団塊の世代の仲間達とキャビンの中で話をしていると、昔苦労した話が頻繁に出てくる。
オヂサン達は、過去の栄光と挫折と思い出を語るしかないのである(泣)
農家の次男坊の仲間がいる。同じく昭和22年、団塊の世代生まれ
時は昭和20年代後半。
紙箱に籾殻を入れ、その上に鶏舎の巣から捕ったタマゴを並べる。
その箱を誰かの処へ届けるといいお金になった…と常に言う(笑)
タマゴ自体がお見舞い品にもなっていた。
まだまだスーパーが未発達の頃、タマゴは乾物屋さんで売っていたし
タマゴは高級品だった。
入院生活をするとバナナがお見舞い品として届けられたのは、その後だ。
ボクは昭和25年8月から昭和29年3月まで、近所の幼稚園へ通っていた。
お昼の風景はこんなだった。
正面左側の天然パーマがボクだ(笑)
周囲に女の子が多いな。
アルミ(アルマイト)の弁当箱でお昼している(笑)
どんなお弁当のおかずだったのか覚えていない。
海苔の佃煮、昆布、黒はんぺんの煮たモノ、塩鮭などかな。
カラフルなお弁当でないことは覚えている。
当然、タマゴは贅沢品。
頻繁にお弁当には入ってこない。
卵焼きがお弁当に入っていた時には大喜びした。
赤いウインナソーセージに驚いたのは中学時代だった・
この幼稚園、すでに開園100年を越している。
http://white.ap.teacup.com/something/1372.html
◆ ◆
岐阜県の高山昭和館に展示されていた弁当箱