昨日は、仕事が終わってから「NPO法人橦木倶楽部」の会報の編集作業を行った。「イラストレーター」という編集ソフトを使っての作業であるが、なかなか根気のいることである。編集を担当してくれたYさんがパソコンの操作をしてくれるものの、画面を見ながら構想を練るのも大変であった。3時間ほど試行錯誤を繰り返す中で何とか形はでき上がってきた。
さて、石仏白山社の東に、天平元年(729)観音寺が創建されたと伝えられる。大正4〜5年(1915〜1916)に長戸町一丁目(現在の塩付通り5丁目交差点東北角)の水田から奈良時代のものと思われる鬼瓦が発見された。他に礎石と思われる石も発見されたため「古観音寺廃寺跡」と推定されるにいたった。この鬼瓦は、名古屋市の文化財に指定され、現在石仏白山社にて保管されている。この地の少し北側の塩付通りと広路通りが交差するあたりに若宮瓦窯址があり、そこで焼かれた瓦ではないかと思われる。今回、縁あって神社を管理されている方をご紹介いただき、実物を拝見させていただくことができた。

白山社社務所に保存されている「古観音寺の鬼瓦」。

近くの若宮古窯で焼かれたものらしい。

服部家に伝わった鎧兜か?

馬の塔の飾り馬具。

宇治川の合戦で先陣を競った佐々木高綱と梶原景季を描いたものか?

鬼瓦が発見された古観音寺のあった場所。塩付通5丁目の交差点北東。

白山社の摂社の前に置かれていた神像?

白山社を裏から撮影する。古墳の上に社殿が建てられているという。段差は前方後円墳の後円部と考えると納得がいく。