「工藤家住宅」から「菅の船頭小屋」まで戻り、その北側の高台に移築されている「旧菅原家住宅」を見る。山形の豪雪地帯らしい工夫に感心する。
【旧所在地】山形県鶴岡市松沢
【指定】神奈川県指定重要文化財
【構造形式】寄棟造、茅葺、一重三階
【建築年代】18世紀末
「旧菅原家住宅」は、出羽三山の湯殿山・月山を東にひかえた山形県東田川郡朝日村(現鶴岡市)にあった。妻入り農家で、屋根の途中にハッポウと呼ぶ高窓を有している。豪雪地帯の建物らしく内部へ直接に入れないように入り口にアマヤを設けている。
菅原家は、代々肝煎を勤めた有力農家で、その主屋は18世紀末頃の建築と推定されている。妻側に設けられた入口の上部2階に高ハッポウと呼ばれる開口部を設ける形が、この家の外観の最も大きな特徴である。この地方は有数の豪雪地帯で、高ハッポウは積雪時の出入口としても利用したようである。また、屋根の平側にも開口部(ハッポウと呼ぶ)を設け、小屋裏の採光と換気に役立てている。
明治期に入って養蚕が盛んになり、そのために必要な床面積を増やすために2階・3階を設け、換気や採光のための開口部が必要となったため、ハッポウや高ハッポウが造られたということである。
「旧菅原家住宅」解説。
http://www.city.kawasaki.jp/88/88bunka/home/top/stop/zukan/z0018.htm

「旧菅原家住宅」。ハッポウという窓が特徴。

「オメエ」と呼ばれる囲炉裏の間。

生活用具。

背負子や蓑。

案内表示。