先週の木曜日、10月21日から29日まで、子供は修学旅行に出かけている。
小学校6年の修学旅行。
オーストラリアに在る姉妹校の生徒のお宅に2人一組でホームステイをしています。
おと〜さんと、おか〜さんはすごく寂しいけど(哀)、いっぱい思い出を作ってきて欲しい。
一ヶ月ほど前から、家族とか、自分の写真を貼付しながらメールのやりとりをしていた。
当然英語だけど(笑)。
ホームステイ先のお宅は4羽のニワトリ、2匹の猫、1匹の犬、1頭の馬を飼っているそうです。
ホームステイ先のお宅。
オーストラリアのメルボルン東300Kmくらいの処なんだけど、googleマップで
住所を追いかけていったら、そのお宅が見えるんですね(笑)。
18年前から始まった国際教育という授業で英会話の授業をしたり、テレビ会議システム
を使って話し合いをしてきているそうです。
ウィークデイはホームステイ先から姉妹校へ一緒に通学。
学校内で日本にしかない二人三脚とかを一緒に楽しんでいるようです。
休日は、その家族と動物園とかへピクニックに行ったりしています。
それに付き添いの先生が、毎日のように200枚を越す写真のアルバム、
ムービーを現地からライブでアップロードしてくれるのです。
著作権があって、子供の顔がいっぱい出てきますから、ここへ載せることは
できないけど、インターネットで接続して、その中から我が子を見つけて、
「いっぱい楽しんできて欲しい」と願っています(笑)。
話をすると長いのですが(笑)、
幼稚園に入る前、町内には同学年の子供がほとんど居ない。
一緒に遊ぶような子供が近所に全く居ない。
それに困って、ゼロ歳児からの一週間に2〜3回のスイミングへ出かけたのです。
その頃に、お友だちになった子供の何人かがスイミング教室の近所にある
英会話学校へ行き始めた。
「わたしも行きたい」(笑)。
それからシンクロの休みの日、学校が終わってから、夕方から英会話教室へ今でも
行っているのです。 故に多少はしゃべることが出来るはず。
◆ ◆
ボクたち、静岡県、団塊の世代の小学校の修学旅行は、ほとんどが東京だったと思う。
東京まで片道3時間半。汽車だったのか電車だったのかは覚えていない(笑)。
でも、東海道線の全線電化されたのが1956年。
3年後だから、電車で出かけたのでしょうね。鈍行、準急、特急なにへ乗ったんだろう?。
昔のアルバムを開いてみると、1959年(昭和34年)9月17日〜18日とある。
鎌倉の大仏さん、羽田飛行場、国会議事堂、皇居二重橋前などの集合写真がある。
前年の1958年に完成した東京タワー。
さて、ボクはどこにいるのだろう?。
また、米の配給制度が廃止になった後だったが、その名残があって、
不忍池近所の修学旅行専門の旅館へ米を持っていった。
手拭いで作った袋へ米を入れていった記憶がある。
隔世の感がありますね(泣)。