吹田というのは、千里ニュータウンのあるところである。千里は、大阪万博の舞台でもあった。旧西尾家があるのは、万博の行われた千里丘陵の南、淀川の支流神崎川の流域である。
旧西尾家が勤めた仙洞御料庄屋というのは、仙洞御所(退位した天皇−上皇)に御料米や献上品を納める役目を担った。仙洞御料というのは、禁裏御料と呼ばれる皇室の直轄領のひとつである。格式が高く、献上品を運ぶときは、大名行列でさえ道を譲ったと言われる。
さて、西尾家の母屋には、座敷の随所に茶室があり、炉が切ってある。欄間も菊の盛り上げ彩色を施したものなど手の込んだ細工が施され、格調を漂わせている。
大正14年(1925)に武田五一の設計により、離れが増築されるが、その際に、母屋の一部も改築され、板縁は畳縁に変更され、ガラス戸が備えられた。ガラスは全てカットガラスが使用された。台所の調理台なども新たに武田五一のデザインで新調されている。

茶室「味々庵」

菊の盛り上げ彩色を施した欄間。胡粉にニカワを混ぜて描いている。

この欄間も手が込んでいる。

12代当主と深い親交のあった植物学者牧野富太郎の書。

袋戸棚のふすま絵は上田耕沖(四条派)の作。

座敷の隅のわずかな空間だが炉が切ってあり茶室となっている。

武田五一がデザインした座敷の電灯。

武田五一がデザインした廊下の電灯。

台所の配電盤。

武田五一がデザインした調理台。

同じく武田五一がデザインした調理台。

この衝立も五一のデザインのようだ。

台所の上の梁。

奥の蔵は、江戸時代のもので米蔵。