万場大橋の陸橋下を北に抜けると七所社がある。尾張三大奇祭のひとつ「きねこさ祭り」で有名である。旧暦の1月17日に行われる。今年は、2月23日(土)に執り行われる。もとは現在の七所社社域東の一画に祭られている御田神社の祭礼であったものが、七所社に受け継がれ続けられてきたようだ。「きねこさ祭」の名前は、祭りに使用する祭具の“きね”(たて杵)と“こさ”(杵からこすり落とした餅の意)に由来する。現在も使用されている祭礼時の衣装や祭具の形状が、鎌倉時代以前の特色を残していることから、少なくとも鎌倉時代には、ほぼ現在と同様な形での祭礼が行われていたと推定される。名古屋市の無形民俗文化財に指定されている。
七所社は、延喜式の愛智郡御田神社に比定されている古社である。神社に祀られている神鏡には、元慶8年(884)の銘があるそうでその頃の創建と考えられている。『尾張志』に「熱田七社神を祀る故に社号を七社と言う。応永32年(1425)に吉田治郎右衛門守重社殿修造(棟札あり)す。境内に縦横26尺の塚あり。そこに縦4尺ばかりの岩立てり。不生石と称し故に村名を岩塚という」と記され ている。この岩は日本武尊腰掛岩と伝えられ、塚(古墳と考えられる)と共に現存している。この神社境内は太古より古木繁り清浄な神域であった。吉田社家の祖岩塚城主吉田守重は、足利尊氏の一族であり、尾張之守足利高経の祖父宗家の兄の系(大系図による)であり、この岩塚および隣邑を領有していた。応永32年(1425)七社を勧請し祀った。熱田神宮・八剱宮・大幸田神社・日割御子神社・高座結御子神社・氷上姉子神社・上知我麻神社の七社である。現在地に遷座したのは、享保19年(1734)のことである。

七所社、南側鳥居(正門)

七所社本殿

案内表示

岩塚の由来の「日本武尊腰掛岩」

古墳の跡

境内東側にある御田神社

七所社東側鳥居