柳城幼稚園の東隣に日本聖公会中部教区の名古屋聖マルコ教会がある。
「聖公会」は、16世紀のイギリス(イングランド)において、ローマ・カトリック教会から独立し国教会(アングリカンチャーチ)となった教派である。ローマ・カトリックとプロテスタントの中間に位置する教派と言っても良い。
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書に登場する弟子やパウロ、ペテロ、ヤコブなどのイエスの弟子たちの名をつけた教会は、聖公会に属する教会が多い。
日本には、安政6年(1859)にアメリカ聖公会の宣教師たちによって伝えられ、明治20年(1887)に『日本聖公会』が組織された。現在、北海道から沖縄まで約300の教会があり、関係施設としては名古屋柳城短期大学、立教大学、桃山学院、平安女学院、神戸松蔭女子学院大学など約30の学校、また東京の聖路加国際病院、長野の新生病院、岐阜アソシアなど約30の医療・福祉施設と130に及ぶ幼稚園・保育園がある。
名古屋での布教は、明治23年(1890)J・C・ロビンソンとJ・M・ボールドウィンが城西の下江川町に講義所を開設したのが始まりである。
明治25年(1892)には、H・J・ハミルトン司祭(後に初代中部地方部主教となる)が、名古屋で伝道を開始し、名古屋市東片端町に養老院を開設する。明治26年(1893) には、名古屋市南鷹匠町に聖ヤコブ教会が設立され、明治30年(1897)には、J・C・ロビンソンにより、名古屋市横代官町に幼老院が設立される(幼児18名、老人12名を収容)にいたる。
明治33年(1900) 、J・C・ロビンソンとH・J・ハミルトンにより、名古屋市東片端町に名古屋聖ヨハネ教会が設立される。明治34年(1901)には、M・M・ヤング女史により、白壁町に「柳城幼稚園」が設立される。(このことについては、前回記した。)
昭和21年(1946)、戦後の教会活動を再開し、「名古屋聖公会」が名古屋市昭和区山脇町に設立される。
昭和26年(1951)、「名古屋聖公会」を名古屋市の南と北に2分し、「名古屋聖マルコ教会」と「名古屋聖マタイ教会」(名古屋市昭和区明月町、柳城短期大学と同じ敷地内)が設立される。「名古屋聖マルコ教会」は、戦災で焼失した白壁町の「柳城幼稚園」の跡地の一角に建てられた。これが、今日まで継承されてきている。今年で創立55年となる。
昨年、ここで結婚式を挙げ、橦木倶楽部で披露宴を行ったカップルがいます。この教会は、地域との共生ということに重点を置き、日曜日以外でも毎日会館を開いて地域の人々が利用できるようにしている。各種文化教室、貸し会場、ボランティアサービスなどを積極的に行っている。

初代中部地方部主教 H・J・ハミルトン司祭

「名古屋聖マルコ教会」チャペル

奧の白い建物が信徒会館