琴平から北上し丸亀へ向かう。市の中心に丸亀城があり、創建当初の天守閣が残っている。
丸亀城は、慶長2年(1597)に生駒一正によって築かれる。寛永17年(1640)生駒氏改易後、山崎家治に与えられ、元和の一国一城令で廃城となっていた丸亀城を大修築する。現存する天守や高石垣もこの時築いている。
明暦3年(1657)山崎氏は3代で断絶し、替わって播磨龍野から京極高和が6万石で入封する。高和は、大手門の位置を改めて新たに現在残る大手門を築いている。京極氏は、高和以後7代続き明治に至った。
丸亀城は、高石垣の築かれている亀山の周囲を堀で取り囲んだ典型的な平山城である。建物は、三層三重の天守、大手門、御殿表門、番所が残っている。石垣は、緩やかであるが荒々しい野面積みと端整な算木積みの土台から、頂は垂直になるよう独特の反りを持たせる「扇の勾配」となっている。山麓から山頂まで4重に重ねられ、総高60mの石垣は日本一高く、三の丸石垣だけで一番高い部分は22mある。

丸亀城天守閣。

大手門。

見事な高石垣。

天守閣。

天守閣内部。

天守最上階。

天守閣から北の瀬戸内海を望む。