静岡市に住んでいた(る)人専用になっちゃうけど、やたらジモティーな話。
現在のJR静岡駅から安西2丁目の厚生病院隣のローソンの処まで
戦前から電車が走っていたのです。
路面電車。
1962年、昭和37年に安西線の電車が廃線になりました。
私が15歳の時でした。
当時の国鉄、静岡駅です。
電車の終点は、松坂屋の向かえ側です。
現在はバスターミナルになっているあたりです。
静岡駅から発車すると、電車は左折して国道1号線を横切り、
松坂屋の裏側を北へ向かいました。
この通りの右側には(現在VANジャケットが在るあたり)何軒もの定食屋
が並んでいました。
中学時代に早朝山へ行く時など何度か利用しました。
よく利用した定食屋は「力屋」という名前だった(笑)。
そして、新静岡センター(現:セノバ)に入り、裏側の道路を北へ向かいました。
今、タクシーが客待ちしている道路です。
そこが最初の駅、鷹匠町駅でした。
写真、右側の線路が現在もタクシーが並んでいる処です。
この電車の線路は、単線だったのですが、ここだけ複線になっていて、
電車の車掌さん同士が、タブレット交換を、ここでしていました。
客待ちタクシー前の交差点を通過して、堀の前に入り、岩崎ラジオの前を、
斜めの道を市役所方向へ向かったのです。
そこの昭和20年頃の写真です。
(以前、地図展と言うのを観に行った時、展示してある写真を撮りました)
電車が廃線になる頃です。
古い新静岡駅がありました。
1962年、昭和37年に廃線になる時の写真です。
手前を走っているのはスバル360です。
当時のスバル360は417,000円。
http://white.ap.teacup.com/something/914.html
その後、1966年(昭和41年)には鷹匠町の駅は駅とショッピングセンターとの
複合施設、新静岡センターとして建築されました。
その新静岡センターも2009年3月には解体のために足場が掛けられたのです。
そして2011年10月5日、新しい新静岡センター「セノバ」が完成したのです。
◆ ◆
実は、この電車が廃線になった時、敷石、線路が売りに出されたのです。
線路は輪切りにして、文鎮とかになっていましたが、自宅に見つからない(笑)。
敷石も品質の良い御影石で小さいモノ、大きいモノがありました。
亡父がいくつか購入して、しばらく自宅の庭石になっていましたが、
いつからか、無くなっていました。
そうしたら、妹の家の庭石になっていました(笑)。
「むーさん」と言う方から、いくつかの白黒写真を借りました。