モリコロ・ワークショップ第1回が無事終了した。岡本信也さんの考現学のお話しは江戸時代から現代までにわたり、興味深いものであった。後日報告記事をまとめたい。
さて、美濃路の続きである。通りを西に進むと南側に神社の杜が見える。さっそく寄り道をする。富士浅間神社である。慶長15年(1610)名古屋城築城の際、東区の富士塚町にあった「富士神社」の社域に、浅野幸長が普請小屋を設けたため、神社を幅下に遷し、「富士浅間神社」として祀ったのが起源である。浅間町の町名の由来である。
祭神は木花咲耶姫(このはなさくやひめ)である。富士浅間神社の祭神、木花咲耶姫は、大山祇命(おおやまつみのみこと)の娘で天孫降臨した瓊々杵命(ににぎのみこと)の妃となり、火照命(ほでりのみこと。海幸彦)、火闌降命(ほすせりのみこと)、彦火々出見命(ひこほほでみのみこと。山幸彦)を産む。彦火々出見命の孫が初代天皇の神武天皇となる。
富士浅間神社の総社は、静岡県富士宮市にある「富士山本宮浅間大社」である。元々の祭神は富士山の神霊「浅間大神」(あさまのおおかみ)であるが、いつの時代からか、神話に登場する木花之佐久夜毘売命と同一視されるようになった。
「富士山本宮浅間大社」は、大同元年(806)平城天皇の命を受けた坂上田村麻呂が現在地の大宮の地に社殿を造営し、浅間大神を山宮より遷したという。以降、朝廷の崇敬を受け、延喜式神名帳では名神大社に列し、また、駿河国一宮として崇敬されてきた。
