ヨット人口が、ドンドン減って行く。
反対に山へ行く人達が増え始めている。
10年ほど前までは登山をする人達は高齢者ばかりだったが、
今や山ガール、山男子がいっぱいだ。
3年ほど前に街場から、パルコに移転したアウトドアショップ好日山荘は
ターゲットを若い女性に絞り好成績のようだ。
この夏、売り場面積を2倍近く広げた。
今まで、減って行くヨット人口(仲間)に手をこまねいていただけではない。
ヨットに乗り始めて、10年ほどたった頃、自分たちの後輩がそれほど増えて
いないのに気がついた。
今から30年も前の話だ。昭和57年。1982年。
これではダメだ…と、仲間達と話し合って企画した。
市民体験セーリングもそうなんだが、アピールする範囲が狭すぎているが、
それはそれで、今でも続けている。
昭和30年代後半から昭和40年代にかけて、スポーツショップがスキーを広めるために、
毎年、冬前にやっていた「スキーと映画の夕べ」のヨット版をすることにした。
「ヨットと映画の夕べ」だ。
JR静岡駅前で、そのイベントのチラシを手渡しで乗降客に渡したりした。
それはそれで大盛況とは言えなかったが、それなりの効果がでた。
また、本当は清水港ヨット協会だけど、当時は清水市だったので、敢えて
静岡市在住の仲間と「静岡ヨットクラブ」という名前を勝手につけて、
「広報しずおか」に掲載していただいた。
またミニコミ誌などにもいくつも載せて貰った。
まだインターネットのホームページと云うモノが珍しい頃、1995年かな、
サムシングのホームページを作り、いち早く立ち上げた。
ヨット雑誌の「KAZI」誌の1997年の6月号に載せていただいた。
まあ、同じ業界の雑誌に載っても、他へのアピール度は少ないけど。
そう言えば、山と渓谷社の「OutDoor」誌(廃刊)に「KAZI」誌の広告が
「KAZI」誌にOutDoor」誌の広告がお互いに載っていた時期も長くあった。
フィールドが違うだけで、感覚的に似たもの同士のような気がしないでもない。
それらのアピールは、それなりの効果があって、何人か希望者があらわれ
希望の艇に乗せてもらい乗り続けることになった。
◆ ◆
サムシングも、そんな時代を経て、こんな時代もあった(笑)。
彼女たちと一緒に、彼女たちがハンドリングし易い艇を選ぶことから始めた。
パワー不足の彼女たちを補うために、パーツのサイズを大きいモノしたりした。
女性が使いやすいレイアウトにもした。トレイも電動。今は珍しくないけど。
この艇で、女性二人で地元のダブルハンドレースに参加したこともあった。
…が、以来20年、彼女たちも既に妻に親になっている(泣)。
自分だけ楽しめればよい…と思っていると、仲間がドンドン少なくなって行く。
次の手を、企画を考えなくては、廃船だらけになってしまう。
女子会 仲間作り 女子クルー