報土寺
御幸通り安倍町交差点から2軒目にある、大商人松 木屋の旦那寺だった宮崎山宝池院報土寺です。浄土宗のお寺です。
報土寺は1522(大永2)年督蓮社法誉智聡上人によっ て手越に開山されました。この地にはおそらく、駿府の町割りで移ってきたものと思います。
山門を入ると3基の石塔があります。
いちばん右の石塔には「養国寺供養塔」とあります。
養国寺とは今の静岡浅間神社内の八千戈神社のことです。養国寺は明治の神仏分離令により廃寺となり、八千戈神社となりました。
報土寺には徳川家康に関わる2つの伝承があります。
報土寺の近くには、報土寺の檀家で神官の安田三右衛門という者が住んでいました。安田三右衛門は度々、家康の蹴鞠の相手として駿府城に呼ばれました。
安田三右衛門は心配性で、いつも火事のことばかり気にしていました。家康はそんな三右衛門に土蔵でできた瓦葺きの家を贈ったといいます。当時まだ瓦葺きはとても珍しく、三右衛門邸の面する通りは瓦屋小路と呼ばれたそうです。
開山法誉智聡上人のお墓です。松木屋代々のお墓は松木屋の直系は断絶したため、分家の矢入家の墓地の中にあるそうですが、矢入家の墓地は分かりませんでした。
宮ヶ崎町にはやはり報土寺の檀家で、山田長政と組んで貿易で財を成した御用商人の滝佐右衛門が住んでいました。家康が佐右衛 門を訪ねると、たまたま昼時で、佐右衛門は白米を
昼飯に食べていました。家康が「町人の身分で白米を食べるとは何事だ」と気分を損ねると、佐右衛門は咄嗟に「これは白米ではありません。おからでご ざいます。」と嘘をつきました。佐右衛門は家康を騙したという自責の念から、その後一切白米を口に しなかったといいます。
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オヤジ、オフクロは報土寺の檀家総代をやっていましたが、
私はやめました。
【駿河湾沖地震】
発生時刻 2009年8月11日 5時7分ごろ
震源地 駿河湾
緯度 北緯34.8度
経度 東経138.5度
深さ 20km
規模 マグニチュード 6.6
震度6。
駿府城の石垣が4カ所崩落しました。
報土寺の屋根もこんな具合でした。