大学時代、中野駅前の中野4丁目という処に3年間住んでいた。
中野ブロードウェイが出来たときで、中野サンプラザも区役所もなくタダの原っぱだった。
ブロードウェイの中に、当時「バラライカ」という定食もある喫茶店があった。
経営者が静岡出身の人だったので、頻繁に出入りしていた。
21日、東京での仕事が終わった後、40数年ぶりに、そこへ行って見たが当然違う店になっていた。
店主に問うと、同じ人がやっている店が同じフロアにあると言われて、行って見た。
店に入ってカウンターに面しているボックス席に座った。ボクと同じくらいの年齢の
ママさんがカウンターの向こう側で珈琲を淹れている。
ボクと目があった。
「……」
首をかしげて何かを思い出そうとしている仕草。
「ボク、わかりますか?」
間髪を入れずに
「田中くん!」
「うん、そう」
「えぇぇぇぇ〜、うわぁ〜。すごい」
カウンター席に移動して40数年前の話に花が咲いた。芋づる式に当時の話が出てきて、
忘れていたことも思い出した。
◆ ◆
そんなコトがあって、いろいろなコトを思い出した。
その当時ボクをアチコチに連れて行ってくれた7or8歳年上のFさんを思い出した。
帰宅してからネットで調べた。
某大手新聞社の写真部長まで勤めて退職しているコトを知った。
現在全日本写真連盟の理事をしていた。その連盟に一昨日メールをした。
「F氏は、今、全日本写真連盟の理事をなさっているのでしょうか?
40数年前、Fさんが中野に住んでいた頃に、お世話になった静岡市の田中満と云います。
当時、まだ私は学生で中野4丁目に住んでました。中野ブロードウェイができたばかりで、2階に「バラライカ」とい喫茶店があって、そこでいつもFさんと会っていました。
スキー、ダイビングに登山にあちこちへ連れて行って貰いました。
今、Fさんは、どうしていらっしゃるでしょうか?
連絡は取れるのでしょうか?」
そして昨日、Fさんからメールが来て、次いで昨日の朝電話が掛かってきた。
また近日中に会いましょう。すごく嬉しい。
40数年前の2〜3年間
1シーズンに60日は住んでいた戸狩スキー場に最初に連れて行ってくれたのもFさん。
本格的なダイビングに連れて行ってくれたのもFさん。
当時、イタリア製のマレスを買って貰った記憶がある。
http://white.ap.teacup.com/something/84.html
パイプの吸い方を教えてくれたのもFさん(笑)。
カメラの使い方を教えてくれたのもFさん。新聞社写真部だから。
酒の呑み方を教えてくれたのもFさん。
貧乏学生ではいけないような場所へ連れて行ってくれたのもFさん。
千葉大のヨット部出身だった。
書ききれないけど、仕事の写真撮影でも付いていった。
ボクに人生のなんたるかを教えてくれた一人だ。
万難を排して会いに行こう。
1968年頃、四国宇和島の沖でFさんと一緒に撮った写真。
イソバナとミノカサゴ
朝日新聞社 写真部 福永友保