていますが、明日から12月、秋はもう終わりですね。

         返事
和さん:富江病院には、
    更新されませんがホームページもあります。
    「みじょか」も配信されていますので、富江病院広報に尋ねてみてください。
Toitennさん:苦い思い出と言われてる院内報、
    私は「トさん」が撮ってくれた、下の私の写真に満足していましたよ
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ジャパンカップ56歳さん:日曜日に荷物を受け取って、
    競馬が好きなら、ひげのHさんですね。
    この予想は当てても、競馬のあたる予想を私に求めるのは、
    無理ですよ。
花水木さん:富江病院の女性のPTさんが、
    私の似顔絵担当で、
    富江富ゑはコスプレをたくさんしてます。
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タグ: 宝ヶ池 宇治

2021/11/26

長崎県五島列島=富江探訪=  富江
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    昔の名前で出ています   小林旭
 奈留島にいるときゃ 
 「犬先生・マリオ先生」と 呼ばれたの
 富江病院じゃ 「富江富ゑ」と名〜乗ったの
 京都の自宅に〜戻った その日から
 あなたが検索 してくれるの待つわ
 (「島の医者になって、た頃もあった」と)
  昔の名前〜で書いて〜います  
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 五島列島奈留島で過ごした最後の2年間は、五島列島で一番大きい島、福江島の富江病院で働きました。
在職中に富江病院院内報「みじょか」が刊行されました。
  みじょか;五島弁でかわいい美人のこと
 
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 厚かましくも「みじょか」の第3号から、=富江富ゑの富江探訪=として私のブログのような写真と駄文を10回ほど掲載させてもらいました。
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 私が富江を去ってからも、「みじょか」はもちろん続いて月1回刊行され、今や80回を超え、ありがたいことに=富江探訪=も同じような形式で80回に迫ろうとしています。
今も律儀に京都に送ってくれる「みじょか」を読んで、立派に成長した息子を見るように、楽しく読ませてもらっています。
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 この=富江探訪=が私の在職中も院長だった小原院長などの尽力により自費出版されました。
私のもとにも1冊送られてきたので、懐かしく楽しく読ませてもらいました。
 もちろんはがきでお礼と京都のお菓子をちょっぴり送っていますが、改めて院長はじめ富江病院スタッフの皆さんにお礼いたします。
   ありがとうございました!
 853-0205
  長崎県五島市富江町狩立499  富江病院
 宛に申し込んでもらったら、もしかしたら富江観光のお供として、手に入れられるかもしれませんよ。
    しらんけど

         返事
Toitennさん:あのころとは違って、
    朝は強い人間になっています。
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2021/11/24

赤山禅院  
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 月曜日は久しぶりの雨で、そのあと寒くなってきていますが、その雨の前の京都の紅葉は見頃でした。
自宅の借景「妙」の山も秋です。
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 ちょっとだけバスに乗って、秋にはよく行ってる近所の 天台宗延暦寺皇城表鬼門赤山禅院 に紅葉狩りです。
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 赤山禅院拝殿の屋根の上には、御幣とかぐら鈴(新調されたのか輝いていました)を持って皇城(京都御所)を守護してる鬼門除けの猿がいます。
夜な夜なこの猿は悪さをしていたようで、今は逃げ出さないように、金網の中に入れらています。
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 そろそろここの紅葉は終わりかもしれません。
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 夫婦ともども、孫5人のことを祈るのに手いっぱいで、夫婦のことや賭け事のお願いまでは手が回らない昨今です。
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 よく見たら、紅葉に混じって、手前にはヒガン桜まで咲いていました。
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 数えたら16人なので、十六羅漢ってのがあったはずですよね。
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 赤山禅院はこの参道の紅葉が有名だと思います。
朝早かったせいか、最近は増えだした観光客の姿はまだなく、散歩する近所の人が少しだけでした。
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 帰りは修学院離宮や曼殊院、詩仙堂にも寄らずに、写真の鷺森神社(サギノモリジンジャ)の参道だけは歩いて、お参りしてきました。
さすがにそのころになると、観光客が目につくようになりました。
1年半ほどの間、観光客をあまり見なかった京都も、また前のようにうるさくなるのですかね。
 白川通りに出て、軽食を食べて、スーパーで食料品の買い物して、またバスで帰りましたが、家に着いてもまだ正午前でした。

         返事
和さん:富江病院で7年ぐらい前に見た月食の月は、
    今の京都の月食の月より、数段大きかった印象があります。
花水木さん:松葉ガニのメスをコッペとか
    セコ蟹・セイコ蟹と言います。
     私の同年代で、日本海沿いに育った子供のおやつだったコッペ、
    ちょっと前までは200円ぐらいで、高くなったと思ってましたが、
    今は浜でも、大きいのは1000〜2000円しますよ。
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2021/11/22

蟹と部分月食  
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 11月19日(金)18時30分ごろ、部分月食を自宅前で見ました。
なかなかピントが合わずに、これくらいの大きさにしか写りませんでしたが、9割5分以上が欠ける部分月食だそうです。
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 その日の昼は福井県の小浜までドライブして、二人でこの刺身定食と、「いつもよりは小ぶりですが」と言われたカキフライ(いずれも一口食べた後撮影)と、予想以上に美味しかったじゃこご飯を頼みました。
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 それに解禁なったセイコ蟹(コッペ)を一杯、きれいに切って出してくれただけでなく、
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食べやすいように、女将自らがカウンター越しに剝いてくれました。
 オスの松葉ガニほど食べではないですが、二人で分け合っても、まあ今年もカニを食べた気分にはなりました。
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 19時過ぎに再び玄関前に出て、近所の人と一緒に夜空を見上げたころは、下のほうから月は明るくなってきていました。
これぐらいになるとピントも合うようになって、よりズームになります。
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 小浜での昼食後は、奈留島にいたころのように、食堂の前の海岸でボーと海を見ながら、なんかおじさんがボートを組み立て沖に出て、再び帰ってくるのを眺めながら腹ごなしをして、いつものケーキ屋さんで食後のデザート。
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 最後19時半ごろ、「チコちゃんに叱られる」を見る前に風呂に入る前に、もう一度前の道路に出ると、まだ満月に戻ってない部分月食が見れました。

         返事
大雪男さん:2連勝はできなかったので、
    最終戦までもつれるかも知れませんが、
    オリックスには勝ってほしいです。
花水木さん:私は弱いので、
    逆襲を恐れて手を上げないタイプです。
     今の世は、不倫にやけに厳しくなりすぎかもしれません。
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2021/11/19

北朝5-2後円融天皇宮人藤原厳子  天皇陵巡り
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 内大臣三条公忠(キンタダ)(1324〜1384)の娘であった藤原(三条)厳子(タカコ・イズコ)(1351〜1407)は、20歳で緒仁親王(オヒト)(直後に北朝5代後円融天皇になる)(1359〜1393)(在位1371〜1382)に上臈女房(ジョウロウニョウボウ)(身分の高い女官)として仕えました。
  前々回も訪問した親切なお寺の方がおられた華開院(ケカイイン)です。
写真横のくぐり戸から、おそるおそる入りました
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 厳子は1377年には後に北朝第6代及び第100代の後小松天皇になった皇子を産み、1381年には珪子内親王(1381〜1399)も産んでいます。
  華開院本堂左手の玄関であいさつして、右手のほうから墓地に回りました
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 夫後円融と3代将軍足利義満との関係は、天皇在位中も上皇になってからも最悪で、後円融はかなりすねてる状態にあったようです。
 1383年に厳子が、出産後わずか20日足らずで里帰りから宮中に無理矢理戻され、義満との密通までも疑われて、刀の峰で殴られるという夫のDVにより、出血が止まらなくなって実家に逃げ帰る事件まであったようです。
  華開院墓地では、塀に囲まれた立派な宮内庁治定の光照院宮墓地のほうが目につきますが、この塀の裏側に廻って塀越しに光照院宮墓地を見下ろした写真です。
 肝心の厳子の墓は、この向こう側になります
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 この時は、姑である藤原仲子が中に入って、我が子後円融をなだめたりしていますので、お墓は制札も何故か無い小さなものですが、嫁と姑が仲良く同じところに眠っています。
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 この後厳子は宮中に戻らなかったことなどから、作家海音寺潮五郎さんは「後小松は義満の子ではないか」という説を唱えています。
万一そうであっても、後小松のその後の系統は今の天皇家には繋がっていないので、現在の皇統に義満の血は入ってはいません。
 しかしながら怒られそうですが、男系で繋がっていると思われる家系でも、密通とかがあって、他の男子の血が入ってしまう危険性は必ず有るでしょうね。
  皇后にはなってないので、後円融天皇後宮通用門院藤原厳子墓(上京区衛町華開院墓地内)です

         返事
Toitennさん:Toitennさんの笑いのツボは、
    どこか理解不能の時がありますね。
     勉強いたします
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2021/11/16

浄瑠璃寺  京都
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 先週土曜日は、孫T-1の少し遅れた誕生日祝いを持って奈良を訪れました。
息子は仕事で、孫は午後は塾、二回トイレを借りて訪問終了。
帰りは奈良の奥山の紅葉を見ようと柳生の里に足を延ばすも、あまり紅葉はなく、トイレだけ借りて月ケ瀬を抜け、何とか開いていた店で軽い昼とトイレ。
そのまま道の駅みなみやましろ村でこれを食べて、トイレ休憩。
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 奈良との府県境に近く京都の最南端にある真言律宗の浄瑠璃寺(九体寺)(ジョウルリジ(クタイジ))に寄りました。
25年ぶりくらいかもしれませんが、この門前を何となく覚えていました。
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 浄瑠璃寺の伽藍配置は、この池を中央にして東に薬師如来を祀る三重塔があります。
そして東側が現世の此岸(シガン)になります。
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 この三重塔も国宝です。
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 この三重塔から(此岸)から、西方浄土の彼岸にある本堂を礼拝するのです。
そしてその本堂内(400円)には九体の阿弥陀如来が安置されていました。
 きれいな金色の九体の阿弥陀如来さんでしたが、曇り空でもあって紅葉自体はまだですかね。
 トイレに行って、駐車場までの帰り道で、日が差してきましたので、惜しかったです。

        返事
花水木さん:日本のプロ野球は、
    巨人から離れないと発展はないと思いますし、
    阪神の巨人を補足している体質も変わらないといけませんよ。
Toitennさん:来年の年賀状はこの電信柱にしますかね。
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2021/11/13

北朝5-1後円融天皇  天皇陵巡り
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 一緒に関西ダービーをするためにオリックスもがんばれと言われてたのに、自分がだらしなく負けてしまった阪神です。
弱い阪神も巨人も監督変わらないので、来年は阪神・巨人で最下位争いをして下さい。
私はにわか日本ハムファンになって、のんびりします。

 緒仁親王(オヒトシンノウ)の父は北朝4代後光厳天皇(1338〜1374)(在位1352〜1371)で、母は足利義満(1358〜1408)の生母紀良子の妹の藤原仲子(1336か1339〜1427)です。
  写真は師団街道沿いに立つ深草十二帝陵の石柱です
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 父の後光厳天皇は、兄の北朝3代崇光天皇系が南朝に拉致され京都を留守にした時に、足利幕府によって天皇の座に就いた天皇です。
足利幕府が安定してきて、南北朝時代も圧倒的に北朝方が優勢になり、拉致されていた崇光天皇系も次々と京都に帰ってきたので、次の北朝天皇はやっぱり長子である元の崇光系統に戻せとの、崇光上皇の運動がおこりました。
  写真はおなじみのJR奈良線沿いにある(深草十二帝陵)深草北陵(フカクサノキタノミササギ)(伏見区深草坊町)
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 この兄弟同士の対立で、次期天皇争いに勝利すべく、崇光たちは京都に戻る時にもう皇位は望まないと約束したはずと、これを盾に取ったり、足利幕府と共に苦労した後光厳天皇に対する足利義満などの介入もあって、息子緒仁親王は1371年親王宣下され立太子、2か月後には12歳で後円融天皇(ゴエンユウ)(1358〜1393)(在位1371〜1382)として即位しました。
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 後円融天皇は即位後1374年までは父後光厳上皇の院政下の治世でしたが、上皇亡き後は旧暦では同い年の従兄弟である3代将軍足利義満が頭角を表わし、朝議に介入したために衝突を紛議を繰り返し、後円融天皇は譲歩や敗北を繰り返したために、1382年には息子に皇位を譲り上皇となりました。
 結局従兄弟同士の後円融と義満の相性は、最悪だったようですね。
  たくさんの名前が並ぶ制札の5番目に後円(圓)融天皇の名前があります
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 後円融天皇は宮人藤原厳子(1351〜1406)との間に、第1皇子幹仁親王(モチヒト)(1377〜1433)(後の後小松天皇)をもうけた他に、数人の妃と数人の子もいます。
 上皇になっていた1383年には出産後早めに宮中に戻した厳子を、密通を疑って刃傷におよび、出血が止まらなくさせたりもしてますし、愛妾按察局(アゼチノツボネ)と義満との密通を疑って出家させたりもしています。
 挙句には義満との対面を拒否し、義満が自分を島流しにでもすると思い込んで仏堂にこもり自害しようとしたり、上皇になってからも二人の相性は最悪のままでした。
  深草北陵は白い塀に囲まれた陵です
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 こんな後円融上皇の錯乱をなだめ、義満との融和を図ったのが生母仲子(義満には叔母にあたります)で、義満には准三后を与え、上皇は自分の家に連れ帰ったりしたので、以後は両者の争いはなくなり、義満の天下になりました。
 後円融は南北朝合一のなった1392年の翌年に亡くなり、この深草北陵に葬られています。
  塀の内には方形堂がある陵の形です

          返事
花水木さん:関西もやっと紅葉の季節を迎えましたが、
    まだ綺麗!と思う紅葉には出会えてません。
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2021/11/10

芸術の秋  趣味
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 寒さにも少し慣れ、新型コロナもだいぶ遠くに行ってしまい、天気の良い日も多かった先週は、食欲の秋ではなく、芸術の秋でした。
 京都市京セラ美術館には市バスで行きましたが、バスの乗客も少しは増えています。
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 「第84回新制作展」、84回目なので歴史もありそうですが、展示作品はなかなか新しい感じで、日展のように古めかしく色あせた感じの作品はありませんので、楽しかったです。
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 1日に2か所は行くつもりでしたが、最近は1回に二つのことはできなくなっているので、京都国立博物館の「畠山記念館の名品-能楽から茶の湯、そして琳派-」には別の日に行きました。
 大正時代に荏原製作所というポンプ会社を作った畠山一清(ハタヤマイッセイ)(1881〜1971)さんが集めた美術品ですが、私の全く知らない世界の作品が並んでいました。
人も少なく、ゆっくりと鑑賞できたので、こういう作品も良いですよ。
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 国立博物館の建物の裏には庭があって、「堪庵」という茶室も公開されていました。
ここまで見て回ったことはなかった茶室の庭は、すっかり秋でした。
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 また別の日は、「創工会×和中庵in鹿ケ谷」に、昨年も行ってますが、友人が出品してます。
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 展示作品も少ないですが、皆が素晴らしい。
そして美術館より、こういう場所での展示のほうが、作品がよりさえますね。
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 和と洋の建物なので、洋館もいい雰囲気です。
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 和と洋の建物をつなぐ渡り廊下からの眺めも秋です。
京都の観光客も増えてきました。

         返事
花水木さん:食欲は落ちてないようですが、
    量はかなり減りました。
    一人前が食べられなくなっています。
Toitennさん:福井は嶺南も嶺北も良いですね。
    でもかなり行きつくした感もありますが、
    探せばまだまだ知らない良いところがありそうですね。
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2021/11/5

白山神社から三国へ  
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 平泉寺白山神社の巨大宗教都市遺構の発掘現場から下りてきたら、「人手がかからない現代の雪除けです」と、説明してくれた雪除けで囲まれた、旧青木家という長者の家の茶店に出てきました。
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 さすが福井県、大きな仏壇のある家の中から、朝日の差し込む縁側を眺めながら、ボーと休憩です。
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 かるかん風の平泉寺まんじゅうと抹茶のセットに、よもぎ餅を餡でくるんだあんころ餅を注文し、ぜんざいも食べようとしましたが、「いくら甘党でも、それは無理」と茶店のおばさんに止められました。
家内はコーヒーとシホンケーキのセット、少しおすそ分けをもらいましたが、生クリームがいい味です。
あんころ餅は甘すぎずあっさり目だったので、ぜんざいも食べられたかなと、ちょっと悔やんでいます。
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 勝山からそのまま日本海の三国に出ました。
三国は完全な大きな漁港です。
えちぜん鉄道の終点三国港駅に、ちょうど列車が着きました。
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 勝山から三国に向かう途中のトイレ休憩の道の駅から、10月下旬ですがたぶん白山?の冠雪が見れました。
福井の冬はもうすぐなんですかね。
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 駅の駐車場かこの店の駐車場か分かりませんが、車が簡単に止められたので、この店に入りました。
越前蟹の解禁はまだなので、まだすいています。
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 甘海老てんこ盛り丼、コクはありますがとろけるような甘みの大きな甘海老、食べるのは簡単ですが、これだけの殻をむくのは大変でしょうね!
  おいしかった!!
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 家内は海鮮丼、仲の良い夫婦ですので、甘いものも新鮮なものも少し手伝って食べます。
   タコがうまい!!
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 帰りもトイレ休憩の道の駅やSAに寄りながらですが、「かき氷ソフト」の名前にひかれて食べてみました。
中からソフトクリームが出てきます。
いい天気といってももう秋、もう少し暑い日のほうがおいしかったと思います。

       返事
Toitennさん:便器と性器はインパクト、大!
    のさすが先生ですかね。
花水木さん:PC画面で見てもらっていますか?
    縮尺を下げてもらったらどうでしょうか?
     マックのセットに「ポテトは?」と聞かれ、
    「要りません」と答えてしまいました。
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2021/11/2

平泉寺白山神社  
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 新型コロナ感染者も不思議なほど激減したので、もうどの他府県にも行って良いようですね。
最近は滋賀県と福井県によく行くようになりましたが、今回は頑張って恐竜で有名になった福井県勝山市に日帰りです。
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 行く途中でもトイレ休憩を繰り返しましたが、(この日は朝早くてスーパーもまだ開いてないので、何十年ぶりかのマクドナルドにも入りましたが、二人で一つのセット200円と、めちゃ安いですね)着いたところは平泉寺白山神社(ヘイセンジハクサンジンジャ)。
真っ先に駐車場のトイレに入りましたが、島でもそうでしたが、トイレの便器間隔がかなり密、コロナのご時世ここなら便器二つでしょうね。
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 勝山にある白山神社、私が島にいた時に、家内が息子に連れて行ってもらい、「良かったので、もう一度行きたい」と言ってましたが、1〜2年ぐらい前に行ったのは違う白山神社で、「こんなんではなかった」と言っていたのですが、本日は正真正銘の白山神社。
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 苔むしたゆっくりした登りの石段の参道からして、この写真以上にいい感じです。
奈良時代泰澄大師(タイチョウタイシ)創建の、白山信仰の由緒正しい神社です。
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 平安時代以後も隆盛を極め、宗教都市としても最盛期の戦国時代には、僧兵8000人の勢力を誇っていたようです。
 朝も早かったので、参拝者もまだ少なく、厳かな雰囲気に満ち溢れていました。
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 拝殿は当時正面45間という、日本最大規模だったようですが、1574年の一向一揆で放火により、全山灰塵に帰しました。
ぽつぽつと小さな祠が散在してるだけですが、これがまたいいですね。
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 焼け落ちた後は、江戸時代ぐらいまで荒廃したままで、植林もされたのか、杉の林の中を歩く感じです。
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 神社境内の左右には、たくさんの宿坊などが建つ中世の巨大都市が広がっていたようで、最近発掘が始まって伐採された階段状の広場が、境内とは別世界のように明るく広がっていました。
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 一部土塀も再現されていて、発掘された石垣や石畳の道も並んでいました。
この左側の杉林の中も宿坊だったようです。
 吉永小百合さんの写ったJR東海のポスターがあったので、むしろ関東の人のほうがここを知ってるかもしれませんが、私は全く知らなかった素晴らしい白山神社でした。
 写真があまりにも明るく撮れすぎていたのが残念なぐらいです。

        返事
Toitennさん:7〜8年ぐらい前ですよ。
    ICOCAはスマホでも有るのですか。
花水木さん:奈良の博物館の食堂で、
    前方後円墳型のカレーとシャベルのスプーンを見たことあります。
     観光だけなら京都より奈良のほうが見ごたえあると思いますよ。
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タグ: 勝山 白山神社


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