3月23日付け「中日新聞」朝刊、城山さんの死亡記事に関連し、坂野さんの談話が載っています。
城山三郎さん死去「落日燃ゆ」、経済小説開拓
経済小説の開拓者で、「落日燃ゆ」などの伝記小説でも知られる作家の城山三郎(しろやま・さぶろう)=本名・杉浦英一=さんが22日午前6時50分、間質性肺炎のため神奈川県茅ケ崎市内の病院で死去した。79歳。名古屋市出身。自宅は公表しておらず、葬儀、告別式は親族のみで行う。喪主は長男の有一(ゆういち)さん。
1945年5月、愛知県立工専(現名古屋工業大)を退学し、海軍特別幹部練習生に志願入隊。この時の体験はのちに「生命の歌」「大義の末」にまとめられた。
戦後、東京商大(現一橋大)に学び、愛知学芸大(現愛知教育大)の経済学の講師に。在職中の57年、商社マンの悲哀を描いた「輸出」で文学界新人賞。59年、総会屋の老ボスを主人公にした「総会屋錦城」で直木賞を受賞し、経済小説の旗手となった。
75年、A級戦犯として処刑された広田弘毅元首相の生涯を描いた代表作「落日燃ゆ」で吉川英治文学賞。その後も「毎日が日曜日」、元国鉄総裁・石田禮助を描いた「粗にして野だが卑ではない」など、次々に話題作を発表。言論の自由や平和の大切さを説き続け、「硫黄島に死す」「指揮官たちの特攻」など戦争小説も多い。96年に菊池寛賞。「城山三郎全集」(全14巻)、「城山三郎 昭和の戦争文学」(全6巻)がある。
中日新聞夕刊に63年2−9月、小説「昨是今非(きのうはきのうきょうはきょう)」を連載した。
<評伝>終生追った「組織と人間」
22日に死去した作家、城山三郎さんの原点は戦争体験にあった。インタビューの折、「戦争に行かなければ小説家にはならなかったでしょう。あのような戦争を二度と起こさないためにはどうしたらよいか、絶えず考えながら書いてきました」と話していた姿が目に浮かぶ。
大戦末期、海軍特別幹部候補生を志願し広島県の大竹海兵団に入隊。忠君愛国に燃えた17歳の少年を待っていたのは、上官による連日の暴力といじめだった。城山さんたちは、海底で敵艦を待ち受け、竹ざおのさきに付けた爆薬で爆破しようとする水中特攻で死ぬことになっていた。
軍隊生活の実態は「大義の末」の中でリアルに描かれた。著者の分身の少年兵が、夜間の突撃訓練中に菊の紋章の入った銃を傷つけないため、頭から岩に激突して前歯を折る場面は象徴的だ。
「あのころは人間の値段が一番安かった。戦争を繰り返さないために、教育の根本から考え直し、一番大切なのは人間の命なのだと教えなければだめですね」と、目に涙をためて話した。消耗品として扱われる兵の命の軽さ、軍隊の横暴。「組織と人間」は、作家として終生のテーマになった。デビュー作「輸出」では、商社と海外駐在員の形で提示された。
軍部の暴走に抵抗し続けながら東京裁判で絞首刑となった広田弘毅の悲劇を描く「落日燃ゆ」では、国家が人間と対立する「組織」として登場。日本が制御不能の凶暴な組織となった原因を、広田の言葉によって、統帥権の独立を認めた明治憲法に見いだした。
国家への不信は最晩年まで変わらなかった。「粗にして野だが卑ではない」の主人公・石田禮助(元国鉄総裁)が「マンキー(山猿)が勲章下げた姿見られるか」と勲一等を断ったように、城山さんも勲章や褒章をすべて辞退。信念を貫き通した、見事な一生だったと思う。 (東京文化部・後藤喜一)
■生涯、正義を貫く
<文芸評論家・清水信さんの話> 純文学では私小説が主流だったころ、城山さんは企業や経済を取り入れる新しい形の小説に挑戦した。当時、名古屋でのシンポジウムなどで会った。よく口にしていた「私憤を交えた小説を書くためには、社会に目を向けることが必要」という言葉が印象に残っている。生涯、正義を貫き通した人だった。
■団塊ファン惜しむ声
○…中高年の男性を中心に、幅広いファンを持っていた城山さんは、名古屋の出身。東海地方に住む団塊世代前後の男性に、愛読書や城山さんへの思いを聞いた。
開戦を拒みながら東京裁判で死刑になった広田弘毅元首相を描いた「落日燃ゆ」を選んだのは名古屋市東区、古美術商坂野慎司さん(56)。「個人の人生がゆがめられるつらさが、私らに伝わるように描かれている」と理由を語り「愛知県人の誇り。戦争と昭和の偉大な語り部と、現代への警世家を同時に失った」と訃報(ふほう)を惜しむ。
三重県四日市市、文芸評論家志水雅明さん(57)は、受験戦争を取り上げた「素直な戦士たち」を愛する。「先見の明を感じた。世の中の影の部分にメスを入れる作家だった」と評し、「社会の構図に目線を向ける一方、さわやかなエッセーもあった。そんな作品をもっと書いてほしかった」。
岐阜市、大学講師三木秀生さん(63)は、旅館の息子が苦労を重ね、信販会社を創設する人生を書いた「風雲に乗る」がベストだという。「気骨ある人物が筋を通して生きる姿を経済の視点から描き、痛快。読後に故郷の大切さを思わせるのも印象的」と話していた。