このことは、いつか書き残しておかないと忘れてしまう。
…と云いながら、パソコンHDD内の30年近い間のデータを探している(笑)。
大森実
昨年の3月、88歳で他界したけど、大森実というジャーナリストが居た。
1965年、毎日新聞外信部長としてベトナム戦争時に北ベトナムに入って
米国の攻撃方法を批判した。
そのことで米国からクレームが付き、毎日新聞を退職した。
大森国際研究所を設立し、「東京オブザーバー」という新聞を出した。
当時知り合った仲間の父上が、大森実と知人だった。
1968年(昭和43年)、大森実氏に「アメリカに来ないか?。船で」と呼びかけられた。
「今の若者にアメリカという国を知って欲しいのだ」
考えたコトもなかった。アメリカは今思うより、ずっと遠い世界だった。
1ドル360円、固定相場制。日本での外貨持出制限。
21歳の時だった。今から43年前か。1968年
当時、バイト代金が1日700円。1時間ではない1日だ。
ベトナム戦争で亡くなった兵士の身体洗いのバイトが10,000円/日と聞いたが、
誰もやったことがある仲間はいなかった。うわさ話だけだった。
この頃、初任給2万円くらい。この渡航費が38万円だった記憶がある。
初任給の19ヶ月分の渡航費だ。
JR中野駅前の陸軍中野学校の跡地前(現中野区役所、中野サンプラザ前)の
アパートに寝起きをしていたけど4.5畳に小さな台所がついて家賃は4,500円だった。
大森実氏はカネがないけど行きたい人に「新聞・東京オブザーバー」の配達を頼んだりした。
1968年当時、日本はまだ貧しく発展途上国だった。
1964年(昭和39年)の東京オリンピックを終え、右肩上がりの「いざなぎ景気」だった。
そのゆがみが戦前からの学生運動を再燃させた。
三派全学連、そして全共闘と呼ばれていった。
革マル(革命的マルクス主義者同盟)
社青同(社会主義青年同盟)
社学同(社会主義学生同盟)
中核(革命的共産主義者同盟)
民青(民主主義的青年同盟)などの学生運動で大学はガタガタ状態だった。
閉塞状態だったと云っても良いかもしれない。
オヤジに話をしたら、「是非、アメリカへ行け」という。
その気になってしまった(笑)。
何度か説明会を開き、その日は来た。
うろ覚えなんだけど、第二次大戦中に地中海で沈没した病院船を引き上げて客船に改造
したというギリシャ船籍の客船<マルガリータ号>。いわゆるグレード分けはない客船。
*月*日、当時の晴海埠頭から船は出た。
誰しも永く生きていると、何度か「自分の人生・考え方を変えた(決めた)きっかけ
がいくつか在るとは思うが、この米国行きはボクにとって、その一つだった。
船の上での生活は、思いもよらない素敵なモノであった。船上生活はこれだけで一冊の
本が書けてしまうほどでだ。
2週間後、金門橋(ゴールデンゲエートブリッジ)は早朝、しっかりとボクたちを迎えてくれた。
サンフランシスコ(桑港)に滞在した時、驚きのほうでは「すげぇ!、おお」、
悲しみのほうでは「えぇ〜!」の連発だった。
1ドル=360円というのは日本の中でのレートであって、サンフランシスコでは
1ドル=400円、ロサンゼルスでは1ドル450円と云うのが、普通の銀行での
為替レートだった。日本円が全く通用しないのである。
全くと言って価値がないのである。
カリフォルニア大学バークレー分校の夏期講座へ通った。
昼飯のハンバーガーとコーラで2ドル50セント。日本で1日バイトして1,000円の
バイト代金を米国に持ってきても450円の為替では昼飯も食えないのだ(泣)。
日本は凄く貧乏な国だという実感を持った。
米国でのバイトは確か1日15ドル前後だった記憶がある。バイトをするほど期間の
余裕が無かったけど。15$を日本に持って帰って、円に替えれば5,400円。
米国で4日バイトすれば、日本での1ヶ月の生活費は稼げたのだ。
今、中国とか東南アジア諸国の人達が日本に来て働いているのと全く同じだ。
世界一歴史のある商売に売春がある。世界中途絶えることは無い商売だという。
一つのレートの例であげるが、当時、サンフランシスコで44ドルと聞いた。
とてもじゃないが行けない。
1日2ドルのバイト(日本で)をしても22日バイトしないと行けないのだ(泣)。
人と会って話をすると
「Chinese?」と何度も聞かれた。
「No Japanese」と応えると
「Japanese? … Japanese…」と即座に思いついて貰えない様子であった。
もの凄く強い米国、貧乏国の日本をヒシヒシと感じた。
この3ヶ月間の思いは、その後のボクの考え方を決めるのに十分であった。
桑港(サンフランシスコ)では、その時、ダスティンホフマンとキャサリンロスの
映画「卒業」をやっていた。
今でもサイモン&ガーファンクルの「スカボロフェアー」と「ミセス・ロビンソン」
が流れると「貧乏国、日本」を思い出す。
その後、何年かたって日本製品が米国を駆逐し始めた。
安くてモノが良い日本製品の排斥運動が米国で始まった。
ニューヨークのグリニッジビレッジ公園で、東芝のトランジスターラジオを大きな
ハンマーで壊す映像がTVに流れた。
そして、台湾、韓国、中国製品が日本製品を駆逐している。
今や、1ドル78円か。