札幌電話交換局《重要文化財》
【旧所在地】札幌市大通
【建設年代】明治31年(1898)
日本で電話が開通したのは明治23年(1890)で、東京ー横浜で営業が開始された。アメリカでグラハム・ベルが電話を発明してからわずか14年後のことである。
『明治事物起原』によれば、創業当時は、「種々商人を勧誘したれども、加入者なく、当局者もおほいに当惑し、市中重立ちたる人々100余名を、逓信省の楼上に呼び集めて、電話の効用を蝶々説き立てて加入を勧め……」といった状態であった。
東京−大阪間が開通したのは明治32年(1899)。翌年には、新橋駅と上野駅に、日本初の公衆電話(「自働電話」といった)が設置されている。
夏目漱石の『吾輩は猫である』に電話の場面が出てくる。
『しばらく佇んでいると廊下を隔てて向うの座敷でベルの音がする。そらあすこにも何か事がある。後れぬ先に、とその方角へ歩を向ける。来て見ると女が独りで何か大声で話している。……女はしきりに喋舌っているが相手の声が少しも聞えないのは、
噂にきく電話というものであろう』
さて、札幌電話交換局は明治31年(1898)暮に竣工、翌年から交換業務を開始した。当時、札幌では、石造りの建物は珍しかったというが、寒冷地で暖房が不可欠のため火災が多く、情報流通の拠点施設としての電話交換局を守るために石造りとなったという。
外廻りの壁を厚い石で築き、内部の床・間仕切り壁・小屋組を木造で組み上げ、屋根には桟瓦を葺いている。本格的な洋風スタイルの重厚な建物である。石の表面には繊細な花紋が彫られ、1・2階を仕切る花柄の胴蛇腹が、堅い雰囲気を和らげている。1階窓上部の要石や、玄関の庇を支える持ち送りに、植物のモチーフをあしらい、単調な石積みに変化を与えている。
明治村公式HP
http://www.meijimura.com/visit/s21.asp#a01

札幌電話交換局全景

正面玄関のデザイン。

1・2階を仕切る花柄の胴蛇腹。一階の窓は葉飾を刻んだ要石を持つアーチ窓枠である。

「2号自動式卓上電話機」は、大正末・昭和元年頃から、戦前・戦中頃まで、都市部の自動(ダイヤル)方式の地域で使われていました。

「2号自動式壁掛電話機」も、卓上型と同時期、大正末・昭和元年頃から、戦前・戦中頃まで、都市部の自動(ダイヤル)方式の地域で使われていました。

明治時代に使用された交換機。(大正村郵便局)