長谷寺
永平寺東京別院 長谷寺。「はせでら」とは云わない「ちょうこくじ」
それこそ西麻布に在る。昔は麻布笄町(こうがいちょう)。
久しぶりに、この夏に訪れた。
もしかしたら、大学時代の初めココで1年間過ごしたが、それ以来だったかもしれない。
仏教の勉強に来ている外国人数人と一緒に過ごした1年。
父親から半ば強制的に下宿先をココにされた(笑)。
昭和40年(1965年)の話だ。
あの一年間はなんだったんだろう?。懺悔の日々を送った…と云うのは嘘だけど(笑)
毎朝4時起床、そして一時間の禅問答、
5時から1時間の座禅。
6時から何万坪とかの境内の作務。
托鉢にも連れて行ってもらった。食べるモノも修行している坊さんとは違う普通のモノ。
小学生の頃から父親に、座禅などに頻繁に連れて行かれたので、お寺で寝泊まりする
違和感は全くなかった。
この長谷寺、周囲がほとんどお寺の土地なので、貸してる土地代の集金にも行った。
離れに国文学者で「広辞林」を編纂した金澤庄三郎先生が余生を送っていたので、
食事を届けたりもした。
墓地の向こう側には根津美術館。境の塀が無く、つながっていた記憶が。
後に大本山永平寺の貫首になった丹羽廉芳氏の話を毎日聴いていた。
丹羽氏には私が小学校2年生から、いろいろな話を聴き、可愛がって戴いた。
正面に本堂が新築され、使わなくなった古い本堂を区切って寝泊まりする部屋を
造ってもらったが、私の部屋が納骨堂の横(笑)。
窓を開けると、画家の黒田清輝の墓、横のほうに井上馨の墓。
井上馨の墓を何度か掃除をした。
今で云う、いわゆる「信仰」とか「宗教」とか、「葬式のための仏教」とか、
そんなモノとは全く関係のない
「いかに生きるべきか」「いかに物事を考えるのか」…
そんなコトを教わった一年間だった。
祈ったら、願をかけたら…というモノとは一切無関係だ。
全く関係ない。
これが本当の哲学=宗教なのかもしれない。
インド哲学、西洋哲学より古い哲学…ウパニッシャッド哲学とも聞いた。
当時、首都高速はまだ建築中。都電が走っていた。停車駅は高樹町。
寺を出て右へ10分歩くと青山、渋谷。左へ10分歩くと材木町から六本木。
でも、その頃はそんなににぎやかではなかった気がする。
ここから大学に出かけたり、クラブの合宿に出かけたりしたが、
自分の中で全く違和感がなかった。
・樟(くす)の一本彫 高さ三丈三尺(約十メートル)
・日本芸術院会員 大内青圃氏謹作
これを彫り始めた頃の話だ。