以前にも書いたけど、我が家に観音像がある。
父が他界した後、しばらく経ってから、菩提寺にあずけた。
でも、やはり気になって2013年の4月に自宅へ戻し厨子に入れたまま
仏壇の横に置き毎朝、御供え、お線香をあげている。
徳川家康公薨去四百年という記念の年に建穂寺(たきょうじ)が関係してくると言う。
平成元年に他界した父が、亡くなる前に
「この観音さまは建穂寺(たきょうじ)のモノだ。
明治3年の建穂寺の火事の時、運び出した観音像らしい。
建穂寺が再建したら返すように…」
と言っていた。
建穂寺へ戻したいが、一度、静岡市役所の文化財課の人と話をした。
鑑定をしないと建穂寺にあった観音像かどうか、判断できないが、
建穂寺のモノだとしても、今は観音堂が狭いので、置き場所が無い。
置き場所さえあれば、返したいのです。
建穂寺のコトを静岡市の人でも知らない人が多いが、「幻の名刹」である。
火事にあった時、村人達に多くの仏さま、観音さまが運び出されて難を逃れたと、
研究書の記事を読んだ。その一体ではないかと思われる。
厨子は新しいから、その後、作り直したかもしれない。
千手観音とかは手がたくさんあるが、この観音さまは12本。
もし、本当に建穂寺の観音さまだったら、鎌倉時代のモノだと思われる。
歴史に残るような名工が彫ったわけではないと思う。
それほど「出来が良い」観音像ではないが、観音像を彫る時、
彫刻師は何かを思ってノミを手にしたはずだ。
その「想い」は、何だったのかを知りたい。
同じ屋根の下に居るのだから(笑)
ここ10数年、建穂寺について多くの研究書が書かれたようだが、
この研究者を探して、会って、これを見て貰って問うてみたいと思っている。
ネットの質問コーナーにこんな問い合わせがあった。
http://okwave.jp/qa/q6563462.html
建穂寺の観音堂
仏像修復の第一人者、東京藝術大学大学院美術研究科の籔内教授が
ウチへ来てくれたときにお願いしたが、
修復が専門であって、鑑定(?)は得意ではない…と言われた(笑)
http://white.ap.teacup.com/something/1253.html