菰田さんからの要望の大曽根の道標を見つけた。
今朝、出勤の途中(7時頃)、大曽根の西側をぐるぐるとまわっている内に、住宅街の細い脇道でお堂を掃除している女性を見かけた。早速お話しを聞くと、そこは長野の善光寺良性院という寺が管理している「善光寺」という寺で、お堂は地蔵堂であった。薬師堂のことを聞くと二筋北側にあるという。効験あらたかなお薬師さんだからぜひお詣りしなさいと勧められ、いろいろ昔話もお聞きした。
薬師堂に向かうとそこに目当ての道標があった。写真を撮っていると別の女性がお詣りに来られ、またまたお話しを聞くことになった。このお薬師さんは、昔は六郷にあり、薬師の縁日には沢山の人でにぎわったそうだ。今でも七月十五日の薬師の縁日には、護摩を焚き人々が集まるので「あなたもきっと来なさい」とまたしても強く勧められた。
その女性は、毎日、弘法さんとお薬師さんにお詣りしないと一日が始まらないそうだ。弘法さんは、「五ツ角堂」といい通りに面しているので私もよく知っている。「善光寺」でお会いした女性のこともよくご存じで、「地蔵」と「薬師」と「弘法」の三箇所を毎日掃除し、信心の厚い方だそうだ。
さて、大曽根の道標である。正面「右 いゐだみち」とある。瀬戸街道への道標である。瀬戸街道は、昔は「飯田街道」とも呼ばれ、伊那の飯田につながっている。左側の面には、判読しにくいが「左 江戸みち ぜんこうじみち」と彫られているのではないかと思う。善光寺街道・中山道への案内である。裏面には「延享元甲子年(1744)念仏講中」と刻まれている。
この道標は、元々は現在の大曽根五叉路(昔は三叉路)に建てられていた道標である。

「右 いゐだみち」

「左 江戸 みち
ぜんこうじみち」ではないかと思う。

「醫王山薬師殿」 話を聞いた女性が一心にお詣りしている。

薬師堂の中。確かに護摩壇がある。お薬師さんは御簾に隠れはっきり見えない。真言宗の寺なのであろう。由緒はまた調べてみることにしよう。

大曽根「善光寺」と地蔵堂。本堂の本尊は善光寺如来。阿弥陀如来を中心に観音菩薩と勢至菩薩の三尊が安置されている。

お地蔵さん

「五ツ角堂」と呼ばれる弘法堂。

弘法さん。「南無大師遍照金剛」