野外研のまち歩きの途中で、建中寺に寄ってみた。野外研のメンバーは、寺より、商店街や町並みに興味があるようで、別行動となってしまった。建中寺のHPの説明を写真に付けることにする。
http://www.kenchuji.com/

総門 木造、三間薬医門、本瓦葺、両脇築地塀(本瓦葺)付 名古屋市指定有形文化財

総門から三門を見る。建中寺公園の紅葉がきれいだ。

総門方向からの三門。

本堂から見た三門。
三門(三間重層門)名古屋市指定文化財(昭和60年指定)慶安四年(1651)創建当時の建築物で、総檜造り三間重層門の建築様式で、本瓦葺きである。三門とは、空門・無相門・無願門の三解脱門の意味を持つ。佛教の覚りの境地を表すものである。別名山門とも表記する。この場合は徳興山という山号に因んだ名称で、徳興山の門という意味となる。2階には、釈迦牟尼仏を中心として十六羅漢の像が祀られている。普段は公開していない。

本堂前では、椅子が並べられ、コンサートの準備が進められていた。建中寺は、こういうイベントに対して実に寛容である。
本堂 建中寺の根本道場 名古屋市指定文化財(平成11年指定)天明七年(1787)大火の後に再建されたもので、入母屋造り本瓦葺きで、格調高く古式を保っている。間口十五間(27m)奥行十四間(25.2m)建坪210坪(700u)の巨大な木造建築で、現在名古屋市内の木造建築物としては最大のものである。
本尊阿弥陀如来は、開山廓呑上人が結城弘経寺から招来された、止利仏師作と伝えられる中品中生の印を結ばれた大変貴重な仏像で、その円満な相好は拝する者に対して清らかな信心を起こさせるものである。大火の時はいち早く持ち出して無事であった。

西南から見た本堂

鐘楼 名古屋市指定文化財(昭和60年指定)天明7年の再建で、入母屋造り本瓦葺き、台形の袴腰つきの建築様式、五百貫の(1,923s)の梵鐘がつるされている。梵鐘には林道春(羅山)の銘が刻まれていたため、戦時中の供出を免れ現在まで伝えられている。毎年暮れには除夜の鐘をつき1年間の罪障消滅と来る年の息災を祈る人で賑わう。

経蔵 名古屋市指定文化財(平成11年指定)一重もこし付、宝形造り本瓦葺き。内部に精密な八画輪藏を安置する。棟札によると文政11年(1828)創建。經藏建立の発願は第24世金蓮社申譽上人白阿瑞華弁靈大和尚で、その志を継いで第25世辨純上人、第26世辨成上人の三代を経て完成した。平成16年(2004)に第35世賢瑞上人により名古屋市の文化財補助と貴重な一般寄付者からの浄財をもって平成の大修理が完成した。内部の八画輪藏内には鉄眼禅師開版の黄檗版大蔵経5千8百巻が納められ、実際に輪藏を回転させることができる。当輪藏は、軸部・組物様態など唐様を基本として、虹梁・蟇股・長押に和様の要素を取り入れている。全体に彩色はないが、良質の欅材を主材として木・蟇股などに精緻な細工・彫刻を施している。特に側回り八面の蟇股に彫刻されている意匠は、縁起の良い福徳を将来するとされる独特の「宝ずくし文」である。すなわち@東面 七宝に丁子 A北東面 金嚢 B北面 宝鑰に宝珠 C北西面 軍配団扇に宝巻 D西面 宝船に分銅 E南西面 隠れ傘に丁子 F南面 隠れ蓑 G南東面 打出の小槌に俵 以上八面の蟇股には独特な彫刻意匠が施されている。輪藏を回すことにより、福徳が招来されることを願っての彫刻であるとも考えられる。輪藏の回りには、釈迦牟尼仏を中心として、その教えである大蔵経をもってそれぞれの宗旨を立てたという意味から日本に伝わる13宗の祖師像を安置している。これらの像は昭和8年に岡田天孝仏師のよって刻まれたものである。

書院(客殿) 昭和39年当山34代徳誉上人が再建したものである。名工大竹利左衛門の設計による壮麗なものである。