西郷從道邸《重要文化財》
【旧所在地】東京都目黒区上目黒
【建設年代】明治10年(1877)代
明治村1丁目(南の区域)の高台にある「聖ヨハネ教会堂」から木々の中を北へ降りていくと瀟洒な洋館が見えてくる。西郷從道邸である。木造総二階建銅板葺のこの洋館は、明治10年代(1877〜1886)のはじめ西郷隆盛の弟西郷從道が東京上目黒の自邸内に建てたものである。
東京上目黒の青葉台二丁目周辺は、別名西郷山とも呼ばれ、現在は西郷山公園となっている。当時は、付近の地形を生かした広い庭園を造り、立派な建物を構えていた。敷地面積は二万坪に及んだ。和風の本館と少し隔てて本格的な洋館を接客の場として設けた。
西郷山の地は、江戸時代には、豊後の岡(竹田)城主、中川修理太夫(しゅりだゆう)の抱(かかえ)屋敷であった。樹木がうっそうと茂り、池に三田用水から水を引くなど、林泉の美しさは近郊随一とうたわれる場所であった。
西郷従道は、天保14年(1843)の生まれで、「つぐみち」と一般に呼ばれるが、西郷家の子孫によると「じゅうどう」が正式の読みとされる。本名は「隆興」であるが、太政官に名を登録する際、「隆興」をリュウコウと口頭で言ったところ、「ジュウドウ」と聞き取られ、「従道」となってしまったという逸話が残っている。
兄西郷隆盛の影響で尊王攘夷運動に参加し、戊辰戦争に従軍後、新政府に出仕した。 明治7年(1874)陸軍中将として台湾出兵を指揮した。
西南戦争では、隆盛側につかず政府に残留し、明治18年(1885)内閣制度が創設されると、第1次伊藤内閣の海軍大臣に就任した。海相として日清戦争を迎え、翌年、戦功を認められ侯爵に叙位された。海相在任は通算10年に及び、海軍の整備、改革に尽力した。
ところで、慶応2年(1866)横浜の根岸に競馬場第一号ができた。居留外国人のみが会員であったが、明治8年(1875)横浜に設けられた日本レース倶楽部で日本人としてはじめて参加が認められた馬主が西郷従道であった。そして愛馬“みかん”号に騎乗して日本人騎手として初勝利をあげたのも西郷従道であった。
根岸競馬場で競馬が行われる日は、各国の外交官や外国人商人たちにまじって、日本の政・財界の有力者たちが夫人同伴で集まり、さながら華やかな社交場となっていた。ちなみに、明治天皇も競馬観戦のため13回も根岸競馬場を訪れたという記録が残っている。
明治村公式HP
http://www.meijimura.com/visit/s08.asp

西郷從道邸正面

西郷從道邸。

寝室

書斎

書斎の棚の上に当時の地球儀や時計。壁の写真は西郷從道。

廻り階段。

応接室のテーブルの上には当時の食器などが並べられていた。

西郷從道の肖像写真。

明治村の西郷從道邸の近くに移築されている「学習院長 官舎」(明治42年 東京目白)。