奈留島ゴミ箱131ヶ所巡り・奈留島百人一首に続いて、天皇陵巡り掲載中。

2018/11/7

談山神社  
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 紅葉で有名な、奈良県にある談山神社に初めて行ってきました。
藤原鎌足が祭神の、山の上の方にある神社です。
 1ヶ月ぐらい前の天皇陵巡り番外編で紹介した、鎌足の正妻鏡女王関連の恋神社もありました。
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 拝殿からの眺め。
何度憶えても読むときに詰まってしまう、多武峰(トウノミネ)にある談山神社(タンザンジンジャ)です。
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 長男ですが11歳で遣唐使として唐に渡った定慧和尚(ジョウエオショウ)、歴史的にはこちらの方が有名な次男の不比等(フヒト)、この鎌足の二人の息子が、以前にも紹介した大阪府高槻市にある鎌足の墓から遺骨を一部ここに移し、写真の十三重塔と共に建立した談山神社です。
 でもこの二人の息子、共に鎌足の実際の子ではないという説もありますが、まあこんな立派な神社を山の中に建てるのだから、やっぱり実の子?
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 ここは大化の改新(乙巳の変)発祥の地と言われていて、飛鳥の蹴鞠会で出あった、中大兄皇子と中臣鎌足が、この山中で蘇我入鹿を討つ作戦を談合した、すなわち談い山(カタライヤマ)から、この談山神社と言う名がついたようです。
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 678年創建されたこの十三重塔、今のは1532年の再建ですが、木造十三重塔としては世界唯一のもので、高さ17ⅿあります。
 談山神社と言えば、この十三重塔を入れた紅葉写真を誰もが一度は見たことがあるぐらい有名ですが、今日は紅葉までもう少しですかね。
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 11月3日は知らなかったですが丁度けまり祭、うまく蹴鞠会(ケマリエ)に遭遇で来ました。
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 もっともっと混んでいて、駐車にも困るし、人混みを分けて紅葉見物と思っていましたが、奈良の山奥、京都のような混み具合でなくて良かったです。
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 神社の真向かいにある、いかにも観光施設の門前ホテルのような多武峰観光ホテルで、こんな昼定食を食べたのもご愛敬です。
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 ホテル5階の食堂の窓からのこの写真、神社に入山料を払って入らなくても良いのではと思ったぐらいです。
 今日も一番の目的は、早朝出発で家内に付いて来てもらった、奈良県五条市にある御陵二つ巡りです。

    返事
商家の嫁さん:道の駅のもう少し小浜寄りですね。
    でも、そこに買い物は行かないと思いますよ。
花水木さん:今年は高足蟹パーテイはないのですか?

2018/11/4

カニがふぐに  
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 11月になりました。
今年の紅葉は、台風の影響でも一つとも聞いています。
 帰りに寄った、名田庄村の茅葺き民家周囲の紅葉はもう少し。
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 11月になったので、蟹が解禁と思って小浜に行ってきました。
カニの解禁は来週らしく、かわりに河豚定食を食べて我慢します。
 小浜の市場で買って帰った、イカはバター炒めでまずまず、鯵はフライでたくさん食べて、
赤エビなどはPC不具合を診てもらった次男の孫の胃の中に、かんぱちは五島よりも味が薄い気もしますが、それが上品な味と言えばそうなので、美味しくいただきました。
若狭カレイの一夜干しは、もうじき食卓に上がると思います。
 魚は頑張って買いに行くと美味しい!!
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 小浜のケーキ屋さん、一度行って美味しかったので、今回もここで休憩。
ほうじ茶のショートケーキ、甘さ抑えて美味しい! もう一個ぐらいはいけそうな軽い味です。


       返事
花水木さん:癌や老衰を、本人が受け入れるのは難しい時がありますが、
    家族が受け入れてくれるとやりやすいです。
    まあこれは医者の我が儘かもしれませんが。

2018/11/2

日日是好日  趣味
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 久しぶりの映画鑑賞。
「日々是好日」(ひびこれこうじつ)と読んでいましたが、(にちにちこれこうじつ)が正しいのか。
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 樹木希林さんが亡くなったこともあってか、平日朝一番にしては、我々の様な人がそれなりに入っていました。
黒木華さんも最近よく見かけますが、名前は(ハナ)ではなく(はる)と読むんですね。
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 なにも知らないお茶の勉強にもなりましたが、話はなんと言うこともなく終わりました。
なにも起こらないこういうことが茶道の神髄ですよ、と教えてる映画なのか?

    返事
花水木さん:ゴマ豆腐の写真は、
    上からでも下からでも7枚目です。
     和菓子の方が綺麗で安いと思いますが、
    私はどっちも好きです。
和さん:南禅寺の八千代の方が、
    老舗で値段も高く、予約も取りにくいのでは?

2018/10/29

日本料理藤井  
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 次男の同級生で、私たちとも一家そろってスキーやキャンプや旅行にも行っていた子供、と言ってももう40歳ですが、今年の2月に日本料理「藤井」を、京都銀閣寺の少し南に開業しました。
 いわゆるオーナーシェフです。
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 この半年で何度も足を運びましたが、「藤井」は最初にいつも今日の一番出汁を出すのですが、それを撮るのは忘れました。
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 よく雑誌にも掲載されましたが、この9月開店半年ぐらいでなんとミシュラン一つ星を貰いました。
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 この子の両親や親戚も知っていますが、料理人の血はどこにもないようですし、料理を始めたのも早くはなかったですが、料理のセンスはあるようで、よく考えていて美味しいです!
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 ゴマ豆腐の天婦羅はここの名物料理だと思います。
隣に座った友人の冷酒を少しいただきましたが、最近の日本酒はフルーティーで飲みやすく美味しいですね。
でも、即後頭部が痛くなりました。
私はビールと焼酎でいいです。
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 友人達と昔話などで盛り上がりながら完食ですが、肝心の新メニューで家で食べるのとはちょっと違った、ぶり大根を写すのを完全に忘れていました。
今日は全部写真に撮るよと宣言していたのに、日本酒の影響もあるのかもしれません。
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 ミシュラン一つ星の日本料理「藤井」です。
機会があればぜひお越しください!
 このブログ名を言って、見たと言ったら、特典があるか高くなるかは不明です。
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 最後のフルーツも、日本酒のために忘れて、皿だけになりました。
 ちょっと贅沢したい時には、「藤井」をどうかよろしくお願いします!

     返事
大雪男さん:広島負けた方が、
    丸がFA行かなくて良いかもですが、
    広島に戻るの確定で、勝ってしまいますね!
     織田信長も最初の桶狭間では先頭でしたし、
    頼朝・秀吉・家康も最初は最前線ですよ。
    壬申の乱の天武は勝つか死ぬか、
    前線で自分が戦って勝利する必要があったのでは。
花水木さん:安定政権の大将は指図だけで、
    変な危険は犯さないと思いますが、
    乾坤一擲の大勝負は先頭で戦ってほしいですし、
    そうでないと勝った後も、家来も付いてこないのでは。

2018/10/26

40-1天武天皇  天皇陵巡り
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 飛鳥の岡の上にある天武・持統天皇陵、この夫婦の天皇陵はよく目立ちます。
40-1天武天皇は武力によって政権を奪い、皇族中心の皇親政治を行い、律令政治の基礎を築いた、強い天皇のイメージですし、そもそも今まで私が書いてきた文章の根拠となってる「日本書紀」の編纂を命じた人ですが、分からない点がたくさん有ります。
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 父は34−1舒明天皇で、母は35−1宝皇女(後の皇極・斉明天皇)なので、38−1天智天皇の同母弟になる大海人皇子(オオアマノオウジ)は高貴な出のはずなんですが、生まれ年は不明です。(まあこれは日本書紀では普通らしいですが)
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 成人するまでははっきりしたことが分からないため、大海人皇子は新羅の皇族だったという説や、母の宝皇女が舒明天皇の皇后になる前に結婚していた前夫高向王(タカムコノオウキミ)(31−1用明天皇の孫です)との間の子漢皇子(アヤノミコ)である、すなわち天武は天智の異父兄であるという説もあります。
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 いずれにしても、(兄)天智天皇の娘、すなわち姪にあたる皇女4人を娶っています。
大海人皇子は、大田皇女との間に大来皇女(オオク)と大津皇子、鸕野讃良皇女との間には草壁皇子、新田部皇女(ニイタベ)との間には舎人親王、大江皇女との間には長皇子(ナガ)と弓削皇子(ユゲ)をもうけています。
他にも天智天皇の娘さん以外も娶り、十市皇女(トオチ)・高市皇子・忍壁皇子(オサカベ)・磯城皇子(シキ)など、多数の子供がいました。
これらの中から、また天智天皇の息子や娘と結婚した人がいたので、天智・天武間の血の濃さはかなりのものです。
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 大海人皇子は、兄天智天皇から皇位を譲ってもらえるチャンスもあったのですが、協力することを嫌って吉野に出家隠遁しました。
 そして近江朝廷にすぐに反旗を翻し、武力で持って1ヶ月ほどで近江朝を倒しました。
しかしこの有名な壬申の乱(672年)で、天武天皇は全く戦闘場面に出てくることはなく、後方で座っていただけですのに、そんな大将を実際に戦った豪族が天皇として担ぐ不思議さが、私にはちょっと納得しにくいです。
 私が納得しようがしまいが、奈良の岡本宮→飛鳥浄御原宮(アスカキヨミハラノミヤ)で即位し第40代天武天皇(テンム)(〜686)(在位673〜686)となりました。
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 ここから9代にわたり、いわゆる天武天皇の血が続き、藤原京→平城京と律令政治が始まり、東大寺大仏などの天平文化が花開くことになります。

    返事
花水木さん:60過ぎたら思い込みで、
    自然に文字を間違って読んでしまうのですかね。
    若い時は意図的でしたね、
    全国共通オコメ券をオ○▽券と読むと教えられ、
    全国共通のこの券ほしいと思ってました。
大雪男さん:春は広島と西武が圧倒的に強かったですが、
    秋はやっぱりソフトバンク。
    でもそれになんとか抵抗できるセのチームは広島だけ。
    面白いシリーズになりそうですね。
タグ: 天皇陵

2018/10/20

アホのうた  
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 奈良市の北の方で天皇陵巡りをした後、近くのスーパの中にあるミスタードーナツでコーヒーを飲んでいる時です。
変な看板が目に付きました。
   ドラッグストア「アホのうた」??
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 おかしな名前の店があるなあと、心で思っておいただけなら良かったのですが、向かいに座ってる家内に、「大阪の店か?『アホのうた』なんて、ふざけた名前のドラッグストアがあるか?」と聞いてしまいました。
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 「どこにアが二つ付いてるの、『木のうた』やん。」と、思い切り笑われてしまいました。
 ドラッグストアの「ア」を2回読んで、漢字の「木」を「ホ」と読み間違えて、「ドラッグストア・木のうた」を「ドラッグストア・アホのうた」と読んでしまったのです。
「木のうた」の店の皆さま、「ごめんなさい!」

     返事
花水木さん:天皇陵巡りの写真には、
    これでも苦労してるのですが、
    同じような写真になってしまいます。
     なるべくこんな話のブログにしたいのですが・・・。

2018/10/17

39⁻1弘文天皇  天皇陵巡り
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 38-1天智天皇はたくさんの妻を持っていましたが、あまり皇子には恵まれず、身分の高くない伊賀采女宅子娘(イガノウネメヤカコノイラツメ)との間に産まれた、大友皇子(オオトモノオウジ)(伊賀皇子とも)に後を譲りました。
 大友皇子が即位して天皇になったかどうか、もちろん敵方の正史である「日本書紀」には大友皇子の巻もなく、即位もさしていません。
即位はしてないが天皇代理として統治した称制説、即位したのは天智天皇皇后38-2倭姫王だった説など有ります。
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 明治政府は即位説をとって、明治3年(1870年)に39‐1弘文天皇(コウブン)(648〜672)(在位672年1月〜8月)と諡号しました。
24歳で近江宮(滋賀県大津市)で即位し、わずか半年後に自害に追い込まれたことになります。
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 妃は叔父40⁻1天武天皇の娘十市皇女(トオチノヒメミコ)で、葛野王(カドノオウ)を産んでいます。
 日本史で学ぶ有名な壬申の乱(672年)がなぜ起こったのか、先代天智天皇の敵をせん滅するような数々の強引な改革に対する不満、後継ぎ弘文天皇は身分の低い側室の子ではないか、白村江の大敗戦や対唐政策などで近江宮に遷都したことへの不満、額田王をめぐる天智・天武の恋のさや当て説まで、色々あるようです。
仮にも出家した男天武が、兄の子でありわが娘も嫁ぎ孫も出来てる甥を、滅ぼそうと思い、それに同調した豪族が沢山いたことがもひとつ理解できません。
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 乱の総指揮官、大将である天武天皇は、全く戦闘には参加することなく、わずか1ヶ月で近江朝廷軍は大敗、弘文天皇は一人山中で首を吊って自害したと、日本書紀は記しています。
一応この長等山前陵(ナガラノヤマサキノミササギ)(滋賀県大津市)が大津市役所(左の建物)の裏、近江宮跡に近い所に、明治政府によって定められていますが、園城寺亀山古墳を明治政府が陵にしようと思っただけの場所だと思います。
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 壬申の乱後、弘文天皇の忘れ形見葛野王は、父を殺した母方の祖父40⁻1天武天皇や父方の叔母である41−1持統天皇にも、殺されることなく仕えられたのも不思議です。
皮肉にも持統天皇には、皇位継承は直系に限ると、42−2文武天皇にするように進言までして、称賛されています。(これでいったら弘文の次の天皇は自分に成るのですがね)
また、弘文天皇の曽孫は淡海三船(オウミノミフネ)という、ちょっと偉い文人で、天皇の和風諡号を作った人です。
タグ: 天皇陵

2018/10/15

鏡女王墓  天皇陵巡り番外
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 34-1舒明天皇押坂内陵(オサカノウチノミササギ)へあがる石段の右の道を行くと、29-3欽明天皇皇女大伴皇女押坂内墓(オサカノウチノハカ)までに、鏡女王(カガミノヒメミコ)押坂墓(忍阪墓)(オシサカボ)はありました。
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 こんもりとした墓は、大和の原風景と言われる「奥の谷」の中に、静かにたたずんでいました。
左にちらっと写ってる鳥居が、大伴皇女の押坂内墓です。
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 我が家から高速道経由で1時間ほどで行ける竜王アウトレット、そこに行った帰りにはよく寄る道の駅かがみの里は、源義経が元服した地としても有名ですが、鏡女王は滋賀県蒲生郡のこの辺りの豪族鏡王の娘と言われ、その妹でもっと有名な万葉歌人額田王(ヌカタノオウキミ)と共に、高級巫女として天皇家に仕えたと思われます。
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 天智天皇にも召されていたようですが、後に藤原鎌足がもらい受けて、鏡女王は鎌足の正妻となったようですが、その時にはもう身籠っていて、後々の藤原家に続く藤原不比等(フヒト)は天智天皇の御落胤説もあるようです。
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 一見宮内庁管理の墓のようにも見えますが、鏡女王のこの墓は藤原家と強い繋がりがあるため、制札に書かれているように、鎌足を祭神とする紅葉で有名な奈良の談山神社(ダンザンジンジャ)の管理になっています。
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 舒明天皇陵から鏡女王の墓に行くまでの道沿いに流れる小川の辺りに、鏡女王が読んだ万葉歌碑が可愛く置かれていました。
万葉集研究の第一人者である犬養孝先生の揮毫の歌碑ですが、一時期犬養孝さんも時の人だったような気もしますね。

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花水木さん:歳をとったせいだとは思いますが、
    若い時に感じてたバラ色の未来を夢見ることが
    出来なくなっています。
    そうです、私の子や孫が生きる世の中が、
    今より良くなっていくことを祈るばかりですが・・・。
     団塊世代の半分ぐらいがいなくなった頃に、
    死ぬのを夢見てる私です。
タグ: 天皇陵巡り

2018/10/13

38−3天智天皇皇子建王  天皇陵巡り
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 38-1天智天皇(626〜672)と蘇我倉山田石川麻呂の娘遠智娘(オチノイラツメ)との間には、大田皇女(〜667)と鸕野讃良皇女(ウノノサララノヒメミコ)(645〜703)の他に、今回の建王(タケルノミコ)(651〜658)も産まれたので、次期天皇の有力候補になったと思います。
しかし建王は話すことが出来ない皇子であり、8歳で薨去してしまいました。
祖母の37-1斉明天皇に深く愛されていた建王は、この祖母の越智崗上陵(オチノオカノエノミササギ)に間人皇女と共に合葬されています。
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 しかしながらその当時、祖母が姑の立場から幼い孫を身近に置いて愛することが出来るでしょうか。
7月28日の私のブログ36-2孝徳天皇皇后間人皇女(ハシヒトノヒメミコ)で書いたことと同じになりますが、38-1天智天皇と36-1孝徳天皇の皇后になった同母妹36-2間人皇女との間の同母兄妹恋はありえたと思うので、建王はその間に産まれた秘密の子と考えたらどうでしょうか。
自分の息子天智天皇と自分の娘間人皇女との間に産まれ、障碍者で幼くして亡くなった建王を、祖母の37-1斉明天皇は実の娘の子であるので身近に置くことが出来、可愛がり、死んだ時には薄幸の孫と娘と共に3人で合葬してくれと願ったのではないでしょうか。
時代系列的にもなんとか話は合いそうですが・・・・・。
タグ: 天皇陵

2018/10/10

桂南光独演会  趣味
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 先週の4連休は疲れていたのでのんびりムード、天皇陵巡りしたり・以前働いていた病院のこじんまりした同窓会・琵琶湖をあてもなくぐるっとドライブ・3日間あった競馬もなんとかチャラで終えました。
この南光独演会も行きました。
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 島でも柳家甚語楼さんが開いてくれる落語会にも行ってましたし、京都でも時々は落語会に行ってます。
 南光さんの落語会は去年も行ってます、今回はやや笑いを抑えた演目でしたが、南光さん上手です。
 来てる人は私たちぐらいの、同じような服装のじじばばばかり。
アイドルのコンサートやUSJではこうはいかないと思いますが、団塊の世代の人数は多いですね、どこへ行っても団塊ばかり目に付きます。
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 落語会会場は私の母校の向かいだったので、帰りは横の梨木神社(ナシノキジンジャ)に寄りました。
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 梨木神社は名水と萩で有名で、数百株の萩が咲きます。
でも萩の見頃は9月中旬、もう今はほぼ終わって、団塊の世代状態でした。

      返事
花水木さん:映画のシーンのようだと言われますが、
    なんせ役者が三流すぎました。
     花水木さんの長男さん、
    写真でしか知りませんが、確かに「嵐を呼ぶ男」にふさわしい風体ですね。

 


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